Basic interval 後編






「 …私、夢見てる訳じゃない…よね? 」








胸の内を吐き出した様な溜息と共に口を吐いて出た言葉は、夢現の世界に突然投げ込まれた の叫びとも言えた。
独りきりの個室の中、真っ白い大理石に囲まれながら何時の時も心休まるのは如何してトイレなのだろうと考えながら、用事も無いのに其の空間に居る。
幾らトイレの個室とは言え、流石は大物揃いの舞踏会の会場、世間一般の建物にあるトイレが一つの個室になって居る様に広い。
其れだけでなく、其々の個室内にはご丁寧にもメイクを直せる鏡台やドライヤー、コットンと言った類が普通に置かれている。
コレでは用事が無くても個室に入るヒトは多いのではないのだろうかと場違いな考えを起こしながら、 は鏡台の前のアンティーク調の椅子に腰を落した。
磨かれた銀細工枠の硝子鏡に映し出されるのは、淡い水色のドレスを身に纏った自分。
生きている内、この様な場所に足を踏み入れることは無いと夢にすらも描かなかったのに、実際自分は此処に居る。
其れも、かの有名なマルフォイ家子息のエスコートにより、友人としてでなく一夜限りの恋人として。








「 …一夜でも…恋人になれたんだ、あのヒトと… 」








脳裏に浮かぶのは蒼青の深い瞳と銀糸を携えた長身美麗のマルフォイ家子息、ルシウス。
ふとした出逢いから生まれた今自分の置かれた立場、例え其れが仮初だったとしても夢を見る位自由では無いだろうか。
頬杖を付いて鏡をじっと見詰める自分を、唯の有り触れた一般教師にしか過ぎない自分を、会場の女性達は羨みの対象として見ていた。
文字通り刺さる様な視線とはこの事で、高貴な出身を髣髴とさせる小奇麗に着飾った女性達も各々男性と連れ立って来てはいるものの、自然と目線はルシウスに 注がれる。
視線を下げる様に を見て、一瞬愕いた様な色を見せて直ぐその瞳を嫉妬と嫉みに変える。
声等聞こえなくても【如何してあの子なの?】と言う心の声が聞えてきそうで居た堪れない。
けれども傍では何時も気遣う様にルシウスが腰に腕を回して、誰かと話す際も必ず を連れ立って行った。
ルシウスの恋人になる女性は、此れが日常茶飯事なのかと思えば少し同情してしまうが、其れでも得られる代価は物凄く大きい。
傍で香りに包まれ、蒼青の瞳に映し込まれるだけで、自分を含めたどれだけ多くの女性が心を奪われる事か痛い程知ってしまったから。








「 彼女…、居るかな? 」








吐いて出た自然な言葉に何を血迷った事を口走ってしまったのだろうかと慌てて両手で口を塞ぐ。
これ以上余計な事を考えて、口に出して仕舞わない様に。
其れよりも大分長い間トイレに籠ってしまい、階下に居るであろうルシウスに心配を掛けてしまうと、華の彫刻の彫られたノブに手を掛けた刹那、誰かがトイレ に入って来る。
気にも留めずに早く出ようとした矢先、二人組みであろう其の女性達は個室の前の鏡台で化粧直しがてらに雑談を始めてしまう。
聞き耳を立てるつもりは無かったのだけれど、偶然聞いてしまった其の会話内容に、トイレから出る事を許されない環境下に置かれた。








【 ルシウス様は如何云うおつもりなのかしら?あんな小娘を連れてくるなんて…! 】

【 そうよ、大体最初は私がパートナーに誘われたのよ?其れを急にキャンセルされた挙句、あんな女に!! 】

【 所詮田舎貴族の娘でしょう?ルシウス様が本気になる筈なんて無いわよ。 】

【 一時の戯れかしらね、本当。 早く戻ってルシウス様との約束を取り付けましょう? 】








凛とした鈴の音から紡がれたのは、紛れ無い への罵倒台詞。
当の本人達は個室に が居る等とは思っても居ないのだろう、言いたいだけ言っては化粧直しが済んだのかそそくさと個室を後にする。
聞いた事も無い声、勿論一枚扉を挟んだ向こう側に居る故に顔も表情も見えない。
張り詰めた糸がプツリと音を立てて切れる音を片隅で聞いた。
泣きそうに為るのは罵声を喰らった所為だろうか、其れともこれからルシウスとの次の約束を取り付けると宣戦布告されたからであろうか。
どちらにせよ、 が会場に足を運んで以来瞳に入れてきた女性達は皆自分よりも年齢が少し上で、気品高く高貴な家の出身を髣髴とさせていた。
拍車を掛ける様、衣装に見合っただけの美しい容姿を兼ね備えた女性達ばかりで、会場内では確実に自分が一番格下。
幾ら化粧と衣装で誤魔化してみた所で、根底に根付くモノを変えると言う事は二三日で出来る話では到底無い。
初めから、自分は場違いだったと知っていた。一生掛かっても来る事等許される処か夢にすら見てはいけないのだと気付いていた筈なのに、何時の間にか忘れて しまっていた。








