あなたが私の心を盗むなら、私はあなたの未来を奪う as Lucius Malfoy

小さな子どもが足らぬ背丈で必死に急いで呼鈴を鳴らす様な不快な音と共に、膨大な量の羊皮紙を抱えたが、白いシフォンのスカートを揺らしながら夕凪 のマルフォイ家を訪れた。
女中や執事、屋敷僕妖精が一斉に『ごきげんよう、さま』の言葉を告げれば、リビングで暇を持て余していたドラコの聴覚が鋭く其れを捕え、飲み掛けの カップを乱暴にソーサーに置くと玄関へと心持ち浮かれた足取りで歩き出した。

「こんにちわ、ドラコ。申し訳ないけどちょっと急いでいて…ナルシッサ様かルシウス様いらっしゃる?」

ふわりと花の様に微笑んだに、ドラコの胸中に一瞬焔が燈る。
毛足の長い緋色の絨毯の上を歩きながら、如何やら膨大な量の羊皮紙の届け先はルシウスかナルシッサなのだろう。が問えば、ドラコは冷え冷えとした声で 返答を返した。

「母上はの妹君と出掛けている。恐らく戻るのは宵の頃だ。父上は一日書斎に籠っていたから…多分、書斎に行けば逢える筈だ。」
「そう、有難う。早速行ってみるね。」

透通った紫水晶の瞳を嬉しそうに和らげげぶらせて、はルシウスの書斎へ続く大階段を登り始める。
其れを見詰めながら、ドラコは最近、今まで感じる事の無かった胸奥にズキリと刺さる棘のような不愉快な痛みを自覚するように為った。
今までは一度だってこんな経験は無かった。ドラコの傍に在り続けたが見詰めているのが自分の父親であるルシウスだったとしても、ドラコの心を殺ぐまで の痛みを与えるものではなかった。

何時から変わった…そう、先日がドラコとの婚姻を承諾してからだ。胸奥を鋭利な刃物で抉る様な痛みに襲われるようになったのは。
がドラコに振り向いた瞬間の薄紫の瞳や、ふとした拍子に触れる漆黒の絹の様な髪の感触、決して自分には向けられないだろう柔らかい微笑み。そう云った 類ものが集まり積を為して、ドラコの胸奥を容赦なく突き刺してくるのだ。
だが、其れ等全てを承諾して、に婚姻を申し込んだ。此れは自分で決めた自分への違えられぬ忠義だ。
だからこそ、ドラコは痛みを拡散させる為に今出来るだろう…今許されるだろう範囲の努力をこうじる。

「夕食は食べていくだろ?今日はお前の好きなラズベリータルトもある」
「本当?じゃあお言葉に甘えてご馳走に為ろうかな。マルフォイ家のパティシェの腕は魔法界一だもんね」

嬉々とした声で返答を返しながら、其れでも立止まる事無く階段を登るを見て、ドラコは小さく呆れた息を零した。

(普通に笑ってくれるだけでも良いから、なんて…僕も相当絆されてるな)

小さな背中がルシウスの書斎に吸込まれる様に消えて行ったさまを見届けたドラコはゆっくりと踵を返し、何事も無かったかのように再びリビングで、夕食まで の暇を持て余す事にした。






「ルシウス様、文にて書かれてました、父の魔法省勤務時代の書類をお持ち致しまし――――――た…?」

コンコンと軽くノックをしたが返事が無く、見れば僅かに扉が開いていた為に、身体を滑り込ませるような形で進入しルシウスに呼び掛けるも室内に人の気配が 無いことに気が付き、下げていた視線を上げて言葉を途切らせる。
開け放たれた窓から初夏の乾いた空気が心地良く流れ込み、の絹髪を攫ってゆく。午後の柔らかな陽射しに満ちる室内に無造作に足を踏み入れながら、手近 に在った机の上に羊皮紙を置き、風で飛ばされないように魔法を施すと、『ルシウス様が居ないのならば帰ろう』と踵を返そうとする。

