ユメミタアトデ

#009





あれから、一週間ばかりが過ぎたとある休日。
あの日の出来事を境に、ルシウスととの間に何か有ったのかと聞かれれば、明示的に指示せる様な事象は何一つとして無かった。 ルシウスのに対する態度は軟化したかと言えば、マルフォイ家にが来た時点でへの態度はルシウスに長年仕えてきた執事でさえ眼を見開くものが在ったし、とてルシウスに対する態度はマルフォイ家に来た時から既に確立しているようなものだった。
だがしかし、それはあくまで執事や女中が居る時の話であって、ルシウスとが共に二人きりで居る時に彼の態度が如何変わるのかは知り得ていない。
二人きりで居る時も何等変化の無いものかもしれないし、執事達には見せる事の無い菩薩のような広い心のルシウスを見ることが出来るのかもしれないし、真逆に絶対零度の態度が貫かれているのかもしれない。




………まて、いや、幾らなんでも最初以外は有り得ないだろう。
そう、常務をこなしながら誰にも悟られる事無く脳裏の片隅で侍らせていた執事の思考に、横から正に脳をせしめていた人物の冷えた独特の声色が落ちてきて、執事は自然と眉根を寄せる羽目と為った。





「 …………冬に…月見、で御座いますか――――――? 」



聞き間違いだろうか、と手帳と文献を閉じ立ち上がると、扉口に立ったルシウスの為に上座の椅子を引く。
漆黒の夜空に煌びやかに光る星川に似た銀糸が一筋ひらりと揺れ、翳る秀麗な横顔が執事の隣を無言で過ぎた。
ふわりと絹髪が舞い、浅く腰を落したルシウスが言葉を吐く前に挽き立ての珈琲の芳ばしい香りがリビングに蔓延する。



一口咥内に落としこみながら、ルシウスがす、と瞳を眇めた。





「 中秋の名月、と云う言葉を知っているか。 」

「 は、十五夜とも呼ばれております月が一年で一番綺麗に輝く日だとお聞きしておりますが 」

「 魔法界では今は真冬だが、とある場所では今日が其の、『中秋の名月』だ。 今夜はデイライトタワーへ行く。
 …夕飯は折り詰めを作れ、とコックに言っておけ 」

「 デイライトタワー…! 今宵向われますと、我等魔法一族だけではなく混血やマグル、況して魔族すら…
 その様な危険な場所に、足を運ばれるのは… 」

「 案ずるな、貴様等に来いとは言っていない 」





切って捨てた言葉は辛辣そのもの。
ルシウスは葉巻に火をつけ燻らせながら、窓の外を仰ぎ見る。薄く白く引き伸ばされた紫色の雲が低く棚引いて、じきに訪れるだろう漆黒の闇夜を思い、其処にぽつりと浮かぶ見事な満月を思い浮かべて瞼を細めた。
態々月を見に何処かへ出掛ける等、どれ位ぶりだろう。未だ母が生きている頃の幼少時代だった様な気もするし、もっと記憶に無いくらいに幼い頃だったようにも思う。



―――――……の…………って!



昔は良く見ていただろう月を思い出しながら暫し思考を止めれば、沸々と蘇る鮮やかとは到底言えないおぼろげな記憶に混じって、今朝方絵に描いた様な笑顔を貼り付けて飛び込んできたの言葉が蘇ってきた。




「 今年の月は見事な中秋の名月だって!……庭でChamber達と見たい、なぁ…って 」



胸に未だ眠たげな表情を零すClefを抱きながら、何処からそんな高い澄んだ声が出るものかと疑問視する位の名声響かせて、はルシウスの瞳を見詰めた。
ルシウスが晴れ渡る蒼穹の瞳を携えるなら、は真逆の憂い空がどんなに乞うても触れることのかなわない、絶望的に色素の無い色。だが、光を失った空ではなく、此れから太陽顔出す薄霧に包まれた明けの宵間近の玲瓏な色。
水を得た魚の様にくるくると変わる表情、真直ぐで何処までも澄んだ水墨白淡の瞳に、ルシウスは何処までも魅入られる。




