| 彼に出逢えた事を、一生恨みます、神様。 神と呼ばれる、人の心の奥底に巣食う縋り寄り掛かるべき虚像の存在の、純粋な崇高者でも無ければ従順な使徒ですらも無い。 カミサマなんて信じた事は一度も無いし、運命なんて其れこそ言葉にすること自体が馬鹿馬鹿しいし、奇跡なんて起きてしまえば奇跡でも何でもない、単純な偶然の組み合わせの出来事だ。 …でも、数億と云う人が暮らすこの惑星で彼に出会えた事実を、人が奇跡と呼ぶのならば、私は奇跡を起こした貴方を恨みます、神様。 純粋な魔法使いの血が唯の一滴も流れ落ちない穢れた身体、触れられぬと判っていながらも、魔法界で知らぬ人間は居ないと賛美される純血の男に心を奪われた。 あぁ、カミサマ。 赦されるのならば、今まで彼と過ごして来た日を忘却し、あの日出逢えた事実ですらも滅した侭に、二度と出逢うことの無い軌跡を引いて下さい。 求められても与えられても、与えても求めても、決して私のものになることの無い心ならば、初めから距離など縮めなければ良かった。 「……愛してる」 カミサマ、そんなに私の事が嫌いですか。 其の言葉を彼の口から聞く度に、私の心は端から溶解し崩壊してゆく。 脳が知覚する前に、心が悲しいと悲愴に涙を零す。 ねぇ、神様。其処から面白そうに見ているんでしょう。あなたは私が嫌いだから、悲境に陥れるのでしょう? もう、良いよ、十分でしょう。許してよ、彼の口から【愛している】の言葉を聞く度に、嬉しさと悲しさで心が引き千切られそうだよ。 【愛している】と云った音を組み合わせただけの言葉に誤魔化され騙され続けて生きて居られるほど、強くも無くなったし、割り切る事も出来なくなった。 彼、ルシウスの薄い唇から紡ぎだされる甘くて低いテノール掛かった声は、酷く柔らかく愛しく心に響き満たされる様な感覚に支配されるのに、何処か滑稽で虚 偽に塗れて居る事に気がついた。 其の場限りとか、其の場凌ぎとか、色々と表現はあるだろうが、彼の中で私もそのカテゴリの中に括られている事は事実だ。 誰よりも、自分が一番良く知っている。 一番でも二番でもない、番号すら付けられることの無い"大勢の女性の中の独り"でしか、彼の隣に立てず彼に必要とされない。 マグルであれば、殊更、だ。 それでも、その麗容な容姿に絆され心と眼を奪われ。気付けば何時も視線で彼を追っていた。 紡がれる、本来の感情の一遍も籠もらない単なる言葉に、騙され絆される女が大勢居るのは本当のことだ。 私の友人も、嘗ての同胞も皆、その一言で、すっかりルシウスの虜になってしまった。勿論、過去の私も例外ではない。 今思えば、酷く滑稽で自嘲すらしたくなる。 【愛している】 本来は純粋な愛を告げる為の言葉を、何の感情無く挨拶でもするようにさらりと誰に対してでも口に出せる男が、ルシウスだ。 そんな彼の唇から、吐かれる安価な言葉に、絆されたり心奪われたり、揺らいだりしない。 本気になったりなど、しない。 向こうが遊びの関係を維持するためだけに吐いているその言葉を、信じたりなんてしない。 どれだけ愛そうとも、そう云う扱いしかされないのだから。 だから私も、貴方とは遊びでしか付き合わない。そう心で割り切ってるから、今も傍に居られる。 だって如何足掻こうとも、純血のルシウスに、マグルの私では隣にすら立てないのだ。 欺瞞に満ちた【愛している】の一言で埋められる心ならば、恋など必要ない。 愛より近く、恋より遠く ![]() 薄暮に棚引く紫が落とされた、午後18時。 魔法界にある高級マンションの一室で、する事も無く自堕落に教科書を訥々と眺めていた私は、緩い溜息を吐いた。 別に"此処へ来るべく男の登場を待ち侘び、されど中々現れない事への焦燥"から来る溜息ではない。 