last scene




day-73 :唇が触れた瞬間、心の中の闇は失敗した水彩画のように色をつけ、淡く滲透する 2






、君は此れを知っているかね?」


脳裏に浮かんだ稚拙な考えを誤魔化す為にスネイプが代替手段として選んだのは、一冊の分厚い文献だった。
態々見て欲しい頁に栞を挟みこんで差し出すあたり、此処を読めと明言しているようなものなのだから、素直に文献を開いて渡せば良いのに閉じた侭渡された本を受け取ったは素直に、ソファーに腰を落して頁を開いた。
スネイプはに本を差し出すと自室へと一旦戻り、何やら茶の準備でもしているような音が伺える。
小耳に挟みながら、スネイプが直々に渡す本なのだから、きっと魔法薬学に関連する文献なのだろう。
若しかしたら、講義に非常に役立つかもしれない情報が盛り込まれているのでは、と真剣な表情で開いた文献には、色鮮やかな絵と細かい文字が書かれていた。


「………薬草…っていうより、植物辞典、ですか?」


最初に受けた印象はそれである。
ぱらりと見ただけである為、細かく表記されて居る文字は未だ読みきれて居ない。
開いた頁の中央には、蘭似た百合にも似た種類の花が細かい描写でスケッチされ、周囲を囲うように学識名称だの正式名称だの、咲く時期だの花の色だの、事細かに記載されている。
隣の頁を見ればまた別の種類の花のスケッチと文章が添えられていて、は薬草学でよく見る植物辞典のようで、思わず確かめるように呟いてしまう。


「正式に言えば違うな。其れは菜食用植物辞典だ」


その声に反応したスネイプが、自室から二組のティーセットを携え、の隣へ腰を落す。
コポコポと柔らかく撥ねのある音を立てて注がれる湯が紅茶の茶葉を燻らせれば、瑞々しいアッサムの香りが魔法薬学研究室に馨る。

「生憎、菓子の類は無いが」、そんな言葉と共に差し出された紅茶を受け取ったは、菜食用辞典に描かれた緻密な描写のスケッチを見遣りながら、何かに似ていると悩み巡り始めた。
一体何に似ているのだろう…、とカップに唇を添わせながら暫く見詰めていれば、漸く一つの回答がぼんやりと靄に包まれながら浮かび上がってくる。


「………もしかして、此処で見付けたオリエンタルリリー?」


白い靄が薬缶から止め処無く噴出して部屋を白く染め上げていくように思考を侵食した結果を告げれば、スネイプはそうだ、と短く肯定した。


が見付けたあのオリエンタルリリーは、『エディブル・フラワー』だ」
「エディブル・フラワー!?あ、あの、食べられる花っていうあれですか?」


得られた答えに驚愕した所為か、咄嗟に、飲み掛けていた紅茶が勢いを増して咽喉奥に滑り込んでいった。
だが幸いな事に、人肌程度まで温められた紅茶はの細い食道をするりと駆け下り、胃に然したる負担も掛けずにゆっくりと染み込んでいく。
何より、の興味の矛先が全て『エディブル・フラワー』に注がれていたのだ。
少々の紅茶を一気に飲み干そうが、大した衝撃度を齎す事は無かった。其れより、スネイプの告げた言葉の方が格段に上を行っていた。

一方のスネイプは、が『エディブル・フラワー』など既知してい無いだろうと踏んで、敢えて菜食用辞典を持ってきて手渡したというのに、呆気無く答えに行き着いてしまい、虚を衝かれたように口を噤み、を凝視する。


「……何だ、意外と博識なのだな。マグルの世界で通用する言葉を一体何処で」
「…………あ、……その、昼にハーマイオニーと話していて…、」


スネイプが眉を顰め眼を眇めたが、は途惑いながらも何とかそう答えた。


「本当にあるのかなって思ってたんですが…あるんですね、エディブル・フラワー」
「エディブル・フラワーは其の名の通り、『食べられる花』だ。」
「食べられる、花…ですか?」
「花と云っても全ての花が食べられる訳では無い。
味や量よりも見た目を楽しむための食材、其れがエディブル・フラワーだ。
代表的な処で言えば…東洋に"Florist's chrysanthemum"と言う花が在っただろう。…菊、と言ったか、あれもそうだ」


が手にしている菜食用辞典をはらりと捲り、先程よりも詳細に書かれた文章と丁寧な図画が掲載された頁を開く。
様々な種類の菊が並べられている辞典の中に、よくよく凝視してみれば、確かに『主な調理方法』と言う項目を見つける事が出来る。
愉しげな笑みを目の際と口許に刻んだは、新しい玩具を貰った子どもの様に、菜食用辞典を捲りながら視線を走らせていた。

そんなを面白そうに見詰めていたスネイプだったが、温めの紅茶を咽喉奥に落した矢先、に菜食用植物辞典まで手渡した明確なる理由と意図を思い出した。



「エディブル・フラワー、食べてみたいかね。」
「え?……食べられそうな薬草でも魔法薬学で使うんですか?」


菜食用植物辞典から眼を引き剥がしたは、大きな薄紫の瞳を見開いて、そう聞いた。


「風邪薬等は確かに薬草も煎じているから食べられない事も無い、だが味は表現するまでも無いだろう。魔法薬学で使うような薬草ではなく、我輩が言いたいのは列記とした『エディブル・フラワー』だ」


