Basic interval 前編






「 きゃぁぁぁぁっ… 」








本当に疲れていた。
連日の徹夜が続き、疲労感と共に訪れる体調不良が一気に身体中を支配して、脳内から疲労物質が絶え間なく溢れ続ける。
寝る間も惜しみ、一世一代の賭けでもある今日この日を迎える為に、私は自分の時間も何もかも投げ出して。
ダームストラング校の教師…とは言え、未だ新人教師であるこの身で、学会からの推薦を受けての発表など身に余る栄誉であると同時に莫大なプレッシャーをこ の背に負う。
校長からの直々の申し出から実現した今回の学会発表のテーマは酷く難しいもので、自分の専門分野と言えど一から分厚い辞書をひっくり返さなければ成らない 程で。
約一ヶ月掛けて書き溜めて纏め上げた論文を持参して、これから魔法省に提出に行こうとしたその矢先。
疲労で視力が低下していたのか…眼下にぽっかりと開いた隙間に気付くことが無く、論文に眼を通しながら歩いていた為に綺麗に其処に片足を引っ掛けてしまっ ていた。
最悪な事に、連日の雨で床が泥濘んで水分を含んだ土が泥と化して其処に溜まっている。
真っ白なワンピースを着た私は…見事に其れを汚してしまっていた。








「 どうしてこうなるのよ…!! あぁ…如何しよう… 」








論文は胸に抱えていたから汚さなかったモノの、泥が綺麗に真っ白なワンピースを汚し、薄い繊維で作られたその隙間を縫って這う様に侵食し始める。
見事と言える位に派手に躓いてしまった為に、撥ねた泥自体も様々な場所に飛び散りローブも持参していない為に隠す事が不可能。
有名校の教師とは言え、新人である時点でそう給料も高くは無く、この日の為に卸したそのワンピースと同等の物をもう一着買う余裕なんて無い。
それどころか、必要最小限の所持金しか持参していない時点で、この場で服を調達する事は難しい。
魔法で何とかしようにも、肝心の杖は荷物と一緒に先に魔法省に届いている。
…厄日だと言うのだろうか、今日は。
がくりと肩を落とし、打つ向き気味にこれから如何しようと思考していた矢先、突風が身体を揺らし手元から論文の入った封筒を巻き上げた。
気付いた時には数メートル飛ばされ、慌てて行方を追えば、自分よりも先に封筒を掴みあげた男性が居た。








「 … …? 」




「 すみません!!その封筒、私が落としたものです。
 拾って下さって有難うございました。 」








封筒を持ち上げた男性に、封筒に明記された自分の名が紡がれる。
酷く綺麗な発音の透明な声に思わず思考が止まる。
今まで聞いた事の無いような綺麗な声で有ると同時に、見上げたその蒼い瞳に整った顔立ちが酷く美麗で息を呑む。
言葉だけは紡がなくてはいけないと、お礼の言葉を述べるも、見るからに高貴な貴族の出身であると理解出来る故上手く言葉が出てこない。
それでも漸く出た言葉を吐き出せば、眼下の男性は封筒と私ゆっくりと見比べた。
そうして手にした封筒を私に差し出し、蒼瞳が一瞥し、二言目の言葉を紡いだ。








「 …服はどうした? 」



「 あ…、考え事をしていたら見事に泥を撥ねてしまって…
 時間も押しているのに如何しようかと考えていたら、封筒が飛んでしまい… 」








差し出された封筒を受け取ると、そう返した。
聞かれても居ないと言うに、何故か自分で自分の弁明をしていた。
自分で言いながらも、その間でさえ如何したらいいのかと考えていると言う笑えない事態。
それどころか差し迫る開催時刻は刻一刻とその時を紡いでいる。
早々に礼を言い、この場を立ち去ろうとした刹那、バサリと頭から何かを掛けられる。
そして鼻から喉奥に通り抜ける高貴な華の様な薫りに心が高鳴る。
何事かと頭から掛けられた物を手に置けば、それは紳士が肩から羽織っていた秋物のショートローブ。
ぐるりと廻る思考回路の低迷に追いつけていない状況で紳士を見上げれば、冷蒼の瞳が僅かに揺らめく。








