ユメミタアトデ




#008






あの子どもが、Cahmberの仔を助ける為に池へ飛び込み溺れた、と執事から聞いた瞬間。
ルシウスは手にしていた『最重要』の印が押された羊皮紙を机の上に放置し、終始無言を貫いた侭外套を掴んで魔法省を出た。
引き止める側近の声も鼓膜を震わせるが僅か届かず、ポートキーを使って自宅の庭に舞い降りてみれば、池の脇で死んだように微動だにしない子どもを見て、何 が有ったのか全く理解できなかった。




きゅぃ、と靴の底で新雪が鳴る。
深く縁取られた楕円型の池の脇へ一歩一歩近付くにつれ、明らかになる想像を超えた執事の失態に、腸が煮えくり返るような憤りを感じた。
恫喝の意味を篭めて、執事を見据えれば、驚きと困惑が入り混 じった表情を零してきた。
一体何をしてた、と一喝してやりたい衝動を堪え、ルシウスはの傍に膝を折る。



黒衣の裾が、静かに雪地を擦った。


肩から羽織っただけの外套を徐に引っ手繰り、細い髪の毛の一筋までも水分を含んで寒さに震えている小さな身体を暖める様に外套に包んで、膝の上に抱き上げ る。
外套を伝い落ちて来る雫、ポタポタと小さな身体全体から垂直落下する水滴は、池の水分全てを染み取ったように留まる所を知らない。
癖の無い前髪が揺れていた額に手で触れれば、薄っすらと汗を掻居ている様に水分が張付き、冷え切った頬が寒さに戦慄く。



( 真冬の池の温度がどの程度かも知らぬ侭飛び込んだのか、この莫迦は )



本来はルシウスよりも温かい体温を持つ筈の身体から伝わる冷気が浸透するように、抱き支えているルシウスの指先も微かに震える。
しかしそれが、寒さの為だけではないことは、誰よりルシウスが知っていた。





――――― 何が有った 」



怖気を奮う程に床冷えする薄蒼の双眸が真直ぐに執事を射抜く。



「 聞こえなかったか、私は何が有った、と聞いている 」



呆然と立ち尽くす執事を見上げ、ルシウスは端麗な表情に厳しさと憤りを交えて再びそう言った。
「まさか、お前が突き落とした訳ではあるまい?」
そんな揶揄を含んだ視線と言葉を聞くと同時に、はっと執事は我に返り、自分が恐ろしい疑いを掛けられているかも知れぬ事態に気付いて、慌てて引き結んだ口 を開いた。




「 は、先も報告しました通り、様がChamberのお仔を……… 」

「 そんな事は如何でも良い、貴様はが池に入った瞬間から力尽きて沈むまで、其処で傍観していたのか 」

「 い、いえ、決してその様な事をするつもりは!わたくしが気付いた時には既に…… 」




「 Chamberが池に飛び込み、を引き摺り上げた、と 」






ルシウスは執事の抗弁を最後まで聞かずに、言った。す、と鋭利な瞳が細められ、執事は背に抜ける悪寒を感じた。
見ればルシウスの腕に抱かれたの直ぐ脇、二匹の仔犬とCahmberが耳を垂らしながら心配そうな眼差しで、微動だにしない子どもを見詰めている。
死人の様にだらりと落ちた小さな掌に鼻を付け、しきりに暖めようとしているのは、に助けられた方の仔犬だ。
Chamberはルシウスが先述した通りに、見事なブロンドの毛並みがしっとりと水を含み濡れ、長い毛足を伝って降り積もった雪を溶かしていた。
自らの毛並みを整える事もせず水を滴らせた侭、暫くを見詰めていたChamberだったが、不意に視線が上方へと軌道を変えた。そうして、犬とは到底 思い難い無感動で鋭 利な貌が真直ぐに執事を見据えた。





―――――――――――――――!! 」





刹那、執事の背に戦慄が走り抜けた。
Chamberが自分へ向けた視線が、獣が獲物を仕留める前に情けを掛ける事無く隙を見計らっているようで、執事の心臓が大きく跳ね上がる。
慌ててChamberの視線から顔を背ければ、次に見つけた事実に、二度目の戦慄が走る。明らかに目立つ血の痕と泥の経線が、の上着や袖辺りに染み付 いていた。
池には全て水が張って在るだけだと思い込んだのがそもそもの間違い、マルフォイ家の庭に据えた池には、強靭な牙を持つ魔法魚が何匹も飼育されている。
其の牙が、幼い身体を啄ばんだのは、火を見るよりも明らかだ。





