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己がこの様な腑抜けに為る等、誰一人として想像しなかったに違い無い。
目覚め
まとまった休暇も取れない魔法省高官という職に付いて以来、慢性的な疲労が溜まっていたのか、眠りは何時も浅いほうであった。
視神経の最奥を針で突き刺される様な鈍痛を覚えて意識が夢の中からゆっくりと浮上し始めた時、大海を、大空を、全てを崩壊させる様に劈く音が一気に屋敷内 を駆け抜けた。
全神経が一気に傍立ち、悪夢から救いを求めて這い上がる様な先鋭な意識の覚醒が起こり、無意識の内にブランケットを放る勢いでベットから其の身を起した。
チチチ…と遠くに聞えるのは窓奥で朝を告げる鳥の鳴き声、もう朝が来てしまったのかと項垂れそうに為った頭を抱える様に流れ落ちてきた銀糸をかき上げた。
次いで、性急に喉奥に込み上げる乳臭い薫り。
傍と覚醒した様に小脇を見れば、起毛のブランケットに其の小さな身を包まれ身体中で泣き喚いている赤子が居た。
「 如何した、腹でも減ったか。 」
小さな身体で力いっぱい泣く幼子は、銀糸に薄蒼の瞳を持ち其の大きな瞳から絶え間無く透明な雫を溢れさせ、此れでもかと云う程腹の底から泣いている。
傍らで泣く幼子、其れは間違い無くルシウスと其の妻との間に出来た子供で、未だ生まれて日が無い生後1ヶ月足らず。
乳が欲しいだの、尻が濡れただの、抱いて欲しいだの…あらゆる欲求を泣く事でしか訴えられない未熟な存在、脳内ではそう理解しているが、男だからか母性本 能というものが欠落している為に何を訴えんとしているかが理解出来ない。
そうこうしている間にも、眼が覚めてしまった赤子は必死に何かを訴え続け、懇親の力を籠め、声を張り上げ悲鳴を上げる。
我が子ながら、実に五月蝿い。
「 …は、バスルームか。 」
如何して良いのか判らずに、額から落ちて来る銀糸を煩気に掬い上げ、赤子の隣りで寝ていた筈のの存在を探す。
しかし其処は既に蛻の殻、人肌微かに残すガウンが鎮座しているだけで、人影は無い。
薄暗い室内には早くも早朝の光りが射し込み、階下からの喧騒の音に混じって隣りの扉から水音が漏れ聞こえている。
普段は全ての支度を終え、当主であるルシウスを家から送り出してからシャワーを浴びると聞いていた為、偶の休日少し位ならば赤子の傍を離れても平気だろう と鷹を括ったに違い無い。
何時もは下世話な程しつこくに付き纏う乳母も、今日ばかりは連休の取れたルシウスの為を思ってか部屋の戸を叩く事すらしない。
如何して毎度毎度来て欲しい時には来ず、来ずとも良い時にこぞって集るのかと溜息さえ吐く始末。
バスルームから絶え間無く響く水音が、戒めの様に響き渡り、其れを波及効果とする様に赤子の叫びは止まらない。
「 を探しているのか?アイツは未だ戻って来ない。 」
例えば言葉を理解出来ても、言葉として返答を遣す事の出来ない赤子は一層強く泣き喚いた。
鈍痛を憶える程に脳内に響き渡る其の独特の硬音、心の底から煩い、煩わしい、邪魔だと思う。
けれど銀糸を掬い上げたこの掌で紅差す柔らかな頬を張る事は無い。泣いている其の様も、捥ぎ立ての果実の様にふっくらとして柔らかな肌も、大きな瞳で真っ 直ぐにコチラを見る様も全て母親であるの血を引くことを証明させた。
赤子が女だからかもしれない。
幾ら瞳の色や髪だの見てくれがルシウスに似ているからとは云っても、完全では無い。確実にの血を引き、ルシウスの人間として欠落した感情の足りない部 分を補う様に、赤子は良く笑い、良く泣いた。
其れでも、の身を案じてか、夜泣きすらしない酷く手の掛からない子供だと言っていた事を思い出す。
「 手の掛からぬ赤子…其れはにだけ迷惑を掛けないという事か。 」
朝起きた際も、帰宅した際も殆どと言って良い程赤子は睡眠を貪りながらの腕の中でルシウスを出迎えた。
休日程度しか瞳を開いている処を見た事が無いと言っても過言では無い。ルシウスを父親と認識出来ているのかさえ酷く疑問視される。
幼子の他人認識能力と云うモノが一体幾つから現れるのか明確には憶えて居ないが、ルシウスの一人娘は酷く他人を毛嫌いし、乳母と以外の人間に抱かれる と酷く泣き喚くと聞いた覚えが有る。