「 着て行け。
 …時間が無いのだろう?早く行きなさい 」



「 で、ですが…こんな… 」








こんな上等な物を貸して頂く訳には行きません、と言おうとすれば紳士はすぐさまに踵を返して の元から立ち去った。
その後姿を見つめながら、 は丁寧に一礼をするとそのままショートローブに袖を通す。
紳士の身長は の優に20cmは高いであろうと思われたが、ショートローブだけ有って、 が切れば丁度良くその背丈には普通のローブに変わる。
服装に文句を付けぬ…寧ろこの様な上質なローブを身に纏っての学会発表等自分はどれだけツイて居るのだろうかと神に感謝すらする。
突然出逢った美麗な紳士に、もう一度何処かで出会えるのだろうかと思いながら は魔法省へ急いだ。








息を切らせて魔法省に到着する頃には、学会は既に始まっており、大勢の魔法省役員や角界の有名著名人が一同に介していた。
高鳴る胸を抑えながら、それでも紳士に出会ったときの胸の高鳴りよりは幾分か低い高鳴りである事を実感しながら は教鞭を取る。
自分同様に論文を発表する人の服装を見ても、自分が借りたローブに勝るものは無い様に感じられる。
それどころか、”何処の家柄のお嬢様かしら?”との声すら耳に付くほど。
実際問題、 の出身は純血一族ではあるが指して権力も地位も高くは無い一族。
故に、この様な場に自分が招待される等というのは一族始まって以来の大快挙。
静まり返った大講堂に、論文を発表する自分の声だけが響き渡る。
解ける事の無い緊張感は論文を発表し、一礼をして拍手喝さいを貰った時ですらも の身体を支配している。
引き攣った笑みだけは見せては成らないと心を引き締め直した瞬間、 の瞳に冷蒼の瞳が飛び込んで来た。








…とんでもない人物にローブを借りてしまった…


は其の時初めて己の犯した行動を後悔する。
席に戻り役員一覧の席から先程の紳士を探し出した時、唯1つの名前に行き着いた。
Lusius Malfoy.
言わずと知れた魔法省高官で有り、魔法界ではその絶対的権力と地位を持つマルフォイ家の子息。
片田舎の貴族出身である でさえ、彼の噂は其の耳に痛いほど良く入り、ダームストラング校の同期や先輩女教諭ですらもその噂の的になっている。
自分とは地位が掛け離れているどころか、出逢う機会すら無い物だと考えていた にとって、心に圧し掛かった重圧は今回の論文発表の重圧よりも更に重いものと化した。
目の前が真っ暗になる様な錯覚を覚えた。








「 失礼、Lady.
 お急ぎでなければ少し私に時間を 」








堅苦しい学会は二時間程度で終了し、魔法省の役員や角界の有名著名人達が席を外してから、 たち発表生も会場を後にした。
どの様にしてこのローブを返そうかと思案しながら、魔法省脇のテラスで珈琲を喉に落としていた に上から声が降って来る。
その声に激しく聞き覚えのある は、脳裏に過る”Lusius Malfoy”の単語に心が動揺を隠し切れない。
口から噴出してしまいそうな珈琲を何とか堪え喉奥に無理やり注ぎ込む。
他の女性から歓喜と羨みの眼差しで見つめられた はその場に居る事自体に息苦しさを感じながらもルシウスに笑顔を返す。
するとルシウスはその笑顔を肯定と受け取ったのか、 を連れ立ってテラスを出た。
昼過ぎと言うに、肩を通り抜けるその風は酷く冷たかった。








