last scene

day-42 :そして塗り替えられてゆく慕情
柔らかな風が硬度を持たない軟な頬を滑る様に通り過ぎ、気持ちばかり、肩に揺れる漆黒の
絹髪を攫って行った。
空の端から夜が緩やかに薄れていく。薄紫の朝焼け、其れを背に、は独り俯き気味で直に汽笛を鳴らして颯爽と翔けて来るホグワーツ特急を待っていた。
初めての外出が許可された今日この日。スネイプは未だ夜も明け切らない時間をに提示した。
スネイプにすれば、他の生徒から非難同情の眼差しを受けるだろうの御身を案じての提案だったが、言われた瞬間、は別の事態を予測した。
(私と一緒に出掛けるところを見られる訳にはいかないんだ)
教師と生徒。とスネイプの関係は、其れ以上でも其れ以下でも無い。
寧ろ、出逢ったあの当初から考えれば、スネイプの中にあるの存在は其処等に居る一般生徒と同じ扱いにまで達しているだろう。
其れは喜ばしい事である。だがしかし、悟った瞬間の中で、言い様の無い寂然感が暴れ出した。
母親にすら愛して貰えなかった幼い子ども、彼女は自分の中に芽生え始めた小さな感情に気付くことも無く、押し殺す様に小さく掌を握り締めた。
「 待たせてしまったかね 」
朝靄掛かる石畳の上で、空虚な思いに身を費していたは顔を上げ、柔らかな陽を浴びるスネイプを視界に入れ、息を呑んだ。声だけは聞き覚えのある、外見
は知らぬ誰かが突然声を掛けて来たのではないか、という錯覚に陥る。
普段、黒一色に覆われた服装は見慣れている。しかし、ホグワーツから一歩足を外に出してしまえば、人はこうも変わるだろうか。
硬質で鋭利な刃物を髣髴とさせる眼差しは変わること無いものの、其の姿はが嘗て幼心に覚えている気高い騎士を思わせた。見慣れたホグワーツでの衣服を
剥ぎ取れば、全く別の人間に見える。よくよく見れば、外見だけは文句のつけようもない男。
------------- あのスネイプだってロンドンに行くのだもの、それなりの恰好をしてくるわよ。
脳裏に蘇る昨夜のハーマイオニーの台詞。確かに、でも判る程の上等な身なり、普段とは異なる端麗な容姿。
これでは漆黒のローブを身に纏っているよりも、余計な目を引いてしまうだろうに。
「 いえ、あの…私も今来たばかりで、その… 」
面を上げてがスネイプの姿を視界に入れ驚き、次いでまた、スネイプも言葉を失っていた。
見慣れたホグワーツの制服とは異なる純白のスリップドレスに包まれ、大器晩成の華が漸く咲き綻んだ様な繊細な雰囲気を纏うに、正直見惚れた。
そして唐突に、純白から、あの日消えた少女の母親の面影を幻影た。
普段そうするよう、造作の大きな薄紫白淡の瞳が微笑めば、やはり其処には嘗ての女が散らつき、二重に重なる。
思い返す、【一輪の白百合】と謳われた桔梗の姿に、はっきりと幼さの影が残されたが映写した。
「 あの、やっぱり…可笑しいですか? 私みたいな子どもには似合わないと判っているんですが…
ロンドンに着て行ける様な服は此れしか持って居なくて。 」
躊躇う様に途切れ途切れのの言葉の後には、重たげな沈黙が続くかと思われた。
しかし。
「 いや、そのような事は無い。 見違えるな、皇女というだけはある。 」
脳裏に過るは、忘れ去った筈の面影残す嘗て慕情に焦がれた想い人。
似ている、確かに其れは揺ぎ無い事実だが、其れ以上に桔梗とは異なる内に秘めたる秀麗な容姿。
脳が考えるよりも先に、言葉が口から毀れ出ていた。口に出してから、何故すぐに意識が走らなかったのかと不思議に思うほど、言葉はすんなりと胸に落ちた。
同時に、我に返る。
視界の先、はっとしたようにはあどけない顔を見せてくる。初めて見た時とは見違える、大人の為に繕わぬ表情は、こんなにも幼く可愛らしいと知ったの
はほんの数日前
。
さて、何処へ連れてってやろう。
古書を読み更けながら柄にも無くそんなことを考えた。今思えば、一体何を考えていたのだか。先程の情景に気をとられ、すっかり記憶から抜け落ちてしまって
いた。
己の都合、紅茶の茶葉を仕入れるという目的の他、少しでもがこの世界を好きになってくれれば…と、そう思う。
幼い子どもが微笑うことさえ許されなかった。自分も幼少の頃、人前で声をあげて笑いながら野山を駆け巡る血気盛んな子どもではなかった。
しかし、の様に感情を表に出す事を恐れだと感じるような環境下に居たとは言えない。
感情を其の侭表現することが許されなかった子どもは、其れを自分の所為だと笑った。決して母の所為では無いのだ、と。痛むことを忘れた胸が刃物で抉られた
様な悲鳴をあげた。其れを押し込める様 ----------
昔微笑うべく時に笑うことが叶わなかった其れを、取り戻すよう、今は太陽に花が綻ぶように微笑ってくれ、と切に願う。
だが、願い空しく、の表情から微笑ばかりが毀れ出るとは限らなかった。
到着したホグワーツ特急の一級コンパートメント、向かい合う様に座った二人は淹れたての珈琲を飲みながら他愛ない閑談を続けていた。壊れた水道管の様に絶