其れ以来、拒絶されていることを知るようで赤子を抱けない理由を、【眠っている子を起してしまうかも知れぬ】という理由で嘘の上塗りをしてきた。
当にや側近の者達は気付いているだろうが、誰も【抱け】と強要はせず、増して以外の人間がルシウスに命令出来る筈等無かった。
幼子は何よりも敏感で、偶にしか顔を突き合せない男を父親と認識している筈は無い。明らかにルシウスよりも側近であるグルの方が赤子に近しい存在といえ た。
「 多忙が親子の溝を深める、とでも言いたいか…私とて好きで仕事をしている訳ではない。 」
誰か…正しくは、以外の人間と此れだけの会話をするのは酷く久し振りだった。最も、相手は生後1ヶ月の幼子、返す言葉は泣き声のみで一方的な会話で有 れど充分だった。
長期休暇、只其れだけの為に愛しい妻と生後1ヶ月の子供を放る覚悟で仕事に打ち込んだ。全て彼等の為とは言え、屋敷中の人間から反論反発非難の声が上が り、眉間に青筋が立つ。
けれど翌日には皆、何事も無かったようにルシウスを送り出し、笑顔で【いってらっしゃいませ】と言った。全て、が言い包めたのだと即座に理解する。
あれは元来、そう云う娘だった。
「 お前の母親は良く出来た娘だ。 」
絶えず泣く我が子を見下ろして、涙で頬に張り付いた産毛をかきあげてやろうと指を伸ばした刹那、長い銀糸が反動で肩から滑り落ちた。
例え髪の毛と言えど、先は切っ先。幼い子供の柔らかな眼球を傷つけてしまうのではないか、と一瞬背に冷気が走ったルシウスは慌てて其の身を引こうとする。
しかし、其れは何時まで経っても起こり得ない光景に変わった。
流れ落ちた銀糸、たった一筋の其れを頼り無く本当に小さな其の指で赤子が掴んだ。
酷くか弱い指先で、けれどこれ以上は無いと言う位に力強く髪を握り締め、そして綻んだ様に微笑った。
今まで咽び泣いていた事等幻想か何かの様に、と同じあの柔らかく優しい表情を湛えて嬉しそうに力いっぱい笑っていた。
「 成る程な、不器用に言葉足らずでしか求められぬ処、私の血を間違い無く引いている。 」
嗤笑する様な笑みが端正な薄い唇から漏れ、小さな指先から髪が零れ落ち無い様にと気を揉みながら、ルシウスは両の手でブランケットに包まれた小さな身体を 抱き上げた。
きゃっきゃと無邪気に笑う実の子を見ながら、自分は昔から子供は苦手だった筈だと思い直し、其れでも力を籠めぬ様優しくベットに落して上からブランケット を掛け置く。
つい一ヶ月程前までは、この胸の中にを抱えながら眠っていた。如何にも言葉に表現出来ぬ安らぎに包まれながら眠りに堕ちたのを、今でも良く憶えてい た。
は今は居ない。赤子は何時もに抱かれる様にして眠っていた。大方、恋しくなったのだろう、だから言葉に出す事も出来ずに渾身の限りに泣き喚いた。
そして、其れに起された。故に、結論は一つしか無い。
「 が戻るまでお前も眠れ。 」
呟いた声は、掠れて空気に溶けた。
はしゃいでいた赤子はルシウスの銀糸を握り締めた侭に眠りに堕ちて、ルシウスは赤子を護る様に腕の中で抱きながら両の瞳を閉じた。
遠く聞えていた水音が止まり、扉の開かれる音が微かに聞えた。しかし、覚醒しようとする意識も侭ならず、此の侭深い眠りに堕ちても赦されるのではないかと 思った刹那、意識は混濁した夢の中へと消えて逝った。
「 似た者同士ね、本当。 」
滴る水を柔らかなタオルに染み込ませながらバスルームから出てきたが見た光景。
其れは、ルシウスの髪を握りながら安心しきって眠りに堕ちている赤子と、其の赤子を抱きながら浅い眠りを貪るルシウスの姿だった。
同時、軽く扉をノックして朝食の旨を告げに来たグルが其の光景に腰を抜かさんばかりに愕いたのは、其れから5分後の話。
後書き
…ルシウスが子供の泣き喚きに困惑する…というのを書きたかった筈なんですが、如何も可笑しな方向に(泣)。
目覚め=子供が起きるというのを咄嗟に浮かべた稀城ですが、ヒロインの出番少ないですね〜申し訳有りません。
ルシウスの独白で成り立つ夢、最早夢とも言えませんが、書きたかったルシウスの髪を掴んで子供が寝るというシーンが書けたので個人的には満足(笑)
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