「 お貸し頂いたローブ、有難うございました。
 お陰で恥をかかずに済みました 」



「 その格好では家まで帰れまい。
 ローブは持って帰って構わない 」



「 ですが、この様な高価な物を無償で頂く訳には… 」








風に靡く銀糸が、太陽の力を借りて更に輝きを放つ。
それはルシウスの美麗さをより一層際立たせながら、厭味に成らない程度にその背に靡く。
客観的に見てもさらりと指の隙間を縫う様に流れるであろうその美しい髪に見とれながら、 は小さな溜息を吐きそうになった。
出逢ったばかりの紳士−しかも、かの有名なLusius Malfoyに上等なローブを頂いた等と言えば、家に帰った瞬間に勘当されるかも知れないと。
其れ程、 家とマルフォイ家とでは権力も地位も財政も血筋にも差がある。
如何すれば良いのだろうと、本日何度目になるか判らない程の様々な考え事が脳裏を支配する。
しかし、その思考はルシウスの意外な一言によって抹消される事になる。








「 Lady、不躾であるが1つ質問しても? 」



「 …何でしょうか? 」



「 今年で幾つになる? 」



「 …今年で19になりましたが…それが何か…? 」








初対面の男性に年齢を聞かれる事になど慣れ切っていた にとって、ルシウスが気にするほどそれは厭な物でもなんでもない。
寧ろ、突然年齢を聞かれたその意図が全く掴めていない為に、首を傾げるしかない。
19という言葉に少しばかり失楽したような表情を見せたルシウスは、そのまま薄蒼の瞳に を映し出した。
急に瞳を真っ直ぐに見つめられ何事かと身を引き掛けた
その仕草を、ルシウスは喉奥で低く哂う。








「 私から物を無償で貰うのは納得が行かない、とそう言ったのは誠か? 」



「 はい、今日初めてお会いした方に是ほどの上物のローブを頂く訳には… 」



「 では、交換条件というのは如何だ? 」



「 …交換…条件…? 」


「 私はローブを貸すことで君を助けた。
 ならば、君が一度私を助ければ問題は無い 」








そんな事は無茶苦茶だ。
そう喉奥から言葉が吐いて出そうに成るも、 が今までルシウスに述べてきた事を総称して考えれば決して間違ってはいない。
それどころか、真っ直ぐに自分を淡蒼の瞳に映し出して低い透明な声でそう紡がれれば否定の声は凍り付く。
感情を表に決して出さず、冷たい言葉に冷徹な瞳で魅入られていると言うに、それが不快に映らない。
これが世の女性達の心を掻っ攫うルシウス・マルフォイなのだと は心から納得した。
冷たい瞳で見下ろされても、その瞳の中に一瞬でも己が映りこむことが出来るのならば幸せだと。
不覚ながらもそう考えてしまった の心はこの時既に、ルシウスを映し出していたと気付く事も無く。








「 因みに、何をすれば宜しいのでしょうか…? 」



「 明日一日、私の恋人の振りをして或る道楽遊戯に付き合ってくれれば良い。
 大した事は無い社交的なPartyだ 」



「 …ですが、sir…私よりもsirに相応しい女性がいらっしゃるのでは? 」



「 ルシウスだ。
 私は君に頼んでいるのだよ…Lady 。 」








甘い囁きとは程遠いようなその冷たい言葉に、 は完全に引き込まれていた。
ルシウスの唇から紡がれるだけで、己の有り触れた名が酷く高貴なものに生まれ変わった気さえする。
無駄に高鳴る胸を抑え付け、理性を保つのが必死。
未だに夢かと思う位に今日一日の出来事は偶然と奇跡が折り重なり合った様。
状況さえ上手く飲み込めては居ない中途半端な学力しか持ち合わせて居ない ではあるが、本能的にこれだけは察する事が出来る。
−偶然でも奇跡でも…このチャンスを逃しては、いけない。








「 …私で良ければ、一日お付き合いさせて頂きます。 」



「 敬語は必要無い。仮にも恋人として行って貰うのだからな。
 では …家まで送ろう 」








高貴な薫りに包まれながら、未だ夢と現実の境界線に立ち尽くすような錯覚に襲われる。
それでも、さり気無く肩に回された腕が を現実へと導いた。
全ての始まりはほんの小さな偶然。
そして、其処から大きな物語が始まりを告げる。








to be continued







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