遠く響くオルゴールの音が、遠浅の様に近付いては遠退いて行き、今まで背を向け続けた己 への断罪の様に心に鈍痛と為って響き渡る。
止む事の無いオルゴールは暫くの間、脳内回廊に響きながら僅かな反響をココロに聞かせていたが、腕に抱き留めた愛しい者の存在を認めれば認める程に其れは 次第に薄れて消えていった。
今此処に、嘗て起こし得ない行動を起こした己が居る事、変える事の現実、交わる事を赦されぬ過去と未来が交錯した現状況を如何説明すれば良いのだろうか。
は今自身を抱いている存在を誰だと思うだろうか。昨日見ていたリドルを想うだろうか、其れとも明らかに容姿の異なるヴォルデモートを未来の産物とでも 認めてくれるだろうか。
あれほど触れたくて、触れる事が叶わず苦虫を踏み潰す様な憤りに身を沈めていた頃には思いもしなかった。
触れる事が出来、過去をもう一度清算するかの様に言葉を吐ける状態のと向き合えば、何を告げれば良いのか判らなかった。
眼に見える様に弱って行くの身体を抱締め、其れでも役立たずの杖は機能する事無く唯の棒切れ同然で。


柔らかい眼差しで紅蓮の瞳を見詰た侭のに交わす言葉も無く、沈黙ばかりが二人の間には落ちてくる。
は今、何を思い、何を考えているだろうか。
何故だろう、以前ならば手に取るように判ったの表情から、今は何も感じ取る事が出来ずに居る。
今までの経緯を述べるには時間が足らな過ぎ、一言謝罪の言葉を述べるのは簡潔すぎる。
言葉として伝えれば良いのか、其れとも一滴の涙を流せば良いのか、何も告げずに唯抱締めれば良いのか。脳裏に浮かぶどの案も違うような気がした。
唯一つだけ、断言できる。赦して欲しい、その言葉だけは告げる事は出来ない。云う権利も無い程に愚かな真似をしたのは、自分なのだから。






scar episode 5





…リドル…如何して戻ってきたり、したの…? 」

「 戻ってきたり…って、君は僕が此処には戻ってくるつもりが無い事を知っていたの? 」

「 …リドル、忘れてるでしょう? 私、魔女なんだよ? 」





Riddle。
6つの文字で形成される其れは、今と為っては誰一人として口にしない言葉であり、しか呼び得ない銘だった。
懐かしい音程が整った唇から紡がれるのを、まるで夢絵空事の様に観ている自分が居た。
もう誰も呼ぶ事は無い酷く嫌悪する其の名、其れでもの唇から紡がれればまるで別物の様に綺麗な響きとなってココロに響く。
セカイに唯独り、この名を呼ぶ事を赦した人間に自身を如実に示す言葉で呼び掛けられ、リドルは瞳を和らげた。
もう二度と、この名には応えない。ヴォルデモートと為る時、嘗て一度だけ愛した者を忘れるなと意味を篭めて。
リドル、そう呼んでくれた時の柔らかな陽だまりの様な、の微笑みが忘れられず。
思えば、昔を偽った癖に、夢に出て来るのは何時もこの頃の微笑っただった。何を犠牲にしても求め、止まないのは一瞬の安らぎをくれた君だけだったと云 うに。
如何してあの日 -------------


身体から精気を失いかけて尚、捨て置いた存在に微笑み掛ける君は今、何を想っているのだろうか。





「 私、知ってた。 今日こうしてこうなる未来が来る事を…そして、其れを避ける事が出来ない事も。
 リドルがね、今日居なくなることも…其の理由も。
 全部ぜんぶ、知ってたんだよ? 」

「 知っていて…如何して此処で僕を待っていた…此処に来なければ、君は -------

「 …だってリドル、もう二度と私に逢わないつもりで昨日此処へ来たでしょう?
 リドルに逢えないなら、リドルがこの世界に居ないのと一緒じゃない… 」





---------- そんな世界に独り生きていても、詰まらないもの。





其の言葉に、息を呑み、自然とを抱いていた腕に力が籠る。
徐々に弱っていく生命とは思え無い程に、言葉は酷く重たげな躍動を感じ、今にも両の足で立って共にホグワーツに帰ろうと言い出すのではないかと、思う程。
けれど、現実はそんなに甘くは無い。抱締めた華奢な身体からは確実に温か味が消えて逝き、桜色だった唇から徐々に血色が失われてゆく。
もしかして、此の侭行けば未来が変わり、が消えて逝く未来は来ないのではないだろうか。
一瞬でもそう考えた自分が浅はかで、来る筈の無い未来に願いを託すこと等二度としないと誓った筈が、既に神が居るのならばと願う己が此処に居た。
が命を落すと知りながらも此処に居続けた其の理由、先に告げられた言葉の真意、リドルがを共に連れて行かなかった其の理由と相似するならば、自分 を戒めずには居られなかった。


眼を背け続けてきた現実を見詰め、改めて愛しい名を言葉にすれば、リドル自身も胸の内の感情に整理が付く。
を連れ立たなかった事も、想いすらも口に出さなかった事も、名すら呼べずに居た事も。
全ては愛していたからこそ、只管に。





「 ねぇ、リドル。 私が居なくなっても…オルゴール、ちゃんと聴いてくれる?
 あ…言葉が可笑しいかな、今此処に居るリドルは未来から来たリドルなんだっけ…
 ちゃんとオルゴール、棄てずに持っていてくれた? 」