だが、書類が無造作に置かれた机の上に湯気が登る珈琲が置かれていたり、普段は携帯している筈の杖が袖机の上に鎮座していたり、部屋着代りに着ている薄手 のローブガウンがソファーに置かれている事から僅か席を外しているだけだろう事が伺える。何れは帰ってくるだろう。
為らば待っていよう、と安穏と結論付けたは、ソファーに腰を落とし浮かんでは流れていく雲を見詰めていた。


そうして、ふと、隣に置かれたローブガウンを視界の端で捕える。

「……若しかして、着替えてお出かけしてたりして…」


しかし、視線の先がルシウス愛用の杖に移った途端、思考は破壊され、またローブガウンへと戻る。
出掛けるならば、せめて一言執事やドラコ…に言う事は無くても家の人間には告げるだろう。だが執事もドラコもルシウスは書斎に居ると言った。だから居るの だろう。此処で待っていれば何時かは帰って来てくれる。

純粋にそう思いながらも、一人で他人の部屋に待ち惚けになるというのも、存外暇なものである。
とは云え、人様の部屋で人様のものを無粋に触る事など出来る訳も無いは、偶々眼に留まったローブガウンに興味の矛先を向けた。丁度吹き込んできた風が 少し肌寒いと思っていたところだ、ローブ一枚借りた程度でルシウスは怒らないだろう。


「――――――若しかして、ルシウス様ってお父様より身長が高いのかな?」

ふわりと空を舞ったローブはの身の丈を軽く超えている。
以前魔法省へ向う父に同行した帰り道、灰色がかった雲が息苦しく重なる空から、ボタボタと大粒の雨が一斉に降って来た。幸いホグワーツ特急まであと僅か だった為、父である公爵は愛娘を雨に濡れさせては為らないと、自分の羽織っていたローブを羽織らせ二人で駅まで走ったのだ。
あの時は注意深くは見ていなかったけれど、確かに父のローブを着ても普通に道を走れた気がする。だが、今手にしているルシウスのローブを着るには聊か身長 が足らないらしい。


「……二人並んだ処なんて余り見ないしな…あ、そうだ、こうすれば着れるかも…!」


名案を思いついた様に悪戯に表情を綻ばせたは、ソファーの上に立つと、手にしたローブに袖を通して羽織る。
勿論、華奢な子どもに近いがルシウスのローブを着るのだから結果は眼に見えている。肩の袷の部分はの細い肩を通り越して二の腕の半分まで垂れ下が り、足らぬ背丈を僅か補ったローブの丈はソファーの高さを通り越して床上10cmと云ったところだ。
少々行儀が悪い恰好だが、誰も見てい無いのだから問題あるまい。ルシウスのローブを羽織った侭のは面白そうに身体を右にずらしたり左に向けたりと、 ファッションショー宛らの動きで時間を潰していた。
其の、矢先。


「―――――――随分と可愛らしい事をしているな、

空気に良く透る甘く低い独特の音程、間違う事の無い声色の持ち主の気配を背後に感じ、慌ててが振り向く。

「ルシウ…ス様、ごめんなさい、その…、」

告げた先、呆れた様な表情を貼り付けたルシウスの秀麗な貌を直視できずに居れば、ルシウスが閉めただろう扉の音が無下に響く。空気が攪拌される様な気配に 混じって、明らかにルシウスの愛用の香水とは異なる『の既知していない香り』が仄かに鼻腔を擽り、条件反射的に顔を挙げれば、細い銀糸から雫を滴らせ ている蒼い双眸と視線が重 なった。

バスローブ一枚で片手にタオルを持っていることから、シャワーでも浴びていたのだろう事が伺える。


「"ごめんなさい"とは…、私のローブを勝手に着た事か?其れとも、家令嬢が余所様の部屋のソファーの上で立ち尽くしていた事か?」
「……、両方です。」
「為らば気にする事は在るまい、お前はもうじき私の娘に為る。娘が自分の家で誰の服を着ようがどの部屋のソファーで飛び跳ねようが咎める事は出来ないから な。」
「なっ………飛び跳ねてなんて無いです!」
「ほう、では、私のローブを着てソファーの上で立ち尽くしながら何をしていたのか明確に説明願いたいな」


