ユメミタアトデ




#002






「 お前の面倒はメイドが見てくれる。用事があれば自分で呼ぶ事だ。 」





バタンと閉められた扉の音が、やけに耳に付いて離れない。
広く取られた部屋は何時でもゲストを迎える準備が整えられている客間、外観からの想像を裏切らない程の高級な装飾品があしらわれた気品漂う部屋だった。
大きく開かれた窓を中心として、生活する分には決して困らないだけの家具とウォークインクローゼットがさり気無く置かれ、ダブルベットのサイズを超えそう な程に大きなベットが傍らに鎮座している。
部屋の端から端へと渡り歩くだけでも幼い子供にしてみれば小さな冒険に為る。
もう二度と開かない気さえするクラシック調の彫刻の施された扉を振り返る事無く、はその拙い足取りでベットまで歩くと、身の丈程の高さを持ったベット に文字通り攀じ登った。





「 …雪…か。 」





シルクのカーテンが開かれた侭の窓に映りこむ景色は、敷地面積を聞くだけでも恐ろしい程に広大なマルフォイ家の中庭。
先程通り抜けてきた玄関とは丁度真逆の位置に有るこの部屋から見えるのは、唯一面に広がる白銀の絨毯に綿を被った様に雪帽子を頭に乗せた樹木だけだった。
既に宵を迎えた漆黒鈍色の空から、はらはらと舞い落ちる白い花びら。
思わず窓越しに頬を近付けて触れそうな衝動を堪え、ベットの上に座った侭、傍から儚く消えてしまう降り初めの雪を僅かに細めた薄水墨白淡の瞳で唯黙って見 つめた。


ルシウスは、雪に似ている、とは思う。
空から舞い降りる雪の様に、穢れなく美しい面影。月灯りの下にきらり揺らりと舞い落ちる白い雪は、静かに音もなく降っていた。
傍から見れば、淡く柔らかい雪は全てを白に染め上げ優しく軟らかく包み込んでくれる。
しかし、実際は氷徹凍る極寒の中でしか存在出来ない程の冷たさを持った一種の凶器、触れれば冷たさだけの感触を残して溶け落ちる。
まるで全てのモノを寄せ付けず、心を赦さず、己以外の存在全てを否定する様に拒絶して、唯独つで空から舞い降りる雪は本当に美しかった。
そして同時に、心を奪われる対象でもあり、心を奪われてはいけない対象だった。雪の様に冷たい彼は、雪よりも遥かに綺麗で、そして残酷だった。





「 ……ッ 」





窓の外、滔々と静かに舞い落ちる雪を見詰めながら、気付けば幼い頬を涙が伝っていた。
ゆっくりと止め処無く流れ落ちる其れは、外から見詰める冷たい雪を髣髴とさせ、けれど雪本来の温度を忘れた様に温かかった。
何故泣きたくなったのかも、如何して涙が出るのかも判らなかった。唯、気づいた時には暗い瞬きを見せた瞳の淵から溢れんばかりの透明の水膜が雫となって零 れ落ちていた。
其れは一つ、また一つと新調された絹を思わせるシーツの上にゆっくりと落ち、落ちてはじわりと浸透して染みを作る。
声を殺し、嗚咽を殺して涙を両の瞳から流す其の様は、如何見ても6歳の子供のする行為ではなかった。
けれど如何しても、声を出し感情を露わにして泣く事は出来なかった。正規年齢である15歳の自我がそうさせるのではない、何よりも恐ろしかったのは、泣い ていると言う事実をルシウスに知られる事だった。

恐ろしい程の孤独、疎まれる実情、其れでも此処に居る事でしか存在できない残酷な現実。
殺す様に嗚咽を堪える中、決して悟られてはいけない筈の人間に全て知られていた等と、この時のは知る由も無かった。





*     *     *





「 主様、… 」

「 気にするな、放っておけ。 」

「 で、ですが…様の夜着を… 」

「 私が後で部屋に行く。 判ったらさっさと去れ。 」





視線を泳がせ脅えた様な眼差しの若いメイドが持っていた柔らかい色の服を引っ手繰る様に取り上げると、次の言葉も待たずにルシウスは面倒そうに自室の扉を 閉め落した。
強く掴んだ為か、薄い夜着の感触をすり抜けて掴んだ指先の力加減が、直に伝わる。
其れを見詰めながら、先程の息を詰まらせ困惑しきったメイドが言った言葉を思い出す。



