落 花 流 水







昨眼が覚めると、やけに胸の辺りが温かかった。
朧気な意識の中、暗闇に瞳を凝らしてよくよく見れば、小さな動物がまあるく縮こまって冬眠している様な体勢で眠りこける子どもが独り。
同じ一つのベットで共に眠りに堕ちる際は何時も腕枕をして遣っているが、其れも数秒と掛からぬ内にもぞもぞと動いては、自分の居場所を捜し求める様に寝返 りを打ち。
右へ左へ東奔西走の如く良くもまぁ無意識のうちに行えるものだと最初のうちは関心さえした其の行為、今と為っては当たり前すぎて関心の対象にも為らない。
僅かな暫くの移動の後、は何時も決まって腕枕をする為に差し伸ばした腕の其の下に小さく身を包み込んですっぽりと身体毎腕の下に入り込んで、安心した 様に寝息を立てる。
本当に無意識に行うのだろう、本人に問うた処で自覚が無いらしく、聞く事もとおに飽きてしまった。





「 今夜は大分冷えるな…明日は卒業式だと云うに、雪でも降るのか。 日本でも在るまいに。 」

「 …ん…っ… 」





窓の外、霜が降りた様に凍て付いた空気で真っ白く曇った硝子に眼が止まって、思わず嘆きの言葉が漏れた。
思いの他、大きな声だったのか、周囲が静か過ぎたのか、丸くなって寝ている筈のがピクリと小さな身体を震わせた。
けぶるような睫が僅かに震えたかと思うと、その下から潤んだ淡紫の瞳が覗いた。
ゆっくりと何度か瞬きを繰り返し、徐々に水面下からと覚醒に向かう意識。
まどろみの中を彷徨う様に覚束無い視線、ぼんやりと何処かを見詰めている様な頼り無い瞳がようやっと焦点を結ぶ頃、僅かに遠退けられていたブランケットを 肩越しまで掛けてやる。
今までは無かった温かさに表情を和らげたは、掻き抱く様にブランケットを手繰り寄せて小さな顔を埋めると、また何事も無かった様に微かな寝息を立て始 める。
如何やら声を聞きつけて意識を覚醒させたのではなく、肌寒さから来るものだったらしい。





「 水でも飲んでくるか。 」





時計を見れば未だ深夜の一時。夜明けには充分過ぎるほどに時間がある。
昨夜就寝したのは日付が変わる時刻よりも前だったか後だったか。いずれにしても、未だそう時間は経っていない。
寝つきは良いと云える方でも無いが、悪いと云う訳でも無かった。
明日は時間に追われ其れこそ分単位で何かが起こる卒業式。スリザリンの寮監として、7年生を送出してやらなければ為らない。
皮肉なものだ。
敵対する寮であるグリフィンドールの生徒と我輩が恋に堕ちる等。有っては為らない不始末、巡り会い想い合ってしまったのだから仕方ない。
腕の中ですやすやと眠る未だあどけなさ残る幼い子どもを視界に入れて、苦く笑う。
些細な音で安眠を遮ってしまわぬ様に、ゆっくりと音を立てずに指先で柔らかい頬に触れ、流し落された侭の漆黒の髪を梳いた。
薄く開かれた桜色の唇から静かな寝息が漏れ、ブランケットから若干覗く滑らかな肌、起毛の長いブランケットに包まれた侭の身体は全体で呼吸をする様に僅か に上下した。


此の侭此処に居ても眠りは訪れないだろう。
誰より己が一番其の理由を判っていた。グリフィンドール所属、現在7年生であるはスネイプの恋人だった。
卒業を明日に控えたホグワーツで過ごす最後の夜、独りの生徒が夜な夜な寮を抜け出していると知る者は誰もいない。
周りで知る者等誰一人として居ない確信があった。周囲に悟られない様に長い間巧い事欺いて来た。
其れが、良かったのかは判らない。





「 …、此れで茶葉が丁度無くなるな。 」





寝れない理由等一つしかなかった。明日の卒業式、其れが全ての元凶だった。
この期に及んで教師が生徒を卒業させたくは無い等と…馬鹿馬鹿しい。無心で送出せると思っていた。つい昨日の瞬間までは。
けれど如何していざ其の日に為ってみれば、心許無く気持ちが右往左往に低迷した様に不安定になり、仕舞いには徹夜続きの筈だと言うに眠気さえ訪れない始 末。
なるべく音を立てぬ様、ベットから降りて部屋奥の扉を開いてキッチンとは到底呼べない簡素な作りの場所の灯りを僅かに燈す。
水でも飲んで気を落ち着かせようとした矢先、偶々眼についた木箱。羊皮紙に掠れた様な文字が走り書きされている其れは、イギリスに行った際にが購入し た果物の紅茶だった。
は薫りを嗅いで其れを気に入り、部屋に訪れる際は茶葉を指定しない限り好んで其れを淹れた。
かなりの分量の茶葉が入る木箱は持上げると中身が空の様に軽く、蓋を開けてみれば残り一回分飲めるか否かの茶葉が在る。


