最後のキス







何時だって思っていた。何時此れが、最後の瞬間に為るのだろうかと。
抱えていた不安は日増しに大きくなり、やがては抱えきれずに弾け跳んでしまう事は容易く想像が出来る。
指をすり抜け大空へと自由に揺らぐ風船は、一度手元から離れてしまえばどれだけ抗っても二度と手中に修める事は出来ない。
其れと同じ様、抱えきれなくなった想いが心の壁を破って零れ落ちた時、全てが終る。
何時なのだろうか、其ればかりが脳内を支配する様になって、もうどれ位経っただろうか。最早憶えても居なかった。


大人に為ると云う事は、何かを喪う事だと知っていた。
そして、大人に為るには胸の奥に僅かな痛みの火を燈さなければ為らないという事も知っている。
子どもだと云われていた頃には気付きも知る由も無い、複雑に絡んだ想いは交錯する人間関係にも似ていた。
想いだけでは、叶わない。想っているだけでは、満たされない。
【想い】、唯其の二つの文字は、私達の関係を静かに蝕み、何かをそして全てをゆっくりと壊して逝く。
もがけばもがくほど足元を巣食われる底無し沼、其処に頭から急落下して逝く様な寒気に似た感覚が一気に背を抜けた。


卒業、そして、別れ。


予感は予知に変わり、予知は現実のものと為る。
全てを此の侭に、何も代わる事無く此の侭にしておく事等、初めから出来ないと知っていたと云うに何故に今更其れを求めるのだろうか。




「 …如何した、。 気分でも優れぬか? 」





連れ立ってと言うよりは、雑踏に紛れ込む様に若干の距離を開けて先陣を切って歩いていたルシウスが、ふと声を投げた。
普段ならば言葉少ないルシウスからの問い掛けに即座に反応するも、考え事をしていた為か、言葉に気付くのに若干遅れが生じた。
其の幾許か僅かな誤差の生じた空白に疑問を感じたのか、ルシウスが歩みを止めた。
すぐさまに辿り着ける筈だと思っていた距離は意外な程に広く、手にした荷物も恩人とも呼べるホグワーツの教師から貰った花束を両手に抱えているだけの筈 が、慌てて歩みを速めてもやはり距離があった。
僅かな備品は昨夜の内に航空便で送ってしまってある。梟便でも良かったのだが、ホグワーツと日本との距離を考えれば、愛梟に遠空飛行をさせる訳には行かな い。





「 あっ…ごめんなさい、少し考え事を… 」

「 考え事だと? 晴れの卒業の日、訝しい表情をせねば為らない程重要な事か?  」





普段は自身への規約の様に心の内側を晒す様な表情等しない癖に、突然触れれば毀れてしまいそうな脆い硝子の様な感情をちらつかせてくる。
普段は絶対に人前で隣りに並ばない癖に、時折思い出した様に、例えば今みたいに思い出した様に振り返っては歩みを止めて此方を伺う。
そしてスローモーションの様にゆっくりと淡蒼色の鋭い瞳で、真上から真っ直ぐに見下ろして来る、大人の視線。
上から見下ろされる嫌悪感よりも、じっと真っ直ぐに見られ続けられ背が凍りそうな威圧感よりも、脳で理解するよりも精神に刻み込まれる。
上から見下ろす様に視線を投げるルシウスと、下から見上げる様に視線を返す
絶対的な【差】が其処には有った。超えられない壁、大人と子どもの境界線を真っ直ぐに引いたら、其れは今確実にとルシウスの眼前に引かれていることだ ろう。





「 …。 」





何時までも返答しないに煮えを切らせたルシウスが、半ば呆れた声で名を呼んだ。
元来身長の高いルシウスと、背の低いとの間に隔たりが生じてしまうのは仕方の無い事だった。
其れでも偶に、思う。上から真っ直ぐに見下ろされ、下から真っ直ぐ見上げることしか出来ないは、硝子細工の様に綺麗な蒼の瞳に如何映っているのだろ う。
嘘を吐く事が至極苦手で、全て表情に出てしまっていると言うに【何も無い】と見え透いた嘘を吐く其の表情、酷薄端麗な瞳には如何云う風に見えるのだろう。
莫迦莫迦しい、子どもが強がりを、と嘲っているだろうか。


そんな表情、見たくなくて見せたくなくて知らずの内に視線を逸らせば、何処迄も余裕な表情の失笑に似た苦い笑いが耳を付く。

其の度に想う。
後どれ位の年月が過ぎれば、同じ空が見えるのだろうか。
後どれ程の時間が流れ落ちれば、大人になれるのだろうか。
何時になれば、同じ空を見て、同じ風を感じて、同じ位置に立てるのだろうか。
覆す事等到底出来はしない決定的な『大人と子どもの差』に苛立ちを覚える子どもを、余裕の視線で見下ろす大人は、一体如何想っているのだろう。


