たった一つだけ願いが叶うなら、何を願おうか




空に横たわる星屑の集まりが大河の錯覚を作り上げ、想いゆえに裂かれた、純然たる咎人の一年に一度の逢瀬が叶う、七月七日。
一切れの雲もなく頭上に瞬くのは無数の星の光、見事に晴れ渡った空の下、は束の間の休暇時間をルシウスと共に過ごしている。
勿論、個人的な休憩時間等ではなく、簡単な書類三枚程度に視線を走らせながら、だ。

零れ落ちそうな星が連なる河を見上げながら、とルシウスは共に、口許から紫煙を立ち上らせていた。
二人でこの場所へ休憩と云う名の息抜きに来るようになって、もうじき一年が経とうとしている。
共に行動する時間、共に過ごす時間は両者が思うほど多く無った。…尤も、其れも一年前と比較した微々たるものではあるのだが。
休憩時間の為か、果てはまた、と共に居るのがルシウス以外に存在しない為か、厭味なほどに輝く階級章が添えられた上着の合わせは解かれ寛げられていて、一服する表彩は暢気なくらいに脱力している。


「今日は日付が変わる前に帰れると思うか?」

は傾けたケースから白い円筒を取り出し、年季もののlighterを取り出し、掌で囲う様に先端を包み焔を移す。

「あと一時間で三日分の書類を処理する能力が長官に備わっているとしたら、姿を眩ませる貴女を誰も血眼になって探したりはしません」
「間違ってないな」

短く答え、灰先が受け皿に緩く落とされる。

「あぁそういえば、」

そこで、緩く肺に紫煙を落とすと共に、の発した言葉が一旦途切れる。
こっそり窺うように薄紫の瞳だけをスライドさせて、視線を送り。その先ではルシウスが、何処を注視するで無く伏せやるように、薄蒼の視線を宙へと添えていた。

「知ってるか?今日は一年に一度、月を見ながら餅を食べる七夕だ。」
「………其れは『月見』では?私が記憶している『七夕』は、一年に一度短冊に願い事を書いて―――――」

「何だ、知っているじゃないか。マグル嫌いのルシウスは、マグルの風習なんざ記憶の片隅にも無いと思っていたよ」

堪えきれない笑いは押し殺し、くつくつと笑みを零すだけに留め、だがは口の端が緩むのを抑えられそうになかった。
ルシウス・マルフォイと云う男は、誰よりもマグルを嫌悪している癖に、意外とマグルの事に博識だ。
まるでマグルの恋人が一人や二人は居て、情報源は全て彼女達から得ているのではないか、と思うほど。勿論本気で聞けば機嫌を損ねるだけだろうから、敢えて口には出さずに居るが。

「昔、ホグワーツに居た頃に学んだマグル学で無理やりに覚えさせられましてね。」
「あぁ、そう云えばそんな事もあったなぁ、忘れていたよ。」
長官は、七夕に、願掛けたりはしないのですか?」


問いかけに一瞬、は虚を吐かれたように、微かに表情を歪めた。



「―――――ルシウス、若しかして、ロマンチストか?」

返す言葉に詰まり、ルシウスは咄嗟に眉間を顰め、蒼い眼がその皺の寄った麗容な相貌を振り仰いだ。
反するは、微かに睫毛を震わせて、揶揄を滲ませた薄い笑みを揺蕩らせる。

「だってそうだろ?伝承だかなんだか知らないが、空に祭り上げられた哀れな二人が一年に一度逢うと云う日に、何故細小竹の飾り物に願いを込める必要がある?」
「其れは『七夕伝説』を創りあげた方々へ聞いて頂きたい。」

悲劇なのだか喜劇なのだか制限された逢瀬に苦しむ恋人たちの伝承に準えて、他力本願を遊戯に換えて愉しむと云う、過去から受け継がれてきた拙い教義。
他人に叶えて貰わなければ叶わぬ願いなど、初めから持たなければ良い。眼に見る事の出来ないものに縋って何になる?魔法、と云う非現実的な事が普遍であるこの世界に於いて、『本当に眼に見えない』ものにこそ、縋ること事態が間違っている。


