| last scene ![]() day-58 :たとえ世界のすべて朽ち果ててもこの想いは届かない 数分前までの喧騒が夢現であるかの如き静寂に包まれた魔法薬学研究室で、スネイプはシトラス・アールグレーを注いだカップに口付け、緩く息を吐いた。 数えて、4杯目に為るだろうか。余暇を埋める為だけの時間稼ぎの様に絶え間無くカップを口に運びながら、静かにスネイプは隣に置いた少女を見遣る。 今直ぐにでも瞼抉じ開け、大きな薄紫暗の瞳を見開いて、罵声でも怒声でも構わない、何か言葉を紡いではくれぬだろうか。僅かな希望の願い空しく、は昏 々と眠り に堕ち、唯浅い呼吸を繰り返す。 「明日はスリザリンとグリフィンドール…マルフォイとポッターの一騎打ちの試合がある。 お前は約束したのだろう?彼等に見に行く、と。其の約束を…、破るつもりなのかね。」 応えが無い事は判り切っていた。 スネイプもが返答を返す事を期待しての行為ではない、唯、心臓の鼓動さえも鼓膜が捕らえてしまいそうな程の静寂に耐え切れなくなり、脳が思考するより 先にスネイプの唇が音を紡いでいただけに過ぎない。 陶器同士が擦れ合う硬質な音が響き、くぐもった空気満ちる室内に反響しては、水を打った様に静まり返る。何がしかの音を聞いていないと、指先が極寒の中に 叩きつけられている様に戦慄く。 を目の前に静寂の中、三日も耐えるだなんて、地獄のようだ。 寄せては返し、吐き出される溜息の数を数える事すら億劫に為って来た頃合、いい加減紅茶で喉を潤す行為にも飽きが生じてきた。 カップを乱雑にテーブルの上に置き、小脇に置いた羊皮紙の束と数冊の文献を引っ手繰る様に掴み上げ、昨日行う筈だったレポートの採点を行うと一巻きのレ ポートを取る。 上級生らしい流麗な字を右から左へと流しながら、羽ペンを携え眼を眇める。中々良く書けている。思いながら文章を脳内で復唱したところで、脳思考の脇から 黒い煙に汚染されるように、気が削がれていく感覚が走った。 視線を置く先が羊皮紙に為った筈が、気が付けば隣に置いたの小さく秀麗な顔へと変わっている。 (我輩としたことが…………っ!こんな、独りの娘如きに---------------) 思ったところで、結果は変わらない。何度羊皮紙に眼を通したとて、気付かぬ内に視線の矛先がへと向っているのは変え様の無い事実だ。 もう一度羊皮紙に眼を遣って、肺の中の空気を全て放出するかの様な大きな溜息を一つ吐いた。添削作業には当分戻れまい。 流れ落ちる髪を苛立った様子でかき上げ、スネイプは頭を抱え込む様にソファーに腰を置いた両足の間に身を滑らせると、握り拳を思い切り叩き付ける。 古びた木材で製作された机がミシリと音を奏で、静かな部屋に何時までも響いていた。 時を同じくして。 ハリー、ロン、ハーマイオニーと別れたドラコは生徒の影一つ見当たらない廊下を独り歩いていた。 向かう足取りは思いのほか重たく、慣れ親しんだスリザリン寮への入り口を通り過ぎると真っ直ぐに最上階の図書館へと向かう。 カツカツカツ、と自分の足音だけが静穏な廊下に木霊し、未だ宵前だと云うに薄暗闇掛かる空を左手に置きながら、募る苛立ちを心内で殺しながら只管に歩き続 けていた。 閲覧禁止棚へ赴けば、若しかしたら、を眠りから目覚めさせる方法----------、糸口でも何でもいい、見つけら れはしないだろうか、と。 あの時と同じよう、ハリーと透明マントの力を借りようとは思っていない。フィルチに見付かり咎められたとて、父であるルシウスにホグワーツ規則を犯した事 が露見したとて、最早彼にとっては如何でも良い事だった。 彼女を失う辛さに比べたら、彼女が受けた痛みに比べたら、天秤に比べる価値さえ無いものだ。堅く思いながら意思を秘めた眼差しを以って角を曲がれば、其処 に見知った姿を見付けて、思わず立止まり…隠れる様に柱の影から向こうを覗き見た。 「…まさかもう一度君に逢えるとは、な。驚いた、あの頃と何も変わりはしない。」 「ルシウス・マルフォイ。お久しぶりね、こんな処に何の用事かしら?」 「勧告、だ。君と君の娘には多くの人と歴史が関わり過ぎ、結果、魔法省も他人視出来る範疇を超えた。」 足を止めたドラコの眼前に揺らめくは、先程顕現した実の父親ルシウス・マルフォイ。 彼の対面にはスネイプが作り上げた記憶の残滓に映し出されたと瓜二つの冷たい美貌を兼ね備えた、宵闇の白百合と云われた、桔梗。 ドラコは大きく瞳を見開いて、震え叫びだしそうな声を必死に殺しながら、凝視した。 会話を無断で傍聴するなど、在っては為らない。思いながらも、の実母が己の実父と関わりが在った事等知る由も無かったドラコは、興味本位で会話に耳を 欹てた。 柔らかな微笑みさえ湛えているが、泣きながら笑って居る様な様子の桔梗に、ルシウスは歩み寄ろうとした足を止めた。