寧ろ其の逆、"此処へもうじき来るだろう男に罵詈雑言を浴びせ、今日こそ部屋に入れない決意が脆くも粉砕する事への焦燥"だ。 私は全寮制のホグワーツ魔法魔術学校で教鞭を取っている。 着任してから未だ三年と経験も歳も若いが、生徒や教師陣、保護者からの評価も高く信頼も厚い。 この年齢で普通の年齢の二倍もの年収があるのだ、誰でも今の地位を護り抜きたいと思うのは本能だろう。 私も例外無く、生徒に手を出すどころか、私生活でも学校生活でも模範的な教師の役を演じ続けてきた。 「今日は君の手料理が食べられるとは…早くあがってみるものだ」 魔法省の勤務時間終了から一時間後にマンションのベルを鳴らした彼―――ルシウス・マルフォイは、夕食後に私が淹れたばかりの珈琲を一口飲もうとカップを手に取るが、私は其れを奪い取って定位置のソファに腰を落とした。 ルシウスも習った様に銀糸を縫い止めていたリボンを解き、私の隣へ腰を落す。 今日は帰るつもりなのだろうか、其れとも泊まるつもりなのだろうか。 思いあぐねきながらも、到底自分から聞く気にもなれず、私は数時間ほど前まで遣っていた羊皮紙の採点を再開した。 偶々一番手前に在った羊皮紙を手に取り赤を走らせれば、記された名にルシウスの眉目が上がる。 「――――息子は汚字で君に課題の提出を?」 そう、彼、ルシウスは私が教えるホグワーツ三年生にしてスリザリン寮所属の、ドラコ・マルフォイの実父だ。 言わなくても判るだろうが、私とルシウスが出逢ったのは紛れない、ドラコと云う一人の教え子を通じてである。 教え子に手を出すのも問題視されるのは勿論だが、だからと言って其の父親に恋愛感情を抱くというのも如何だろう。 最初は拒んでいた。一応モラルとか倫理とか評価とか世間体とか「お前は教師だろう」とか、あらゆる固定観念が脳内をせしめていたのだが、薄く開いた口唇から氷雪の様な冷ややかな音程で誓約の言葉を口にするように名を呼ばれた瞬間、 空っぽだった胸中に、微かな光りが燈った。 「ドラコは未だ綺麗なほうよ、ロングボトムの字は魔法を使わなければ、精々数字が認識できる程度だから」 余り読み安いとは言えない文字を目で追いつつ、カップを片手に持ちながら珈琲を飲むルシウスに返事を返す。 流し読みする様に羊皮紙を見遣り、可も無ければ不可も無い在り来りな内容に歎息しながら末尾にサインを入れて、合格用のケースに放り込む。ついでに再提出の羊皮紙は斜めに目を通し、インク残量の少ない【不可】の検印をドンと押し付けると、ぺいっとケースに投げ入れた。 「家に帰ると…息子が良く君の話をしているよ。"マグルなのに優秀で麗容で怜悧透徹な教師"、だと」 「光栄だわ、ドラコは講義中、私の眼すら見てはくれないもの」 「……所詮稚児の恋愛など、そんな程度だ。」 「あら、ドラコはもう13歳だけれど?」 けたけたと子どもの様に笑う私の髪を長いルシウスの指がするりと撫でれば、耳横に流れた薄灰黒の稜線がさらさらと繊細な滝を形作った。 手慰みに遊ぶ動きを嫌がるように頭を振れば、滑った指が柔らかな耳の先に触れ、薄い唇が思い出した様に耳朶を食む。 「愛している、」 思い出したように、ルシウスが言う。 言葉も仕草も態度も情景も全て、ありふれた日常の一片だった。別段可笑しいことはない。 だから私は、胸の奥に潜む鈍い痛みを無視し、地に吸い込まれる深い喪失感に真っ白になる頭を冷静になるように沈めながら、ソファに深く腰掛けたまま、ただ眠る真似をする。 羊皮紙の採点に飽きたからでも無ければ、眠たい訳でも無い。 ルシウスが私の髪を撫ぜたいというのだから、好きなようにさせているだけで在って、心地良さに身を委ねている訳ではない。 