「こんな単純なことでシアワセ護れるなら、こんな簡単な事は無いでしょう?」

漸く芽吹いた花が綻びを見せるように穏やかに微笑みながら、空に透る声で咽喉を僅かに震わせ言った。
焼け爛れる様な橙が地平線の果てまで広がって砕け散った様な空虚な空間に取り残されたように、リドルとは紅い夕陽を背に、二人きりでホグワーツ中庭で そんな話をしていた。

今思い返せば、僕が人並み程度の幸せを望んだのは、この瞬間が初めてでは無かっただろうか。


(幸せとか不幸せとか、其れを望まないことが幸せにな る近道だと、酔狂のようにそう思っていたあの頃)








溜息交じりの春








「ねぇ、トム。貴方最近スリザリン二年生のお子様にお熱なんですって?」

艶めいた声が発せられたのは真っ赤に熟れたトマト色した口唇。緩やかな波間を描く金色の長い髪を背に垂らし、四冊もの教科書を両手に抱え、ご丁寧に腰を屈 めて耳元で囁いてくれた。
見渡さずとも理解出来る、僕等を見る女子生徒の眼差しは嫉視を含んだものへと変わり、男子生徒は日常茶飯事の事だと相手にもせずに視線すら寄越さない。

「……ジャクリーン、此処は魔法薬学研究室だよ?
幾ら教授が居ないからと言って、こんな場所で誤解される様な行動は慎んだ方が得策だと思うけど。」

書き纏めていた羊皮紙から羽ペンを掠める様に隣へ置いたインク壷へ突っ込み、在り来たりな言葉の数々で下りの途中しか埋められていない羊皮紙を乱雑に左手 で拉げると、明らかに不機嫌を顔に貼り付けて席を立つ。
最近は感情のコントロールが以前よりも器用に出来る様に為って来た。
と知り合い言葉と時間を費やす度に、彼女たちと過ごす時間が、無為に余白を埋める為だけに言葉を羅列する羊皮紙への態度と似通ってきた気さえする。

「あら、否定も肯定も為さらないの?」

髪と同じ琥珀の瞳が驚いた様に僅かに見開いて、静かに細びく。敵に素性を探られている様な心地の悪い眼差しに罵声を浴びそうな口を嗜める為、静かに席を立 つ。
其れでも彼女は、聞こえない音楽に耳を澄ますような表情で、こちらの挙動の全てに神経を張らせている。答を期待している事が一目瞭然。

「しないよ。君にとって"お熱"に見えるならそうだろうし、違うのなら違うんだろうから。」

当たり障りの無い言葉を選別し、去り際の餞別とばかりに告げて遣れば琥珀の瞳が憎悪に歪んだ。

「あの子の何が、トムをそこまでさせるのかしら?」
「…………ジャクリーン、君が僕に何を期待しているのかは知らない、でも一つだけ言える。
僕が欲しいものを君が持っていない訳じゃない、彼女が持っている訳でも無い。
僕は、欲しいと思ったときに其れを持っている人を、欲するだけなんだ。」

要するに誰でも良いってこと?最低ね、トム・マールヴォロ・リドル。


去り際、中傷を含んだ言葉を振り掛けられながら、琥珀に薄い水膜張りながらも無理矢理口付けてきたジャクリーンの瞳を睨み上げてから、周囲100m四方に 忘却魔法を施して魔法薬学研究室を後にする。
別段、ジャクリーンと口付けた侭の記憶を埋め込んでおいても然程問題は無い。
が以前揶揄していたように、トム・マールヴォロ・リドルの浮名は其れこそ噂が一人歩きしている以上に濃厚で醜行なのだろう。


(僕はもう、"誰でも良く"は無くなっちゃんたんだろうな)


脳裏には唯独りを侍らせながら、先程受けた屈辱とも侮辱とも取れる行為への憤慨気分治まらず罵詈を零しそうな口を紡いで廊下を歩けば、周囲の女達が"声を 掛けようと試みて諦める"空気がダイレクトに伝わってきた。
賢明だ。一触即発に近い今の僕に軽々しく声を掛けて来る様な命知らず、居る事が可笑しい。何時も耐えぬ柔らかな笑みを貼り付けている筈のスリザリン監督生 が、鬼の様な形相で闊歩していれば、誰でも煩雑の胸中に居るのだろう事位は予想が付く筈だ。余程の大馬鹿者では無い限りは。