「 やだ、如何しよう…止まらない… 」








ガクリと膝が落ちて流れ落ちたのは紛れ無い涙。
留まる事を知らない其れは、喫水線を遥か遠くに見下ろして許容範囲を大幅に超えて を襲った。
涙が流れるのは自分が罵倒されたからでもなければ、惨めな気持ちに為ったからでもない。
他人から如何云う視線で見られようが、 が過ごしてきたこの数時間は生きている内で最高と称せるほど素晴らしいモノだったのだから。
其れをあんな言葉一つで全て無に返してしまう程、脆く無い自信がある。
涙腺から絶え間無く毀れ落ちる涙の真意、其れは紛れも無くルシウスに対してのモノ。
彼を傷つけてしまった。
自分の所為で彼の輝かしいまでの経歴と、ヒトを見る眼を汚してしまった。
自分と出逢いさえしなければ、彼はきっと先ほどの女性とこの会場に足を運んで、経歴や自尊心に傷を付ける事など無かっただろうに。
昨日と今日の出来事は己の胸の内にだけひっそりと残して、この会場にいる全ての人間の記憶を摩り替えたいと本気で思う。
あの出逢いは間違いだったのだと…そう言い聞かせる様に、崩れそうな涙を堪えてトイレから一歩足を踏み出した。
もう、此処には居られない。








「 済みません、ルシウス・マルフォイに伝言を頼めますか?
 具合が悪くなったので、先に帰ると… 」








とても会場までは辿り着けない、万が一行けたとして、こんな顔をルシウスに見せる訳には行かなかった。
丁度良くトレーにワイングラスを乗せたボーイが の眼下を通り過ぎようとした際に、呼び止め託を頼む。
誘われた側だと言うに、衣装まで用意して貰った身だと言うに、勝手に帰る等とは何と不躾な人間だと思われるだろう。
嫌われるかもしれない、けれど其れでも構わないと は言葉を口にする決意を決めて。
そうでもしなければ、忘れられない気がした。優しいルシウスの傍でこれ以上甘えて錯覚する事等許される筈が無い。
所詮は一日限りの恋人、少しばかり早くその別れが来ただけだと思えば幾分か心の負担も少なくて済む。
今この間、ルシウス瞳を見なければ、妖艶甘美な響きで名を紡がれなければ耐えられると、そう思う。








「 … 、如何した。 」








現実は時に酷く残酷で。
言葉の途中、後ろから今一番聞いては為らない声が確かに耳奥の鼓膜を掠めて、響いた。
振り向かなくても、判る。
目の前のボーイの更に後ろ、名も知らぬ女性の恍惚とした表情が厭でも飛び込んで来ているのだから、其処に誰が居るのか位知っている。
柔らかく薫ってくる其れ、端正な顔立ち、重低音の甘い声。
何でも無いと笑顔で振り向ける程、心が回復しては居ない。
今振り向いて瞳を克ち合せれば涙腺から醜く毀れた涙を見せる事になり、今以上の迷惑を掛けてしまう。
だから、こうするしかなかった。








「 …ごめんなさいっ… 」








視線を合わせず、眼下に引かれた深紅の絨毯だけを見詰めて聞えるか否かの微かな声で最後の言葉を告げた。
後は脇を擦り抜けて、玄関を抜けて門をくぐれば全てが終る。
長い丈のドレスを身に纏っているとは言え、此れでも嘗ては陸上競技が大得意だったと云う実績が有る。
僅かな距離しか無いこの状況、走り抜けることは容易いと踵を返して一歩足を踏み出せば、ガクリと其の場に張付けられた様な衝撃を受ける。
見れば、左腕をしっかりとルシウスの手が掴んでいた。
自然と見上げた頭の上、蒼の鋭い両眼、踏み込んでは為らない禁忌に触れた様な憤慨の視線と克ち合えば自信は脆くも崩れ去った。
振り切って走り抜けることは出来ない。
其処までするだけの勇気と根性が有るのなら、視線を合わせた瞬間に逃げ出しているのだから。
其れより今は、如何やってこの醜い涙を止め様かと画策を練る事の方が先決。
止まる事等無いと知りながら、薄蒼の瞳が湛えた涙に滲んだ。








「 上の部屋を借りる。 」








引き伸ばされた長い腕、有無を言わさぬ様に引き寄せられて一瞬で軽々抱き上げられる。
何時の間にか円を描く様に女性陣に取り囲まれたこの状況、面倒そうに一瞥したルシウスは其の侭 を抱えて階段を上り出した。
ガヤガヤと騒ぐギャラリーも居れば、何やら嫉妬嫉みの言葉を投げる者まで様々。
いっそ其の言葉の全てが 独りに注がれてはくれぬかと祈ってみたところで、叶う筈も無い。
ルシウスの顔に一度ならずとも二度までも泥を塗ったのは自分なのだから。
逃げ様と卑怯な事さえ考えなければ、自分があと数時間耐え忍べば無事に円満解決したかもしれない。
そう思えば思うほど、如何に愚かなのかと溜息を吐きたく為る。
二人きりの部屋、告げられる言葉がどれ程残酷なものであろうと受け入れる決意をしなければならないと、ルシウスの指がドアノブに掛かる瞬間に思う。








時計は直に、12時を告げようとしていた。
シンデレラは、12時の鐘の音を聞いたら現実に戻らなければ為らない。
遠く昔に聞き慣れた昔話の其の一文だけは、自分に合っていると思いながら は時計の針を見詰めながら、せめてこの感情が恋に為らぬ様にと、 は唯心に言い聞かせた。













to be continued






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