---------- 人が何か意を宿した心の声を、音として言葉として口から紡ぐには、並々為らぬ努力が要る。






決意







「 【仕事】に行く。大人しくしていろ 」





群青に白を少し落した様な空が、橙を含んだ夕闇に代わる時分、何時もの様に数名のデス・イーターが主であるヴォルデモートを迎えに来た。
迎えに来た、と言っても此処はヴォルデモートが根城にしている地下屋敷。呼立てるまでも無く時が来ればヴォルデモート自身が重い腰を上げるように自室から 出て、下界へと降りて行くのが常日頃。
けれど、そんな日常は、ある日彼が女とも言えぬ少女を拾って来た日から変わる。何処で如何見付けて来たのかは定かでは無いが、一本の杖とホグワーツ魔法学 校に通う証の其のローブを纏った15歳程度の少女が、鋭気酷薄な表情のヴォルデモートの後ろに静かに立っていた。
勿論愕いたのはデス・イーターの面々、しかし誰一人として主に其の意図を問い尋ねることが出来る者等存在せず、言われる侭に地下篭城は独りの少女を向かい 入れる羽目に為った。





「 また、仕事…?ねぇ、仕事って何なの? 」





実年齢よりも大分精神が崩壊しているのか、拾われた少女は天真爛漫で破天荒な性格を持つ、正統な純血を引いていた。
薄紫の大きな瞳が、先まで読み耽っていた文学書から引き剥がされて真っ直ぐにヴォルデモートの瞳を見据える。
------ 仕事。其の意味は知らずとも、ヴォルデモートが闇の帝王として魔法界に君臨する存在だという認識は少なからず持っている。
つまり、ダンブルドアに加担する人間やマグル、己の意にそぐわない者を抹殺するのが、自らに架した仕事であると。
少女の無垢な質問は、ヴォルデモートより先に彼の脇に居たデス・イーター達の心に酷く鋭利な刃になって音を立てて突き刺さった。
ヴォルデモートとは異なり、其れこそ感情表現豊かに屈託無く誰にでも接する少女は、デス・イーター達の中でも特別な存在に為りつつある。



そんな純真無垢な少女に、此れから【ヒト】を【殺し】に行くのだと、誰が言えるだろうか。





「 …、お前には関係無い。 」





大方、何の気為しに聞いたのだろう事は眼に見えていた。最近は日を追う毎に留守にする機会が必然的に増え、帰る迄の時間も比例する様に長さを増してゆく。
この地下篭城に来て以来、が下界に下りた日は一度として無い。また、自身が其れを臨んだ事も無い。
部屋で独りきりに為る事も慣れている筈だろうに、ヴォルデモートのしている事にも厭と言う程に気付いているだろうに、こうして問うて来るのは確固たる証拠 の言葉が必要だからであろうか。
兎に角、言い包める事が困難を窮めそうな厄介な質問、其れ以上は聞いても無駄だとばかりに冷たい言葉が口から毀れた。


聞いても無駄だと悟ったのか、は其れ以上のしつこい詮索をする口を閉じてしまった。
聞き訳が良い訳でも無いであろうが、仕事前のヴォルデモートを怒らせたくは無かった、というのが本音であろうことは明白。だから口には出さなくても、表情 に納得の行かない旨が連々と浮かび上がっている様にさえ見えて。
別に、事実を其の侭包み隠す事も無く教えて遣っても良かった。寧ろ、隠し通すよりは遥かに楽であろう。
しかし、心の底から感情を欠如させるという方法を知らぬ無垢な少女、これ以上己の存在をの中で最悪なものにしたくなかった事が本音かも知れない。





「 ヴォル、早く帰ってきてね。 」





ヴォルデモート、そう名を呼べないは此処に着てからずっと彼をそう呼ぶ。
勿論、この城の中でヴォルデモートの名を呼ぶ者はしか居らず、ヴォルデモートが其れを赦すのも少女唯独り。
ひらひらと可愛らしい手を振りながら、天使の様な満面の笑みで送り出す其の様、送り出す目的の先に【ヒト】を【殺す】事が有るのだと知れば、やはり其の表 情は凍り付いてしまうだろうか。
氷徹した絶対零度の床を歩きながら、如何でも良い筈の自問自答が脳裏から離れない。



今日の【仕事】は最悪を極めた。手間取ったとか、傷を負わされたとか、そんな安易な類のモノでは無い。
悲愴に顔を歪めたヒトを目の前に、一瞬脳裏に浮かんだのは唯一、瞳に涙を張ったの顔だった。





*     *     *





「 …ベットで寝ていろと、何度言えば理解する? 」





何よりも先に、自室に転がる様に入り込めば、瞳に飛び込んできたのがブランケットを抱いて床に丸くなるの姿。
安心し切った様に可愛らしい表情で眠りに堕ちる其の様を見れば、自然と苦笑にも似た溜息が漏れ、起さぬ様にと其の侭ベットに運ぶ為細い腰に腕を回した。
抱き抱えて運ぶ羽目になった為、必然的に身体と身体を密着させる体勢、体温を感じ取ったのか包まる様に顔を埋めて来た感触が伝わる。
一歩前に踏み出せば、深い眠りから覚醒したのか、小さく声が聞えてきた。


---------- 血の、匂い…?