洗い立ての髪の毛を乾かさずに来たのだろう。時を増す毎に零れ落ちてくる雫と前髪に鬱陶しく為ったのか、ルシウスは、水の力を借りて更に光沢を増した銀糸 を左手で無造作にかき上げながら、にヘ向かって薄く笑って見せた。


普段見慣れた髪型とは異なり、銀糸の長い髪が無造作に揺らぎ方向性も多様で、前髪は後ろへと撫で付けるものの、直ぐに前方へと垂れ下がり、秀でた秀麗な顔 を僅か覆い隠すように為る。
の父親同様、ルシウスも年齢のわりに若く見える容貌の男だったが、そうしていると一層年よりも若く見えた。 普段見慣れないルシウスの髪型と姿に、ルシウスの質問の内容などすっかり記憶から飛ばしたは、硝子球のような瞳をぱちぱちと瞬かせ、頬に朱を刷き俯い た。

「如何した、風呂上りの君の父君でも思い浮かべたか?」

失笑を隠すようにルシウスが言えば、ソファーの上でが真っ赤になって否定した。
「自分の父親とは掛け離れた位置に居るのだ」、と言い募るに、「では如何した」と問い直せば、ふっと我に返ったように子どもは、気まずく唇を尖らせ潜 め囁くように言い返す。
改めて視れば、陽光に映し出された漆黒の絹髪と夜色のローブが薄紫の瞳に恐ろしく良く映える。更に、身の丈足らないローブを無理して着込んで居る様な恰好 が妖艶さをも醸し出す。

其の状況の侭に、薄い桜色の唇が微かに戦慄き、蜜事でも告げるかのように密やかに言葉を紡いだ。


「……い…から、……私の、知らない人みたいだったから」

搾り出した様なの言葉に返答せず、代りにゆっくりと傍らへ近付き、久方振りに困ったような男の顔を見た。

「私の服を着た侭可愛らしい事を言うな、お前を…―――――――手放せなくなる」

差し伸ばされた節くれ立った無骨な男の手が愛しむ様に頬を撫ぜる。
昔から、はこの手が大好きだった。ルシウスに初めて逢った、物心も到底付かないような小さい時からずっと、ずっと。父親の様に優しくて、けれど其れ以 上に温かくて肉体の満足も精神の満足をも充足していく気がする。心配することは何もないのだ、だから君は唯此処に居れば良い、私が君の傍に居る、と判らせ てくれる手。



ソファーを互いの境界線の様に中央に挟み、の頬を撫でていた指が唇を撫で始め、はゆっくりと促されるように開いていった。
其の仕草、無言の内に口付けを請う男の懇願だと、身体が覚えている。何時もそうだ、荒々しく口付けされる其の前は決まって、自分から誘惑させるように柔ら かく優しく唇を撫ぜられる。そうされると唇を開くのは倣いになっていて、は愛慕する様に唇を緩く開いていく。

唇が合わさり、ルシウスはの細い腰に腕を回しては、許されぬ想いの丈を全てぶつける様に甘く蕩け崩れそうな口付けを施す。



好きだ、と告げることの出来ぬこの想い。告げれば全てが崩壊する。
敢えて言葉に出さずとも判る事ならば、敢えて言葉に出して全て有耶無耶に為っていた事が泡沫の様に消え去るのなら、伝える事も無く、口に出すことも無く、 終わる事も無いまま――――――

だのに、一心に向けられる愛情を眼に見えるように独占したくなってくる。そんな権利、自分には微塵も無いのだと、判っている筈なのに。
なのに貴方は私の心を奪ってゆく。

―――だから。



だからせめて、貴方が私の心を盗んだのだから、私が貴方から未来を奪っても文句は言わないでしょう?
[ back ]

Written by Saika Kijyo Title by 不在証明