えず話を持ち掛け続けたが一瞬黙り、昨日の出来事を思い出した様に、話を振った。煙の様、一瞬ヒトの形を成したものがゆっ
くりと消えて行ったあの出来事を。
そうして、突然訪れた静寂と告げられた事実に、怪訝そうにスネイプが眉根を寄せる。
「 …桔梗を見た、だと? 」
「 はい…あれが私の母だったのか定かではありませんが、人型の何かが霧の様に消えたのを確かに見たんです。 」
其れきり、が押し黙る。スネイプもまた其の静寂を守り切る様に押し黙り、二人の間には僅かな空白の時間が静かに流れ落ちた。
疾走するホグワーツ特急の汽笛の音だけが二人の耳に届き、視界に流れ込んで来る様々な景色を右から左へと流しながら、はスネイプの瞳を直視出来ずに居
た。
護ってくれる、目の前の男は確かにそう言ったが、あれは其の場凌ぎの社交辞令だったのかもしれない。
大人が良く使う、卑怯な手段。幼い頃、ずっと身近に言い聞かされていた言葉が脳裏を過ぎる。
相手の事を思って真実を捻じ曲げ、あたかも其れが事実であるような口ぶりで、
言い説き聞かせる様に洗脳に似た呪いのよう。
------------ 大丈夫、お前の母はお前を心の中では愛しているから。
幼い日の父の台詞と嘘等何一つ吐いていない様な笑顔に、騙され続けた日々。
あの時の父と先日のスネイプが重なった様な気がした。血の繋がった実の娘を愛することが出来なかった母親と、実の娘に真実を告げる事すら出来なかった父
親。其の娘であるにとって、如何して他人が信じられようか。やはり自分はあの場所から出てはいけなかった、外の世界を知ってはいけなかったのだ。
触れてしまった優しさ、失ってしまう事の辛さに耐えることなど、出来ないのだと知るのは何もか事後なのだから。
「 …仮に、仮にだ。 其の霧だか煙だか良く判らぬ白い物体がお前の母親だとして…だから何だと言うのかね。 」
「 …なんだ、と言うのは一体如何云う意味… 」
「
忘れたか、お前は既に奴から宣戦布告に似た忠告を受けているではないか。今更霧だか煙だか言霊だか生霊だかは知らぬが、来るというのならば来るが良い。
」
先程と変わらぬ落ち着いた口調だが、周囲の気温が確実に数度下がった気がする。絶対的な自信を持ってして、スネイプは吐き捨てる様に澄み渡った空を一瞥し
てそう告げた。
広大な海原の様に絶え間無く広がる蒼の世界。姿こそ判らねど、同じ空を桔梗もまた見ているのだろうか。
己が娘の所為で自分は此処まで不幸に陥れられたのだ、とでも云いたいか。己が母の所為で屍山血河よりも尚凄烈な状況下に生きる少女には、どんなに声を張り
上げ、痛嘆に叫ぼうとも、この世の全てのモノに懇願する様願おうと
きっと、届かない。
呼ぶ名前を、助けを乞うべき相手の名を、知らなかったのだから。
「 我輩が護ると言った其の言葉。 信じる信じないは問わぬ、お前が我輩を信用出来ないなら其れで良い。だが…一つだけ言っておく。 」
スネイプは切れ長の両眼を静かに伏せた。
自身で紡いでいた言葉を最後まで吐かないまま、何かを思案する様な、何かを覚悟する様な雰囲気を客観的に悟る。
声すら掛ける事が出来ぬまま、は唯黙って其れを見詰めていた。
次にスネイプの口から毀れるだろう台詞、そんなもの、想像することすら間違っていると知っていながら彼是画策してしまうのは何故だろうか。
ふと、スネイプが自嘲気味、口元、微かに笑みを浮かべた。
「 お前を護る為なら、我輩はお前の母を…桔梗を殺したとて、何の後悔もない。 」
酷く真摯な声だった。情緒纏綿など思い起こさせもしないような。
だが其の奥で、常と違う、痛みと苦しみを隠そうとするような声色でもあった。
目の前の少女を護ること、其れは即ち嘗て恋情を抱いた忘れえぬひとに対する決別の瞬間。忘れていた訳ではない、望んで消したあの頃の記憶。がホグワー
ツに遣ってきたあの日、頑なにを拒んだ其の理由。
単純明快。
思い出したくなかっただけだ。恋情を抱いた数少ないヒトの中で、彼女ほど忘れられない存在が居なかったから。
己の数え切れないほどの時間の中で恐らく一番何かに執着していたあの記憶を。誰かをはじめて愛した、あの日を。
だがもう忘れてしまおうか。
君を護る為なら何の迷い無しに嘗て絶対の忠誠を誓ったヴォルデモートにさえ、杖を向け、罵詈雑言を浴びせられるだろう。
こんならしくもない事を考えるようになったのは、に出逢った所為だろうか。年端もいかぬ幼い子どもなど、眼中に留める事さえ無かった筈が。如何してく
れる、名をつけることすら恐れるこの感情に苛まれる事態を。
胸の内に渦巻く名をつけぬ感情に只管見えぬふりして、やがて来るだろうとの別れを思って、スネイプは唯静かに眼を閉じた。
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(C) 2002-6 The fanfictions are written by Saika Kijyo. update 2006/2/7