迷う事無く、陶器のポッドに放り込む。
上から湯を掛ければ、室内に甘く芳ばしい薫りが一瞬で広がり、温かい湯気が頬を掠めた。
座る事も面倒で、どうせ誰も居ないのだから、とキッチンの縁に手を付いて淹れ立ての紅茶を口へと運ぶ。
途端に広がる薫りと味に、自然と眉間に皺が寄り、一口飲んだだけのカップは其の侭テーブルに置かれた。





「 ………… 」





可笑しい。
暫く自分で淹れなかっただけで、こんなにも味が変わってしまうものなのだろか。
昔初めてに淹れてやった紅茶を、は感嘆の声を上げて褒めた。
こんなに美味しく紅茶が淹れられるのは凄い、と。
事実、が淹れる紅茶は何時も何処か欠けていて、其れこそ自分で淹れた方が何倍も美味しいと感じた。
美味いかと聞かれ、マイナス評価を下してやれば、懲りもせず毎回毎回工夫を懲らして紅茶を淹れる。
たかが紅茶だと詰って遣れば、初めて怒りを表面に出して、折角飲んでくれるんだから少しでも美味しいものを出したいと剥れた。

今でも時折、に紅茶を淹れてやれば、美味しいと柔らかく綻ばせて如何すればもっと美味しく淹れられるのかとしつこく聞いてきた。
昨日も別の紅茶をに淹れて遣った。昨日も変わらず紅茶の出来は良く、は何時もの様に口惜しがって茶葉を見続けた。

何が、違う。
たった今咥内に入れた紅茶は、酷く拙かった。昨日と変わらぬ淹れ方、一昨日と同じ茶葉、何が違う何が悪い。
今朝方が淹れた紅茶の方が数倍も美味いだ等と…自然に胸中に湧き上がった感想、失笑するにも程が在る。
若しかしなくとも…我輩も、慣れてしまったのだろうか。
世辞にも美味いとは思えなかった拙い紅茶の味に。





「 …我輩とした事が… 」



「 …セブ…ル…ス? 如何したの? 」





直ぐ傍で、声がした。眠れないの?と問う其の声は、未だ朧気な意識の中を彷徨い続けている様に覚束無い。
ほんの一瞬、琥珀色の液体を棄て去ろうと伸ばした指の動きを止めた我輩の背に走った動揺、暗がりの中でも気付かれただろうか。
が床を抜け出し、眼と鼻の先にブランケットを持った侭歩いて来た気配、微塵も感じなかった等。
泳がせた侭の視線を真っ直ぐに薄紫の瞳に合わせて遣れば、あどけなさ残る其の口唇に微笑みが浮ぶ。
反射的に指先で、桜色の唇をなぞった。ひんやりと冷たさを帯びた指先から、温もりが伝わって体温を奪われたが僅かに身じろぐ。
柔らかい髪がさらりと肩口を滑り落ちて、はたと指先に零れ落ちて来た。

漸く温まり始めた暖炉の灯りと窓奥で鳴る季節外れの雷雨を何処か遠くの出来事の様に感じながら、我輩は其の侭立ち尽くしていた。






「 紅茶…? 起してくれば私も一緒に飲ん… 」





遠く、遠かった筈の別れ…其れを思って、半ば強引な力だけで唯腕の中におさめた。





「 可笑しいのだよ、。 」

「 可笑しいって何が…? 」

「 最近我輩の味覚がおかしいのだが…。
 どうやらお前の入れた紅茶しか飲めなくなったようだな。もちろん責任は取ってくれるのだろ?」





発した解答は己でも驚く程に本当に微かで、は聞き取れなかったのか小さく首を傾げていた。
普段は決して吐かない様な言葉も、眼に見えて迫った別れの瞬間には、一瞬其れが空耳かと思う程、己では耳慣れない言った験しの無い言葉。
誰より驚いたのは寧ろ言葉を発した自分の方で、其れが伝わったのかは薄紫の大きな瞳を見開いた。
何を馬鹿な事を、己が己を自嘲失笑せんとする言葉が咽喉奥から競り上がって止まない。
けれど言葉は何時まで経っても発せられる事は無く、代わりに腕の中から抜け出す様に身じろいだが、ようやっと届く距離まで腕を伸ばして紅茶の入った カップを掴み上げる。
棄てられる筈だった琥珀色の液体は、未だ確かに其処に有った。
其れがの細く白い喉奥に注ぎ込まれるのを見た瞬間、あの時捨て置けば良かったと我ながら後悔する。
たった一口。僅かな量の液体を飲むだけの時間がこんなにも長いものだと、初めて知った。
其れは酷くゆっくりとした怠慢に似た感覚を脳天から植えつけてくれた。


故に…次に語り掛けられた言葉の意図を把握するのに、時間が掛かった。





「 …セブルスの紅茶、何時もと変わらず美味しいよ? 」

「 ……世辞等要らん。 有りの侭を述べれば良い。 」

「 本当に美味しいんだってば。 唯ね…唯、一つだけ勘違いしているんだよ、セブルスは。 」





---------- 紅茶でも料理でも、誰かが自分の為に作ってくれたものって、味とか関係無くって…
      心が満たされるから、だから美味しいって感じるんだよ?





