ユメミタアトデ




#007






夢を、見た。
父が居て、母が居て、地位も名誉も権力もお金もなかったけれど、其れでも人に『私は幸せです』と胸を張って言える温かな場所に在れた、あの懐かしい記憶の中の日々の夢。
絵に描いたような幸せな家族、微笑みが絶えず、夢の中の自分は何も知らない子どもの様に笑っていた。
だが、ゆっくりとゆっくりと氷が溶けて水に成り代わるように、響く音に線損本能が神経に噛み付いて、無理矢理外の世界を知らしめる。厭だ、醒めたくない、私は未だ温いこの夢の中の世界に浸っていたい。
眼を覚ませば其処にあるのは惨酷過ぎる現実だけで、必死に眼を瞑り頭を両手で覆っても、少しずつ少しずつ夢の世界は溶けていく。
真実と現実に眼をそむけ、意識を飛ばそうと試みても、耳に届く銃声と悲鳴と絶叫がそれを赦さない。

遠くから微かに響いてくる何かが壊れる音、崩壊した嘗ては『家』と呼ばれていた建物の破片は少しも撤去されず、堆く積もっている。
硝子の破片やパイプ、屋根を覆っていた瓦や庭の草木がまるで塵の様に転がり、其処に混じる火薬や血の匂いに泣き出しそうになる。
如何してこうなったのだろう、如何して私は独りなんだろう、足元がいきなり地獄に直結したかのように思え蹲って生きる事を放棄した。




出来る事なら自分もあの場で、両親と共に滅せられたかった。如何して、如何して自分だけ。






粉の様な雪が降るノクターン横丁の片隅で、ぼろぼろの薄汚い人形と一つの杖だけを抱き、何一つ視界に入れずに壊れ逝く街の中で一人膝を抱いた。
街燈も家々から洩れる灯りも無いノクターン横丁は、子ども一人がそこ等で転がって居ようが誰も気にも留めない街だ。
眼の前で、突然背後から大きな手が名も知らぬ子どもの口を塞ぎ、太い腕が身体を抱き竦めて持ち上げた。
子どもの持っていたカンテラが割れ、深紅の火が路面を舐める。視覚を灼く眩しさ、それをは恐怖とも思わず、況して誰も連れ去られていく子どもを気になど留めずに居る事態に、唯眺めながら、思う。




どうして、私は生きているんだろう。死んでしまえれば、楽なのに。この世界は独りで生きていくには広すぎるから。




父と母が死んで散々泣き明かして全ての涙を枯らした様に、最早泣く事も出来なかった。
咽喉と心臓が締め付けられて苦しく、頭の中で何かが喚き散らしている様に鈍痛が走る。此の侭小さく世界に圧縮され、見つけられることも無いだろう儚い塊になりたかった。何も聴きたくない、考えたくない。
もう一度誰かと一緒に生きるなんて、あの日からすっかり砂に埋没していた感情。
砂の海に沈む遺跡のように、此の世の底に沈没し何もかもを棄てて、生きる事を手放したい。
両親が死んだ時、縋っていたものが壊れた時、信じられるものが何も無くなってしまった時、一体何に縋って立っていればいいのだろう。







『何だ、そんな簡単なことも判らないのか、初めから自分の足で立って歩け』





ふと、懐かしい玲瓏とした無感動な声が聞こえた。
あぁ、此の侭夢から醒めるのか、私はまた独りぼっちに為ってしまうのか。厭だ、未だ醒めたくない、そう思っても無駄だった。
良夢の残滓に僅かな心地良き思いと現実の残酷さに溜息を吐き、浸っていた夢の世界から現実の世界へ覚醒する為にゆっくりと意識が手を放れていく。







夢の欠片を解放して小さな自分を取り巻く現実世界が明確な像を結んだ時、最初に聞いたのは他でもない、自分自身が盛大に噎せ返る咳の音だった。







「…………っ、か……っは、……っは、ぁっ……、っ」






スローモーションでも掛かっているかのように、空から雪が零れ落ちてくる。
明確に視界に入るわけではないが、頬に落ちてやがては水に成り代わるさまを体感させられれば、否が応でもそう思う。
刹那、まるで自分の身体が自分の意思では制御できなくなったかのように盛大に脈打ち、意識の片隅では空から落ちる雪の事を考えているのに、もう一方では眼を固く閉じて意識を肺に集中する。
まるで生まれたばかりの子どもが息をする方法を知らない様に、呼吸が酷く覚束ず、酸素が供給されない。
如何してだろう、唯夢を見ていただけの筈なのに。
息が出来ないその事実に混乱しながらも、必死で胸郭を動かし、何かに縋る様にして息を整えた。
やがて、徐々にではあるが落ち着きを取り戻してきた呼吸、朧ろだった思考回路は脳に酸素が回った事で活性化を始め、がゆっくりと双眸を開け放つ。




其処に静かに視界に映し出されたのは、小さな自分を愛しむ様にしてまわされた腕と、銀嶺と同じ色合いの髪を揺らした端麗な男の顔だった。




「 ……………私が誰だか、判るか 」




細められた蒼い瞳、深淵の揺らがぬ声で唯一言、男はそう言った。
吹き込んできた雪を伴う風に髪を嬲られ、ばさりと外套が揺らぎ、幾つもの雪と一緒にの小さな頭の上に呟きは落ちてきた。
静謐とした世界の中で滔々と零れ落ちる雪に混じっては鼓膜に忍ぶ、低く玲瓏なその声には双眸をゆっくりと瞬かせると、緩慢な仕草で力無く口を開いた。




