レプリカエデン




#02:What do you give up the fate...







ず、と敷かれた畳の葉が擦れる音が三人分聞こえる。
庭で阿修羅の御子、と再会若しくは初対面を果たした一行はが態々人間界へと降臨してきた理由を聞くべく、晴明の自室に居た。
漆黒の絹髪が地面に垂れ波打つのも構わず、高淤の神と同じ様に胡坐を組んで座ったを青龍が一瞥し、無言の侭の柔らかい髪を掌で掬い上げる。
着流した自身の布を緩慢な動作で引き抜くとやはり無言の侭の隣に投げ捨てる様に置き、携えた髪をまるで赤子でも落すかのようにゆっくりと静かに、置いてやった。


「あぁ、有難う、"青龍"」


ほつりと。
頭上の影から、気を逸らせば闇に掬われ消え入りそうな呟きが落ちる。
鼓膜に忍ぶ、聞き馴染んだその声には黄金をゆっくりと瞬かせ、緩慢な仕草で力無く仰向いた。
そうしてもう一つ、大きく瞬けば、
「………構うな」
そう青龍が短く返してくる。
昌浩は、はじい様に用事が在るのだから、自分と彰子は此処に居なくても別に良いんじゃ無いだろうか。青龍も何時も以上に不機嫌上塗りで睨みを効かせて来るし。等と考えながら、と青龍のそんな一幕を眺めていた。
紅蓮はと青龍の話に口を挟む事も無く、普段の物の怪の体裁に立ち戻ると、青龍の事を思ってかから僅か一歩分身を置いて横へ向き直り胎児のように躯を丸めた。
小さな猫の様な姿に気を良くしたは、しゃなりと音が鳴る腕輪を着けた左手で、流れる様な純白の毛並みを撫でている。

青龍が紅蓮を咎めないのは単純に、面白い遊び道具を見つけたの機嫌を損なわない為だろう。



「…………さて、と。話を始める前に、彰子、此れをお前に遣る」


此れ、と言っては懐から淡い紫色で藤の花が烙印された掌サイズの小さな勾玉石を投げ渡した。
彰子は両手で大切そうに受け取り、如何して此れを自分に、と言いたげな眼差しでを見上げる。
だが、彰子の質問に答えるより先に、が言葉を放つ。



「天一、結界を解いても良いぞ。」



命令に似た言葉に、隠形していた天一が姿を現し、彰子の身体を覆っていた微かな光を消失させ、役目から開放されたと同時天一は再び隠形した。



「彰子、其れは私の神気が混じった勾玉石だ。ある程度の魔除にも為る上、天一の結界が無くとも私と共に在れる」
「あの、…、如何して私だけ天一が結界を?」

「お前、窮奇に傷つけられただろ。あれの付けた傷が私の力を吸収しようともがいているが如何せん、あんな低俗妖怪に私の力が吸収出来る訳など無い。窮奇の力が彰子の内側から働けば、お前は心を喰われ天鬼と化す。だから窮奇の傷が余計な真似をせぬように、天一が内側から結界を張っていただけだ。」


だから、片時も身を離すな、と念を押す。
有難う、と顔を綻ばせながら礼を述べた彰子はすぐさま勾玉石を懐に仕舞いこんで、隠形してしまった天一にも再度有難うと告げる。
中央に何か在るかのようにぽっかりと空白を作り上げた侭、真直ぐにを見る姿は、思いのほか姿勢が良い。
流石は藤原の一の姫。躾が行き届いている、と妙な感心をが脳裏でした処で、無言で眉を寄せあさっての方向を睨み上げていた青龍がに声を掛けた。


