貴方の幸せを想う時、私はいつも泣きそうになる。その温かな空気の中に、私の姿が無いからだ (中編)




出張当日。
つまりはの誕生日、案の定家の人間と一波乱あったか、待ち合わせの時刻に二人が顔を揃える事は無かった。
ホグワーツ特急が発車するターミナルでは待ち合わせられなかったものの、キングスクロス駅出発間際、柱時計に眼を遣り結局現地集合かと思った矢先。
布地の柔らかい薄手の碧色に袖を通し、彼女は普段魔法省に勤務している井出達とはまるで異なった空気を纏って現れた。

「良いか、幾ら査察とはいえ、行き先はマグル界だ。其れ相応の格好をして来いよ?」

そう念を押した意図が漸く理解出来た。
変わるのは階級を示すバッチだけで、後は皆同じような格好をしている魔法省内と違い、マグルの服装に身を包んだ彼女は色んな意味で新鮮さを与えた。
…が、しかし。矢張り異なるのは服装だけで、マグルの街並み市街歩くときも魔法省の廊下を歩くときも変わらず、誰も彼もが振り向き、暫し眼と言葉を奪われる。
彼女は酷く目立つ。その容姿も立ち振る舞いも、周囲の人目を惹いて止まない。

勿論、自分も周囲の彼等と同様で、プラットホームで声を掛けられるまで一瞬誰か気付かなかったとは口が裂けても言えない。
暫し惚けるルシウスに気付いたか、ひくりと艶やかな黒髪が風に揺れる。


「待たせて済まなかったな、ルシウス。では、行こうか」


声を掛けられ、駆け込む様にキングスクロス駅を出発する電車に乗ったものの。
怜悧な美貌は崩れる事もなく、だが終始不機嫌を貼り付け「余計な詮索はするな」と表情に貼り付けたた上官は、やはり電車の中で一言も口を開くことは無く。
その風体から、相当嫌味辛みを投げられ家を出てきたのだろう事が伺え、敢えて火に油を注ぐような真似が出来る筈もなく。
交わす言葉無く、ルシウスもも共に、窓から移ろい過ぎて行く景色だけを眺めていた。

そんなの纏う空気が変わったのは、マグル界のとあるプラットホームに降り立ち、旅行にしては少し少ない荷物をホテルへ預けてからのことだ。

「公園に付き合ってくれるか?」
「こ、公園…ですか?」

一瞬強烈な耳鳴りでも起きたかのよう、形の良い眉を顰めたルシウスは、ちらりとに視線を向け問うた。

「あぁ、……退屈かもしれないが、な。」

いつもと変わらない美貌を困惑気味に曇らせ、答えを貰えば、聞き間違いなどではないと判る。
半信半疑で華奢な背を追い駆け、足を向けた街のはずれには、少し開けた広場のような場所があった。
魔法界では考えられぬ程、のどかな田園風景の広がる世界に、ぽつりと取り残された様な感覚に苛まれる。
芽吹いたばかりの青草に覆われたなかには、白く時折何かの花の色が混じっていた。
綺麗に晴れた空に照らされて、周囲に一足早い、夏の匂いがする。
その真ん中で、手持ち無沙汰に立ち尽くすに、ルシウスは遠慮がちに声を掛けた。


「……長官?」

重なるように、「おねぇちゃん」と呼ばう幼い子どもの声に、はたと振り返れば。
と同じ、菫の色をした瞳の女性が、8歳程度の少女と共に立っていた。
漆黒の髪の、可愛らしい子。よりずっと小さな、けれどよりもずっと幸せそうな女の子。
抜けるように蒼い空と同じ色味のワンピースを着た少女は、自分の掛けた声に振り返ったの元へ一目散に駆け寄る。
少女の手を握っていた母親は、その小さな背に微笑を向け、に向けて小さく一つ頭を下げた。

吹き抜ける風は、の髪を揺らしては多くの煩わしさを何処かへと運んでいくように、優しく静かに抜けいく。
は普段魔法省では見せたことも無い様な楽しげな眼差しで、小さな子どもと共に、広場の中ほどにしゃがみこむ。
あの、が。普段ではけして有り得ない事である。
子どもが好きだと云う事実も初耳だが、其れより先に、「見つけたよ!」と弾んだ声に微笑みを返すさまが信じられずに居た。


(……忠誠をはるか超えた思いを寄せる上司が、勝者のような雰囲気を纏い、常に自責か嘲笑か何かで口元を綺麗に歪ませた、あの上司が。)

(そこ等の女同様に微笑む様など想像できようか。出来たらきっと、自分は此処には居まい。)


呆気に取られ茫然自失のルシウスの思考を、文字通り剥ぎ取ってくれたのは、綺麗な唇から低い音で吐き出された短い言葉だった。

「初めまして、Sir。」

何処にでも居そうな井出達のマグル女性だが、やはり隠しきれない良家の気品が漂う。
と似通った貌で軽く微笑む女性に、ルシウスは普段そうするように、右手を胸の上に置き、腰を少し落として礼儀を払った。
例えマグル界に居てマグルの洋装に身を包んでいようとも、彼女は紛れない家の人間なのだ。
――――――本人が望んでいるかいないかは、別として。


「初めまして、私はルシウス・マルフォイ。彼女の―――――」

部下です、と言い掛け、口を噤む。
何がそんなに嬉しいのか、と聞きたくなる微笑みを、女性が浮かべたからだ。
関係など、如何でも良いのかもしれない。ひとたびそう思ってしまえば、僅か蒼瞳に訝しみを浮かべてルシウスは女性を見た。

