墓碑銘
暗い森を奥へ奥へと歩いて、海に面した小高い丘に行き着く。
その端は断崖絶壁で、潮を含んだ強い風にびくともしない石柱だけが、そこに存在する全て。
ぱさり、と花束がそこへ置かれる。
淡い色彩の、決して豪華でない可憐な花達は、彼の人が好んだもの。
花束を置いた主は、全身を黒の衣装で包んだ、背の高い人物だった。
曇り空の、モノトーンの風景の中、彼の紅い瞳だけが鈍く光っている。
目深に被っていたマントのフードを背に落とし、彼は石柱の前に跪いた。
「来るのが遅くなったね。…怒ってるかな?」
誰にも聞こえないような声で、ぽつりと呟く。
ざあ、と激しく吹きつけた風が、言葉を海へ攫っていった。
「リドル?…もしかしてホグワーツのトム・リドル?」
そうダイアゴン横丁の端で声をかけられたのは、リドルがホグワーツに入って数年を経た時だった。
夜の闇横丁への入り口は、ほとんどの者が知っていて、普通は決して通ろうとはしない。
そこへ向かいかけていたのを見られたのは、不利なものがあるかもしれない。
口の中で舌打ちしつつ、聞き覚えのない声に、おそらく同校の生徒だろうと振り返ると、そこに知らない少女が立っていた。
色白の肌に、黒曜石のような漆黒の瞳。
華奢な身体の背中に流れる漆黒の髪は滑らかで、絹糸のよう。
微笑みを刻む唇は、健康的な桃色をしていた。
とても印象深い存在だった。けれど、リドルの記憶にはない少女だった。
「…わからない?」
リドルが首を捻っていると、少女は少し寂しげに首を傾げた。
そうして溜息を一つ漏らす。
「でも、仕方ないかな。リドル、孤児院嫌いだったものね」
苦笑混じりに呟かれても、何も思い出せない。
ただ、孤児院という単語からそこにいた―――または現在もいる―――子供達を脳裏に思い浮かべ、目の前の少女と照らし合わせていく。
適合したのは、たった一人だった。
「………。・?」
記憶の本当の端っこに残っていた名前を、自信なく口に乗せる。
とたんに少女はにこりと微笑んだ。
「思い出してくれたのね。良かった」
少女―――は心底嬉しそうに笑った。
でも、よくは覚えてないのでしょう、そう言って何がおかしいのかくすくすと笑みを零す。
けれど、それは本当の事でもあった。
一つ確かなのは、孤児院出身で魔法使いはいなかったはずだという事。
「わたしがあそこを出たのはリドルがホグワーツに入っている間だったから」
心を読んだように、は呟いた。
わたしはホグワーツ生ではないし、と言って空を仰ぐ。
「どうして僕がホグワーツに行ったと知ってるんだい?」
「リドルがホグワーツに発った次の日に、わたしに別の魔法学校から手紙が来て。『トムとは違う学校なのね』と院長が呟いたのを聞いて問い詰めたら教えてくれたわ」
事も無げに言って、顔にかかる髪を後ろに跳ね除ける。
「その学校には寮がなくて、孤児院からは通えなかったから一人で暮らし始めたの」
「でも、どうしてホグワーツじゃなかったんだい?」
素朴でとても重要な質問。
どこの学校に行く事になるか、の判断基準などリドルは知らなかった。
魔法を学べる事が嬉しかったし、単に一番近い場所に、魔力さえあればなるのだと思っていた。
「それはまあ、色々と複雑な事情というものね」
そうが言った時、の友人らしき少女達が、彼女の名を呼んだ。
「行かなくちゃ。夜の闇横丁へ行くのなら、気をつけて。また…今度は貴方の領域で」
よくわからない事を呟いて、はくるりと背を向けた。
唐突な退場を引き止めることすら出来ず、リドルはその後ろ姿を見送った。
領域とは何か、それを知るのはそれからかなりの時が経った後の事。
そうして、それがとリドルが会った最後の時となった。
リドルがホグワーツを卒業して数年が経った。
幾度かの闇の魔術による変身をしたリドルは、学生時代の面影を微かにしか残していない。
少しずつ、対勢力となる魔法使いや魔女に闇を伸ばしていたリドル―――いや、今ではもう、ヴォルデモート卿となっていた彼の耳に、聞いた事のある名が飛び込んできた。
その名を冠する女性を捕えたと聞いて、ヴォルデモートはその場所へと急いだ。
暗い森の奥深く。
辿り着いた時、ちょうど配下の者達がその女性―――に、「磔の呪文」をかけたところだった。
の顔が苦痛に歪む。痛みのあまり、悲鳴を上げる事さえ出来ないようだ。
「…っ、止めろ!」
意識するより先に叫ぶと、配下達は飛び上がらんばかりの驚き、すぐさま呪文を解いた。
それでも、呪文はサイカの身体と命を確実に蝕んでいたのだけれど。
ヴォルデモートの視界で、がぐったりと地面に崩れるのが見えた。