柔らかく微笑んで、もう一口は琥珀の液体を飲み干した。
そして何時もの微笑み零れ落ちそうな程の表情の侭、美味しい、と。
きっと、の指先からカップを掠め取って自分の咽喉奥に無理矢理流し込んだ処で味等先と変わらないであろう。
の云う様に、誰かの為に淹れる紅茶の味が、己以外の誰かの為に何かをする事が逆に自分の心を満たす等。
知らなかった訳ではない、唯、知ろうとしなかった…其れだけのこと。

溺れるまいと己に誓った言葉をまさか既に遠い過去に捨て置いて居たのだと、今になって初めて知った。
知らない振りをしていた侭に月日は静かに流れ落ちても、脳より先に身体が、身体より先に心が堕ちていた。
年端もいかない子どもに恋をした。そして気付けば其の子どもを愛していた。
この愚かさ、この醜さ、競りあがり日々増していく欲に押し潰される。
既に手離す事等出来ないまでに達していた。
そう、堕ちる覚悟等、とうにこの胸に在ったのだ。





「 私は…明日からもセブルスの為だけに紅茶を淹れるから。 」

「 我輩はお前の為だけに紅茶を淹れろ、と? 何時からお前はそんなに偉く… 」





悪態を吐いて嬉しさを誤魔化そうとしたのが伝わったのか、は唯微笑った侭言葉を聞き流しているようだった。
まぁ、良い。今日は卒業式、何が起きても何時もの如く平凡には過ぎないホグワーツの歴史の一行程度の出来事だろう。
歪むような苦い笑み、何時もと変わらない其れを作りながら、必死に裏の清冽な顔を消した。
其れでも見破った様に無邪気に笑いかける子どもに、感服した。
庇護者であった7年間と云う時間は、今日で終る。明日からは、如何して一介の女子生徒…年端も行かぬ子どもとこの様な関係になったのだろうかと困惑する日 も終る。

全てが終って、全てが此処から始まる。
夜が終って焔い陽がゆっくりと昇って朝が来る様に、また、始まる。





「 式を終えたら…また此処に来るといい。 祝いだ、好きな茶葉を選び給え…特別に淹れてやろう。 」





…他に、今のこの想いを表す言葉が、見付からなかった。
思い起こせば、と出逢って恋に堕ち、共に過ごした日々は確かに己が生きていると実感できた日々だった。
あれ以上の幸せはきっともう無いだろう。
走馬灯の様に一瞬で脳裏を過ぎった想い出は、随分と遠い昔の様にも思え、真新しいものにも思えた。
僅か、7年。されど、7年。
後戻りをするには充分過ぎるほどに手遅れなだけの時間が経っていた。


そう云えば、昔暇潰しに読んだ分厚いマグルの古文書に詰ってあったな。
今になって其れを思い出すとは。


------- 落花流水。


落花に情があれば、流水にもまた情があってこれを載せ去るの意。
男に女を思う情があれば、女にもまた男を慕う情の生じる事。





馬鹿馬鹿しいと嘲った嘗ての己が、今の己を失笑した。まぁ其れも良い。
明日も変わらず、我輩は文句の一つを吐きながら、の淹れた紅茶を飲むのだろうな。
そうして心の底で、…其れが、絶え間ぬ永久に続く様にと願うのだろう。










卒業企画【キミに贈る、言葉】 第十弾

「最近我輩の味覚がおかしいのだが…。
どうやらお前の入れた紅茶しか飲めなくなったようだな。もちろん責任は取ってくれるのだろ?」
ミワコさんリクエストによるセブルス・スネイプ夢です。
親世代×子世代、ヒロインは卒業生、グリフィンドールのヒロインと教授はすでに恋人同士。 しかし、二人のことは周りに秘密。

…一応、台詞は手直しを加えずリクエストの侭使わせて頂いております。
詳細設定思いっきりすっ飛ばし流して誤魔化してしまって済みません(汗)。
スネイプの淹れる紅茶は格段に美味しいと思いますが、やはり誰かが自分の為に淹れてくれた紅茶(に限らずですが)は最上のものですよね。
良い例がお母さんの作ってくれるお弁当です(笑)
アレだけは幾つになっても美味しいと感じます。お弁当、自分で作ると味気ないですもの。
【落花流水】は私の好きな四字熟語でもあります。響きも素敵ながら意味も最高。
何時かこの諺で夢を書きたいと常々思っていたので、今回実行に移して仕舞いました。
BBSに書き込み形式で行った今回の卒業企画、10個放出したウチの10個目の作品です。
最後だから…一応リクエストのトリだから(勝手に捧げた夢があと3つ程続きますが)…気合だけはしっかり込めました…!


この作品はミワコさんのみお持ち帰り可能です。
文章の著作権以外はご自由にどうぞ。

update 2004/3/29



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