last scene




day-59 :叫べ、呼べ、名を紡げ、届かずとも、声にならずとも、唯只管に






昏く暗鬱とした森の中に足を踏み入れれば、何かが身体に纏わり付く様な不快な空気に包まれた。
足元には腐った色した葉や枝や幹が無造作に敷かれ、空を見上げれば濁りの様な雲に一面が覆われ、太陽の光りを拒絶する様に森全体には色味が欠けていた。
気味が悪い。本当に地獄への片道を歩いている様な心地だった。
樹も岩も地面も何もかも全てが宵闇色の中に沈み、靄が掛かった様に闇にけぶり、時が止まった様に停滞していた。

足を留め、父が居たかの場へ戻ろうと何度振り返ったか、知れない。けれど其の度に、の脳裏に懐かしい声が木霊する。


「あら、スリザリンにも優しい人がいるじゃない。 ハリーが言っていたわ、に助けられたって。」
「今度連れて行ってあげるよ。 シーカー仕込みの速度で、月に届く位上まで昇って、上から星を見下ろすんだ。」
「この身で、贖う。 生涯を、掛けて」
「煩い。 大人しく食べ給え。 静かに食べることも出来ないのか、お前は。」


懐かしい声が唐突に聞こえ、霧散する。同時に浮かび上がる其々の面影に、は乾き掛けた唇をきゅっと締上げると涙を堪えるように唯前だけを見た。
最初は耳鳴りの様な微かな音が聞こえるだけだった。けれど森奥へと足を進めるに従って、酷く感覚の遠い音が鮮明な音に、声になっての心に直接届く。
其れが、其れだけが糧となり、の拙い足取りを幾分か軽くしてくれた。だから唯、は両の足を前に押し出して歩いた。








感じる筈の無い気配を、スネイプは魔法薬学研究室で再び感じた。
急激に全ての音が静止した様な凍る感覚が全身に走る。動かない大気に呼吸の実感は無く、唯呼吸する度に口腔と肺が冷寒とした空気に晒され侵食されて行く。
慣れたこの感覚に畏怖は無い、唯、目の前の少女を完全に奪われるかもしれない、という焦燥感は在った。
無意識に脇に置いた杖に指先を伸ばし、固く握り締める。例え全てを失ったとしても、其れでもスネイプはこの少女を護って遣るとあの日誓った。

其れだけが唯一で、絶対だった。
其れだけが、今のスネイプの脆く崩壊してしまいそうな精神と身体を繋ぐ繊雲に似た想いだった。

だからスネイプは静かに杖先を嘗ての想い人へと迷いもせずに向ける。そんな事をしても何の意味も無い事は知っていた。とても愚かな行為だと云う事も、全て 判って、けれどそうせずには居られなかった。


「何をしに来た、桔梗」
「そう邪険にしなくても良いじゃない。もう来ないわ、二度と。本当よ、あの人が呼んでいるんだもの、」

ゆるりと昏い影が近付くと、淡い光陵が闇色の髪を彩り闇の中でなお白くその面を照らしだした。デスイーターの様な漆黒の外套を華奢な身体に纏い、黒衣の少 女は菫色の双眸を細めただ薄く笑んでいる。
あの惨事の後にも関わらず、この人はこんなにも変わらずに綺麗に笑えるのだと、スネイプは一種の感銘に似た思いを抱いた。同時に、可哀相だ、とも。

「何だ、別れの辞でも述べに来たか。」

口角を歪め、光り射す事の無い双眸に憎体だけを刻んで問うた。

「いいえ、貴方には別れを告げる必要は無いわ、だって始まりが無いんですもの。」

嘗て学生時代に垣間見た、桔梗の丁寧で優しい言葉が、ゆっくりとスネイプのひび割れた胸に溶けていく。
虚を付かれた様に桔梗を見下ろせば、真っ白な光を内から放つような、そんな彼女の儚い笑顔が眼に留まった。
別れを告げに来た、だが相手はスネイプではない。だとすれば彼女は一体誰に別れを告げに来たというのだろうか。

「…まさか、」

桔梗が見詰めていた其の先、其処には眠りに落ちたが居た。今度こそ、スネイプは絶句する。
今まで見た事も無い様な穏やかな瞳で綺麗に微笑む其の表情を、に向けているこの状況下が信じられずに居た。

「今この子どもは彷徨っている。暗く深い森の中を。灯りも道標も無く、行く充てさえ判らずに誰の声も届かない。
たった一人で此処に戻って来る為だけに錯綜している。だから呼んであげて、貴方の声なら届くでしょうから。
私が呼んでも無駄、普段ならあの子は無意識に此方へ戻って来ていたでしょうけど、今回は自我を持って行った。
向こうで向こう側の誘いに乗ったら二度と戻っては来れない。
だから誰かが"呼んで"あげないとあの子は自分が何処へ行けば良いのか判らなくなるのよ。
だから、あの子を呼んであげて、貴方の声なら必ず届くわ。あの子が誰よりも呼んで欲しいと思っている相手が貴方だもの。そんな表情しなくても大丈夫よ、もう二度と逢いにきたりしないから。
廻り始めた運命の輪を元に戻す事が出来ないから私たちの運命は変えられないけれど、一年の内の49日位なら、貴方に貸してあげるわ。だってたった独りの娘だものね。
幸せに為れないのだから、せめて殺してあげれば良かったのよ。でも、殺したくても結局殺せなかった、私のたった一人の娘。
余計な言葉も心配も無用よ、セブルス。此れで、良いの。
私の思いは届かなくて良い、届かない方が知らない方が幸せな事もあるのよ。--------------------サヨ ウナラ、