幸せに浸っている、訳ではない。 言い聞かせるように、薄い瞼閉じて思考を遮断する。 私は出逢ってから今この一瞬であっても、彼の言うことが全て嘘なことを知っている。知った上で、彼との恋愛を楽しんでいるのだ。……そう自分に言い聞かせてみる。 何時、如何なる時でも。 逢瀬の最後に自分が目にするのは、銀糸が揺らぐルシウスの背中。 薄銀糸と薄蒼の彩の残滓は、ルシウスが不在の時ですら息子のドラコを眼中に入れた時ですら、眼瞼の裏を鮮やかに染め上げた。 「……言葉には言葉を返すのが基本では?」 意地の悪い微笑をルシウスは口の端に浮かべる。 其の言葉に、声にならない慟哭と愛しさが確かに私の中にあった。だが、 「大嫌い」 一蹴する様にそう返事を返せば、ルシウスは口元を歪ませて咽喉奥に哄笑を聞かせてきた。 それから冷えた左手で頬を包み込み、無理矢理に顔を覗き込まれる。 薄蒼の濡れた瞳が真直ぐに私を映す。彼が家へ帰って妻にそうしているように、彼が余所の女の家でそうしているように。 心を賭けるものなど在りはしない。 私に愛していると囁くこの男だって、家に帰れば妻が居て子どもが居て、普通の暮らしをしているのだ。 私が本気になったところで、他の女が本気になったところで、何かが変わるようなものではない事位知っている。 それから暫くして、ぽつりと。 淡い赫の唇が解かれて、今度は明確とした不満と憤怒の込められた言葉を呟いた。 「…私以外に女が沢山居て、妻が居て子どもが居て、魔法省の高官で純血崇高主義者の貴方なんて大嫌い」 先ほどの科白に続きがあるとも、明確な理由が在るとも思ってすら居ないルシウスは、燈火の下で真直ぐに見詰める私に薄蒼眸を向けた。 「―――――其れでも、拒めないだろう?」 形の良い薄い口唇に弧を描き……ゆっくりと口角を上げ、ルシウスは自信に満ちた表情で、突き放すようにも聞こえる響きを落す。 途端、興味が失せたよう。滑稽なのは寧ろ私なのだと思い知らされたようで、自然に私が穏やかに笑う。 偽善ばかりの世界で、ルシウスが指摘した言葉は、嘘偽りの無い真実だった。 「私は君を愛している、」 愛していると告げながら、先ほどと変わる事無く飽く事無く私の髪を梳く端麗なルシウスの横顔を眺めながら、思う。 何故今迄、嘘でも欺瞞でもその場凌ぎでも感情が籠って無くても、言葉だけなら幾らでも告げることの出来た「愛している」という小さな科白を自分は口にしなかったのだろう。 思い遣って、漸く、気が付いた。 あぁ、私は彼に対して、彼の様に無感情の侭言葉だけの「愛している」と紡げない程に彼を愛してしまったのだろう。 感情と親愛と友愛と憐憫と慈しみ、綺麗な綴りで紡いで伝えたいと、柄にも無く本能がそう叫んでいるのだろう。 相手から貰えるものは、常以上に甘さだけを加えた不遜かつ端的な台詞だと云うのに。 「其れでも――――私は貴方に"愛している"なんて、言わない」 「君は…言葉よりも眼を見れば何が言いたいか、が伝わるから構わないが?」 す、と水のようにそれは浸みこむ。 ルシウスの姿を見る度に胸を尖った爪先で引かれる様な疼痛や心を引き千切ってしまいたい鈍痛は消えて、代わりに後戻りの出来ない圧倒的な幸福の中に立っていながらも、それは絶望でしかないのだと云う事を知る羽目に為った。 欺瞞に満ちた【愛している】の一言で埋められる心ならば、恋など必要ない。 埋められないから、其れが愛なのだと知ったとき、私は世界の片隅で神を呪った。
[ Back ] (C) 2002-6 The fanfictions are written by Saika Kijyo. update 2006/10/26 |
|