確かに魔法薬学で使用する薬草の中には食べられる種類の物も含まれては居るが、そもそも植物など煮たり煎じたりすれば大抵のものは食べられる。
此処で云うところのエディブル・フラワーとは、本当に『食べる為の花・植物』であり、如何煎じても見た目も麗しく無ければ味は拙さの頂点を極めるようなものとは掛け離れている。
雑念を打ち払うように、紅茶と一緒に持ってきた籐籠の中、純白のチーフで包んだ掌程度の大きさの物体を取り出し、へと差し出して遣る。


「お前が育てたオリエンタルリリーを覚えているかね」
「はい、二日程前に枯れてしまいましたが…。」
「あれを…エディブルフラワーにしてみたんだが、食べてみるかね?」
「……………え?」


一瞬呆けた様な幼い表情を晒しながらも、スネイプの手から白い物体を受け取ったは、スネイプに促されるままに包みを解く。


「…は、花弁のチョコレート?」


開かれた包みの中、粉雪の様な色をした純白の花弁が折り重なるようにして静かに佇んでいた。
オリエンタルリリーの花弁一枚一枚を組み合わせたような繊細な形の白いチョコレートは、飴細工職人が丁寧に一つ一つ飴を練り上げ形を刻み込んで丹念に作り上げた一種の芸術品の様に、感嘆の吐息を漏らすほどに美麗だ。
指で触ればよいものを、溶ける事を気にしたのか、チーフごと上へ持ち上げ瞬きもせず見入るを、スネイプが無言の侭に見遣る。


だが、一向に食べる気配の無いに業を煮やし、繊細に作られた花弁を一枚指先で摘み上げ、の口元に近づけた。


「食べて見給え、アッサムには丁度良いほろ苦さだ」
「え…っ、でも、こんなに綺麗な花弁を、」
「エディブル・フラワーは眼と舌を愉しませるものだ。早くしないと溶けて台無しに為ってしまうが?」


確かに、紅茶の傍に置かれていただけあって、花弁の端の方は既に緩やかな弧を描き始めている。
全て溶けてしまうのも時間の問題だろう。
どうせ胃の中に落ちるのならば美しいままで、と何処かの詩人の様な面持ちで噤んだ口唇を開くと黙したままで差し出されたチョコレートを口に含んだ。


「…確かに、紅茶には良く合う甘さですね」

が咀嚼したチョコレートをコクリと飲み込んで、薄く口を開く。
歯で噛んで、舌の上で溶かしたチョコレートが与えてくれたほろ苦い甘味はにとって少々物足りない感も有ったが、甘味が嫌いだというスネイプにしてみれば甘すぎるほど甘く感じるのかもしれない。
咥内に広がった味は本当にホワイトチョコレート其のもので、時折鼻腔を擽るオリエンタルリリーの香りが無ければ本当に唯のチョコレートと見紛う程だ。

そうこうしているうちに、掌の温もりでチョコレートの溶解が進行してゆく。
は本能的に口唇の端をペロリと舐め上げると、早く食べないと溶けてしまう、とチョコレートに視線を落とす。
けれどその視界は、突然の動きで閉ざされた。


「お前が早く食べないから…溶けてしまったであろう?」


少しだけ咎めるような声に呼び、そう言いおくと、スネイプはチョコレートに汚れた指腹に舌を這わせ舐め撫でる。
驚きに身を堅くしたをちろりと見上げ、スネイプは心の奥で密かに囁く。


---------------------------愚かな、自己を抑制する方法を、忘れたのか?


スネイプの脳裏で、誰も答える自我が居ない。其の時点で、スネイプの枷は半分程外れてしまった。
頬に手を添えられ、ゆっくりと下降して来た指に顎を緩く掴まれたかと思えば、顔を寄せられて、咄嗟に目を閉じたにスネイプはスローモーションの様に口唇を重ねる。
ビクリと震える身体は反射的にそこから逃れようとするが、強い腕と絡まる舌に抵抗は封じ込められた。


「セブル……っ…んっ、」


スネイプは自らの舌で絡め取ったの舌を柔らかく刺激しながら、ほろ苦く熱い口腔を堪能する。
粘膜が掻き混ぜられ、其処からゆっくりと快感が生まれる。
快感だけを増加させるような口付けでは無いものの、そう何度も経験しているものでも無いにとっては、其れだけで快楽へと繋がってゆく。
不思議な事に、他人の粘膜を口の中で感じることでも、不快感はない。それどころか、そこにあるのは快感と安堵。

まるで、時間の感覚も消えるくらいの口付けを施され、無意識に伸ばした手で、縋り付く様にスネイプの服端を掴む。
口唇を小さく吸い上げながらゆっくりと顔を離せば、は熱に潤んだ瞳をうっすらと開けて真直ぐに見つめてきた。
口付け一つでこんなにのめりこんで仕舞っているのだ、とスネイプに実感させられるのが恥ずかしい気もしたが、心地よさを残したまま離れていく唇酷くが恨めしい。



「Sweeter than a chocolate.....」


苦笑を噛み殺したような顔でそんなことを呟きながら、スネイプは縋る様に見上げてくる艶めいた薄紫の瞳に魅入られたよう、もう一度深く口付ける。



オリエンタルリリーの形取ったホワイトチョコレートよりも、自分の名を呼ぼうとした掠れた玲瓏な声よりも、口付けた唇のほうが何よりも、甘い。
































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(C) 2002-6 The fanfictions are written by Saika Kijyo. update 2006/10/04