黒い髪、紅蓮の両眼。今は抑えられそうにない、行き場失くしたこの苛立ちの所為で視線に、また鋭さが増す。

こんな事態に為るならば、講義終了と共に図書館へでも行けば良かった。はぁ、と短く溜めた息を吐き出す。


--------------------溜息吐くと、しあわせ、逃げるってしらないの?」

聞き慣れた、出来れば今直ぐにでも聞きたかった、冴えた響きが真横から聞こえた。

「駄目だよ、幸せ逃がしたら。トムは唯でさえも幸薄そうなんだから。」


しん、と切れるような静寂に包まれた橙の夕陽が作り出した陰影の中で、何時もの変わらぬ幼い笑顔を貼り付けたが中庭に待ち惚けみたいに立ち尽くしてい た。
怒りに身を任せて只管に歩いていた所為だろうか、周囲をぐるりと一瞥すれば、校舎裏手の人気余り無い中庭まで出て来てしまっていた事に漸く気が付いた。

否、問題は中庭に来てしまって居た事では無い。
今時子どもでも言い出しはしないだろう、有り触れた逸話を神話だと偽善者が語る様な言葉を吐き出したに、僕は眉根を寄せた。


「………若しかして、熱、あるの?
--------っ!36.0℃、何時もと変わらぬ平熱、とっても正気です!!」
「そう、其れは良かった。じゃあ僕は君の正気だけを疑えば良いんだね。」


爽やかな夏の青空を彷彿とさせる笑顔を作り上げて殊更優しげに言えば、目の前の少女は小さな白皙の顔を真っ赤に膨らませた。

「酷い、幾らなんでも酷すぎる。トムは慈悲とか自愛とか心遣りとか、全部纏めて薄い幸を埋める為に使ったんだ。」
「…あのねぇ、。溜息一つ程度で人の人間の幸不幸が決まって良い訳無いでしょう?」
「でも、こんな単純なことでシアワセ護れるなら、こんな簡単な事は無いでしょう?」

橙に焼けた空の下、僅か俯きながら怒を含んだ声色で言ってのけ、表情を悟られぬ為隠すよう、顔を俯けたは胸中何を想っているのだろうか。
他の女性に言われた科白なら、問答無用で、

----------じゃあ、今棄てた幸せの分、君が埋めてくれる?

そんな有り触れた甘い睦言でも言って遣るのだろうが、そんな言葉をに投げようものなら逆効果。
灯に油を注ぐどころか、水を浸したバケツの上に滝を一つ落して遣るようなものだろう。

「兎に角、私はトムにも幸せで居て欲しいから、溜息厳禁!」

ビシィっと人差し指をリドルに向かって付き立てる様に指し伸ばして明示的に宣言するの様子を見詰めていれば、心で沸点を超えていた憤然とした感情は、 潮のように引いていく。
如何して何時も君はそうやって、僕の傷に塗れた心を柔らかく包み込む空気みたいにあったかい言葉で僕を癒してくれるんだろう。

「じゃあ、も厳禁。僕もがシアワセ、で居て欲しいからね。」

ゆっくりと笑みを浮かべて言ってやる。告げた言葉は紛れない本心からだった。
君が幸せであるように、君が幸せでいられるように。幸せなんて渇望しなかった僕の、其れが唯一のシアワセだろうから。

「私は幸せだよ、トム」

何時も無邪気な子どもの様に微笑うが、鮮やかな夕焼けに照らされながら酷く綺麗に微笑んだ。
濃く長い睫落された切れ長の菫色の両眼が、すぐ傍に。腕を僅か伸ばせば、頬にだって触れられるだろう、そんな距離を保った侭、夕陽を背に中庭で二人立ち尽 くした。

今此処で手を伸ばし君に触れれば、多くを望んでしまいそうで、怖くなる。だから今は未だ、この距離を保ったままで。






























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(C) 2002-6 The fanfictions are written by Saika Kijyo. update 2006/6/3