其れも、低く冷えた、怒号に満ちた声で。



「其の勾玉石は何処の男が持ってきたものだ」

たちまち黒眉の間には深い皺が寄せられ、は青龍を見上げた。
睨め付けるその視線は、酷く恨めしい。


「何処の男とは如何云うことだ」


何のことかとが首を傾げる。
不機嫌に不愉快を乗せた目の前の口唇からまた、吐息に似た言葉が零れた。


「若菜の時は夜叉の息子、だったか」


金の双眸が瞬いた。
そうして、は緩やかに、記憶の糸を手繰り出す。
が思い当たる節を見付け、あぁ、と薄く吐くと、青龍の不機嫌さは増加の一途を辿った。


「此れは違う、あの時若菜に渡した勾玉石だ。黄泉で若菜に偶然出逢ってな、"私と同じ人に渡して欲しい"とそう頼まれた」


若菜の時、夜叉の息子、"私と同じ人に渡して欲しい"。
昌浩は、数分前の状況下に再び身ごと放り投げられている様な気がした。意味不明の会話、である。
多分、過去に同じ様な出来事が在ったのだろうと容易く察しのつく会話に、数分前なら右往左往しながらも必死に付いて行こうと努力した昌浩だったが、今はそんな気など毛頭無い。
自分が標的ではない会話に自ら首を突っ込むのは余り得策ではない、と思い知ったからだ。きっと自分に関係する話ならば振ってくるだろうし、聞かずとも問題の無い話なら敢えて説明はしないだろう。
何だか自分に都合の良い妥協策を見つけた様な心地に為ったが、致し方ない。如何もの事に首を突っ込みすぎると、青龍が目くじらを立て怪訝そうな表情で昌浩を睨み上げるのだ。

一日に何度も何度もあの視線下に晒されて、気分を害さぬ者等居ないだろう。


そんな昌浩の思案を余所に、話は昌浩が結論付けたとおり、ぽんぽんと進んで行った。




「宵藍、お前は御子から若菜が勾玉石を貰った時一緒に居たはずじゃがの、柄を忘れてしもうたか?」
「…………………」
「おぉ、そう云うことか、御子に勾玉石なんざ贈った男が憎い余り、勾玉石の柄一つも覚えておらん、とそう云うことか」
「…………………黙れ、晴明」


青龍は眉根を寄せて、晴明を睨む。
だが青龍の睨みは晴明にしてみれば威力が無いらしく、案の定飄々とした顔を浮かべている。
其の様子を見ながら、勾陳が小さく溜息を吐いた。



「此れではあの頃と何も変わらないじゃないか」






未だ昌浩がこの世に生を受けるどころか、成親ですら生まれていない頃、は居候に近い形で安倍晴明と若菜のところへ十二神将と共に居た。
彰子と同じくらいの「見鬼の才」を持ち合わせていた若菜は、妖や十二神将や式を見るたびに悲鳴をあげていた位、相当極めつけの恐がりだった。
だから晴明は十二神将たちを普段は異界へ留まらせて必要なときだけ召喚し、式たちは一条大橋の袂に留め置いていた。
だがそんな若菜に事も在ろうか阿修羅の御子は興味を持ち、異界へ留まる位なら天界へ帰ると明言した。
そもそも若菜に興味を抱いた切欠と云うのが、『朝餉と夕餉が食べたい』と零した神に対し、十二神将でさえも顔を蒼白させる若菜が凄絶な神気放つ神の為に、神の口に合う食べ物は一体何なのだろうかと懸命に市場へ出かけては其れ相応のものを物色し、晴明を通じて伺いを立てては毎日毎日変り種の朝餉と夕餉をの為に拵えていた。
尤も、神に味覚があるだの以前に神が人と同じものを食する事事態が稀で在るが、はお構いなし、若菜の作る食事を甚く気に入り、礼も予て出来る事なら三時の茶も、と渡したのが例の【夜叉の息子から貰った勾玉石】である。


彰子の時とは違い、から放たれる神気の残滓までも若菜に感じさせない様な言霊を織り込んだ勾玉石の効果は絶大。其の日以来若菜は三時の茶までもと共に過ごす様に為った。
で、其の言霊を織り込んだ勾玉石と云うのが、人間年齢で云えばよりも15は軽く歳を越えた夜叉王の息子からの贈り物だったという訳だ。






「…………あれか、私が夜叉の息子から勾玉石を受け取らなければ良かったのだ、とそう云いたいのか?」



あれは夜叉王が阿修羅王に直々持って来た品だから私の受け取る受け取らないの意思など存在していないにも関わらずか、あれ以来誰からの贈呈品も受けとっては居ないというのにかと、嫌味混じりの吐息が鼓膜を追い打ち、血色の良くない口唇が揺れる。



「其れにだな、たかが勾玉石一つばかりが何だっつーんだ。何処の誰とも知らぬ者が私に寄越したものを最愛の妻にまた渡しした、と晴明に怒鳴られるなら未だしも、そして若菜に渡した其の勾玉石を次に彰子に渡した、と昌浩に怒られるなら未だ判る。が、………如何して70年も前の話を"青龍"に蒸し返されて怒られなきゃいけないんだ」
「苛立ったからだ、其れ以外に無い」
「なら勝手に苛立っとけ」