「では質問を変えよう。個人的な質問だから厭ならば別に答えなくても良い」

風の流れが変わったかのよう、砕けたモアレのような雰囲気を空気に刻んだ後、霧散しかけた思考の欠片を再度呼び戻すようにが質疑を投げてくる。

「仮に『七夕伝承』が実在し、一生に一度だけ願いを叶えてくれるとしたら、お前は如何する?」

長官も存外にロマンチストじゃないですか、と第一声に吼えてやりたい気になり不機嫌に睨めば揶揄するような視線を向けられるので、苦笑と共にルシウスは応える。

「……そう、ですね…」
「間違えるなよ?ルシウス。私はお前の『一生に一度の願い事』を聞いている訳じゃない、如何するか、を聞いているんだ」

沈黙で肯定すると、もそれきり言葉を閉ざした
一生に一度だけ、たった一つだけ願いが叶うなら、何を願おうか。
七夕も願いが叶うと云う伝承も、更々興味は無く、況して短冊に願掛けるなんて莫迦莫迦しい真似など出来るわけも無いけれど。

茫洋と、見上げた漆黒の夜天には幾多の星が輝き、連なる。
此処は見る者の視界を根こそぎ奪い取る平坦で起伏の無い、草原だ。だが他の場所では、萌緑色の縦縞をした笹が、括り付けられないほどの願いを背負っているのだろう。
軽い願いに重い願い、身の程知らずの願いに在り来りな願い。其の中の一つに数えられるだろう自分の希を願いとして託せるならば、


「―――――自分の持てる全てを駆使しようとも手に入ることの無いものを欲した時、縋るかもしれません」

七夕伝承、決して一日以上の時を過ごす事無く一年に一度の邂逅でしか結ばれぬ、悲劇の二つの星に似せた告白に繋がる言葉ならばいくらでも持っていたけれど、微かな躊躇いが拭えずに言葉を止める。
告げてしまったら、自分自身が困るからではない。拒絶されることも左遷されることも、もう二度と逢えぬかもしれぬリスクを背負うことよりも。
止まらなくなるだろう想いが、何よりも、恐ろしかった。



ルシウスの希、笹に括りつける唯一の願いは文字にされることも無く、胸の奥底に仕舞い込まれる。
誰にも、―――――そう、彼にすら、願いを告げる予定は無い。



「そうか。為らば私と一緒だな。」
長官と?其れは少々意外ですね」
「…………お前はあれか?私は自分の力で叶えられぬ希等無い、神なんぞ実力で引き摺り下ろして遣るような女だとでも思っているのか?」
「いえ、決してそのような…」
「まぁ幸いなことに、未だそんな事態には為っていないから現段階では神とやらに勝ってる訳だな、私は」

は冷然とした色彩を面に湛えていたが、一瞬、苦笑にも似た揺らぎを眼奥に閃かせたかと思うと、薄い微笑を浮かべた。

「だが、基本的に私は他力本願は嫌いだ。だから、望むものは、自力で手に入れる。必ず、だ」

星光で冴えるの容貌には、酷く妖艶な微笑が刻まれていた。不敵な影を宿す艶笑に、違和感すら覚えて肩が震えてそうな予感が走る。
ほんの一瞬だけ、眼の前の上官が今までの自分が既知していた人間とは異なっているような気がし、胸奥を揺さぶられた。

何処か遠くへ、
伸ばした自分の手が届くことの無い彼方へ、
消えてしまうような喪失の予感がしたからだ。


「さし当たって、来週の休日は死守したいな、フランスに良いブティックを見付けたんだ」
「来週の休日は既に魔法省主催の晩餐の予定が入っておりますが。」
「そんなもの、突然の体調不良に決まっているだろう。勿論、お前も共犯者だ、ルシウス」

その不貞不貞しい物言いに一瞬呆気に取られ、不覚にも目を丸くする。
何処までもやはりこの人は、自分の上官であり、自分では決して手に入れられぬ存在なのだと思い知る。
何処までも自分の意標を付いた言動をし、心労も情愛も翻弄させられる、稀有な存在。

思考すれば、続けて沸き上がる苦い笑みへの衝動を抑え切れず、は、と笑いを孕んだ溜息を漏らして、堪えることを止め遂に頬を持ち上げた。
同調するようにくつくつと零される愉しげな声は紫煙と交じって風に攫われ、やがて、短くなった煙草と共に揉み消される。


冷たい風に流される紫煙、弓張り月は朧げに薄らいでゆくのだろう。そう、時は決して止まらない。
共に在れる時間はあと少しだと云うことを、この時は未だ知らなかった。

(知っていれば、気付いていれば――――ただただ貴女が、欲しい、のだと。そう願ったのに。)