――――――二度目は無いと思え 」





床冷えのする瞳が睨む。
執事はルシウスの視線に射竦められ、恐怖が真綿の様に心を押えつけているように弁明の言葉も抗弁の下りも浮かばず、言葉を失った。
丁度、其の時だ。
空気が動かず、唯低い温度だけが流れ出してくるような感覚に似た白銀の世界の中で、不意に執事の視界の中に動くものが眼に入った。




水没し一時期は心臓の鼓動を止めた筈の子どもが黄泉の淵から生還したようにゆっくりと瞼を開いた瞬間、怒りと恐怖と確かな安堵が胸腔のなかに心臓と肺を押 し潰す様に爆発的に湧き出して、濁流の様に溢れ返った。
心の中では、主に近付く卑しきマグルなど死んでしまえば良い、そう思っていた筈が、心の何処かでは自分の眼の届く範囲で勝手に撓れる事へ恐怖を感じ、息を 吹き返した瞬間に『免罪される』と心の片隅で安堵した。



( たかがマグルの子一人に躍起に為って如何する、所詮はマルフォイ家に似つかわしい穢れた血だ。 )



言い聞かせるように胸中でゆっくりと呟き、ルシウスとChamber達が歩いた軌跡を追うように、執事はゆっくりと新雪を踏締める。
白花の様な粉雪降る中、掻き消えること無く胸中で響いた言葉へ呼応するように、続けざまに滑らかな所作で黒衣が揺れた。















私が本当に、望んだものは何だっただろう。



何時かは失ってしまうと判っていた両親、けれど長い間そんな事は未だ早すぎるのだと信じられてきた自分自身の勝手な思い込みを裏切って、の眼の前で両 親は死んだ。
其れは変えようの無い事実、過ぎ去った過去。失ってしまった存在への痛みならば耐えられた。それが自らを誰よりも深く愛し護り抜いてくれていた両親の死で あっても、だ。
何かを失うと云う事は、大小の差は在るにしても、其れに伴う痛みは必ずある。耐えられることはあっても、慣れることはない。
無いのだけれど、やはり、失ったものが大きければ大きいほど、犠牲にしなければ為らないものが大きければ大きいほど――――― いつか失ってしまう事への不安が心を締め上げる。




そう、いつかは失ってしまうものならば、初めから手に入れなければ良い。
両親が死んでから今まで、出し得なかった明確で的確な回答だった。
信じられるものが何も無くなってしまった時、一体何に縋って立っていればいいのだろうか、そう何度も何度も自問自答を繰返してきた。
答えなど、簡単なことだ、何に縋って立っていればいいのか判らなくなる位なら、何も信じなければ良いのだ。




どれ程混沌とした深い眠りに堕ちていたのだろう、意識を持ち始めた夢の淵でそんな事を思いながら、無意識に漸く薄い瞼を押し開く。
上下の睫は雪礫で凍ったように繋がり互いに張付いていたが、急激に温められた部屋に溶解するように、未練がましく離れていった。





「 気が付いたか。 」





真横から掛かった声にゆっくりと採光を取り入れれば、真っ先に飛び込んできた光景に、は表情を繕う事を忘れ、目を見開き、驚きを顕わにしたまま。
熱に浮かされ朦朧とする思考回路の果てでも、ハッキリと理解出来た。
薄く掛けられたブランケットと温められた室内、地獄の劫火の様に燃え上がる暖炉、そうして豪奢なベットの傍らには羽ペンをしきりに走らせるルシウスの姿が 在った。


其の瞬間、一気に自分が何を仕出かし此処に居るのかを思い出し、は子どもの自分に歯噛みしたくなる。
マグルである自分を追い出す理由など、幾らでも在る。元来、こうして此処に居る事が可笑しいのだ。
そう云う立場でいけば、ルシウスが注意喚起したというに、彼の言葉に逆らう事は許されていなかった。
この小さな身体であの凍てついた池に飛び込むと云う行為、馬鹿な事をしたという自覚は幾らでも有った、だが、自分よりも何倍も小さな犬の仔が溺れているの を見て助けたいという気持ちを止められなかった。


だが、理由は如何あれ、ルシウスの言い付けを守れなかった、それこそがマグルであるにとっては、不利に働くというのに。今更悔いても遅すぎる。
謝っても許して貰えない事は百も承知だ、だか謝りたいと言う思いと此処まで運んで貰った事への礼だけは伝えなければ、と口を開く。





「 あ、の、……ごめんなさ……うわっ、…! 」




どれだけ下げても足りないだろう頭を垂れ、無意識にブランケットを指先で握り締めながら、然程大きくなくても聞こえるだろう声を紡げば。
瞬き、見開かせた瞳を緩めずルシウスを見据えたも一瞬。次には、目の前の光景が、最後まで言えなかった科白と共に瞬間的に飛んだ。
眼の前を柔らかい何かが舞ったと思ったら、緩くこめかみを掠めて、金色の光りが舞う。
何が起こったのか、と脳が知覚する前に、の小さな身体はよりも何倍も小さな仔犬に弾き飛ばされる様に抱き付かれてベットに再び伏した。