切り返す口調はにべもない。
片眉を吊り上げた青龍が面白くなさそうな風情で鼻を鳴らす。其れを面白そうに見詰めるのは、勾陳と晴明だ。
紅蓮は毎度の事なのか、首を擡げる事もせずにの傍で丸く為った侭。
彰子は大きな瞳をぱちくりとしながら青龍とを交互に見遣り、昌浩は………青龍の怒りの矛先が自分に向う事の無い様に唯祈っていた。



「話を戻すが、晴明、少々厄介な事に為った」
「厄介…?御子の口から厄介とは、相当の出来事で御座いましょう」
「あぁ、人に面倒ごとを押し付ける才能にだけは長けてるな、あのクソ親父は。私を小間使いか何かと勘違いしてやがる」


薄く金彩が露わになる。
儚くも壊れそうな端麗な容姿からは考えられぬ乱暴な言葉遣いで吐き棄て、一回くらい本気で帝釈天に討ち滅ぼされとけそうすれば天界が少しは平穏に為る、と綴るその金色は明らかに苛立ちを匂わせていた。
それを見遣って、青龍は胸裡に溜息を零す。



「厄介…って、何ですか?」


漸く昌浩が、当惑したような表情で言う。
ふと尋ねたついでに眼差しを上げたその先、の低声が降り落ちる。
薄く開いた唇から、神と相違無い口調に等しい有無を言わさぬ圧を纏わせて、端厳に告げる。




「色々と面倒臭いから冒頭ははしょるが、明瞭簡潔に言うと、【色々と好き勝手遣っている人間どもを野放しにしておくのは如何もいけ好かない。お前ちょっと人間界に行って人間狩りでもしてこい、そうだな、滅亡なんて事態になったら極上酒で酒盛りだ】」







「……………………………………………………………………は?」


昌浩は何時の間にか胡坐をかいた膝の上に手を置いて、神妙に話を聞いていた。
しかし、の口から放たれた言葉の意を真面目に汲み取れず、微かに眉が寄って、疑問符を口にした。
聞き間違いだと思いたい。
天界一の最高闘神・阿修羅の御子の生口から、【貴方達人間界を滅ぼしに着ました】と告げられたのだ。
「じゃあちょっと死んでくんねーかな」と今直ぐに凄絶な神気迸らせてニッコリ笑顔も見せない侭に、手を振上げてこの場に居る全ての人間を一瞬にして消し去るのでは無いだろうか。

昌浩の中に強烈な未来への序章が見え隠れしながら浮かび上がった。
そうして、其の可能性が限り無くゼロに近い数字であるがゼロではない事に気が付くと、昌浩の中に締め上げられる様な緊張が走った。

人間殺しでもおっぱじめそうな最高闘神・阿修羅の御子を眼の前に据え、此れから世界で起こるかもしれない禍事への強烈な不安と恐怖が、昌浩の表情を強張らせた。
冷えた汗が額に薄ら浮かび、自分の呼吸が聞こえるほど周囲の緊張が空気に凍る。






「…………が、ひとを、………殺、すの?」


昌浩の口から、小さく言葉が漏れる。
其の昌浩の言葉を聞いた瞬間、青龍の瞳が即座に厳しく細められた。


「昌浩、仮にも晴明の血を継ぐ陰陽師が早合点はするな。人の話は最後まで聞け」

戒める訳でも無く咎める訳でも無いの強い言葉は淡々としている。
昌浩の疑問は相殺され、代りとばかり八文字を描く黒眉。そこには僅かばかりだけ自身に対する情けなさも含まれていたかもしれない。
何が早合点だったのか、問うことも無い。きっと此れからが話すのだろうと気を引き締める。





「…続きがあってだな、【極上酒で酒盛りだ】の次に、【そうだ、見事殲滅できたら私が直々に阿修羅王に頭を下げて御子をお前の嫁に貰える様に取り計らってやろう、判ったらさっさと見繕って人間界へ降りろ、夜叉】」

「―――――――――――――――――――――…夜叉!?夜叉って、と同じ天竜八部衆の、夜叉!?」

「あぁ、私は即位こそして無いが、ヤツはもう三十年程前に前王から位を譲り受け夜叉王と為った。夜叉、其の名の通り、自分の気に食わないヤツは全て眼の前から排除する掃除機みたいな男だ。」