-------------- 主様、様が…その、声を殺して泣いて居られるのです。



ほんの数分前、にと用意させた夜着をメイドが着替えさせに行こうとした矢先、扉の隙間から嗚咽を殺して泣くが視界に止まったと言う。
其の侭部屋に踏み込む事も出来ず、如何して良いのか理解・行動共に苦しんだメイドが慌ててルシウスの部屋に訪れた。

其の時分丁度、ルシウスはガウンを羽織っただけの状態で、自室最奥に大きく取られた天窓に続く窓から静かに宵を楽しんでいた。
はらはらと舞い落ちる雪に翳る月。誰の足跡も付けられる事の無い銀嶺の雪原を唯真っ直ぐに見詰めて、想った。



-------------- 如何して私はあの娘を連れて帰ったりなどしたのだろうか。



其れはもう、何度も自身に問い掛け続けた言葉。けれども何度問うても結局、自身を納得させうるだけの解答は出ず仕舞い。
半面、如何でも良いと自暴自棄になってしまった方が、少女を拾った事等過ぎ行く時間と同じ位に価値の持たないモノと同質だと思えれば楽だった。
されど、偶然にも視界の端に留めた少女が見せた刹那の表情、其れに一瞬で心を奪われた。
惹かれた等と陳腐な感情では事足りぬ、もっと混沌とした蟲惑感漂う何かに奪われたと言える。気づいた時には既に、この腕に、幼子と化した少女を抱いてい た。
己の行動の計画性の無さを自嘲しながら、明日から始まるであろう明らかに今日までとは異なる生活に苦渋の溜息が出た。
そんな折だ、困惑しきったメイドがルシウスの自室の扉をノックしたのは。




雑念を侍らせる事にすら、疲れを感じる。
考えれば考えただけ理解不能に陥り、これ以上の思考を行う事すら億劫で、ルシウスは手に摑んだ侭の小さな夜着を持って自室を出た。
懇談の為ではない、これ以上面倒な事態を起される前に先手を打つ、其の為だけだ。





「 …泣くなら声を上げて泣いたら如何だ、そうすれば少しは歳相応に見える。 」

「 …余計な、お世話っ… 」





誰より知られたくない人間の声、無意識に背を走り抜ける緊張感に突っ伏していた顔を上げれば、覆い隠す様に小さなブランケットが上から降って来た。
着替えだ、と一言付け加える様にして脇に何かが置かれた気配がしたけれど、ブランケットに包まれている為に確認が出来ない。
ブランケット越し、透けて見える小さな陰りが其れであろうか、其れでも確証ではない。
其の侭服だけを投げれば良いものを、何故敢えてブランケットを投げたのか。若しかしなくとも、泣いている自分を気遣ってブランケットを放ってくれたのだろ うか。
声を殺して泣く程の事態、泣き顔等見せられる筈が無いと、そう思って唇を噛み締めた実情をくんでくれたと言うか。
ふとした疑問が脳を駆け抜ければ、嘗て両親の居た思い出の慕情を懐かしんで涙を堪えていた事等消し飛んでしまった。

あの時と同じ。
独りで歩けると我侭を言い放ち、結局はルシウスを頼る事しか出来ないと完膚なきまでに思い知らされた、あの瞬間。
冷たいまでの美貌に見合った冷たい瞳に凍った声、感情の籠らない音程が紡いだ筈の言葉は何処か温かいものだと錯覚した。

あの時と同じ感覚が、身体を、心を震撼させた。
雪は氷点下の温度を其の身に湛えていると言うのに、時折愕く程温かく柔らかく包み込んでくる。
冷たい筈の雪を微微少でも温かいと錯覚するのは、絶対零度を極めた様に感覚神経が既に壊れているから…なのだろうか。





「 着替えたらもう休め。明日は朝一で出掛ける。 」

「 …出掛けるって…、 」

「 お前の服を買いに行く。私の昔の服は有っても、女の服は無いからな。 」





言葉が詰まる。
疎まれるマグルの血が流れる身とは言え、仕える当主の古い友人の娘と有れば、ルシウスの側近たちも気に掛けない訳にはいかないだろう。
誰よりもマグルの穢れた血を頑なに拒絶し、掃滅しようとすら考えるルシウスが自ら腕に抱いてマグルの幼い御子を連れ帰った。
余程大切にしている友人…其れもマグルの御子と言うだけ有ってマグルの友人。側近達が画策するのはあくまで心の中だけ、貴賓として迎え入れた御子を持成す のはルシウスに仕える者達の使命。
其れを全うするが為にルシウスに側近が言って来た言葉を其の侭流し伝えているだけかもしれない。
そう考えれど、の心に中に着実に宿りつつある妙な感情、其れを否定する様に心を殺した。





