神無月の人魚
「 ミス …!如何して貴様はこうも我輩の仕事を増やすのかね…! 」
「 あ、スネイプ教授、おはようございます。今日も良い日柄で… 」
「 良い日柄?土砂降りの雨を捕まえて良くもそんな台詞が吐けたものだな。
兎も角、一刻も早く其処から上がりたまえ…!! 」
此処はホグワーツのとある一室。
普段は鍵が掛けられて厳重に監視管理されている筈のこの暗室に、偶々通り掛ったスネイプは僅かに光りが入り込んで隙間を開いている事に気が付いた。
何事かとゆっくりと、中の存在物体に影響を与えぬ様にそろりと近づくと閉まりかけた扉に手を掛けて中に身体を割り込ませる。
独特の潮の匂いが鼻を付いて一瞬袖口で鼻を塞ぎかけるが、其れよりも早く視界に飛び込んで来た姿に脱帽する事となる。
空いた口が塞がらないと言うのは正にこの事を意味するのだと、スネイプは其の時痛烈に実感した。
眼前に広がるのは、其処等の海を一つ丸ごと掻っ攫ってきたかの様に広大に広がる水面。
丁寧にも揺ら揺らと波間が立ち、所々に切り立った岩が其の肌を剥き出しにした侭横たわって居る。
深さも海を髣髴とさせる程に深度が高く取られており、其れに比例するかの様に澄んだ透明な蒼の水が見渡す限り一面に敷き詰められている。
構成物質も温度も気候も香りさえも全て本物の海と相似に作られたこの人工的な海は、ホグワーツのある教科の研究の為に使われていた。
しかし実際は、其の存在自体が余りに貴重な為、魔法省の職員に住人を連れて行かれた為に止むを得ずに閉鎖する羽目となってしまった今では存在自体が知られ ていない秘密の部屋。
住人の名は、Sirene。
その歌の美しさで船乗りを誘惑して難破させたという、ギリシア神話の半鳥半女の生物であり、アイアイエーとスキラの岩の間にある西海の孤島に存在している と言い伝えられている。
実際にスネイプもその存在をホグワーツで確認した事は無いけれども、酷く美しい人の形をした魚がこの部屋に広がる海で泳いでいたと言う話しは耳にしてい た。
其れがよもや…己が統治する寮の主席、 ・ が裸同然の姿で悠々自適に泳いでいるとはなんとも嘆かわしい。
「 スネイプ教授、手を…貸しては頂けませんか? 」
「 何を寝惚けた事を。一人で上がって来れない訳は有るまい。 」
「 其れが…如何やら足を攣ってしまったみたいで… 」
如何しましょう、と言う困惑の表情を浮かべる は膝丈の真っ白いワンピース一枚で揺ら揺らと海に浮いていた。
郷里から持参した私服だろうか、見た事は数回しかない其のナイトドレスにも似た服は酷く繊維が細く布地が薄い。
下着を着けていないのか、着けていても見えないのかは定かでは無いが上から見下ろしているだけでもピタリと肌に吸い付いた布は大人になり掛けている少女の 肢体を否応為しに強調させる。
東洋人独特の黒曜石の瞳に、漆黒の黒髪。
唯でさえも神秘的に映る其の様に付け加えるような形で、濡れて水分を含んだ重たい髪からポタリと雫が落ちる。
下に居る が上に居るスネイプを見詰めると言う表現が正しいこの状況下、漆黒の瞳に蒼の水面を映した がゆっくりと微笑んで見せた。
如何したら其の様な屈託の無い笑みを浮かべることが出来るのか、と問い質したくなる程に其れは自然で、時に扇情的でも有った。
其の笑みに感化される様に一つの溜息を吐いたスネイプは、仕方ないとばかりに岩間に足を掛けると腕を伸ばした。
の細い腕が水面から引き攣られる様に現れると、更に腰を屈めて抱き上げようと腕を下方に伸ばす。
刹那、天使笑みが悪魔の悪戯笑に変化する。
息を呑む間も与えない程の隙、ぐいっと強くスネイプの手首を掴んだ は其の侭海の中に引き込む様に勢い良くスネイプを自身の方に招き寄せた。
無論、云うまでも無く反動衝動を堪え切れなかったスネイプは、無残にも頭から海に突っ込む羽目に成る。
バシャン、と言う乾いた水音と飛び散る水滴、広がる水面に愉しそうな の笑い声が木霊した。
「 …貴様、我輩を… 」
「 駄目ですよ、教授。
こんな子供みたいな手に引っ掛ったら何時【例のあの人】の策略に落ちるか判りませんよ? 」
「 其れと此れとは話が別だ…!