「 月が見たいのか 」

「 ちゃ、ちゃんと着込むし風邪引かないようにするし、池には近づかないしそれに… 」




ルシウスとしては別に咎めたつもりは無く、寧ろ魔法界に在るマルフォイ家の庭から眺めただけの月は『中秋の名月』とは程遠く面白くも何とも無いだろう、と言いたかっただけだったのだが全ての言葉を吐く前に。
は掠れた声で、まるで泣き出しそうな瞳に立ち戻り、一週間前の醜態を詫びているかのように覇気を無くした。
項垂れるように頭を垂れたを案じてか、眼を覚ましたClefが母親譲りの鋭利な瞳引き下げて主であるルシウスに、を虐めるなと睨み付ける。

やれやれ飼い犬に手を咬まれるとはこの事か、と殆ど音にも為らない浅い息を吐き、





「 昔一度だけ、月を見に行った場所が在る。 普段は年齢制限が掛かる場所だが、私が一緒ならばお前も入れるだろう 」

「 年齢制限? 月を見るのに年齢制限があるの? 」

「 デイライトタワー、名位聞いた事があるだろう 」


問へば、は暫く考え込んだ様に忘れた記憶を呼び覚ます様にゆっくりと瞬きをした後で、



「 聞いた事も無いから多分行った事も無い 」





至極の宝玉の様な大きな瞳がぱちくりとゆっくりと開いては閉じる。
あぁ、そう云えばデイライトタワーの年齢制限は18歳だった、と思い出した。そして、マグルであの場所に入れるのは、魔法省に贔屓されたヴォルデモート卿に加担する者たちばかりだ。
幼い自分が連れて行って貰えたのは、あのマルフォイ一族の嫡男だと云うネームバリューだけだったのだ。
其れを思えば、一般人でも在り況して唯のマグルでしかない15歳の少女があの場所に足を踏み入れるどころか、名を聞く機会さえ与えられては居ないだろう。
少し考えてみれば思い付く様な簡単な解答を漸く見出したことに、必要以上に長い溜息が口を吐いて出るのを堪えるよう、ルシウスは襟元を正して緩めたタイをキツク締め上げる。
仕事がある訳ではない、が来るまでは、休日でも平日と変わらぬ量の仕事を自室で行うルシウスの何時もの癖に似たものだ。




「 日が暮れる頃に此処を出る、月が出る前に寝られると迷惑だから昼寝でもしておけ 」

「 ……起きてられるから大丈夫です 」

「 お前が起きてられてても身体が辛いと言えば人の集中力など直ぐに途切れて睡魔に虫食まれる 」




大体貴様は今幾つだと思っている、と呆れた様に言えば、は無言でClefを抱き寄せブランケットを手繰り、ベットに突っ伏した。
意外に素直な事だな、とルシウスが眼を細める。反して、に似してみれば、造作の無い所作だ。
無碍な言い争いをしてルシウスの機嫌を損ね、折角の月見が台無しに為る位なら、昼寝の一つや二つ苦でも無い。丁度三時のおやつも腹の中に入り、充分な量のメラトニンも分泌されている。実際年齢は15歳だが、外見と肉体的年齢と身体のサイクルは6歳児。
無理に起きて様と思えば幾らでも起きていられるが、寝ようと思えば幾らでも寝られる年齢だ。


言い聞かせる様に、そっと瞳を伏せて窓の外を眺めていた。直に眠れるだろう、薄い瞼も閉じれば、世界は白く霞み、ゆっくりと睡眠の帳が降りた。




が、実際はそう簡単に眠れる筈も無く、腕の中で既に夢見心地のClefを抱き直しながら、は窓から視線を引き剥がしてルシウスを仰ぎ見る。
休日だというのに忙しなく右から左へと流れる書類と羽ペンが自然と眼に付き、静寂の中にさらさらとした紙刷れの音ばかりが聞こえるものだから、は気に為る。其れも、酷く、だ。
若しかしたら、家で仕事をしなければ為らないほど、自分の相手をしている暇なんて無いんじゃないかと思うほど、ルシウスは多忙を極めているのではないか、と。