「 …灯りは消すが… 」





黙った侭のの傍ら、ベットサイドにインテリアの一つに為っているライトスタンドが置かれている。
指先を伸ばして空気に揺れる金色の引けば、照明が一気に淡く暗いものに変わって、同調する様に室内を煌々と照らしていた蜀台がゆっくりと其の光りを消滅さ せていった。
其の瞬間、の様子が明らかに変わった。

一瞬で心を奪われたあの刹那の表情、何かに耐え忍ぶ様に必死に噛み締めた唇から、夜気を震わせ恐怖を如実にした悲鳴が微かに漏れた。
何事かと視線だけでを垣間見たルシウス、其処に映りこんで来たのは、ライオンに喉を喰い破られる小鹿の最後の断末魔の光景。
其れに良く似た、絶望に彩られた甘やかな悲鳴だった。 細く掠れて、酷く、痛々しい。
あの瞬間も、声を発していたとしたら、同じ声が聞けたであろうか。
ブランケットを小さな其の指先で握り締め、幼い頃誰もが暗闇に脅える経験する様な光景。正規年齢は15歳であっても、中身は6歳、幼い頃…少女は暗闇に脅 え過ごしたというのだろうか。


-------------- 放って置けば良い。


己でも気づかないうちに、再び同じ問いを繰り返していた。
一瞬眼を閉じて、次に淡水色の瞳奥に映しこむ景色を自室の窓にすれば良い、其れだけの事だった。
細い細い銀糸が靡いた。
咽喉の奥、低く嘲った自嘲の声はきっと眼の前で小さな身体を打ち震わせているに届く事は無いだろう。





「 一度しか、聞かぬ。 …暗闇が、恐ろしいか。 」





聴覚、触覚、次々に感覚が遮断され、意識が深淵に沈み込む様な絶望感。
記憶に憶えて居ないだけで、幼い頃のは暗闇を恐れていた。
迫り来る夜の闇、漆黒だけに彩られた世界で自分しか存在していない様な孤独感、寝てしまえれば楽なのに飛ぶことの無い意識は幼い身体を其れだけ恐怖に蝕ん で行った。
幼い頃、独りで過ごす夜は、兎角恐怖の対象だった。誰も居ない真四角の部屋、其れが広ければ広いほど、灯りが少なければ少ないほど、恐怖感は膨れ上がった 風船の様に膨大に量を増す。
絶対的な孤独は、楔の様に諸刃の心を恐怖に堕した。


素直に答えられなくて、言葉を吐き出す事が出来なくて、幼いと云う事を逆手に取った。
握り締めた小さな両の手、其れをもう一度堅く握って無言の侭にゆっくりと頷いた。
そして、意を決した様に顔を上げる。濃黒の髪が目元に濃い影を落としていた。 水墨白淡の瞳が隠れるだけで、幾分あどけなく見える整った美貌。
其処に、確かな涙と脅えの表情が有った。





「 …素直に為れぬ子供は… 」





何かをに伝えようとしたのか、薄く開かれた唇から静かに言葉が漏れ、ルシウスが真っ直ぐに水墨白淡の瞳を見た。
しかし、これではまるで嘗ての……そこまで考え、ルシウスははっと我に返り、その馬鹿馬鹿しさに溜息を吐く。
嘗て幼い頃の己が経験していた記憶が脳内に蔓延る。
瞬時に其れは、酷く曖昧で苛立ちに近い感情に消し去られた。
如何して己がこの幼い娘に其処まで-------



次の瞬間、ブランケットに身を包ませた侭のの身体がふわりと空に浮いた。
次いで、脇に置かれていた小さな夜着を上に置かれて室内の照明が落される。
灯りの落された部屋に住人は居ない。
訳が判らぬ侭に、ルシウスは常より違える事を頑なに嫌った己の鼓動が僅かに早く走るのを疎ましく聴いた。



-------------- 私は何を、している。



気紛れにも程がある。
同時に、脳に眩暈に似た感覚が走った。
捨て置けば楽だった。振り返る事無くこの部屋を出てしまえば其れで良かった、そうすべきだったと判っていて、何故か視界に少女を捕らえた。
初めて少女を眼にした、あの瞬間と同じ様に、抗え無い何かに…引き寄せられていた。





…此れが初めて、幼い少女に心を赦した瞬間だったと、ルシウスは後に知る事となる。































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(C) 2002-6 The fanfictions are written by Saika Kijyo. update 2006/8/12