か細い凛とした声は、薄紅色の唇は、確かにそう紡いだ。
一瞬で、冷水を脳天から浴びせ掛けられた心地だった。消し去った筈の返り血、思い出しただけでも嫌悪侮蔑の対象の其れが微かに残って居たのだと悟れば、更 に慌てる。
心の臓の鼓動が速くなったと自分でも気付けば、腕に抱いたの大きな瞳が終に開いた。全てが、音を立てて凍り付きそうな錯覚に陥る。





「 …私のでは無い。唯の【仕事】だ。【ヒト】を【殺す】のも、其の返り血を浴びる事さえもだ。 」





恐酷で表情を見れない等と言う失態、生まれてから初めて経験する事だった。
温度を解さぬ唇から毀れた言葉は、想像以上に尖った声で、冷徹と言うより既に感情の籠らぬ其れ。
視線を落とせば飛び込んでくるのは、悲愴に満ちた表情か嫌悪侮蔑の瞳か、蔑憐の視線か。何れにしても初めて見る肯定的では無い表情なのだと客観的に悟っ た。
意を決する様に眼下を覗けば、克ち合った薄紫の瞳は、普段となんら変わり無く大きく開かれ微笑を宿していた。





「 …良かった。 」





目元に緩やかな表情を描いて、唯は笑んだ。
臆した予想を全て見事に裏切って、唯の少女は其れこそ普段の侭に可愛らしい表情で笑っただけだった。
何が良かったのか、数時間前に問い詰めてきた其の答が【ヒト】を【殺す】ことだと教えてやったにも関わらずに、何の変化無く微笑めるその精神は一体何なの かと今度はヴォルデモートが思案する羽目となる。
思案すれば、其れは更に強大な疑問となって己に降り掛かってきた。何故こうも変わらず微笑む事が出来るのか、安心しきって其の身を委ねる事が出来るのか。
同じ【ヒト】を何の感情も為しに死に追いやるヴォルデモートの傍に居る、此処では誰よりも弱い筈の少女。
如何云う意味だ、何を言っているのか。と怪訝そうに眉を顰めて瞳を見据えれば、笑んだ侭の瞳は一層強調された。





「 ヴォルが無事に帰ってきてくれて良かった。
 …他の誰が死んでも関係無い、ヴォルが無事で、生きててくれるなら其れでいい。 」





可愛い顔をして、可愛らしい唇から吐かれる言葉の残酷さに無意識に息を呑んだ。
急に鼻を付いた血の匂いに吐き気がする。どれだけこの身体が血と憎悪に塗れようと、だけは穢しては為らぬと常々思ってきた事をたった今自分で否定した 気にさえさせられる。
誰より穢いと、再確認する様で苦笑する。純粋なまでのの屈託の無い感情は、酷く綺麗で、酷く儚い。





「 もし誰かが此処にヴォルを殺しに来たら…其の時は私が貴方を護ってあげる。 」





濡れた瞳が見上げる。傷付きやすい貴石の様に。
誰が如何考えても護って遣るべき対象はで、護る責を任されるのはヴォルデモートであろう。けれど、儚い存在の筈の少女は、瞳を鋭利なものにする訳でも なく意を決した訳でも無く変わらず笑んだ侭そう言った。
腕に抱かれながら、誰もが恐れ戦くヴォルデモートに対して【護ってやる】等と冗談でも笑えない戯言を。
けれども、其の言葉に対して真っ先に口を吐いて出たのは全く別の想像だにしない感情。





「 …要らぬ世話だ。お前に護られなくとも、私は死なぬ。 」





込み上げたのは如何し様も無い程の苦い笑い。
無邪気に笑うのは、其の心に穢れを知らぬからだと思い知れば知っただけ、酷く綺麗なモノに触れた様で心が病んだ。
もう既に、の中にはヴォルデモートの存在価値は絶対的なものに成り果てて、其れは永遠に変わることが無いのだろう。
抱き締めた細い身体。一回りも歳の離れた小娘に、二回りも小さな其の身体で護ると言われ、過った感情は後にも先にもこの瞬間だけ。




唯一信じられる存在が、漸く己の中に出来た気がした。








後書き

思えば、60のお題で一回も卿夢を書いていない事に気付きました(笑)
タイトルの決意、ですが…これはいわずと知れたヒロインの決意のことです。
ヴォルデモートを護る…なんて事は絶対に不可能なんでしょうが、ちょっと思い付いたシーンだったのでお題で書いてみました(笑)。



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