ぜ ん ぶ 、 つ な が っ た as Lucius Malfoy

私が生まれる前から魔法を駆使しても治る事の無い持病を抱えていた母は、妹が生まれて直ぐに病状が悪化し、神に呼び覚まされた様に他界した。忘れもしない、私が、10歳の時だ。
母が亡くなり、若干10歳だった私や生まれたばかりの妹や兄が『母親を失う』と云う孤独に苛まれ、父に偏愛されて生きてきたかと言えば、強ちそうでもない。

病に冒され伏せりがちだった母の傍には何時も父が居て、母の親友でもあり、父の親友・ルシウス・マルフォイの正妻でもあるナルシッサ・マルフォイが居た。
元々マルフォイ家と家は、魔法界に於いては知らぬ人が居ないと称されるほどの旧家であり、今と同様絶対的な地位と権力を誇っていた。


互いに休日は避暑地で過ごすなど親睦があるのは、家同士が親密と云うのも一理ある。
しかし、実際はルシウスと家公爵は学校こそ違えど幼少時代からの友人であり、ナルシッサとの母親は学生時代の同期であった。
故にも幼い頃からマルフォイ家の人間や屋敷しもべとは親しい間柄であり、ルシウスの息子・ドラコとは、将来を約束された許婚だと黙されている。


「ねぇお父様、今日はナルシッサ様はいらっしゃらないの?」
「あぁ、暫くはな。午後からルシウスの処へ行くが、お前も来るか?」
「うん、も行く!」



の母が亡くなってから、そんな会話が日常茶飯事に為っていた。
の母親の葬儀が執り行われて以来、頻繁に家に足を運んでいたナルシッサがふっつりと家を訪れなくなった。
最初の内は、母親の容態が心配だったり、顔色や体調を伺う目的でナルシッサが来ていた為、葬儀終了後は見舞いに来る事が無くなったのだとばかり思っていた。


…だが、の母親が亡くなって以降、明らかに変わった事が在る。
先ずはの兄上の婚姻により、魔法界でも屈指の純血一族の末裔が家に入り、幼いの妹の実母代わりと為った。
次更に、今までは長期休暇でしか訪れる事の無かったマルフォイ家に、公爵はを連れて週末には必ず顔を出すように為った。
無口で威厳威圧たっぷりで、公爵とは正反対とも言えるルシウスととの距離が縮まったのは、この頃が最初だと言えよう。


、庭の薔薇が満開だ、見に行ってみるか?」
「薔薇?ドラコの家の庭に薔薇の株なんて在った?」
「覚えてないのか?昔一緒に植えただろ。」



マルフォイ家に着くと決まって私は、夕飯までの時間をドラコと過ごした。
時には共に勉強をしたり庭を駆けずり回ったり、魔法で競い合った事や箒に乗る練習も一緒に遣った。
だが年齢をひとつずつ重ねるにつれて、英知英才教育を受けるドラコがマルフォイ家に居ないことも度々見られるようになり、暇だとむくれる私の相手は、ルシウス様だった。



「面白いものを知人から貰ったんだが、試してみるか、
「面白いもの、ですか?」
「あぁ、十年に一度しか咲かぬ、七色の花だ」
「七色…、是非見たいです、ルシウス様」



まるで全てが普遍のものであるかのように日常化していた私にとって、明らかに湧き上がる筈の疑問点が浮かばずに居た。日々に埋没し過ぎて、可笑しい事実でも其れが『当たり前』である様に認識付けられていたからだ。
当然のように、慣らされてしまっていくことが多すぎたのだ。
幼いながらに何時も、脳裏の片隅では疑問に思っていた筈なのに、気付こうとしない侭、考えざるを得ない事柄を都合よく後回しにしたのだ。



――――母が死んでから、ナルシッサ様が家に来なくなったのは何故だろう。
――――母が死んでから、父が私を連れてマルフォイ家に出向くのは何故だろう。
――――同じマルフォイ家に居ると言うのに、如何してナルシッサ様とルシウス様は一緒に居ないのだろう。
――――如何して、父とナルシッサ様が二人で一緒に居る所を良く見掛るのだろう。
――――如何して、ナルシッサ様が居なくても、ルシウス様もドラコも疑問に思わないのだろう。



