Stand by me








------いっその事、壊してしまえば楽なのに。





心の中で悲痛に叫んだその言葉は痛烈な痛みを伴ってルシウスの心に刺さった。
コンコンと控えめにノックされた扉から、見慣れた愛しい者の顔が覗いた瞬間、長年の勘が告げる。
これは何かの兆しなのだと。
普段と何一つ変わらぬ表情のまま、突きつける様に机に投げ出された一枚の白い紙。
何も記入されて等いない白紙の上部には唯一言、其れでも事実を如実に告げる文字が書き連ねて有った。
「Divorce paper」
日本語に訳すればそれは、夫婦の契りを一瞬で無効にしてしまう唯の一枚の紙切れ。
けれども、其の正反対の紙が存在するからこそ…其れが存在価値を見出す。




「 …私に此れを書いて妻に渡せ、と? 」



「 ………… 」





告げたかったであろうその言葉を代りにルシウスが代弁すれば、幼い少女の瞳から大粒の涙が零れ落ちた。
きゅっと硬く口を噤んだまま先程の言葉から少女は何も喋らない。
握り締めた拳が小さく震えて心成しか、肩口も微かに震えている。
其れでも、其れでも少女はルシウスから瞳を逸らす事無く真っ直ぐに蒼青の瞳を見据えた。
瞳から言わんとしている言葉を受け取って欲しいとの意を込めるかの如く。





「 黙っていては判らぬ。
 この様なモノ等書かずとも、既に私と妻の間に愛など無い。 」




其れは紛れも無い事実。
少女…とルシウスとの間に恋愛感情が芽生えた時分、ルシウスにはと同じ歳を重ねた一人息子が居た。
其れ以前から既に、妻とルシウスとの間に情交所か昔の恋愛と呼べる感情等存在してはいなかった。
それはも重々承知している事であろうに、其れでもやはり女と言う生き物は唯一枚の紙切れ如き関係に拘るのだろうか。
離婚届を書けば次に渡されるのは自ずと婚姻届であろう。
少女と呼ばれる程に幼く、寧ろその年齢では未だ婚約届に名を記す事すら出来ないであろうが此れを持ってやってきた。
拒絶をすれば訪れるのは別れの二文字か。
そんな思いを脳裏に侍らせながら、一途に見詰める黒曜石の瞳を映し出せば、心成しか笑った気がした。




「 要りません…こんな紙切れ一枚の関係になんて興味は無いんです。
 …でも…でも、時々思うんです。
 私も何時か…此れをルシウスに突きつける日が来てしまうのではないのかと 」




怪訝に眉を顰める。
その後には先程と同じ言葉が、今度ははっきりとした音を伴って桜色の唇から紡がれた。




------いっその事、壊れてしまえば楽なのに。




だから、何が…?と問わずとも、所詮はルシウスとその妻の関係である事は明白。
紙切れ一枚の関係に興味は無いと言いつつも、それでも其れを強要する日が来るのではないのかとは瞳に涙を溜める。
大方、世話を焼いたの友人がの為を思って離婚届等持ってきたのだろう。
そうして、は其れに振り回される。
何時の日か、此れを書いて欲しいと迫る自分を嫌悪するかの如く。





「 ならば、こうしよう。 」




一つ小さく息を吐いて、ルシウスは傍に置いたままにしてあった羽ペンを持ち紙を引っ手繰る。
さらりと流れる様に、そして躊躇いも無く其処に自分の名を記し、最後に判を押す。
記入ミスが無いかを流しながら確認すると、其れを上下引っ繰り返しての方に差し出した。
愕いた様に表情を崩したに、ペンを置いたルシウスは哂う。




「 耐え切れなくなったら、其れを妻に渡せばいい。
 明るみに出たいと願いなら…其れも一つの手段だろう。 」



流れるように差し出されたその紙切れを、は視線だけで一瞥した。
こんな物が世間に出回れば、確実にルシウスは失脚するであろう。
あのマルフォイ家当主がたかが愛人一人の為に離婚する等。
鼻で嘲われるよりも驚愕の眼差しで見詰められる方が確実と言えよう。




体重を掛けるように、ルシウスが背凭れに寄りかかれば、ギシリと椅子が軋んだ。
カツカツとフローリングの床を音を立ててが近づいてくる。
机の眼前、投げ置かれたままの離婚届をその細い指先だけで持ち上げてそのまま勢い良く左右に引き千切る。
ビリッと言う乾いた空気に凛とした音が鼓膜を通じて脳に届いた。





「 …一度、やってみたかったんです。
 壊れてしまえば楽だと思ったんです…ルシウスと奥様の関係が。
 でも、本当は違ったんですよ。
 壊れて楽だと思っていたのは、私と貴方の関係の方だったんです。 」




ニコリとが笑む。
その微笑の先に有るのは希望が絶望がは判らぬままであれど、一つだけは判る。
がこの先に望むのは、今のままの関係で在れと。





「 …Stand by me 」




傍に居て。
通常の訳ならばそうなるだろうが、この場合は少々異なる気がする。
己から歩み寄って、椅子に腰を落したルシウスの傍まで来たはそのまま腕を伸ばしたルシウスに其の身を委ねた。
----Stand by me.
傍に、居させて。
はそう云う意味と意図を込めてこの言葉をルシウスに吐いたのだろう。
言葉に出さずともその意図を把握したルシウスは、全てを見通した様に笑んで見せた。
態々書いた離婚届を目の前でが破り去る事位、初めから判り切っていた様に。





「 お前は此処に居れば良い。 」




唯、其れだけの言葉。
けれど、其れは絶対的な言葉。
一枚の紙切れ等で決まってしまうような関係等では表しつくせぬ程に深くて、繊細で、でも確かな関係。
そして、唯一枚の紙切れが無くとも其れが成り立つのはとルシウスだけ。
其れを知らしめるかの様に確かに且つ冷酷に笑むルシウスの冷たい瞳は、最早しか映しては居ない。




その日以来、が紙切れを眼にする事は無くなった。



-----Stay by my side.



ルシウスの口から紡がれる其の言葉は、最大の愛の戯言になってに届く。








□ あとがき □

…しいて言い訳をさせて頂けるなら、稀城の「stand by me」の和訳は「傍に居させて」です…(笑)
大好きです、こう言う和訳と言うか誤訳と言うか…(汗)
微妙にシリアスちっくなんですが、この訳を出したかっただけの夢だったりするんで完成度の低さはご勘弁を(苦笑)




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