黒の折り鶴なんて、洒落たもんじゃないか




自分が仕える上官は時々(いや、若しかしなくとも出逢ったあの瞬間から何度と無く)可笑しい。



特に何の変哲も無い日、普段よりも聊か早めに家を出たルシウスは、自室に寄って必要書類を携えると其の足で上官であるの部屋へと向った。
空はまるで真綿を敷き詰めたように明るく淡い白銀にも見え、一年に一度『白夜』を迎えるに相応しい、冷えて澄んだ空気が肌を撫でていく。
歩を成す度にさらりと流れ落ちる銀糸と揺らぐ白の世界。魔法省全てが魔法にでも包まれた様な白亜の中で、清澄なその色にルシウスは目を細める。
いつものように部屋の扉を開け、如何に効率よく仕事をサボタージュしようかと画策する上官に挨拶をし、目に触れる世界は常よりもいっそうに眩しく思われ――――――る、筈だった。


「お早うございます。今日の白夜は例年に比べて無駄に銀色に………」

輝いているため仕事がし辛いかと思いますが、今日中に片付けていただかなくては為らない書類があります。
そう言い掛けて扉のノブを持ったまま、ルシウスは言葉を無くした。

開かれた扉の先。
飛び込んでくる光景は銀か白のどちらかしかないと思っていたと云うに、視界を右から左へ染め上げたのは、夜の帳でも引き摺り下ろしたかのような見事な漆黒。
ルシウスの声に反応したかのよう、其の漆黒に、彼女が持つ細工物の様な絹糸が混じる。

「白夜も吃驚だろうな、これだけの黒に埋め尽くされたら、到底敵わない」

ルシウスの言葉に気付き、は口角を上げて笑みの形を作ると普段の調子でそう言った。
言葉の調子から推測するに、眼の前に繰り広げられている惨状は、が『仕事放棄』の大義名分で起した出来事では無い事が伺える。
一先ず、開いた扉を閉め、ルシウスは眼の前に鎮座する黒い物体をもう一度眺めた。
若しかしたら、魔法で思考回路を書き換えられているのかもしれない。だが、其れは時を経過してから見たところでやはり何も変わる事無く、静かに其処に居た。数えることが億劫になる位、大量に。


「………昔、何かの文献で読んだことがあるのですが」

ルシウスの形の良い柳眉が通常の二割増で不機嫌そうに寄り、呆れの混じったような、低く掠れた声色が響いた。

「文献?何だ、意外とマグルの世界に興味があるのか?」
「いえ、マグル云々の話ではなく、もう少し哲学的な話です。人に強烈な【嫌悪感】を抱かせるには先ず、色から変えていくのが最も効率的だと」

応えながら、ルシウスは数分前の出来事を思い侍らせる。
入室の許可を問うノック音に反応し、聞こえたのは間違いなく凛とした彼女の声。
否応なく上がる心拍数に震える指先と声を抑えつけ、扉を開けたルシウスが其処に広がる光景を目にした瞬間、今までの思考など綺麗に吹き飛ばされて、ただある一つの噂話を思い出していた。


「色は記憶を構築し、意識の最下層に根付いた【色を伴った記憶】を塗り替えることは、並大抵の努力では無理でしょう」
「…それは、中々興味深い話だな」

近寄り難いほど不機嫌な美人は、世間話への相槌風にそう返しながら、手近に置かれたカップに唇を付けた。


人に対する嫌がらせ、最も短期間で効果的な方法は対象を、【何か】を連想させる【色】に染め上げることだ。
感情も思考も何もかも、別の物体が持つ同じ【色】を視界に入れただけで、識閾が制御不可能に為る位にまで継続的に行えば尚話は早い。
そう、例えば、【血】を連想させる【赫】を毎日見せられ、真っ赤な塊が蹲って死を遂げれば、人はその【赫】に対して何らかの恐怖心を抱く。
そうして例えば戦場で、【この赫を流すのが自分だったら】と想像させることが出来れば、あとは手を掛けずとも勝手に人間は壊れていく。
思考回路を操作するなど、簡単なことだ。

既視感、瞬間、甦る何か。
風化した記憶が浮き上がり、鮮明な色を取り戻すように、寫眞よりも確かなカタチ、確かなイロを持って絶対的な未来への予想図など自然と浮びあがる。