全く、面倒な事に為った。と嘆息するを余所に、昌浩は想像を絶する答えに絶句した。
てっきり妖や日本や中国辺りの比較的地位の低い神が相手なのだろうか、と勝手に思っていた自分に猛烈に腹が立った。
よくよく考えても見れば、最高闘神・阿修羅の御子が直々に顕現する位の出来事なのだ、と云う重大にして最重要な出来事をすっかりと脳裏から消し去っていた。
天竜八部衆、仮にも同胞がその様な企みを企てている中で、矢張り帝釈天と剣を交えていた阿修羅王は、全て後聞きに為ると云う失態を演じる羽目に陥るとは、実際悪い冗談以外の何物でもなかった。
夜叉王が人界へと降りる前に、惨禍は極最小限ですむ様に、本来ならば帝釈天と阿修羅王を筆頭にした天竜八部衆がくい止めねば為らぬ問題を阿修羅王は「ちょっと闘い過ぎてぎっくり腰に為った」とだけ言い、未だ完全に傷が癒えていないを無理矢理目覚めさせ有無を言わさずに人間界へと叩き落したのだ。


そうして、引き結ばれていた男の口唇から本日何度目か心の中で堪えに堪えた溜息が吐き出された。



「望むところだ、前々から夜叉とか云う神に"一言物申し"たかったからな」
「……え、六合?」
「違えるな、貴様の其の前に俺の"物言い"も受けて貰う」
「……せ、青龍?」
「私も言いたい事が山の様にあるぞ、神だか何だか知らないが、其れなりの覚悟をして貰わないと」
「……勾陳?」



口元に微かな笑みを浮かべた勾陳が冷笑し、六合、青龍も其々思い思いの挑発的な言葉を述べれば、昌浩が弾かれたように即答する。
晴明は、おや、これは、と心持ち双眸を見開いた。
久しぶりに嘗ての戦友とも云うべき友に、実らずとも想いを寄せる相手に、生涯身と命を捧げると誓ったひとに。
仰いだ先の黄金は綺麗な弧に変貌していた。
を前回と同じ様に安倍邸の屋根に叩き落した阿修羅王も阿修羅王だが、『クソ親父』と吼えた癖に晴明にこうして事情を話している時点で、晴明を筆頭とした十二神将をは信頼しているという事に為る。
案外神と云っても種類色々在って、阿修羅王を初めとした阿修羅の御子や帝釈天は存外、微力な人や十二神将で在ったとしても高淤の神の様に例外的に認めるような情があるのだろうか。
無ければ、二度もが安倍家の屋根をふっ飛ばして降臨して来る筈も無い。
いやはや、神とは矢張り人の範疇を超えた考えを持っているものだと晴明が心中で頷きかけた、その寸前。








―――――――――――――――――――――――………………!!!!








安倍晴明、以下十二神将含む面々は、妖蔓延る平安の世に生きているだけに、音も気配も神気も何も無い場所に人が突如出現するなどと云う事は日常茶飯事に近かった。
寧ろ十二神将等は己が存在が其れに近いため、何の疑問も生じなかったが、今眼前に起きた出来事を理解するのに時間が掛かった。


最初は唯の、安倍家の庭に生えた一本の桜の樹が月に照らし出された影なのだと錯覚した。月が齎した翳が棚引いて、月が傾いて行くと同時に影も長さを伸ばすようにゆっくりとゆっくりと影が伸びて―――――――――


影が滲む、という表現の意味を、其の場に居た全員が唐突に体感した。
無の世界に何かが色濃く浮かび上がった気配がし晴明が眉根を寄せたのが5秒程前、其れより20秒前にはふと色味を欠いた眼瞼を持ち上げ、何処から取り出したか日本刀よりも更に長い両刃剣を真直ぐに庭へ向けていた。
勿論、の双眸は、怒りを撃ち殺したような冷酷なものに変わっていた。


庭には敷き詰められては居ずとも、土も在れば砂利もある。
人以外のものが地面を踏んだとて音は聞こえる事は無いが、空気以外の気配は少なくとも晴明たちの鼓膜に忍ばなかった。
仄かに揺蕩る、生き物独特の熱の温みも持たない唯の棚引く月影は、敢えて影を纏い身を隠す様と云う煩わしい手段ではなく、影から生えてきたようにしか感じられなかった。




だが彼、は確かに――――――――月影浮かぶ安倍家の庭にいたのだ。








































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(C) 2002-6 The fanfictions are written by Saika Kijyo. update 2006/8/18