良いか、今日と言う今日は徹底的に判らせてやるから覚悟し給え! 」
「 全身ずぶ濡れの【濡れたヒヨコ】みたいな姿で言っても全然権威も恐怖も無いですよ? 」
クスクスと笑いながら はスネイプにそう言った。
確かに の言うとおり、今のスネイプの状況は他人に説教してまともに話を聞き入れて貰えるような状況下ではないと言える。
限り無く透明に近い蒼い水面に映し出されるその姿は、頭から海に突っ込んだ為に余す所無く水に濡れ、普段以上に肌に纏わりついた髪からは止め処無く雫が流 れ落ちている。
服を着た侭落ちてしまった為に、 以上に余計な水分を含んだ布切れは重さが況して海に漂う海藻類の揺れに似た状況を作り出していた。
更には呆気に取られた様に自我を事欠きそうな程に憤慨宛らの表情では有れど、全身ずぶ濡れの挙句水を滴らせている状況下では如何も恰好が付かない。
それどころか余計に滑稽さを際立たせてしまう。
「 如何でも良いからさっさと上がり給え…!! 」
「 厭ですよ、教授に捕まったら反省文に減点、天津さえ掃除に片付け…私はそんなに暇じゃないんです。 」
「 ならば初めからこの様な戯言遊戯等しない方が身の為だと思うがね。 」
「 違いますよ、教授。唯捕まらなければいいんです、貴方に。 」
「 この我輩から逃げられると思うのかね?たかが6年魔法を習っただけの小娘が? 」
「 …ダンブルドア校長から聞いたんですが、この部屋一切の魔法が使えないみたいですよ? 」
ニコリと微笑んだ は試して見ろ、とばかりに挑戦的な視線を向けた。
そんな馬鹿げた話がある訳が無いと懐の杖を手にして魔法を唱えど、一向に杖から魔法が出る気配が無い。
思い出せば、この空間に入った瞬間に感じた違和感と言うか背を抜ける気持ちの悪い感触は其れで有ったのかと事後発見をさせられる。
魔法が使えぬのならば力ずくで捕まえれば良いと、伸ばした指先はまたしても空を掴む羽目となってパシャリと小さな音一つ立てて水面に落ちた。
ヒラリと身をかわした は挑戦的な瞳をスネイプに向けた侭、翻る様に正面に向き直って水を得た魚の様に海を泳ぎ始めた。
まるで初めから、スネイプに勝ち目等与えるつもりは無いとその場の凍った空気が如実に示していた。
「 スネイプ教授、今日こそは私が勝ちますから諦めて下さいね? 」
100m程先の岩場の陰から上半身を水面から出して、下半身を水面に隠した が笑いながらそう問うて来た。
実際問題、手の中をすり抜けて逃げていった はこの海の嘗ての住人とされていた人魚宛らの優雅な泳ぎで瞬く間に彼方へと泳ぎ去った。
波に揺れる漆黒の髪と、蒼の水面下で揺れる純白の布が不透明に混ざり合った様に重なり合う。
人工太陽の乱反射によって水面から上部硝子に映し出された其れは、まるで人魚の尾鰭の様に美しく繊細だった。
はっと息を呑んだ時には既に遅く、瞳が其れに奪い去られていた。
朝の光りを浴びて嬉しそうに表情を和らげて泳ぐ一匹の人魚。
強ち、間違った比喩ではないと優美鮮麗に泳ぐ を見詰めてはそう漏れそうになる心を押し殺した。
「 スネイプ教授?捕まえに来ないんですか? 」
「 無駄な労力を遣わずとも其の内お前が諦めるだろう。
人間何時までも泳いで居られる者でもない。 」
「 じゃあ、鬼ごっこと言う事ですね?私はそうは簡単に捕まりませんから安心して下さい。 」
差し詰め、スネイプは人魚を捕まえる鬼と言った処だろうか。
何時ぞやに習ったマグルの世界の絵本に出てくる【人魚姫】の中の王子と言う柄でもない。
挑戦的な黒曜石の瞳を持つ狡猾な人魚姫。
手中に納めるには少々梃子摺る事は端的に眼に見えている。
ならば無駄な労力を遣わずとも、泳ぎ着かれた人魚を其の侭捕まえてしまうほうが楽だとスネイプは自嘲気味に哂った。
勿論、人魚が泳いでいる間に何か他の有力な策が浮ばないとも限らない。
そんな事を考えながら、水面に視線を戻せば、相も変らず此方のこと等お構い為しに は水と戯れている。
人魚に酷く似た其の様は、人魚よりも酷く繊細で美しく儚く映った。
この違和感漂う異空間の中、暫し美しい人魚を見詰めてみるのも悪くないとスネイプは口角を歪める。
王子様に恋をした人魚姫は、想いが叶う事無く海の泡と消え逝きました。
では逆に…、人魚姫に恋をした王子様も同じ様に海の泡と消え逝ったのでしょうか?
それとも
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後書き
神無月の人魚、私の中のイメージは某ゲームのテーマソングだった訳ですが…思いっきり滑りました(笑)
異色な話が書きたかったんですが、如何もこのネタしか浮ばなくて(苦笑)
個人的にはスネイプ教授が海に落ちる云々でギャグに突っ走りたかったんですが…今回はちょっとお休みの方向で(笑)
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