空天を融かし込んだ双眸は、何処を注視するで無く伏せやるように宙へと添えられ、静かに彼女は喉を震わせる。


「あの子は『一人姉妹の私』の姉の、子どもなんです。次女が3つに為った年に、逢いに来てくれて。
主人にも、『残してきた私の娘です』って紹介しようとしたんですよ?
でもあの子、『母が亡くなってから、叔母様にはいつもお世話になっています』って、そう言ったんです。」

晴れ上がった青い空に、ぽつりと二つの小さな影が、戯れに遊んでいるさまが映り込む。
慈愛を込めた眼差しで、子どもと共に白詰草を摘むの表彩は、暢気なくらいに脱力している。
『幸せ』を手にした自分の母親に再会した時に、『嘘』を吐いた彼女の心境は如何だったのだろう。

考えて、彼はそっと瞳を細める。

「何度も何度も、真実を打ち明けようとしたんですが、寸での処で言えなくて。
全てを話してしまったらあの子、もう二度と私達のところへは来てくれない様な気がして。
年に一回、其れも一回しか巡って来ない自分の誕生日に――――」

最後まで言い終える事無く、彼女は言葉の先を濁した。言わずともルシウスにも伝わる。
彼女には欲しいものがあった。そして手に入れたそれを、如何しても守りたかった。
何処にでもあるような、有触れている故に「幸せ」だとすら気付かない、小さな幸福。
ありきたりの家庭、穏やかな日常。だが彼女は、の家に嫁いだ其の日から一度も、手にすることは無かった。
そう、一度も。


「一つだけ、忠告させて貰って構わないかしら?」
「忠告、ですか?」

問うルシウスの真意を探る仕草で、暫し微動せず下方へと留まっていた菫色はやがて、はっきりと通る声音で告げる。

「ずっとあの子と一緒に居たいなら、あの子に【貴方と一緒にいたい】と気付かせないことよ。
あの子が自分の意思に気付いてしまったら、きっと離れていく。
12年前―――――私から、離れていったように」

蒼彩が大きく瞬いた。
詞を失くしたルシウスに、女性は綺麗な笑みを浮かべ。
これから話す事はここだけの話にして欲しいんだけれどね、と声音を落として綴ったのだった。

「本当は、あの子を連れて逃げるつもりだったのよ。」
「………の人間に邪魔されてしまったのですか?」
「いいえ。今の夫と一緒に居る所を、あの子に見られてしまったの。が、私を逃がしたのよ」

其れは普段の配下に下るルシウスだからこそ知る、上官の性格だった。行き着いた自らの答えに苦笑が漏れる。
統率者でありながら、上官は何時だって懐に抱え込んだ者達の為に自らの手を汚すこと、自らを犠牲にしその身を削ることを厭わない。
自分の下した決断の果てに、自分の幸せを如何程打ち棄てていようとも、構わぬと行動する姿勢は想像に難くないことだった。

最高にお人よしなんですよね、と女性は苦笑を深める。
ルシウスは素直に頷き、再びと子どもの居た場所を見遣れば、頭に花冠を乗せたが此方へ歩いてくるさまが映り込む。
小さな子どもと手を繋ぎながら、端麗な唇が光を纏わせながらゆるく弧を描いた。

「如何だルシウス、似合うか?少しは女らしくも見えるか?」
「…………。長官、」
「あぁ、お前も欲しいってことか!其れならそうと、早く言え」

がその長い足で若草を踏みつけたかと思えば、右腕が伸びてきてルシウスの肩口を掴み、無言のままに「屈め」と命令を下す。
強制的に、との距離が一気に詰まり、次の瞬間にはルシウスの頭には場違いな代物が鎮座していた。
そうして、無言のまま差し出されたのは。

「………なんですか、これは?」
「四葉のクローバー。知らないのか?持っていると幸せに為れるそうだ。お前は私よりも幸が薄そうだからな」

鳴く鳥の声や子どもの喧騒に滲んで消えてしまいそうな声だけれど、その声はルシウスの心に低く染みるように響く。
大丈夫だ、私も貰ったから、と苦笑したは手にしたクローバーをルシウスの胸ポケットに忍ばせ、いつも魔法省で見せるように不敵に笑んでみせる。

いつだって何かを壊すように、いつだって何かを願うように、彼女は嫣然と微笑む。



離れたくないと駄々を捏ねる少女の頭に、ルシウスの頭に乗せた冠を被せてやって、は少女の頭を撫ぜた。
の指に触れる、滑らかな黒糸。湧き出た愛おしさからだろうゆっくりと撫でていた。
もう片方の手は、と同じように四葉のクローバーを携えた少女の手の上に添えた。少しだけ握り締めて。


「白詰草の花言葉はな、『約束』なんだ。また、来年な」

薄く開かれた唇から零れるの音。
うん、と返事をして手を振る少女から離れると、私達も行こうか、がこちらを見た。
木漏れ日に散る菫色はこうも美しいのかと思い見とれると、その瞳が僅かに揺れる。

「大人の都合で約束を破るのは……辛いことだよな、ルシウス。出来ない約束なら、初めからしない方が未だマシだ」

呟いた言葉の真意を、本当に理解できたのは、其れから一年後。
その頃はまだ、と本当に離れる日が来るとは想像もしていなかった。
貴女をどんなに美しいと愛でようと、愛しいと囁こうと、傍に欲しいと願おうと叶わない事は知っていた。

だからせめて、部下として上官を護ろうと。
そんな唯一の願いすらも聞き入れられないと知ったのは、其れから一年後。