夏まだ浅いこの時分、遅いようで想像以上に陽は暮れるのが早かった。
先程までどんよりとした重たい灰色の雲が横たわっていた為か時間の感覚が鈍くなり、あっという間に太陽は西の空に消え失せて、もうじき漆黒に彩られた闇の
世界が遣ってくる気がした。
腕に抱いた愛しい人は確実に弱り其の温もりを温かなものから冷たいものへと変貌させていき、其れと正比例するかの様にを抱締めたリドルの腕は強みを増
していく。
一度失い気付いた大切さ、もう二度と手離したくないこの温もりを腕に抱締めながら、無常にも運命と云う代物はリドルに二度目の別れを齎すのだろうか。
出逢わなければ良かった。そうすればこんなにも辛く傷つく事は無い。
でも、出逢わなければ如何し様も無く込み上げてくる恋情を知る事も永遠に無かっただろう。其れは他の誰でも無い君だからこそ。
出逢いは叶ってしまった。焼き切れるのではないかとすら想う恋情、其れは消す事の出来ない、取り戻しようもない過去。
過去を悔やんでも、もう時既に遅い。あの日願ったセカイの全て等、棄て去っても構わない、だからせめて、腕に抱いたこの人間だけは。
過去を変えられると云うのなら、何でもしただろう。いっそ、共に散れたら幸せだと、馬鹿げた思考さえ平気で浮かんでくる。
未来の時点から過去を遡り、人生の岐路に立ち尽くした様に二者択一を迫られる其の状況下。
もし仮に、臨んだモノと真逆を選んでさえ居れば今の未来は無く、少なくとも今よりも少しはマシな幸せの結末を迎えていたかもしれない。
過去を代えるだ等と、そんな有り得る事の無い仮定はしない、。しても無意味だと知っている。
其れでも…、強く想い、願う。今この瞬間、を抱締めているのがヴォルデモートではなく、リドルだったならば。
あの日リドルがもう少し早くの元へと戻っていたら、共に歩く未来を描いていたら、欺き続けた本当の感情と向き合っていたら --------------
今のヴォルデモートを見れば、嘗てのリドルは失笑しただろう。其れがサラザール・スリザリンを仰いだ者のする行為か、と。
其れでも構わない。
この身を、力を、心を代償に、何を犠牲にしても構わない。だから、其れを糧にして、消える灯を救ってはくれぬだろうかと。
scar episode 6
「 リドル…お願い、サヨナラって… 」
云えば、消えてしまう。
其れはも判りきっていることだろう。鈍痛からくる苦痛で表情を歪ませながらも微笑みを絶やさぬ其の様は見ていて酷く痛々しい。
別れを意味する言葉など、言える筈も無かった。
言えない、そう言葉にすれば楽だっただろうに、音として紡ぐ事にさえ恐れる様に沈黙を守れば、悟った様には静かにゆっくりと腕を伸ばして手繰り寄せる
様にリドルの首後ろに腕を回して。
其の侭ぐいと引かれる形に為り、が何の行為に及ぶかを直感的に悟るが、これ以上の苦痛を与える訳にはいかないリドルは其れを拒む気は無かった。
出来ることなら、自分から。
そう咄嗟に思った事を悔しいとすら感じれど、所詮其れは一瞬以下の出来事で、其れよりももっと距離を縮め傍に寄せたいと本能がそう叫ぶ。
動けぬの代わり、目線を同じにする位まで屈みこんで遣れば、薄紫の瞳に僅かに紅蓮が揺らぐ。
切れ長の睫が閉じられる其の直前、透明な硝子珠の様な両眼に、自分は如何映っているのか、脳裏に一瞬過る。
柔らかく吹き込んで来た夏の風に運ばれ、目元に散らばった絹糸の様な髪に触れた瞬間、唇に柔らかいものが降りてきて。
------------ 好きだよ、リドル。
事もなげにそう投げてきたの言葉に、リドルは目を見開いた。
心の何処かでは気付き核心すらしていた事であれど、改めて音として、言葉として告げられれば其れは予想すらしていなかった時に言われた様な動揺感と驚愕感
が混じり合った複雑な感情を呼び起こす。
互いを意識し合う以前、笑いを交えた冗談でならば、幾らでも言われた経験がある。けれど明示的な何かは無いにしても、冗談の類では無い事が直感的に理解で
きた。
そうして、想いを伝えようと思ってみても、口唇を開けば掠れた声しか漏れてこない。
唯純粋に嬉しく思い、其の気持ちを含めた今の感情、去り逝く君に伝えるべきか否か。これ以上己が心に刃を向け続ける必要が有るだろうか。
想いを告げれば楽に為る。けれど其の想いを口にする事によって更なる辛さが自身の身に降りかかって来る事等非を見るよりも明らか。
を腕に抱いた侭、口の利けぬ者の様に口を噤む他術が思い浮かばなかった。
如何すれば、良い?錯乱に似た混乱の渦に叩き込まれた頭と心で、何と反応すれば良いのか判らない。
好き、だと其れを告げずに唯同意を表す言葉だけ述べればは判ってくれるだろうか。
共に在る時は気付く事さえ無かった、絶望の淵に叩き込まれてようやっと君が好きだと気が付いた。
が抱くのは一方的な想い等ではなく、誰より君を想って居ると告げて ------------------
「 要らないよ、リドル…言葉も何も。 だからお願い、私のこと、忘れちゃわないでね? 」
---------- そうしたら、もう二度と出会えなく為っちゃうから..
