| 季節外れの雨が雷を伴って盛大に降り注ぐ音が聞こえる。 研ぎ澄まされた聴覚が捕えるのは、太い鉄格子の窓枠に雨粒が弾け飛んで重力によって下方へと流される水音。 もうじき宵闇を迎え様と云う時分。夜灯の無い魔法薬学研究室内は暗く澄んだ雰囲気を醸し出していて、感覚を刺激する要素は浮遊していない。眼瞼を閉ざせ ば、分厚い壁を隔てた雨音でも容易に鼓膜に捉えられた。 「(……如何しよう、流石に此れは困ったな)」 静寂が場に鎮座する。 先程まで聞こえていた生徒の話し声や廊下を走る靴音ももう聞こえては来ない。唯静かに雨音だけがノイズの様に鼓膜に響く。 ゆるりと顔をあげ、足らぬ背丈で懸命に上方を見上げたは具に身体のバランスを崩し、緩慢な所作で身を転じた。 月が翳り柔らかな外灯がゆっくりとの方向へと明かりを投げ、は誘われる様に、宵闇に色の沈む薄窓硝子に視線を投げた。 --------------------------------------あぁ、如何して。 窓硝子越し、其処に見えたのは、掌程度の大きさの小さな純白の猿。 普段慣れ親しんだスリザリンの制服に身を包み、蓮華色の結い紐で一つに纏め上げた髪型でこの部屋に入ってきた嘗てのの姿は何処にも見付けられない。 零れ落ちそうな程に大きいビー球の様な瞳を一杯に見開いて見詰めた先には、変わらぬ情景。静かに降り注ぐ雨と慣れ親しんだホグワーツの大地、足元にやけに 大きく転がるのは先程までが手にしていた筈のポリジュースが入った薬瓶。 如何してこう為ってしまったのだろうか。思考を巡らせながら、は猿の姿の侭小さく一つ息を吐く。密やかに零れ落ちた溜息は、苦さが滲んで居たが、音に 為る事無く霧散した。 臥
待月の春 1
![]() 二度と開く事が無い様な重圧を帯びた窓の外では、如何やら雨が本格的に降り 出したようだった。 は転がり横に倒れた薬瓶の上に腰掛けた侭、微動だにせずにいた。動きたくない訳ではない、動けないのだ。 掌程度の猿に為ったにしてみれば、高さ1メートル程度の机の上から石畳の上に巧く着地出来て無事で居れるか判らない。 窓枠にカーテンレールでも掛かっていれば話はまた別なのだろうが、生憎この部屋にそう云った類のものは無い。 灰色染みた壁で作り上げられた室内は仄暗く、浮かぶ薬品の匂いは、魔法薬学研究室を得意としないには余りに馴染みの無いものだった。 魔法薬学教授は今日、魔法省に所用で出掛けている。帰宅は明日の夜になるとダンブルドア教授が話していた。 出来上がったばかりの再提出論文を其の場で突っ返される事を恐れたが、敢えて教授が留守の際に無断で立ち入った故の罰が当ったのだろうか。だとすれば 非常に性質が悪い。 薄暗い室内、灯りさえ燈って居ない室内で足を滑らせ机に手を付いたのが悪運の始まり。 頭を強打したのだろう。彼方へ飛んだ意識の果て、深淵から掬い取られた様に質感を持ってゆっくりと覚醒し、不意に弾ける様に眼を覚ましたのがつい先程。 気が付けば、掌程度の小さい白磁の猿に成り果て、ペチペチと身体を触り頭を叩いても一向に元の姿に戻る気配が無い。 挙句の果てに、何度試みても言葉が喋れずに居た。咽喉奥から無理に音を出せば耳障りな鳴声にしかならず、其れもこの雨音に掻 き消されて誰一人として気付いてくれるものが居なかった。 「(………本格的にマズイ、此の侭だと夕飯どころか朝食…天津さえ一食も食べれない侭干乾びる…!)」 脳裏に描いた惨酷過ぎる結末が心の臓を揺蕩たい、鈍く胸を軋ませる。 魔法薬学教授が戻って来たとて、この小さい猿が生徒だと気付いて貰える確証が無い。珍種だと言われ魔法省に連行されるかもしれないし、薬物実験の実験台に されるかもしれない。 そんな悲惨な未来を迎える位なら、例え猿の侭戻れなかったとしても生き抜いて遣る。そんな考えが痛烈に脳裏を過り、は意を決した様に立ち上がると、捨 て身覚 悟で机の上から飛び降りた。 ガクン、と襲って来た衝撃。 想像以上に早く地面に足が着いたのだ、と下方を見れば未だ床から数十cm程度距離がある。一体如何したのか、ぐぃと首だけを上にあげれば、机の上から突き 出た桧の枯れ枝にの小さな尻尾に結ばれていた小さな蓮華色の結い紐に引っ掛かっている。 「キ、キィ---------------------っ(だ、誰か助けて-------------)」 身体を揺らせばパキリと細枝に皹が入る音が鼓膜に響き渡る。 脆い枝に負担を掛けぬ様細心の注意を払い、はそっと身を起こす。