卒業を機に、埋められる事の出来ない物理的な距離を境に、男女の関係が終焉を迎えるのは日常的に在ることだった。
付け加えて、其処に大人と子どもという関係。心中曝け出す勇気も持たずに、傍に居るだけで精一杯の子どもが物理的に超えることが不可能な距離を携えて如何 太刀打ち出来ようか。
関係を切るなら、此れが最後の切っ掛けだと、何処かの神が哂った。





「 何を見ている。 」
「 何って…さっきの返事をしようと思ってルシウスを見てますけど…? 」


「 嘘を吐くな。 お前は私の瞳を見ている振りをして、其の奥の何かを見ている。 」





吐き通せない嘘なら吐かない方が身の為だというに、其れでも真実を話す訳には行かないと思うのは、駄々を捏ねる小さな子供と同じ心理だった。
昔、ルシウスに出逢うまでは…『大人』になんてなりたいとは思った事等一度としてなかった。
今でも自分に言い聞かせる様に、大人になどなりたく無いと思っている。
願わなくても月日が過ぎれば何時かは大人になる、だから其れまで待てば良いと。
其れは願っては為らない事だから、願っても決して実現できる願い事では無いから、だから初めから諦めていた。
故に…、せめて、せめて同じ場所で同じ時間に同じモノを掴む事が出来る位に、大きくなりたかった。
独りの女としてみて欲しかった訳じゃない、独りの子どもとして見守られたかった訳じゃない。
願いなんて、所詮大人のルシウスから見れば、失笑にも価しない価値も何も無い願い。
見下ろされるのは好きじゃない、見上げるのも好きじゃない、見守られるもの、好きじゃない。

唯、ただ…大人でも子どもでもどちらかに偏るだけの関係じゃない、同じ比重の関係に、対等の関係に為りたかった。





、私を見なさい。 」





立ち止まった侭動こうとしないに代わって、ルシウスが歩み寄る。
揺らりと柔らかい風が輝く様な銀髪を攫い、一本一本ばらけた其れは美しく瞬き、風に遊ばれる様に靡いては不思議な色香を漂わていた。
眩しいばかりの陽光を背に受けて、言葉に詰まる位に秀麗な其の容姿に見惚れれば、即座に長く細い指先で顎を掴まれ上向かされる。
此処はルシウスの家ではない。普通に人が行き交う道のど真ん中、更に付け加えればホグワーツの制服を身に纏った幼い少女と明らかに大人という異色の組み合 わせ。
唯でさえ一目を惹く容姿の持ち主のルシウスが、公衆の面前で、の顎に指を掛ける。
其ればかりか、頬に掛かる漆黒の黒髪を柔らかく撫でる様に愛でてから、普段は髪に隠されている耳まで露にした。


人前で、こんな行為をする事等、絶対に有り得ないヒトが。如何して。


浮かんだ疑問の解答を見出す其の前に、陰りがの視界を遮って、温かいものが唇に降りてきた。
其れが口付けなのだと知った刹那、脳裏に過ったのは


此れが、最後のキスだという事だけだった。


人前で関係が知られる事をこの上無く嫌悪した筈のルシウスが、態々ホグワーツまで迎えに来たと云う時点で、未来は既に決まっていたのかもしれない。





「 一つだけ言って置く事がある…。 時も距離も、私とお前を別つ事など出来ない。 」





唐突に縮まった距離に、覚悟した別れ。其れとは真逆の言葉を告げられ、一瞬心臓が躍動を留めた様な衝突感を覚えた。
一体何を、こんな公衆の面前で言うのだろうか。
思った瞬間、全てが一つに繋がる。心の中だけで自己処理してきたアラユル不安要素を、全て見破られ、其れでも何も言わずに敢えて卒業と言う今日この日に告 げた。
告げる為だけに、迎えに来た。
常に有る、甘やかで艶を持った独特の声色で最上級の言葉を告げられれば、脳が叫んだ。
自分はもう、忘れない。
もう二度と、忘れられない。
ルシウスに出逢って以来の、愛した記憶と愛された記憶。
周囲が何を言おうとも、好奇侮蔑の視線下に置かれようとも、其れでも誰よりもルシウスを信じた。
例え今、この関係を失ったとして尚、ルシウスが告げる言葉だけは信じ続ける事が出来た。


此れが最後の口付けだと思えば、全てが楽だった。
例え距離と時が二人を隔てたとしても、遥か遠い東洋の国で、何時までもはルシウスを想い待ち続けるだろう。
其れが偽りの言葉だと、判っていたとしても、其れでも尚 ------------





