この場所が終わってもまた何処かで逢える as Lucius Malfoy

月明かりも途絶えた黎明刻の冷気で満たされるノクターン横丁の一角。
静寂に支配され、しんと静まり返る。闇の住民たちの足音すら途絶えているかのような…不気味とも言える沈黙が帳を落していた。

魔法省からの帰りがけ、妻と為るべく女が待つ家に如何しても素直に帰れず、今日もまた帰り時刻を引き伸ばす為だけに、気付けば行きつけのバーへと足を進めていた。
古びた煉瓦造りの店の扉を愛用の杖先で押し開けたルシウスは、漆黒の夜空を背景に銀糸を揺らしながらゆっくりと室内へと入り、手近のカウンター端に腰を落した。

普段は常連客で賑わう店内が、やけにがらんどうとしている。


「Blanton`s Gold」


カラン、と鈴の鳴る音がかそけく響く。


先ずは仕事の疲れを癒す為に一杯、と注文し、手元に置かれたグラスと氷が擦れる音と共に、後方の扉が開いた。
如何やらもう独り客が来た様子で、その足音は遥か遠くからでも聴き取る事が出来た。足音から、ピンヒールを履いた女性が独りだと予想する。
手元のグラスを薄い唇へと運び、さて、こんな日付も変わりもうじき朝を迎えようと云う時間にバーに一人で来る様な女性はどの様な人物なのだろうかと思えば、彼女はルシウスの居るバーカウンターの正反対の位置に腰を落した。

然して広くも無いカウンターの椅子は7客。
カウンターにはルシウスと彼女しか居ない為に、必然的に彼女が視界に良く映える。


「Elijah Craig、頂けるかしら」


薄く紅引いた唇から紡ぎだされた酒の種類に、ルシウスは思わず隣へ視線を投げ遣り、眉間に深く皺を刻んだまま薄く目を見開いた。
威儀を正してグラスに口を付けた女性は、一瞬で眼を奪われるほどの婉然とした美女だった。
漆黒の絹髪を背に無造作に垂らし、第二ボタンまでを外したシャツに膝丈のスカートといった、いかにも有名企業の秘書でもこなしそうな服装を卒なく着こなしている。

何度もこのバーへは足蹴く通っているルシウスだったが、こんな人目引く目見の良い女性とバーで出逢ったのは初めての経験だ。
瞬きでもすれば消えそうな微かな興味から、ルシウスは視線だけを投げながら、次の酒を頼む序でに女性に話しかける事にした。
どうせ、バーで過ごす僅かな時間だけの付き合いだ、そう、割切っていた筈だった。


「お勤め帰りですかな」


低く甘い声が女性の鼓膜を掠めたか、ゆっくりとルシウスに向き直る。
そうして本当に一瞬だけ驚いた様に紫紺の瞳を大きく見開き、其れから何事も無かったようにグラスを運んだ。


「えぇ、今日は会議が長引いてしまって」
「私はこの店によく来るが、君を見たのは初めてだな」
「私もこのお店に良く来るのですが…普段はもう少し早い時間で帰りますので、きっと擦違いに為っているのでしょう」


彼女は婉然と微笑する。
ルシウスに興味は無いが、言葉を投げられれば答える、といったスタンスが手に取るように判る態度に、ルシウスは咽喉奥で苦笑した。
自負している訳ではないが、彼女同様にルシウスも目見が良い。昔から女に不自由した事は無い程端麗な容姿が無口を上回ってくれたお陰か、ルシウスの周りには何時も女が居た。
妻と為るべく者が現れた今でも其れは然程変わりは無いが、此処まで自分に興味を抱かない女は初めてだった。

其の所為か、ルシウスは次の言葉を知らず知らずのうちに詮索し始めた。
最初のうちはぽつりぽつりと溜息を落とし込んだような会話だったが、次第に話しに花が咲き始め、時折ルシウスの口からも彼女の口からも微笑が零れ落ちるまでに為っていた。

