ユメミタアトデ




#012





――――……――っ、…………よ…――――






唐突に紡がれた、掠れ、それでも確かにルシウスの鼓膜を震わせた声は歳相応の甲高い音色。
耳に強く残る残滓の錯覚なのかと焦燥したが、続けざま、途切れ途切れに聞こえた声に嘘は無かった。
逸る足を抑えながら、辺りに目を配ったが、姿はない。
窓の少ない暗鬱とした回廊は、吹き抜けの天井からのみ注がれる月光を取り込むだけで、明度は酷く乏しい。窓ガラスの向こうには、緑と土の目立つ景色の合間にぽつぽつと人影があり、けれど誰しもが漆黒のローブを羽織っている為に人物の特定に難しい。
背丈ある大人に紛れてしまっては、子どもの存在など見付かる筈も無い。相変わらず、見失ったままだ。何処にいる、心の中、人知れず名を呼んだ。だがやはり、返事などある筈も無い。
苛立ちの侭に奥へと進めば、偶然真横のテラスの一角に、小さな子どもの影を一瞬捉えた。




距離を詰める様に進めば視界の端から前面に光景が映りこんでくる。間違いない、ルシウスの探して居た子どもが、一人の魔法使いに詰め寄られている。
あの男、何処かで見た事がある顔だ、記憶に有る。一体何処で見た顔だったか、記憶を辿りながら、怒りを孕んだような表情で、ルシウスは二人の方へ一歩ずつ歩みを進めた。





「 …だからっ、私は違うって言ってるでしょ! 」

「 この場所へ入れるマグルは贄だって相場が決まってるんだよッ、良くも逃げ出しやがって、さっさと来い! 」





歩みを深めるに連れて聞こえてくる罵声、其れだけならば未だ、耐えられた。
男はの右肩を乱暴に掴みあげると、其の侭力任せに担ぎ上げようとする。それを子どもは振り払おうと身を捩るが、所詮は大人と子どもの力の差が物を云う。
小さな身体を支える両の足が地面から放れ掛ける瞬間、ルシウスは丁度と男が居る階下へ続く階段に足を掛けた。
距離が縮まるに連れて明らかになる男の相貌に、やはりルシウスは見覚えが在った。時折魔法省の会議で下位の席に座っている、歳こそルシウスと大差ないが、未だ地位名すらない高官付きの人間。
そして、ヴォルデモート卿を崇拝するデス・イーター。全く、厄介な人物に捕まったものだ、とどこかしら冷めた感情をルシウスが抱いていられたのは、そこまでの事。





――――――― マグルなんざ、一人残らず死ねば良い…!! 」




子ども特有の白く細い首に、浅黒い男の指が掛けられ、ギリギリと音を立てて締め上げるような空気が走る。
絶対的に距離の足らない両腕を必死に伸ばし逃れようとする子どもは、其れでも自分の名を呼ばなかった。
如何して呼ばない。名を呼べば私が居ずとも誰かが気づいてくれるだろう。地位や名声を気にしてのことか、が自分を呼ぶはずがない事も知っていたが、とっさにそんな想いが浮かんでしまう。
初めて見た時と変わらない、黒曜石に似た、強堅な眼差し。其れが涙が溢れて霞む視界に、阻むものを必死に振り切り締め上げられる首にも構わず、ただ一心に幼い身体は、只管に手を伸ばした。



まるで助けを乞いたくとも乞えず、唐突に訪れる死から免れようとするその様に、ルシウスの中で何かが音を立てて切れた。
純血のみが入ることの許される静謐な場所で、マグルと関わっている事実をデス・イーターの人間に見られると、後年面倒な事になる。
後方へ下がり、魔法を一つ詠唱すれば済む話ではないか。敢えて顔と名を晒して出ていくメリットなど何一つとしてない。
行くな、行けばどうなるか判っている筈だ。そう自分を止める声は、胸に棘を残す様に聞こえている。
だがしかし、理解していながら聞こえない振りでもするように、ルシウスは呼びかけの声を上げた。