少なくとも最初のうちは、そんな疑念が山のように溢れ返っては咽喉奥まで浮かび上がって居たのだが、次第に、泡沫の様に黙殺されたのだろう、浮かぶどころか疑問視する事事態が可笑しい事の様に思えた。
時折、胸奥痞える様な疑問に苛まれながらも、幼い私には其れが何を意図するかを知らなかった。


そう、全てが壊れてしまったあの日が来るまで、は。


天候の定まらない、曖昧な狭間の季節だった。私が14歳の頃。
翌月に控えた魔法界に於ける学識者同士の学会へ提出する為の研究に没頭していた父が、久しぶりに屋敷の自室を出てマルフォイ家に出向いていた。
ホグワーツから帰省したばかりの私は、荷物を屋敷しもべに預けたと同時に忙しなく羽を動かして猛烈な勢いで飛び込んできた梟から文を受け取って、その足でマルフォイ邸へと急いだ。


「父上、魔法省の高官が至急の用事だと梟便が……」


マルフォイ家の屋敷しもべに父の居場所を聞けば、ナルシッサ様が所有する庭でナルシッサ様とポートレートを描いていると言う話。
そう言えば父からの文に、ナルシッサ様は凄く絵が上手だと書いてあった、と思い出す。


「此処を右へ曲がって…突き当りを左?」

ひら、と、濡れた葉が目前を落ちた。ゆるゆると、緩慢な足取りで数歩を進めれば、またひとつ。
マルフォイ家には其々、ルシウス様、ナルシッサ様、ドラコが所有する専用のプライベートガーデンが在る。
ドラコのプライベートガーデンには足を踏み入れた事があるが、ナルシッサ様とルシウス様のプライベートガーデンはどうなっているんだろう…と思い馳せながら、明示された場所へ赴いて、


柔らかいものに包まれていた筈の、世界が、一瞬で凍った。


「君には深紅の薔薇が良く似合うね。此処に薔薇を植えて正解だったよ」
「知っていらっしゃる?公爵。……深紅の薔薇の花言葉」

『わたしは貴方に相応しい』


零れ落ちる様に二人の囁きが重なって静寂に落ちる。
一つの長椅子にピタリと寄り添う様に座ったナルシッサ様と父上は、嘗て父上と母上がそうしていた様に、互いを見詰め合った侭、ゆっくりと顔を近付け、口付けを交わした。


「(…そんな、嘘でしょ…)」


息をつくように、吐き出した呼吸が震えていた。
驚愕の事実に叫び出しそうな口を慌てて両の手で必死に塞ぎ、身体から一気に力が抜け落ちて抜け殻になったみたいに、足元から地面に崩れ落ちた。
突如眩暈が私の頭を押さえつけ、顔をあげることさえも侭ならずに、土壌を見詰める。映り込むのはただ黒色、木々の影ばかり。
其れを見ながら必死に、心を落ち着けあからさまに不自然な事柄でも気付かない素振りのまま見過ごそうと、出来ない努力をし始めた。

「(まさかナルシッサ様と…父上が…)」

プライベートガーデンに二人きりで居ると言う時点で私も、其れが何を意図しているか気付けない年齢でも無かっただろう。
だが幼い頃より培われた『普遍』が手伝ってか、事実をこの眼で目撃するまで、思考の何処かで事実無き無根のものと決め付けていたのかもしれない。

出来れば此の侭魔法を唱えて消えてしまいたいと、そう願った。
視界に入ろうと思えば入れる距離を保った侭、呼吸の音でさえも向こうの二人に聞こえてしまいはしないかと、其ればかりがの全てを捕えて離さない。
一秒が無限の長さを持つ、凍った刻。
そんな凍て付いた静寂の中、時折吹き過ぎる風には、頬にかかる髪は吹かれて撓み、煽られる。
気付かれない様にこの場から去らねば、と思った矢先、ガーデンを囲む大きな垣根の陰から、じゃり、と小さな足音が響いた。


「……世の中には、知らぬ方が幸せと言われる事実もある」


諦めを含んだ溜息を落として、薄い響きが落される。
声を聞くまでも無い、独特の規則正しい足音から判断出来る、この足音と声色を持つ人物をは一人しか知らない。


「ルシウス様はずっとお知りになっていらっしゃったのですか」

そう大きな声ではなくても、届くのだろうことは知っていた。
そうして、余りのルシウスの無頓着さに自分の顔が引き攣るのを、感じた。


「そうだな、ナルシッサと婚姻して以来、ずっと私は黙認している」
「そ…、10年以上も前からですか…!?」
「私と君の父君が友人だった事は知っているな、だが私はホグワーツ、彼はダームストラング。ナルシッサと公爵が初めて出逢ったのは私とナルシッサの結婚式だ」