「 え、ちょ…っ、擽った…っ!! 」




大きなビー球のような瞳をめいっぱい見開いた仔犬は、の柔らかい頬を舌先で舐めあげ、しきりに小さな尻尾を振っている。
無邪気に尻尾を振りながらにじゃれてくる仔犬に途惑いながらも、ベット脇を見れば、Chamberが伏せながら腹の辺りに眠ったもう一匹の仔犬の枕代 わりをしているさまが見えた。
飛び付いてくる仔犬の小さな頭を撫でながら視線を投げれば、出逢った時とは裏腹、の身体を気遣うような眼差しは何処までも優しい。
触れても許されるのだろうか。そんな憶測立てながらゆっくりと手を伸ばせば、Chamberは腹に抱えた仔を起こさぬ様に首だけを延ばして頭を摺り寄せて くれた。
其の仕草に素直に綻ばせた表情で、はふわりと微笑んだ。





「 私の命令には絶対だった筈のChamberが、お前の傍から離れないと聞かぬ。 」





忙しなく動いていた羽ペンの音が止み、ルシウスがゆっくりとを振り返る。
に見せてきたルシウスの視線は、普段と変わらぬ鋭さを影に潜ませ、感情を読ませない。
途切れてしまった言葉の続き、果たして礼を言えばいいのか、其れとも謝罪の言葉の続きを口にすればいいのか。
真っ先に断罪され詰問された方が楽だった。此れでは何と言えば良いのか判らない。
だが、言い付けを守らなかったのは事実、迷惑を掛けたのも事実。取れる限りは、責任を負わなければ為らない。
意を決し口唇を開きかけたの言葉を奪うかのように、ルシウスが責める響きはない声色で静かに続きを話した。




「 先ずは礼を言おう、お前が飛び込まなかったら間違いなく其の仔は死んでいた 」

「 いえ、気付いたら勝手に池にダイブしてたんで、どちらかと言うと私のほうが…池に近付くなと言われていたのに約束を破ってしまいました。…更に、ご迷惑を お掛けして、 」

「 其の話はもう良い。 」




愚かな真似をしたのをわかっていながら、何故叱責の言葉を下さないのかと、は疑問符を浮かべる。
ただ、謝れば済むという問題ではない。わかってる。わかっているが、ルシウスの視線には変わらずに鋭さが増すだけで、が池に飛び込んだ事を咎める様な 素振りは無い。
銀嶺の様な美麗なプラチナブロンドに、晴れ渡る蒼穹の様な薄蒼の両眼。白磁交じりの淡い色が、だけを捕え、真直ぐに見据えてくる。
そうして、冴えた声がに投げかけられる。




「 其の仔は未だ名が無い。もう一匹の方は知人が名を付けたが、其れだけが血気盛んで嫌われてな 」




だから代わりにお前が名前を付けてくれないか、と言われた瞬間、は禁忌を目撃した瞬間の様に、大きく眼を見開いて一瞬以上停止した。
凡そ外見年齢に似つかわしくない、本来の年齢であれば、年よりも更に幼く見えるあどけない表情の子どもに、ルシウスは一瞥をくれる。
常の穏やかに落ち着いた印象とは異なる、どこか幼さの残る歳相応の表情で見つめられ、ルシウスは薄蒼の瞳を眇めた。




「 …名前、ですか? あの、私が付けたりしたら、 」

「 ……、お前も其の仔犬と遊ぶなら、名位無ければ不便だろう 」




ルシウスが声を返せば、受け入れられる想定をしていなかった様子でが視線を向けてくる。
だが直ぐにやすらいだ表情で微笑み、穏やかに緩んだ瞳は、真直ぐに仔犬を見詰めて、




「 ……clef、お前は今日からclef 」




優しく、は小さく微笑んで言葉を落とす。
そうして何にも覆われていない小さなブロンドの色味を湛える仔犬の頭に手で軽く、触れた。
Clef、と名を呼べば、小さな身体でめいっぱい喜悦を表す様に尻尾を振っては身体を摺り寄せてくる。其れが嬉しくて、は何度も何度もClef、と仔 犬の名を紡ぎ頭を撫でた。




其れを傍らで流し見ながら、何にも揺れるはずのなかったルシウスの胸の深くに、密やかにぬくもりを残した。












































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(C) 2002-6 The fanfictions are written by Saika Kijyo. update 2006/10/10