会話に入り込む余地など最初から存在していない様に、他人事の様に繰広げられる桔梗の独り言を聞きながら、スネイプは初めて桔梗がの名を口にした瞬間 を聞いた。
今までの、に生が在った頃には滾る程に余り合った憎悪は何処へやら、桔梗の瞳には怒罵も、嫉妬も、侮蔑の色も無かった。唯在ったのは、憐憫の色と、僅 かな後悔の色と、先行き短い娘を憂う美しい色。


最後の最後で、スネイプが心惹かれたあの日の桔梗が垣間見られた。


じゃあね、桔梗は顧みる様にスネイプを見遣って白磁の美貌に綺麗な笑みを刻むと、短く別れを告げ霧散した。
スネイプが桔梗に別れの言葉を告げる、其の、前に。
何時だってそうだった。彼女との出逢いは唐突で偶然で必然で、別れも同意。こんな運命に誰がした、こんなにも真っ直ぐで、愚かで、純粋だと云うのに。


湧き上がる感情を押し殺す様、スネイプはゆっくりと拳を握り締めた。








「…出口、あるのかなぁ…。本当に地獄に繋がってたら如何しよう。」

気付けば無為に歩きながら独り言が勝手に口から吐いて出ていた。
一歩、一歩足を踏み出し地面を踏締める其の度に、緊張と冷気で頬が強張り、実感の無い呼吸音ばかりが空ろな空気に響いた。
かさり、と枯れた葉を踏む音が森の薄闇に吸われる様に遠く広がり、静かに反響して消える。静寂に触れた聴覚が、クレッシェンドを奏でる様に耳鳴りを起こ す。彼方より音のする方向を見れば、道はぷっつりと二手に分かれていた。

「どっち?…やっぱり此処は--------------勘?」

片方が地獄へ続く道だとして、もう一方が天国へ続く道なのだとしたら、余りにも安易過ぎる決め方ではなかろうか。
片方は鬱蒼と樹木が覆い茂る蒼色の闇が濃密にわだかまる細い道。
片方は薄灰色の歪な形した岩石が無造作に打ち棄てられ、天まで届く勢いで道の両側に積み上げられた閉塞的な広い道。
さて、どちらへ行こう。道標は見当らないし、両道共に彼方は見えない。だが、少なからずどちらかへは向かわなければ為らない。ならば、今までは森の中を歩いていたのだ、気分を変えて、

「岩場を歩いてみようかな?」

靄の中に広がる薄暗闇の中、岩石ばかりが立並ぶ道へ一歩、踏み出した。


その、時だった。



-----------------------


逆側の道から、誰かが名を呼んだ気がした。瞬発的に立ち止まり、ゆっくり自身の周囲をぐるりと見渡す。だが其処に在るのは閉塞的な空間だけ。誰も居る筈の無い空間から、たった一瞬だけ微かに鼓膜が自分の名を捉えた。
しかし、空気も音も、以外のあらゆるものが停止した孤独な空間の中、誰かが呼ぶ筈等 無い。
そう思いながら前を向き、もう一歩、前へ踏み出した。


---------------------- 馬鹿者、何処へ行く。


懐かしい、声。空気に良く透る低くて胸に染み入る、かのひとの声。
如何して反対方向から聞こえてくるのだろう、思いながら、は脳裏に声の主を描いた。
嫌悪も驚きの表情もなく、静かに見据えてくる、鋭い眼差し。あぁ、そう云えばホグワーツに入学して間もない頃、消灯時間を過ぎたホグワーツで迷子に為った 事が在ったっけ。
懐かしい。あの日も確か、こんな風に全てが闇色に沈んだ様に昏い夜だった気がする。 肌が粟立った様な感触、瞬きすらも忘れたように冷たい空気をただ肺に落とし込み、振り返ることすら恐ろしいとばかりに一歩ずつ自然と足が前にしか進まな い。
そうだ、あの日、前後不覚に為り掛けて我武者羅に走り出そうとした私を救ってくれた、


----------------------…また迷いたいのかね。


同じスネイプの声が、確かに逆方向から聞こえた。悟ると同時、は踵を返して走り出した。
空気が止まった様に同じ景色しか映し出そうとはしない深い森の中、まるで時間が止まった様に永遠の黄昏時の中に居る様な感覚が身体を包み込み、息が上がる のも構わずには唯声のする方向に向かって走った。


「……………っ!」


スネイプ教授、自分ではそう叫んでいた言葉は、音に為らず空に掻き消える。
息をする度に肺の中に満ちてゆく冷え冷えとした空気がの焦りを加速させ、同時に地を蹴る速度も加速させた。
身体の現実感が無くなり、足がまどろんで進まなくなっても、重くもどかしい感覚に支配されても尚、は走り続けた。



唯、もう一度だけでも、逢いたかった、唯、其れだけ。































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(C) 2002-6 The fanfictions are written by Saika Kijyo. update 2006/5/19