ぽつりぽつり、と灯りが静かに灯され、ホグワーツ城がインクを落とし込んだ様に黒一色に塗り篭められた夜空で、幻想的に揺らぐ。忍び寄る様にゆったりと 這って 来た夜の闇が帳を落とした、其の城の薄暗い地下の一室。
清涼なる空気が流れ、ゴーストでさえも滅多に足を運ぶ事が無いスリザリン寮。普段の女性特有の甲高く艶めいた声が木霊するさまなど露とも感じさせぬ程の静 謐に包まれた、とある一角。
スリザリン寮監督生にのみ住まう事を許され、設えられた室内で、普段は艶を持った女性にのみ聞かせるだろう甘やかな声色が微かに聞こえる。


、ご飯は美味しかった?満足して貰えたかな。」

リドルは切れ長の瞳を眇めるようにして、見詰めていた時計から視線をゆっくりと引き剥がす。
紅蓮の双眸が見詰める先には幸せそうな表情で尻尾をはたはたと上下させ頷いている様子の白い猿が一匹。
胸の内を伝えるように歓喜を鳴声に変える。

「キキキキーッ!!(大満足です!!)

大きく見開かれた瞳の奥に僅かに紫が翳り、泣き出しそうな程に濡れても尚、嬉しそうに綻ばせ。
丁度小さな子どもが眠気に耐えられずに欠伸をしたあとの様な形相に、リドルは緩く息を吐いて苦笑した。


「…………、」


僅かな紫の翳りに、毎日の様に見詰ていても飽くること無い菫色の残像がけぶる。
ふと、と云う猿ではない人間の少女を思い出したリドルは、ゆっくりと手を伸ばして小さな白い身体を掬い上げた。
どうかしたのだろうか、と見上げてくる深い紫の瞳。リドルの脳裏に玲瓏としたの声が蘇る。



(ねぇ、トム…此れからもずっとこの景色が変わらずに 此処に在れば良いね)


伏せられた長い睫毛が落とした翳の奥、宝玉の様な稀少の色合いの薄紫玉の瞳がゆっくりと和らげられた。
突風に流され空を翔る様な黒髪は、空に浮いた太陽の恩恵に輝きながら背中の中程に無造作に垂らされている。 憂いを帯びた様な瞳で、リドルが乞うた唯独りの少女は真直ぐに蒼い空を眺め続けていた。


此の侭君を誰の眼にも触れさせず、空虚な世界の様に真っ白な箱の中に閉じ込め、僕だけのものに出来たらどれだけ楽だろう。


(トム、そんな辛気臭い顔してると、其のうち顔からカ ビが生えてくるよ?)


屈託無い子どもの様に無邪気に笑う菫色の瞳の少女は、何時も何も言わずとも微少な変化を感じ取って、敢えて琴線に触れぬ様、リドルを強く引き上げてくれ る。
躊躇も無ければ、手を差延べた事に対する見返りも期待せず、そう、まるで親が子に無償の愛を注ぐ様に躊躇いもなく。
何時もの瞳は泣きたくなるほどに穏やかで、優しい。なのに天真爛漫天衣無縫、あっけらかんとリドルが想像し得ない様な事を遣って退けるから、益々以っ て眼が離せなくなる。


そう、リドルにとっての存在は----------------思わず動きを止めて魅入ってしまいそうな、ひとしずく の光。








臥 待月の春 3








夜の帳は完全に降り切っていた。
ホグワーツ城内では、夜更かしに精を出す不良生徒達に減点と云う 懲罰を科せる為、教師陣が見回りを始める頃合だろう。
灯りが洩れて居るのが見付れば、厄介な事に為るかもしれない。広い室内に灯された屋内灯を消し、机上に蜀台を乗せ灯りを灯せば、瀟洒な音と幽玄な灯りが静 寂な室内に這い蹲った。
リドルは時計に眼を遣る。月光、夜の闇、冷えた冷気。もうじき宵闇を迎える頃合、明日は特に用事も無いが今日は酷く疲労した。
欠伸を堪え、ベットサイドのブランケット を無造作に手繰り寄せると、手の内に落とした小さなに微笑み掛ける。


「僕はもう寝るけど…一緒に、寝ようか。」


聴覚を介して脳に伝わる声は、低く、甘く。愛しさすら含んでいるのではないかと耳を疑うほど。
突飛に、え、とが顔をあげれば、ニコリと笑んだリドルと真っ向から視線がぶつかった。


「大丈夫、潰したりしないから。」


幾ら猿の姿とは言え、「一緒に寝れば子どもを孕む」と噂されるスリザリンきっての無節操王子様と一緒にベットで寝るのは如何だろう。
甲斐甲斐しく掌の上で ご飯を食べさせて貰い、天津さえ共に同じベットで一夜を過ごすなど、有り得て良い訳が無い。

は今自分が単なる小動物の一匹に過ぎないのだとか、リドルが自分の事を知っている筈は無い、単純にペットに付けた名前を呼んでいるのだとか、陳腐だけ れど非常に重要な事項は脳裏から彼方へとすっ飛んでいた。


だから、連綿と考える。
100万歩譲って仮に有り得たとして、元の姿に戻った際にがリドルにこの不可思議な体験談を告げない保障が何処にも無い。此処でリドルが寝言で女の名 前を呼んだ、とか鼾が煩かったとか、鼻堤燈が出 ていたとか、そんな低レベルの出来事に遭遇しようものならの中の血が騒いで仕方が無い。
ここぞとばかりに揚げ足を取る様に回りくどい言い方でリドルに詰め寄る様が手に取るように見えた。


(…動物なんだし、地面でも…寝れるよね、多分。)


眼に留まったのは埃一つ無い木目調の床。脳裏に浮かんだのは、いつかマグル製のテレビで見た、サバンナの乾いた黄金の大地で丸くなって眠る小さな猿の姿。
自然の摂理だ、野生の猿は枯れ枝の様な大地でも眠れる、身体だけは猿のであってもリドルのローブを借りれば充分に床の上でも熟睡出来るだろう。
リドルと一緒に寝る位ならば、ローブと一緒に床の上の方が身体には辛いかもしれないが、未だ心臓に優しい。あのリドルと一緒にベットの中 で寝るだなんて、例え猿の姿で在っても勘弁して欲しい。


「キ、キキ!!(私、此処で寝る!)