其れはまるで泡沫の様。
柔らかい微笑み浮かべた侭、確かにこの腕の中で温もりを宿していた身体が白靄に包まれた様にゆっくりと薄くなって逝く。
消 え る ---------- 。
咄嗟に言葉が浮かんだ其の時既に遅く、抱き締めていた筈の愛しい人は幸せそうな笑みを浮かべながら水面にたゆたう泡のように静かに存在を欠いた。
まるで一時の夢を見ている様な其の光景に為す術無く、リドルは全身から消えうせる感覚と刹那に似た喪失感に痛嘆した。
数年前、現実を捩じ曲げてしまう程認めたく無かった真実に再び遭遇すれば、もう二度と生きてはいけない気がした。
愛しい人を、一度ならずとも二度までも失う事に為ろうとは。
何処まで悲しみを味わい、辛さに其の身を沈めれば赦されるのだろうか。
もう何も要らない。護るべき者、其れは先刻まで確かにこの腕の中に居た筈なのに。もう二度と、手放す事は赦さないとそう誓った筈が。
「 、忘れないよ。 最初で最後…僕が愛したのは君だけだから... 」
告げられずに終わった言葉をようやっと吐き出せたのは、完全にの姿が抹消された後だった。
涙も流れる事は無い、耐え切れぬ程の裂辛の痛みに心が引裂かれそうに為っているとしても、其れでもあの日頬に流れた涙の影は此処には無い。
最後にが告げた、言葉の意味。忘れなければ、何時か再び出逢うことが出来る。
確かにそう言って消えたを想って、再び巡り逢える事を切に願って、リドルは僅かばかり水分を含んだ瞳を静かに閉じる。
再び巡り逢う事が叶うのだとすれば、其の時こそは焼き切れそうな程に膨れ上がったこの感情を君に。
そう思えば、自然と楽に為った感情に溶け込む様にあの日のオルゴールの音が木霊する。
泣けぬリドルの代わりにとばかり、切ない想いを届けるが如く、独特の速度でゆったりと緻密に計算しつくされた音が紡がれてゆく。
聞きなれた音階、脳内に流れ落ちてくるあの日の情景、忘れ得ぬ恋情。
聞けば聞く程込み上げて来る想いに押し潰されそうに為りながら、意識の遠くで有耶無耶に聞こえるオルゴールを聞きながら、リドルは静かに紅蓮に黒を落と
す。
風に揺られる華か何かの様、夏の香りのする優しい風に身体を支えられながら、リドルは感じた。
此処に来た時と同じ感覚、混濁した意識の底へ一気に叩き落された時の事を脳が覚えている。
遠くに聞こえるオルゴールの其の音色、それに身体を委ねれば、懐かしい愛しい人の声色が心に響き渡って鳴り止むことが無くなる。
もう一度、逢いたいとあの時は切に願った。
だが今は、暗黙の了解の様に、思い出す。
力を籠めれば折れてしまいそうな程華奢な小さい身体、仄かに柑橘系の香りのする柔らかい絹糸髪、触れた手を遠退けてしまいそうになる程片腕で回りきってし
まう細い腰。
薄紅色を引かずとも淡く彩る桜色の唇から紡がれるのは、弦楽器の其れに似た甘いようで鮮烈な響きを伴った確かな声。
其の声で名を呼ばれ、振り向けば微笑んでいる君の幻覚を見てしまいそうで、全てを覆いたくなる。
抱き篭んでも尚、如何すれば距離を縮められるのかと焦燥感に駆られた先刻、其の時初めて気付き、そして知る。
そんなにも喪う事を恐れて如何する、もう失くしたものは二度とは手に入らないのだ、と自分を嘲笑いたくなる程。
「 リドル、また…逢おうね。 」
追憶の中で聞いた愛しい者の声は、オルゴールの音色を伴って朦朧とする意識の中に素直に溶け込んで来た。
身体が、重い。
聞えた其の声は、確かなものか、否か。
「 ……? 」
暗闇の中、自暴自棄気味に冷たく発した声は、本当に声として発せられたのか。
不確実な意識の中では其れすらも定かでは無かったけれど、其れでも声が出せるのならば、と必死で言葉を綴った。
独り暗闇の中にゆっくりと身を沈めて行くような錯覚に囚われ、何かに縋ろうと空に指を伸ばせば、期待した温もりとは裏腹に、熱を生むどころか身体の芯から
凍る様な寒気に襲われた。
其の極寒に耐えながら、リドルは熱く痛い甘さを振り払ってしまいたいのに、指先所かココロすら思う通りには動いてはくれない。
もう一度、忘れ様。
その思考を拒絶するかの様、鳴り止まないオルゴールの音に愛しい人の声。
胸郭の奥に潜む心の臓が痛んで、仕方ない。苦しくて、耐え難い。いっそ、この身毎滅びられたら ---------------
…もう一度、出逢えるから。
突然覚醒した意識、重く痛い瞼を開けば、其処に映り込んで来たのは雲ひとつ無い薄青く晴れ渡って空では無く灰色に閉ざされた己の居城。
ゆっくりと視線だけを動かす様に見渡してみても、別段代わった様子等何一つとして無い。
僅かばかりに開かれた天窓の上には、心を取られてしまいそうな錯覚に駆られる程の、色を失った黄昏色の月が在った。
結局、あれは一時の夢だったのだろうか。思い出すだけ思い出し、後は痛む心を引き下げて生きろとでも云うのか。
未だ鳴り止まぬオルゴールの音にを思い出し、思い出しては痛む心を引き摺りながらヴォルデモートはゆっくりと息を吐き出した。
そして、刹那に息を呑む。
絶望と云う地獄の中、一灯りの希望を見出した様、今彼の紅蓮の瞳に映り込んだのは紛れない絶ゆる事無い慕情を抱いた者の姿だった。
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