「 何時か、何時の日か迎えに来て下さいますか? 」





言葉の後、ルシウスが蒼の双眸を和らげて、確かに笑んだ。
其れからもう一度、頬に冷たい手の感触を感じて、自然と瞼が下りる。
何も言えず、何も考えられずに唯、与えられた口付けに縋って、瞳を心を閉じる。
優しく柔らかく抱すくめられて、此処が人通りの激しい道の一角だという事等、既に欠片も気に留めていなかった。

今だけ、今だけでもこの嘘に騙されていたい。

愛されているという錯覚、何時か必ず迎えに来てくれると云う錯覚に溺れていれば、其れは余りに甘美で残酷な罠。
願わくは…其の中に、永遠とも取れる時間囚われて居たいと、願ってしまう程に。

時なんて、魔法で止めてしまえれば、楽なのに。
懇願した願いは叶う事無く、水に沈む泡の様にゆっくりと溶けて、消えた。





------------ 其れから、幾許かの月日が流れ落ちる。





耳慣れぬ機械が離着陸する音が、遠くに木霊して聞えてくる。
決して使ってはならぬと言われているマグル界での魔法の使用、魔法省の人間自らが破り去るとは如何云う事だと自嘲した。
もう大分長いこと使用していなかった箒から飛び降りる様に身を翻した時、視界を強く指す陽光に反射的に空を見上げた。
茜色した夕闇が間近に迫る紺碧の空から、ゆっくりと白靄が霞掛かった様に流れてきた。
居心地悪い空気を肺に入れ、如何しても好く事が出来ぬこの場所を嫌悪して、僅かに眉を顰め薄蒼の瞳が、何かを懐かしむ様に沈黙を守った侭空を想う。


あの日も今と同じ、焼ける様な夕陽と蒼青の海原の様な紺碧空が綺麗に二分されていた。


魔法界もマグル界も、世界は異なると云うに、空は同じく見えるものなのだろうか。
あれから幾許かの月日が流れ落ちて、幾つも同じ様な季節を越え空を仰いで来た筈が、如何云う訳か何年経っても忘れられない想いがあった。
あの頃は言い聞かせる為だけの言葉を吐いた、取るに足らない過ぎるだけの記憶だった筈が、消せない罪の様に胸奥に焼きつき離れない。苦い胸の中に交錯す る、甘い愛惜と苦い悔恨。


何時までも、想い出に出来ない、愛が在った。





「 …如何し様も無いな、私は。 」





手に握られた古びた羊皮紙、其処に走り書きの様な拙い子どもの字で認められた文字を瞳がなぞって、指し示す。
幸いにも、マグルの世界には酷く看板が多い。
酷薄な蒼青の瞳が真っ直ぐに其れを見詰めて、そして一瞬表情を和らげた。




長い睫に縁取られたけぶる様な蒼い瞳がわずかに揺らぎ、蒼青の視線の遠く、懐かしい想い人の姿が在った。
視線が合って、無邪気に微笑んだはあの日の面影を残した侭、ルシウスの元に走り寄る。


別れの一幕を見せたあの日の陽光が、今は唯、静かなる再会の陽光を見せていた。










卒業企画【キミに贈る、言葉】 others one

「一つだけ言って置く事がある…。時も距離も、私とお前を別つ事など出来な い。」
恭子さんリクエストによるルシウス・マルフォイ夢です。
親世代×子世代、ヒロインは卒業生、後は稀城にお任せとのこと(笑)。

…一応、台詞は手直しを加えずリクエストの侭使わせて頂いております。
悲恋っぽい台詞を考えて下さったとのことで、微妙な悲恋を目指してみたのですが…駄目です、ルシウスが贋物臭くていけません(汗)。
ルシウス様がお好きな恭子さんからのルシウス夢のリクエスト、気合を入れて頑張って見たのですが…どうもこれは空回りならぬ空振りではないかと…(笑)
リクエスト頂いた台詞から、一旦別れてまた再会する…というシーンを思い浮かべたのですが、如何にも不発弾な気がして為りません(泣)。
一旦は手離してみたけれど、結局は忘れられなくてヒロイン攫いに来たのよ、ルシウスは…!
というオチ(こら)が付いているのですが、やはりルシウスに迎えに来てもらいたいなぁ…と。
勿論ヒロインは、ルシウスの言葉(というか嘘?)を信じて健気に待ち続けているので、ルシウスと結ばれます。
…ヒロインの鏡のようだ…!!


この作品は恭子さんのみお持ち帰り可能です。
文章の著作権以外はご自由にどうぞ。

update 2004/3/31



[ Back ]
(C) copyright 2004 Saika Kijyo All Rights Reserved.