「 ………ルシ…、ウス 」

「 如何して自分が此処に居るのか、判るか 」

「 え………あ… 」




肌を打っている物が氷雨混じり始めた雪であると気が付き、傍らで顔を顰めた執事とChamberと仔犬二匹を視界に入れた瞬間、視覚やら聴覚やらの五感から剥離されていた事実が認識されて一斉に情報としての意味を持ち、脳の中で記憶が再構築した。
己を組み敷くような様で見下ろす、大人の相貌を見詰め、其の奥に潜む水を湛えた池を目の当りにして、は漸く思い出した。
落ちた仔犬を助ける為に池に飛び込み身を挺して助け、其の後、急激に奪われた体温に全身から力が喪失し、ゆっくりと指が滑り落ちた。
思い出せるのは其処までで、如何して自分が此処に居るのかとか、誰が引き上げたとか、未だ仕事している筈のルシウスが如何して此処に居るのかとか、そんな疑問が幾つも胸を競上げた。



くれぐれも迷惑を掛けるな、と鋭利な目線だけで告げた執事の言葉が唐突に脳裏に蘇り、は凍えた身体を更に震わせた。
若しかしたら執事が連絡をして、仕事を途中放棄させて仕舞ったのではないだろうか。
否其れよりも、ルシウスに「池とChamberには近付くな」と命じられていたにも関わらず、幾ら仔犬を助ける為とは云え、Chamberに近付いた挙句、池に落ちた。
唯でさえも居候の身で在ると言うに、言いつけ一つまともに守れず、ルシウスに迷惑を掛けてしまった。
其ればかりが脳裏を過り、夢の中では何もかもを棄てて、生きる事を手放したいとまで思ったというのに、表情一つ変えずに冷酷な眼差しを向けるルシウスの貌を見た瞬間に、





棄てられたくない、と思ってしまったのだ。





棄てられればまた、独りになる。
如何してだろう、あんなに死ぬ事だけを考えていた筈の自分が、棄てられる事を拒絶するなんて。
死んでしまった両親とは違って、今自分は、確かに生きている。其れは自分では望んでいないだろう奇蹟、求めていない至上の幸。
何故だろう、何時も何時も一番の願事は叶わなかった、何よりもまして欲したものは手に入らなかったのに、心の底では若しかしたら『生きたい』と思ってしまって居たのではないかとそう思う。





「 ……………い、………で 」

「 何だ、 」

「 …棄て、ないで…」




水墨白淡の瞳が大きく丸く見開かれ、その拍子に睫毛へ乗っていた細かな水滴が震え弾けた。同時、目の奥には透明な水が滴り、血色の良くない口唇が揺れる。
言葉にルシウスはふ、と面貌を翳らせを見詰め、細く流れた涙に濡れた頬を撫で、濡れそぼつ夜色の前髪を左右へ掻き分けた。
血の気が喪失していくような凍えた体温、片眉を吊り上げたルシウスが面白くなさそうな風情で小さく息を吐き、小さな身体を抱き上げて立ち上がる。







「 医者を呼べ 」

「 で、ですが…主様、其の子どもを医者になど見せたりしたら… 」

「 聞こえなかったか、私は医者を呼べと言ったんだ 」

「 ……畏まり、ました 」






執事は肩を竦めた。そして口を閉ざすと、じっと目の前に立つ自分の主であるルシウスの麗姿を見つめる。
強みを増した風にルシウスの外套が翻られ、銀糸が空を舞う。
大切そうに子どもを抱えたルシウスは、傍らで心配そうに見上げながら付いてくるChamberと二匹の仔犬と連れ立って、屋敷の中へと入ろうとしているところだった。
穢れきった血しか其の身に流さず生きている価値などたかが知れているマグルと云う生き物が、こんな静謐で美しく気高い魔法界の世に存在するのが奇蹟。



執事の海色の眼が鋭く眇められ、純然とした美貌が苛立ちで硬質に強張る。
ルシウスが、これだけはっきりした感情を見せるなど、滅多に無い事だった。
決してルシウスは其の身に抱いた子どもがマグルだとは言わなかったが、執事を初めとした純血の流れるマルフォイ家の人間には、判る。あの子どもは間違いなく、マグルだ。本能がそう教えてくれる。
それだからこそ、主たる者がマグルを甲斐甲斐しく世話するなど有ってはならぬ事態、世間体だの一族の仕来りだのまるで気にする様子の無い主に、執事の熱の無い怒りは限界まで研ぎ澄まされて、真っ直ぐに麗姿に突き刺さる。



だが其れも、きっと一興の事なのだろうと、自分の中で精神を殺し、きっとそうに違いないと口の端を吊り上げて笑う。
そうして粉雪無い降る中、主の背を追い駆けるようにして、雪原に一歩足を踏み出した。







































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(C) 2002-6 The fanfictions are written by Saika Kijyo. update 2006/9/29