そんな思慮がとうとう口を吐いて出たのは、処理済の書類と未処理の書類の高さが同じ位になった頃だ。





―――― ねぇ 」





ブランケットを鼻先まで引っ掛けて、もし仮に返答が返って来なくとも其の侭眼を瞑って何も無かった事にしようと自分に言い聞かせながら、小さく問う。
だが意外にも、羽ペンの音も渡される書類の音が途切れることは無かったが、ルシウスは低く抑えた様な声で言葉を返してきた。



「 何だ 」



返って来なくとも構わないと掛けた声に返答が在って、は素直に綻ばせた表情でルシウスを見た。勿論、ルシウスが書類から視線を剥さず自分の方を見ることは決して無い、と踏んだ上で。
の予想は的中し、ルシウスは手元へと視線を落とした侭黙々と作業をこなす。
僅かに伏せられた薄蒼の瞳に、は柔らかく眼差しを向けた。開かれた大窓から入る弱い光は、星の棚引きの様な強く鮮やかな銀色を、縁取る睫毛の影を白い頬に落としている。




「 仕事大変? 魔法省の高官って、休み無いの? 」

「 休みなら幾らでも在る。 私を其処等の下級役職の人間と一緒にするな 」

「 じゃあ如何して家でも仕事をしてるの 」

「 他にする事も無いからだ。 」




其処まで会話を続けて、紫色の瞳は戸惑うように瞬き、やがて穏やかに微笑みを向ける。静かな、どんな場所にあっても誰にも侵されることのなかった透明な心で、ルシウスを見る。だが、やがて苦しげに、その瞳を伏せた。




「 若しかして…周りに敵ばっかり作って生きて来たの? 」



仕舞った、と思う暇も無いほど簡単に口を吐いて出た言葉に、は慌てて弁明の言葉を探す。
如何し様、こんな軽口を叩ける身分じゃないのに。
先週の二の舞を踏む羽目に為るのだろうか、其れだけは避けなければ為らない。此処を追い出されたら、自分に行くべき場所など、拾ってくれる相手など誰も居ないのだ。
だが上手い回避方法が見付る前に、目を細めて、視線を向けられる。



「 生まれた時から私の周りは敵ばかりだ。 純血一派とは言え、全てが柔らかい殻に包まれて生きていると思うな 」



が見せたのは諌める為か、休日も仕事に明け暮れるルシウスを心配しての事か、判断がつかなかった。
けれど聞かせてくる、穏やかな声に、ルシウスは普段なら一蹴するだろう愚問に敢えて答えてやる羽目に為る。
もう聞くべき事は無いだろう、だから早く寝ろ、と言い掛けた言葉が、静寂に溶け居る。
否、正しく言えば、の静かな声に掻き消されたのだ。思考ごと、全て。




「 私が純血だったら…少しはルシウスの気持ちが判ったりするのかな 」

落とされた囁きに、言い掛けた言葉は喉の奥で遣えた。代わり、

「 …………下らない事を考える暇が在るなら寝ておけ 」




歪みが生じると判っていながら、気持ちを静めるかのように手先だけを動かして、気づけば口を突いて言葉が毀れていた。
何も考えていなかったわけではない、たかが15年ばかり生きただけの子どもに何が判ると言うのだ、何も判りはしないくせに。だがそれでも、如何しても言えなかったのだ。
自分の方が何倍も抱えている痛みが大きい癖に、悔しげに歪められていたあの顔を見た瞬間に、どんな罵倒の言葉も失くしたまま出て来はしなかった。














































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(C) 2002-6 The fanfictions are written by Saika Kijyo. update 2006/10/16