訝しげに見つめる配下達を、視線を投げるだけで下がらせる。
倒れたに近付こうとして、ヴォルデモートは立ち止まった。
「……リドル…」
うつ伏せになった身体を動かす事は出来ず、顔だけを上げて囁く。
「…それはもう、お前の前にいる者の名ではない」
「いいえ。貴方の…名よ。呪文を止め…させたのは、リドルの心…でしょう?」
切れ切れに言葉を紡ぐサイカの側へ、ヴォルデモート―――否、リドルは跪く。
抱き上げると、の身体から徐々に体温が失われていくのを残酷なほどはっきりと感じた。
「どうして…」
「貴方は、闇を生きる…人」
「君が中立でいたのなら、君には手を出すつもりは…」
泣きそうで、けれど涙を流せなくて苦しげに呟いたリドルの声を、の囁きが遮る。
「だからよ。リドルに…もう一度、会いたかった…から。前に会った時、貴方は…わたしを闇へとは誘わなかっ…た。中立の、ままでは…リドルに二度と会えないと、知って…いたから」
荒い息を吐いて、は微笑んだ。
外傷を与えられたわけではないの微笑みは、ひどく美しい。
リドルの脳裏に、幼い頃の記憶が蘇る。
それは、もう遠い日。
停電で暗くなった孤児院で、闇を怖がって震えていた少女に、一度だけ光を灯して見せた。
その少女は、孤児院で慕われているにも関わらず、どこか距離を置かせる事になっていたリドルの異質さ―――魔法の力を―――恐れるでもなく、ただただ柔らかく微笑んだ。
それは幼かった故なのかもしれない。
それでも、リドルにはそれがとても嬉しかった。
「…君は、あの時の――」
驚きのあまり口元を押さえて呟くと、は僅かに頷いた。
そう、は幼いリドルが唯一心を許した相手。
そして、ホグワーツから戻った時、一番に微笑むはずだった相手。
その存在は、マグルの世界でのリドルを癒していた。
それが失われた時、リドルは痛みと共に、少女と共に過ごした記憶を、心の奥深く封印したのだ。
「本当に…思い…出して貰えて…良かった。わたし、わたしね、リドルの事が好きよ」
にこりと儚い笑みを浮かべたに、リドルは顔を歪めた。
こんな時に、そんな台詞を言うのはずるい、と思った。
―――ずるいよ。君は逝ってしまうのに―――
口に登りかけた言葉を、苦労して飲み込む。
愛して欲しかった。ずっと。
愛に愛を返してくれたなら。
平等に注がれる愛では足りない。
唯一僕だけを見て、くれたなら。
闇を望んだりしなかったのに。
「リドル…愛しているわ。わたしに光をくれた…リドル…。あい、してる……」
柔らかな微笑みを浮かべたまま、は瞳を閉じて、そうして二度と開かなかった。
自分以外の生あるものの気配がしない、暗い森で、リドルはを抱きしめて、声もなくただただ透明な雫を零していた。
風が収まった時、その石柱―――それを墓と知るのは一人だけで―――の前には、花束が揺れているだけで、誰もいなかった。
墓碑には、こう、刻まれている。
『光と共にあり、闇を愛した・ここに眠る。永遠に、その眠りを妨げる者のあらん事を』
あとがき
60のお題に沿って書いた二番目の話。
またしても長いです。
どうやらわたしはお題に沿う前に、色々と設定とかをつけてしまっているのが敗因(負けなのか(笑))
「リドルは墓に花を供えたりしなさそう」というある方の一言をきっかけに生まれた話。
複雑な事情というのも本当はちゃんと考えたのですが、それを出すと恐ろしく長ーくなりそうだったので、止めました。これでも長いのに。
何か微妙に抽象的なような…そうでもないような。
最後の方を書いている時、書きながら泣きそうになっていたのはここだけの話です。
□ 月詠さんへ □
…夢を頂けた…ということは、バラしてしまってもいいのでしょうか(笑)
その節では私の勝手なる我侭を聞いて下さって有難うございましたvv
月詠さんの夢を拝見したとき…ふと思いついたネタが「リドルは墓に花を供えたりしなさそう」だったのです。
チャットをしている最中に月詠さんにその事をお話したらば、こんな素敵な夢に…vv
掲載許可を頂いたので、しっかりとサイトにて飾らせて頂いていますvv
月詠さんの書かれるリドル…ここまで来ると、素敵を通り越して鼻血です、鼻血!!
こんなに素敵なリドルを下さって有難うございましたvv
家宝…月詠さんの夢で金庫を埋め尽くしたいと言う野望を密かに抱いて居たりします(笑)
…此処だけのお話…私も最後にうるると瞳に潤うものが…(泣)
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