―――――― その子どもは私のものだ、手を放して頂けますかな、ユーディリウス公爵 」




突如背後から掛けられた声に男――――ユーディリウス公爵はぎょっとなって背後を振り仰ぐ。
同時に見知った声にが驚きと困惑が入り混じった表情を、ルシウスに向ける。名を呼べば其れで済むだろうに、引き結ばれた口元は其れでも名を呼ぼうとはしなかった。



「 マ……マルフォイ様、失礼致しました、今宵捧げられる人間と間違……っ 」




引き攣った男の声を聞きながら、ルシウスは足を石造りの階段へと躊躇いも無く掛ける。
カツ、カツン、と音を立てて光る漆黒の革靴が、想像以上に恐ろしい静かな歩調で、石階段を降りて来た。
怒りを押し殺した相貌とは対照的な、その静かな歩み、明らかにアンバランスな挙動に迫り来る異常感。
ルシウスは一つ言葉を掛けた後、最早迷いや雑念はなく、に向かって一段ずつ階段を下りて歩み寄っていく。
恫喝の意味を篭めてユーディリウス公爵を見据えれば、恐怖に戦慄いた指先がの首から外れ、支えを失ったの身体が地に伏せようと崩れ掛ける。
ルシウスは腕を伸ばし、膝を折るようにして抱き上げれば、黒衣の裾が音を立てて地を擦る。マグルの子どもに対する厚かましいほどの柔らかい態度に、眼に見て男が怯んだのが判った。





「 貴様如きが容易く触れられると思うな、それから… 」



―――――― 御身が可愛くば、他言無用だと心得ろ。




微細な忠告を孕んだ言葉を投げて男の返答も聞かず、ルシウスは鋭い刃の眼差しで一瞥すると、静かな所作で脇を通り抜け階段を上がる。
小心な態度も顕にバサリと外套が床を擦る音が聞こえ、男が崩れ落ちたさまが見ていずとも手に取るように判った。
男が喧嘩を売った相手は魔法省高官、其れも到底足元にも及ばないマルフォイ家嫡男。
相手にしている子どもが、遊びであれ使用人であれ気紛れであれ稚児であれ、彼に画策する権利は一切無い。
況して、誰かに話すなど、自分の命に関わるような真似が易々と出来る筈も無く。取れる限りは、責任を負わなければ為らない事を覚悟しているだろう。



そんな絶望の淵に立つ男のさまを、は抱えられたルシウスの肩越しに見詰め、面白く無さそうな風情でルシウスの方を見返った。
突然に与えられた庇ってくる手、抱き上げてくれた腕を振り払う事も出来ず、況して退ける事も出来ないままは大人しくルシウスの腕に抱かれていた。
礼を言えばいいのか、謝罪の言葉を口にすればいいのか、悩むのは二度目だ。一度目は池に落ちた時。あの時はもう二度と馬鹿な真似をしたりなどしない、迷惑を蒙らせるような行動は慎む、と他の誰でもない自分自身に誓ったつもりが。
あっさりと破られた誓いに、自分で自分を蔑視したくなる。




「 残念だが月見は終わりだ。 」

「 …っ、か…勝手に行動したから怒ったの?ごめんなさい、でも ―――――、 」



思いつく限りの言葉で謝罪しようにも、自己嫌悪に苛まれているの唇から真っ当な理由は零れてこない。
代り、白銀の髪と鋭さを影に潜ませ、感情を読ませない両眼。薄い蒼混じりの鋭利色が、だけを捕らえ、真っ直ぐに見据えてくる。