小さな掌で頬に触れて来て、泣き出しそうな瞳の変わりに精一杯の微笑みを作り上げてが言う。
未来から来た、リドル。
此処に居るのは、過去にを捨て置いて己の欲望の為だけに忠実に生きて後悔した男の成れの果てと知りながら、其れでもは微笑み掛けてくれていた。
伏せ目がちに揺れる長い睫に彩られたの目元、涙に濡れた睫毛が頬に影を落とし。
薄紫の瞳は薄い灰色が混じり合い、藤色を見せている事に気づいたのは、今この時が初めてだった。今までにこんな近しい距離を取るなど、無かった事。
触れる事を頑なに拒み、其れを悟った様には何時もある程度の距離を保ってリドルの傍に居た。まるで其れが二人の境界線だとでも云う様に。
今思えば、そんな境界線等叩ききってしまえば、もう少し楽に為れたかも知れ無いというに。





「 …、曲名を…教えてくれたよね。 【scar】だっけ…やっと思い出したんだ。
 でもね、如何しても…君がこの曲を僕にくれた意図が判らない…
 何故敢えて【傷跡】を意味するこの曲を僕に贈ったのか。 」

「 リドル、私のこと、忘れないでね。
 どれだけ月日が流れても、私が傍に居なくても、辛くて如何し様も無い日々が来ても…
 私は何時でもリドルの傍に居るから。 」





----------- どんなに深い傷でも、必ず癒えるから…傷跡は残るかもしれないけど、ちゃんと癒えるから。





此れからどれだけリドルが人を傷つけ様とも、リドルが傷付かなければ其れで良い。
出来ることなら傍で癒してあげたいけど、出来そうも無いから、だからこの曲をリドルに贈るね。
癒えない傷は無い、消せない罪も無い、大丈夫…リドルは私を裏切って無い。




約束だよ、リドル。
私がセカイから消える日が来たとしても、私を忘れたりしないでね?
私もリドルを忘れない、だからリドル…私を忘れないで ------------------





全てを想い出せば、唯只管今この腕に抱いた愛しむべき存在を、手放したくないと。この想いだけは確かなもの、今だからこそ強く思えるのは失った後だからこ そ。
其れに起因して、昔交わした約束まで脳裏に蘇り忘れた筈の口約束でさえ思い出してきたのは何故だろうか。
思い出したくても、思い出せずに居た。オルゴールの単調な音等、其れこそ厭きる程聞いて。君を失ったあの日から、もう何年が過ぎたと云うのか。最早記憶さ えも抹消した筈の想いも誓いも約束も、今と為っては全て無効の事項の様に思えると言うに、其れでも胸奥競り上がるのは抑えきれない程の恋情。


未来を知る自分が、過去を変えようと祈った祈り等、最早何の効力も為さない事を思い知っている筈が。
死を目前にしたあの瞬間でさえ、何も想う事は無かった。何かを必死で乞う事など、無意味だと痛感していた癖に、其れでも惨め乞うて願うのは紅い大地に愛し い者を抱いているから。
此れが、最初で、最後だろう。
見えないものに縋る様、何かを切実に乞うて叶えて欲しい願いが明確に為ったのは。
愛しい存在を、愛しいと告げることさえ出来なかった者を二度も失う事が恐ろしくて仕方なかった。
此れが今まで己のして来た行為に対する贖罪なのだと云われれば、この命を差し出す代わりに、何を犠牲に引き換えにしても如何しても欲しかった。
紅い大地を見詰めて、赫い華に抱かれたを観て、あの時何を思い何を否定した?
忘れられる筈等無い、記憶が忘れても現実を壊しても、其れでもココロは覚えている。


数時間前に戻れるのならば、君の手を取って無理矢理にでも黒い死神から逃れ、決してこの腕から離さない。
そう誓った筈。





「 リドル…、サヨナラ、だよ? 」





全てを悟った瞬間に、全てが毀れる音を聞いた。
留まった侭の時がゆっくりと動きだし、聞きなれたオルゴールの音が葬送曲の様に流れ落つる。
絡められていた手も何時の間にか離れてしまった。
サヨナラ。
告げられなかった其の言葉、一生告げる事は無い、告げれば其処で終ると知っていた許されない言葉を口にしてしまうかも知れ無いと。
の唇の動きから推測しなくとも、もう一度出逢えば…、何処かしらにそんな予感はあった。傷つく事は目に見えていながら。それでも。もう一度出逢いたい と切に願ったのは紛れの無い己自身。





「 其の言葉、言ったら君は僕の前から消えちゃうかな。 」





笑い方など、遠い昔に忘れてしまった。
笑って告げたかった言葉は酷く感傷的な響きとなって口から吐いて出て、気がついた時には言葉を押し戻す暇も無ければ弁解する余地も無かった。
脳裏を過るのは、の柔らかい微笑みと共に過した日々。
今思い起こせば、あれ以上の幸せはきっともう無いだろう。
走馬灯の様に過った思い出は、随分と遠い昔の様にも思え、近しい出来事の様にも思えた。
たった7年しか共に一緒に居ては居ないと云うに、如何して此処まで ----------





サヨナラさえ上手に伝えられなかったのは、また逢える様な気が、したから?其れとも......















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