そう例えば。
に初めて逢った時に感じた直感を伴った薄紫色は、今もルシウスを貫いている。
「上官が女だったと慨嘆するのはもう少し後にしておけ。私はお前を後悔させない自信があるぞ?」
責めるような口調で告げながらも目が笑っている。
ルシウスの目を真っ直ぐに見据える、強い意思と揺らがない信念を持ったアメジストの瞳。
まるで一目惚れの強さの衝撃。本当に鮮烈だった。今でも薄紫を見ればそう、自然と記憶は甦る。



「どなたからかの、贈り物ですか?」

扉と対峙するように置かれた机の向こう、革張りの椅子に座すの姿があった。
彼女は酷く面白そうに眼の前の光景に見入り、ルシウスが次に何を言い出すのかを一人模索しているようにも見えて。
その華奢な指先は、先ほどから仕事の鬱憤を晴らす意味も籠められているだろう、一羽の折鶴を掴みあげている。


「黒の千代紙だけを使った千羽鶴を送ってくるような奇特な知り合いは居ない」
「嫌がらせにも程がありますね。千羽鶴は死を連想させる【黒】を使用しないで折ることが暗黙の了解事項だそうですが、黒の千代紙だけを使用した千羽鶴とは悪趣味も良いところかと」

二度目の呆れた溜息が零れた後、揶揄る仕草で視線を絡ませれば黒眉が不機嫌に持ち上がった。
ルシウスは脳裏に思い浮かんだままの感想を至極真面目に告げたのだが、彼女は怪訝そうな表情になる。
爪先で玩ばれていた折鶴が、つ、と机の上から地面へ弾き飛ばされた。


「黒の折り鶴なんて、洒落たもんじゃないか。其れに、此れの何処が嫌がらせなんだ?」

魔法省長官、無駄に広い、の自室。
差し迫る様に所狭しと並べられた文献に書類、其の隙間を縫うように散ばる黒の折鶴は文字通り、足の踏み場も無い程に散乱している。千羽鶴、と表現したが、此れでは万羽を超えるだろう。
そんな現状を如何解釈したら嫌がらせではないのですか、と訝しげな視彩がを射抜いて。
その期待通りの反応に気を良くして、は口角を上げて微笑う。

「良く見てみろ、一つひとつが歪だろう?黒鶴を送り付けるだけの嫌がらせならば、魔法で一気に織り上げれば良いものを、態々自分の労力を費やす事も無駄だというに」
「敢えて一つ一つ折ったように見せ掛けた魔法では?」

あぁそんな見かたもあったのか、とは思い出したかの様に応じて、ルシウスの方を見返った。

「だとしたら、尚のこと私は愛されているということだな」

そう、さらりと首肯が返る。

「態々『手作り感』を出すために魔法を掛けるような配慮をくれた、という訳だ。」

そう言って僅かばかり肩を竦めてみせる姿には、お世辞にも他人の憐憫を誘う悲痛さは感じられなかった。
ゆっくりと自室に蔓延る黒の折鶴に遠く薄紫の瞳を流すと、そのまま机の上に静かに腕を組み、小さな相貌を乗せる。

「だが流石の私でも、白夜真っ只中の今日に黒一色で彩られた室内で仕事をする気になど更々なれない」
「一刻も早く、魔法事故惨事部に手配を――――――」

ルシウスが言い掛けた其の瞬間、ルシウスの科白に、悪戯交じりの笑みを含んだ声が被せられる。

「だから敢えて色彩豊かな千代紙の鶴を交えてやろうと思ってな」

にこり、と笑みを添えて。
そこでようやく、薄紫の視線は生真面目な紙面から薄蒼色の瞳に向けられる。何処に隠していたのか、の組んだ腕の下には谷中五重塔夕桜柄で折られた一羽の鶴。
落ち着いた色味の千代紙で綺麗に形作られ、丁寧に尾を折られたそれは掌に乗る程の大きさだった。

「まさか、長官―――――」

全てを諦めた様な冷たい問い掛け。
それをの瞳が見据えて、如何した、と続きを促した。

「本日の職務は既に片付けられ、残りの余暇は全て色を伴った鶴を折る事に費やそう等と考えていらっしゃるのでは」
「本当、優秀な部下を持って私は幸せだよ」

ぐい、と襟元を掴まれ瞬間、目の前が暗くなる。
鼻先に触れる黒髪、すぐ傍の吐息、薄紫色が溶けた菫が、距離を詰めた。
口付けられるのか、とでも云う距離。だがひらりと舞ったのは薄紅引かれた唇ではなく、ともすれば古風とも言える、鮮やかな深紅の紙だった。
突きつける様にして眼前に差し出されれば逡巡無く受け取ってしまうのは、最早魔法省に勤務するルシウスの身に染み付いた癖だといえよう。