暫く逡巡した後、結局ルシウスは眼前に いる桔梗へと視線を向け、深い夜色の髪を撫ぜた。 慈しむ様なさまに、ドラコは心の臓が早鐘を打っている事にすら気付けずに。 「そうね、貴方の言うとおり。」 ドラコが知る、記憶の中の残滓で出来た桔梗とはかけ離れた、弱弱しく脅威が格段に減った姿に愕然とした。を、実の娘を冷厳な一瞥で睨み上げながら柔ら か く微笑んで"殺してあげる"と囁いたひととは、到底同じ人に見えない。 誰を責めるでも嘆くでもなく、唯澄み切った紫玉を真っ直ぐに向けてくる桔梗に、ルシウスは不意に奇妙な感慨を抱く。 昔はこんな眼をするような女じゃなかった。自分が知っている彼女は何処までも孤高で気高く、自身の弱みや欠陥を見せない人間だった。 そんな桔梗の透明な瞳の奥から、まるで語ることの許されない悲しみの真意のようなものを受け取った。 それはルシウスの直感としか言いようの無い、証拠の無い確証だったが、間違えようの無い確信だった。 「君の娘を見た。君に似合いの、酷く冷えた美貌の少女だ。あの男が躍起に為るのも判る。」 「そうね…まさか、あのセブルスがを好くとは思っていなかったわ。」 「-------------------如何した、あの日の…生涯あのお方の妻と為ると誓った君が…後悔でも?」 思い出、云う言葉程、桔梗に不似合いな言葉はなかった。過去を全て抹消したような女だ。 だから其れを敢えて言葉には出さなかったが、確かに、とるに足らぬ単なる記憶の残滓のように、ルシウスの脳裏を一瞬掠めて、瞬く間に霧散した。 最後の、日。桔梗がホグワーツから消えたあの日、花が鏤められた庭先で桔梗が姿を消し去る瞬間まで共に居たのは他でも無い、ルシウス・マルフォイだった。 名も知らぬRevalue王国国王の元へと嫁ぐ、其れはかのヴォルデモート卿に"実を付けた納言草"を渡すため。唯其れだけが婚姻を承諾した理由であり、 桔梗が妥協した理由であった。 されど望みもしない男との婚姻・契りは桔梗の心に、永遠の闇を宿した。 ------------------ 私があの人の配下で無ければ、無理矢理攫って逃げただろう。 低いがそれでいて深みのある声が、感情のこもらぬ冷ややかな言葉を紡いだ。 確かにあの日、消え逝く桔梗に投げた最後の科白はそんな言葉だったように思う。ルシウスが脳裏に侍らせた。 「いいえ。私は自分の想いを貫く為に、本当に多くのモノを壊した。もう変えられない、変わらない。 護ってあげたかった、でも護れなかった。私は自分のためにあの子を殺したの。自分のために夫を殺したの。 ------------------ なのにあの子も夫も、私を、、、」 「…桔梗、あのお方が呼んでおられる。もう二度と逢う事も無いだろう、何も迷わず何も考えず、自身の欲だけを求め生きていけ。あの日、私とした約束を違え ぬ為にも」 幸せに、なるから、と桔梗は最後に言って姿を消した。遠い過去の日。 瞼の裏に浮かぶは、あの日凛とした横顔でそう言った桔梗の微笑み。 「貴方は今も変わらず優しいのね、ルシウス。」 ゆっくりと紡がれる言葉、清廉に作り上げられる白磁の微笑みにルシウスの鼓動が跳ねあがる。驚いて見詰めた先には、十三年前と同じ笑顔、同じ想い、忘れ 去った筈の恋情。 思わず透ける桔梗の頬に手を沿え、撫でる。手の温もりが、伝う泪に奪われ、悲しみの交じった複雑な表情を浮かべながら、其れでも桔梗は輝くその瞳から綺麗 な 泪を流していた。 透明な空気が、ぴん、と弾け、そうして跡形も無く霧散する。 空に手を伸ばし、広げた指の隙間から霧がすり抜ける様に白い影がゆっくりと過ぎ去るのを見遣って、ルシウスは漸く掌を下ろした。 ドラコの位置からはルシウスの後姿しか見えていない。ドラコは波立つ心を悟られない様に静かに踵を返して其の場を立ち去ろうとする。だが、其れを留まらせ たのは、 「盗み聞きとは躾が悪い。…まぁ、良い。嘗ての旧友に逢えた礼だ、お前に良い事を一つ教えてやろう。 もうじきあの娘が目覚める。閲覧禁止の棚など見ても、何の役にも立たぬぞ。」 独特の空気がその場を占め、不快を露わにしたルシウスはドラコの方を顧みる事も無いまま、言うだけ言って足を進めた。カツカツカツと独特の足音が遠ざか り、やがて元の静寂が廊下に戻ったのを確認したドラコは、一目散に階段を駆け下りて魔法薬学研究室を目指した。 ドラコの口元に微かな笑みが零れる。ポッターより先に、眼を覚ましたに会える。 其れだけが心の中を支配し、ドラコは廊下を走ったら5点減点される、そんな規則を脳内から消し去った様に唯夢中で疾走した。 [ home ][ back ][ next ] (C) 2002-6 The fanfictions are written by Saika Kijyo. update 2006/5/13 |