一刻、また一刻と時が過ぎ、空けたグラスの数も二桁を更新し始めた頃、そろそろとバーの閉まる時間が遣って来た。


「出逢えた記念に一杯ご馳走させて頂きたいのですが」
「光栄ですわ、では…Royal Salute 21yoを」
「マスター、私も同じものを」


何時の間にか彼女はルシウスの隣に腰を落としている。
二つ仲良く置かれたグラスを手にとって、カチンと軽く硝子が触れ合う音共に、今宵最後の酒が酌み交わされる。


「私も何か、お礼を」
「……名前を教えて頂けますかな」
「名前…、ですか。」
「おや、教えられない名でもお持ちとは」

静かな、それでいて絶対の響きを持つ声が耳朶を打つ。
今まで伏せていた長い睫がゆっくりと優美な弧を描いて持ち上がり、睫の奥から現れた冷涼な紫玉が真直ぐにルシウスを見た。


「当てられると云うのは如何でしょう?」
「おやおや、其れでは私になんのメリットも無い」
「名前を当てられましたら、次の店は私がご馳走致します」
「…外したら?」
「私は名前も告げずに、帰ります」


酒の力で仄かに桃に染まりつつある白い肌に淡い薄紫のシャツを着た彼女は、花街の最高級の花魁のように立ち上るような艶美な色香を撒き散らしている。
だが、玲瓏たる瞳が、研ぎ澄まされた刃物のように、どこまでも澄んだ清流ように冷え渡っていた。

名前など、魔法が使えれば一発で判るのだが、如何せんノクターン横丁に居るという事は彼女も魔女だろう。
迂闊に魔法を使ってまで、この出逢いを穢したくはなかった。
そう考えたルシウスはゆっくりと、小さく苦笑を浮かべてみせながら、有り触れた名を口にした。


「                 」


少し静寂が落ちる。
彼女は最後の一口を細く白い咽喉奥へ落すと、カウンターに代金を置いて、席を立った。
其の仕草に、外してしまったのだろう、と痛感した。
此の侭顔も見ずに終わってしまうのか、とルシウスがグラスを唇の上に乗せた瞬間、意地の悪い微笑を彼女は口の端に浮かべて振り返った。


「私は貴方を知っています、ルシウス・マルフォイ」


何れまた、逢う日まで。
そう言って、長い睫毛に縁取られた紫紺の眼が、ほんの少しだけ細められる。
来た時と同じ様、ピンヒールの足音を、互いの微かな息遣いさえ耳に届きそうな深夜特有の静謐さの中に澱ませて、朝が訪れる直前の最も暗く、冷えしむ刻に彼女はバーを去って行った。


「何れまた、…か。」


其れから暫くの間、ルシウスはあの日彼女と出逢ったバーへと通ってみたが、一日たりとも逢える事は無かった。
マスターに聞いても、あの日以降来ては居ないと言われ、為らば名を、と問うて見ても知らぬと突っ返される。
もう二度と、名も知らぬ彼女と出逢う事は出来ないのだろうか、とルシウスが思い始めたとある春の日。


自分の結婚式で、名も知らぬ彼女とルシウスは再会する事となる。
自分の妻と為った女の親友だと知らされた時、ルシウスの中で確かに何かが壊れるだろう音を聞いた。


「お久しぶりです、ルシウス・マルフォイ」
「また、名を告げてくれぬつもりか?」

艶然と畳み掛けるように択一を迫り相手の視野を狭めてやりながら、独特の狡猾さの揺蕩る薄蒼の瞳が薄く眇められた。

「……
「…、良い名だ」


名を呼ばう声紋は深い慈しみとも惑わせる響きを帯びて。
そう遠からず、向かう路の先、今日誓ったばかりの妻への愛を屠り去る予感がした。




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Written by Saika Kijyo title by ROREIRA