「……仕事を片付けられている、というのであれば、咎めはしません。が、生憎私は今しがた出社したばかりで本日の業務を何一つとして片付けていないのです。」

手にした千代紙を机上に置きながら告げれば、流石のも許してはくれるだろう、と鷹を括る。
いつも通りのからかい半分な態度、面白い事には殊更時間を割く上官であれ、仕事が出来ぬ無能な部下など何時までも囲っておく必要は無い。
彼女の「遊び」の前提には必ず、「仕事が出来る」という暗黙の制約条件が付与されるからだ。

「構わないさ、お前が今日する仕事は既に片付いているんだから」
「……………は、?」

が今日の仕事を既に片付けているということは、処理済の仕事が此方へ否応無しに回って来る筈。
だのに自分の仕事が片付いているという事は一体如何云う意味だろう、理解に苦しみ思わず間の抜けた返答しか返せずに居る。

「言葉の通りだ。今日お前は自室に寄ってから私の部屋へ来ただろう?その時に机の上に在った書類は今お前が手にしている数枚だけだった筈だ」
「え、えぇ、仰るとおりですが…」
「昨日片付けた書類は既にコーネリウスの手元に届いているよ。久々に直接渡しに行ったら茶を勧められた」
「――――――長官、」
「あの程度の仕事なんざ、私が本気を出せば30分で終わる」

微笑んだ唇の形はそのまま、少しの崩れも見せはしない。

「常日頃本気を見せて頂けると私としては大変有り難いのですが」

最早、呆れた溜息の一つも零れる余地が無い。代わり、軽口を吐けば。

「冗談だろ、こんな場所で毎日本気を出していたら私はとっくの昔に過労死してるさ」
「…それで、息抜きが必要だ、と仰りたいのですか」
「まぁそんなところだ。一日くらい良いだろう?鶴を折る事に厭きたら、仕事をすれば良い」

其れは寧ろ順序が逆ではないですか、と言い掛け、止めた。
華奢な指先が一枚の紙から織り上げる鶴を見詰め、の真直ぐな眼差しは熱く一羽の鶴へと注がれている。
珍しい菫の虹彩が強く輝いて、いくらかのあいだルシウスの時を止めた。そう、色、は記憶なのだ。


「………では、其の薄紫色の千代紙を頂けますか?」
「なんだ、お前、鶴を折れるのか?」
長官の手先を見て学習しますので、ご安心を。」

悪戯げな光を瞳に宿らせて、は微苦笑し、ルシウスが所望した千代紙を渡してやった。

「本当、お前は優秀な部下だよ、ルシウス。私が厭きない時点で、殊更に、な」

皮肉っぽいような、自嘲してるような、そんな薄い笑み。
こんな大人気ない行動を起こしてる上官に付き合っている時点で、いい加減此方の気持ちに気づいてもいいんじゃないかと責任転嫁の一つもしたくなるが、想う人間は何一つもわかっていないような顔をする。
今もそう、「お前の瞳色と同じ千代紙で折った鶴だから、ルシウスとでも名付けようか」などと言ってのける。
焦がれているのは自分の方だ。
それはわかっているから、心の中でどれだけ自分の行動に悪態をつこうが、結局はに合わせてしまうのだろう。少しでも多くのときを、と職場にあるまじき感情を持ち込んだ、其の上で。

「では、私が折るこの菫色の鶴は『』と名付けますか」

呼びたくて呼べなくて、偶然の産物として出逢って初めて呼んだ名前は、繊細な細工を至極大切に扱うかの様に心に染入った。
勿論、そんな事実にが気付く筈も無く。

「私の名をつけるんだ、どの鶴よりも心してかかれよ?」

軽口に伴って浮かぶ笑みは心水を多分に含み、薄紫の視彩は深く穏やかだ。
御意、と畏まって折った鶴は、佇む蒼い鶴の傍らに寄り添う。
まるでこう在って欲しい、と願うかのように。ずっと、このままで在れたら良いと。


自分が仕える上官は時々(いや、若しかしなくとも出逢ったあの瞬間から何度と無く)可笑しい。
その上官に仕える自分も既に彼女の毒牙に犯され立ち戻りが出来ぬ位置にまで来ているという事を自覚したのは、この時が始まりだったのかもしれない。



――――二羽の鶴は彼女が魔法省を去る其の日まで、かの机に在った。そうして今も、この机に。但し椅子に座るのは彼女ではなく、彼女の意思を継いだ、私が。