だが無常にもバキリと凄惨な音を立てた枝が下方にバキリと倒れ込み、の身体は尻尾 の結い紐一つで宙に投げ出された。 更にミシミシと微かな音を立てて枝の崩壊が始まり、如何にかして枝に引っ掛かった結い紐を外そうと尻尾を上下左右に動かしてみても、回避し出来るどころか 枝の崩壊の手助けを助長している結果にしかならない。 も、もう駄目だ、落ちる------------------------ 瞬間、枯れ枝と共に落下した小さな身体。 床に強かに打ちつける事を恐れる様、一瞬で身体を丸め込み一つの球体の様な体勢を作り上げたのは最早本能だろう。後は次いで来る衝撃を全身で耐える様に身 を堅くする。 だが、構えた筈の衝撃は何時まで経っても遣って来ず、ふわりと柔らかい何かに包まれた様な感覚が全身を伝う。 それから寸間あって、身軽な小さい身体が何かに食い込むように沈んだ。 カタンと小さく音を立てて落ちたのは共に机から崩落した枯れ枝だろう。だとすれば自分は今何処に居るのだろうか、キツク閉じた瞼を緩く開けば、刹那に息を 呑む。 「(---------------------トム!!)」 紅蓮色の双眸を包み隠している眼瞼に癖のない長めの前髪が流れている。 静謐な夜の静寂と色だけが支配している魔法薬学研究室、居る筈の無い人の姿を認め、は妙に驚きと同時に確かな安堵を感じた。 小さな自身の心脈を一瞬震えさせて、濃い茶色の両眼全てに慣れ親しんだ紅蓮が写り込む。あぁ、若しかしたら。 若しかしたら、あの日呼べなかった代りとでも云う様に、心の何処か知らぬところで呼んだのかもしれない、助けて、トム、と。 「君、危ないよ、そんな小さな身体で落ちたら怪我しちゃうだろ。」 柔らかい起毛に覆われた頬に指を遣って、指の腹でそっと撫ぜる。慈しむようなその眼差しは、唯ただ、優しい。 普段見る事の無い様なリドルの柔らかい微笑みを垣間見たは、大きな瞳を更にめいっぱい見開いた。 他の多くの女性に向けるものともまた何処か違う種類の眼差し。「出たよフェミニスト男」等と口に出せば、百回謝っても許してくれないだろう感想をは胸 の内に抱きながら、真直ぐにリドルを見上げた。 よもやこの状況下で、あっさりとゴミ箱へ棄てたりしないだろうか、女性以外には殊更厳しいこのスリザリン監督生は。 「キキ!!!(取り敢えず、棄てるのだけは勘弁!!)」 「うーん、流石の僕でも猿語は判らないなぁ…って、何でこんなところに居るの? まぁ、君に聞いても判らないか…。君の飼い主は君を置いて、一体何処に行ったんだろうね。」 「キキキッ(其れより落ちてる薬瓶拾って私がこうなった理由を探っ て、ト ム!)」 「あれ、良く見れば君の尻尾に着いている結い紐、が今朝付けていたものに似ている。 ………そう言えばも良く階段から落ちるし…よくよく見てみれば君、に似てるかもね。 そうだ、飼い主が見付るまで僕が君のご主人様に為ってあげるよ、丁度良い名前も思いついたし。 僕が暫くの間君のご主人様。---------------どう、。」 「キ、キキッ、キキキキッ(さ、猿に勝手に私の名前を付ける なーっ!それよりトムがご主人様って有得る訳…)」 「なに、気に入ってくれた?そう、良かった。じゃあ早速僕の部屋に行こうか? 大丈夫、僕は一人部屋だし何か食べられそうなご飯も持ってきてあげるから、心配しないで。」 普段と変わらぬ語る口調に滲む笑みが微かに苦く、深く色合いを変えた。 言葉を発せぬが紡いだ猿語を一方的に自身の良い風体に解釈したリドルは、何時の間に入って来たのだろうか、生徒用の机の上に置いた教科書を持ち上げる と、小さいを胸のポケットの中へ入れ歩き出した。 「暫くの間、此処で我慢してね、。」 小さな身体に負担を掛けぬ様にと配慮してか、幾分速度を落として歩くリドルは帰路に着くまでに熱っぽい眼差しで声を掛けてきた女の子全てに柔らかい微笑み と丁寧な断りの返事を述べると、寄道する事も無くスリザリン寮へと辿り着いた。 まるで人々が眠る頃になり漸く天空に姿を現す月に似ている。そう、人知れず待ち続けるだけの憐れな、月に。 恋人が月明りを頼りに訪れるのを、臥して待つ夜、臥待月と呼ばれる月が一瞬だけ姿を現し直ぐに消えてしまう様な泡沫の--------------------全 て幻のようなものの始まりだった。 [ back ] [ next ] (C) 2002-6 The fanfictions are written by Saika Kijyo. update 2006/6/26 |