「 怒ってなど居ない。確かめたい事が有るだけだ。 」




冴えた声がに投げかけられ、ルシウスはを片手に支えたまま、ポートキーを取り出した。
身体が空に投げ出され、薄青い、夜明け間際の色が何処までも何処までも続いていく宙を駆けて、所要した時間はわずか5分にも満たない。
くるくると万華鏡の様に変わる景色を何度か通り過ぎ、辿り着いた先は、はっとするほどの暗さが広がるノクターン横丁。
賽の目上に区切られた道に点在する店から暗鬱な光りが零れ、無機質な軒ばかりが連なるそれらを除けば、酷い暗闇が広がっていた。
時間帯が時間帯なのか、道を照らす筈の街灯は漆黒の闇夜に姿を晦ます様に消え、沈黙している。
行き交う人も居ない、しーんと静まり返った音の無い空洞が其処にただ広がる。
明るかった街の景色が色を失くしたように流れるノクターン横丁を、苛立ちを募らせたようにルシウスは無言で歩く。



一体何処へ向かうのか、内面の葛藤を、持て余しそうになるのを堪えて唯視界を外へ向ければ、何処かで一度見たことがある光景だと気が付いた。
心に染み込んでくる様な、仄暗い空気の気配。
何処で見たんだっけ…とが記憶を辿り寄せている間に、如何やら目的地に辿り着いたらしく、ルシウスの規則正しい足音が途切れる。
顔をあげれば、古びた掘立小屋の様な建物。軒先には燭台さえ燈らずに、薄灰色の扉だけが殺風景に取って付けた様に置かれている。



―――――― 此処、ルシウスが最初に私を連れて行った店…?



逡巡しながらも、人の気配無く、廃墟の様に静まり返るノクターン横丁の路地裏にひっそりと建つ建物に、確かには見覚えが在った。
記憶が正しければこの店には、長い髭を持つ老人が独り、居た筈だ。だが一体如何して此処へ、と問う前に。前回と同じよう、仕舞いこんだ杖の先で蹴破るかの様に勢い良く扉を付き押した。
部屋の中に仄かな光が差し込み、扉に近い質素なテーブルを弱弱しく照らし出す。殺風景な部屋の中央に、やはり長い白髪を携えた独りの老人が長椅子に腰を落して新聞を眺めていた。





「 貴族はドアを蹴り破るものだと教えられるのかね? 」


闇の中で、戸惑いを言葉の奥に忍ばせながら、老人は新聞から顔をあげてゆっくりと振り仰ぐ。
うんざりと顔を顰める老人は、如何やら夜半も過ぎた客人の来店を歓迎しては居ないらしい。
だが其れ以上に蟲の居所が宜しくないルシウスは、口唇を開きかけた老人の言葉を奪うかのように、まるで詰問するような口調で問うてくる。




「 生憎返答を待って居られる程暇でも無いんでな。説明してもらおう、この子どもがマグルだと言うのは本当か? 」

「 …おぬし、態々そんな事を聞くためにこんな時間に来たのかね? 見て判るだろう、列記としたマグルだ 」

「 だがこの子どもはトワイライトタワーへ入った、この、私の目の前で 」





ルシウスの言葉には暫し呆然とし、一瞬戸惑い、そして先程の男が自分に対して向けた台詞を思い出した。
【この場所へ入れるマグルは贄だって相場が決まってるんだよ】
15歳までの記憶なら鮮明に持ち合わせているだ。自分が間違い無くマグルの両親から生まれた子どもだと知っている。
ホグワーツへの招待状が来た時も、「マグルの私たちの子どもがホグワーツへ行けるだなんて!」と驚喜していたのは記憶に新しい。
呆然とするの表情を見て、杖を振り椅子を二客出した老人は、口元に薄い笑みを浮かべた。
着席を勧める老人の言葉に従う気は無いのか、ルシウスの腕に抱えられたままのは、徐々に自分を取り戻すと静かに眉根を寄せて問うた。




「 あの場所は、マグルは入れなかったのに、私が入れたってこと? 」



は呟いた。
其れを確かめる為に、と咽喉から絞り出した声は辛うじて音になっていたのか。
気温の低下か先程の軽率な行動への重責か、冷たい汗の伝う面差しを、どこか切なげに歪め、子どもはゆっくりと老人を見詰めた。