一蹴するように言葉を投げ、身を翻す様に掌から降りて床に着地すれば、リドルはいぶかしげな顔を見せてくる。


って夜行性?駄目だよ、明日も早いんだから寝ないとね。」


逃げた筈の掌、問答無用で掴み上げられ、ベットに落とされる。抗議の声をがあげても一向に気にする事無くリドルは机の蜀台を消した。
室内が完全な暗闇に支配されると思いきや、魔法が掛かっているのか部屋の天井に朧気に夜空を切り取って貼り付けた様な星空が浮かび上がり、深遠の月が室内 の天井と云う夜の闇に浮かんでいた。

バサリと薄地の掛布が擦れ音を立てる。
突っ伏した枕から上体を起こし、音が聞こえた方へ顔を向ければ、飛び込んできたものに瞬時に頬に紅が走った。


(こっ、此処で着替えるなー!乙女の眼前だよ、お兄さ ん!!)


室内が昏い色調に覆われている為に色彩までは不明確だが、勢い良く制服を脱ぎ捨てたリドルは濃いスボンに同じ色味のシャツに着替え、の鼻先僅か数セン チの所に身体を横たえた。
柔らかな羽毛の枕に、漆黒の髪がさらりと流れ落ちる。柔らかく眇められた紅蓮の双眸を通じて、白く小さい自分が見えた。きっと、多くの女性が、羨望と愛し さが混じった溜め息を吐く事だろう。穏やかな人工的な月明かり下、女性のものとはまた違う色香が、漂う。

頬を朱に染め上げながら、其れでも視線を引き剥がす事の出来ない事態に、は猿の姿で狼狽した。



「あぁ、そうだ、忘れるところだった。お休みの、キスを--------------


リドルの唇から漏れた官能的とも言える声が紡いだ言葉に、今度は狼狽どころの話ではない、文字通り魔法でも掛けられた様には固まった。
眼を大きく見開いて、摩訶不思議なモノにでも運悪く遭遇し、対処に困った人間の見本の様に。
さらりと音を立てて流れ落ちそうな漆黒の髪をかき上げる其の仕草一つでさえ、の柔な小さい心臓の鼓動を跳ね上がらせる引き金と為る。

の友人が言っていた。「トムに微笑まれると、身体が蕩けそうなの」、と。
あの時は「トムに微笑まれたら口から砂が大量放出されるよ」と笑い飛ばした記憶があるが、今の眼前で秀麗な顔に穏やかな表情を貼り付 けている男が、の知っているあの「トム・マールヴォロ・リドル」だとは信じ難かった。
こんな貌、は知らない。

だが、何よりも先ず、そんな表情を一匹の猿相手にしなくても良いだろうに。
そう考えるべく筈の思考回路はショート寸前、無理矢理視線を引き剥がしたは小さな顔を思い切り枕に押し付け、口付けようとも出来ぬように小さな両手で 頭を抱える。
垂らされた尻尾が僅かに戦慄き恰好悪いが、この際仕方ない。


(マズイマズイマズイ、あのトム・マールヴォロ・リド ルなら猿の口にキスなんて遣りかねん!)


息が出来なくなっちゃうよ、と囁かれても、顔をあげることだけは出来なかった。
猿の姿とは言え人間としての意識がある中で、掌の上でご飯を食べ、共に同じベットに寝るどころか口付けを受けるなどどんな冗談かと笑い飛ばしたい位なの だ。
だが明らかに冗談だと笑い飛ばせない重苦しくも冷えた空気の中、は只管に頭を抱え、回りきらない思考回路を無理矢理に回していた。
人間の姿に戻れば本気で如何リドルに接して良いのか判らない、だから出来れば口付けられるのは回避したいものの、此の侭枕に突っ伏して寝れば息が出来なく 為る事は必須。

突っ伏した枕から柔らかに馨る薔薇に似た芳香に、酔わされ意識を手放したい位だ。
だが其れも出来ず、は小さな頭を必死に枕に押し付け、如何しようかと画策を続ける。


小さな猿に為ったのそのさまに、リドルが、柔らかく苦笑する。
何処か諦めにも似た其れの中に、はっきりとした意思を感じ取り、は息を呑んだ。


---------------おやすみ、


そうしてリドルは目の前にある小さく震えるの頭を指の腹で撫ぜる。
触れられる事に慣れていないかのように、跳ね上がるの身体。そっと伸ばされる長くて綺麗な指が小さな身体を護る様に包み込んで、柔らかい髪が降掛る。



次いで白い起毛に覆われた頭に降りて来た口付けは、驚く程優しいもので、は吸い込まれる様に静かに夢の中へと落ちていった。
降りたばかりの帳が開けるのは禍々しい紅蓮の色をした太陽が昇ってからだと思っていたのは、唯の思い過ごしに過ぎない。暫くして------------------は初めて、本当の、トム・マールヴォロ・リドルを見ることに為る。
































[ home ] [ back ] [ next ]

(C) 2002-6 The fanfictions are written by Saika Kijyo. update 2006/7/6