言わなくても判るだろう、ナルシッサと公爵は出逢って直ぐに恋に堕ちた。


其の言葉に、心臓を掴まれた様な感覚が胸に突き刺さり、一瞬、息が詰った。
ルシウスとナルシッサが結婚する以前に、の両親は結婚し、の長男を産んでいる。
此処まで来れば、推測するのはヒドク簡単だった。だから、


「若しかして、ルシウス様は私の母を…?」
「好きに為れていたらこのような事態に為らず、君は産まれていない筈だ」


一蹴された。
だが其れはにとって、完全に予想していた展開だった。
其の判断が妥当だとの理性が叫んでいる。ルシウスがの母親を好いていれば、こんな事態になる前に双方入れ替わって夫婦の契りを交わせば済んだ筈だ。
だが現実は想像以上に甘く無く、は静かに俯いた。


「君は公爵が許せないと?」

問いかけとは呼べない口調で告げられて、それには怪訝に眼差しを返す。

「許す許さないの必要は無いと思います、父はもう一人身ですから」

瞳に光がさして、紫が瞬いた。
そしてその内側には、いくつもの凄まじい思考と感情、衝撃と自己嫌悪が荒れ狂い、胸の中を黒く重い液体でかき回されるような、そんな感じに冒されている。


「人を愛するというのは罪なことだ、そう思わないか、
公爵やナルシッサの行為は罪であって、裏切りでは無い。私が黙認している理由の一つが、其れだ」
「……其れ、というのは?」
「私はナルシッサを愛していない。愛されても居ない者の傍に居続けなければ為らない苦痛を考えれば、浮気相手や不倫相手が友人であろうが、私には如何でも良いことだ」

淡々としたルシウスの言葉が、再び俯くに掛けられた。
為らば父が母を愛していたのは、ナルシッサが母を見舞ってくれていた事実は一体何なのだろう。
全て嘘だったのだろうか。
そう考えれば、溜息が出そうなほどの寂寞が、胸に空いた。


、誰が誰を愛そうとも、其れは自由だ。…たとえ、私が君を愛そうとも、誰も私や君を咎めることは出来ない」

独り言のようにささやいて、すっと瞼を伏せる。

「……私が、貴方を愛しても?」
「人がひとを好きになると云う行為を咎められる者は誰も居ない、例え神であっても、だ」


幼い頃に父が良くそうしてくれた様に、大きな掌で頭を撫ぜられ、慰められているのだ、と知っているのに、胸をかすめた感慨に違和感もなかった。おもむろに手を伸ばせば指は指に触れ、ルシウスの温もりに触れる。
回された腕に身体を預けたあの日から、全て、壊れ始めていたのかもしれない。
やるせなく胸に去来した思いを振り払ってくれたのは、後にも先にも、この時のルシウスの言葉だった。



「――――如何した、。心此処に在らず、のようだが」
「済みません、少し昔の事を思い出していて」
「昔?」
「全てが壊れて、そうして全てが始まった日です」


そう言って、は目を閉じる。
瞼裏に鮮明に思い浮かぶルシウスの薄蒼の瞳を見つめ、それからゆっくりと開いた。
いつか、ルシウスにとって自分は必要でなくなるのかもしれない。憤りでも哀しみからでもなく、ただ静かには思った。
だが其れを受け入れるだけの覚悟は在る。以前ルシウスが言った様に、誰かが誰かを好きに為るという行為を咎められないのと同じ様に、心が離れていってしまう事もまた、咎める事など出来はしないのだ。
けれど、いつかルシウスが自分のもとから去る日が来ても、それでもがルシウスを思う心に変わりはない。
芽生え育ち膨らみすぎたこの感情を消すことは、到底できない。だから。――それならば、もうそれでいい。


「もう寝なさい、夜が明けてしまう」


空の端から夜が緩やかに薄れていく。
早朝の、まだ誰もが穏やかな眠りの底に沈んでいる時刻、彼方からは、細く鳥の声が聞こえ始めた。
色彩を増していく情景が夜明けの訪れを告げるのを横目で見ながら、はルシウスの腕に抱かれ、今日も眠りに堕ちる。

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Written by Saika Kijyo title by 不在証明