――――――― トワイライトタワーへ君が入れたのは、君に純血の血が混じっているからではない。 単なる偶然。
 ワシが最初に言った言葉を覚えているかね? その人形は【主人の本当の願いを叶える】人形じゃ。 その願いに近付くためならば、魔法界の掟を覆す事くらい、造作無いことじゃよ 」



にこりと微笑む老人は口角を吊り上げて、鳶色の双眸にほんの少し性質の悪そうな光を湛えている。



――――本当の、願い…… 」



消え入る声音で囁いて、はそれきり口を噤んだ。
何か思い当たる節でも在ったのだろうか、よく見ればその顔色は白いというより蒼白だ。如何したのか、と問う前に、哀しげな色を浮かべて頭を振ると、その動きに合わせて漆黒の髪がさらりと流れる。
「 …………、 」
何か言葉を綴ろうと口を開きかけるが、上手く想いを結ぶことが出来ずに、吸い込んだ息は深い呼吸となって咽喉を巡る。




「 ……帰る。 何か有れば使いを寄越せ。 」




何かを知っているようで、其れでも自分には何も吐瀉しない老人を無表情に眺め、ルシウスの口唇が静かに、言葉を零した。
開け放たれた侭の扉を抜け冬風に晒されながら、薄蒼眸は僅かに上がり、隠されたの面貌を見つめる。
表情を隠すよう、濃密な拒絶感を以って顔を俯けた子どもは今、何を想っているのだろう。
その様子を見つめていれば、【如何してマグルがトワイライトタワーへ入れるのだ】と心に沸いていた強烈な疑問は、潮のように引いていく。そんなこと、本当は如何でも良いだろうに。腕に抱いた子どもがマグルであれ純血であれ、ルシウスには関係ない筈だった。


そう、関係など、無いのだ。




「 具合でも悪いか 」

「 大丈夫…、 」

「 お前は死にたいのか?…勝手に私の傍から離れるな、良いか、三度目は無いと思え 」




普段の命じる強さは語尾から消えていない。だが、請う響きすら宿って聞こえたのは、気のせいなのだろうかと、思う程に落とされた言葉は柔らか味を帯びていた。
ルシウスが探しに来てくれた理由、マグルである自分が、かのヴォルデモート卿に捧げられる贄と勘違いされ処分される事を恐れたからだろうか。其れとも矢張り、面倒な事態を引き起こす引き金に為る前に、芽を摘んでおかなければ為らないと思ったからだろうか。
いや考えるべき論点は其処ではない。違う、気にすべきはあの老人が言っていた、自分の本当の希み。
マグルである事を誇りにこそ思わずとも、純血に為りたいなどと思ったことは一度も無かった。そう、ルシウスに出逢い、自分がマグルである事を痛烈に実感するまでは。
マグルは入れないという塔に入れたのは、心の何処かで【純血に為りたい】と願っていたからなのだろうか。今更如何して純血なんかに?ホグワーツで散々マグルである事を中傷されようと、純血に憧れる事なんて一度も無かった。


そう、一度だって無かったのだ。なのに今更、如何して。



考えれば考えるほど、次第に己の中で不透明な欠片のようなものが降り積もっていくのが判る。その時だった。





――――――― 私が純血だったら…少しはルシウスの気持ちが判ったりするのかな。





聞こえたのは、昨日自分がルシウスに発した言葉の欠片。
ぐらり、と視界が眩む心地がし、何かが音もなく、だが確実に、剥離していく感覚が一気に心を競り上がる。
間違い無い、ルシウスと出逢ってから少しずつ絶対零度の氷が溶け入るように、【純血】を意識し始めたのだ。
掠れた恋情の残滓が心の臓を揺蕩たい、鈍く胸を軋ませる。
あぁ如何しよう、いや、もう如何にも為らない。嗤いさえ起きてしまう。真実に気が付いてしまえば、もう二度と思い過ごしなど出来ない、忘れられない。




私はこの人を、好きに為ってしまった。
























































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(C) 2002-7 The fanfictions are written by Saika Kijyo. update 2007/4/14