そうだな…、今日よりの髪を、お前が結え。

暁の時、深紅の薔薇に似た赤ワインが注がれたグラスを優美に指先で回しながら、良からぬ企み毎を思い付いたように口元を歪めて。
食事をしていたデス・イーターの手が止まり、名前こそ紡がれぬものの、冷然たる一瞥を受ける男に視線が注がれる。一体何を仕出かした、懲罰か何かを受ける 者への憐れみの視線と共に、隣に置いた彼の妻は驚いた様に硝子球の瞳を大きく開いた。

「 判ったな、ルシウスよ。 違える事は赦さぬ。 」

クツクツと笑いを堪えるヴォルデモートを余所に、当のルシウスは伏せていた薄蒼の瞳をすっと見開くと、低く御意、とだけ答えた。驚愕を隠し切れないナル シッサは、向けていた視線を更に強いものに変えて自分の主人であるルシウスに寄越すが、食事が終わっても視線が交わる事は無かった。




髪結の亭主




大きく取られた天窓から絶えず深遠の月光りが射し込む部屋に、ヴォルデモート卿が最も愛する人間が住んでいた。一部の許された人間しか入る事の出来ないこ の部屋に、ヴォルデモート卿以外の殿方が足を踏み入れる事は今まで無かったと言えよう。
の身の回りの世話はデス・イーターの女性が恙無くこなし、男と云う人種との接点を頑なに断つヴォルデモートの策略があからさまに皆に伝わる為、誰もこ の部屋に近寄る事は無かった。

ヴォルデモートは自らの意思で男をこの部屋から遠ざけている、そう暗黙の了解事項の様に受け止めてきた彼らにとって、ルシウスのみがの部屋に立ち入る 事を許されると言う事態に一抹の不安を覚えていた。
ルシウスが決して認められた訳ではない、寧ろ逆に、試しているだけに過ぎないのだ。


「 貴方とナルシッサ様が出逢われたのは、いつ? 」

ルシウスが部屋に入って来ることに何の疑問すら持たぬ少女は、部屋をノックし入室してきたルシウスを見て、そう言った。ルシウスが手に持つ黄楊櫛を見れ ば、申し訳無さそうに笑んで、奥へと招き入れる。ヴォルデモートから直々に聞いているのだろう、ルシウスが髪を梳くためだけにこの部屋を訪れると云うこと を。

「 私と妻の出逢いは有りません。 婚姻は、政略的なものでしたので。 」

寝夜着一枚のは夜風に靡く裾を気にする事も無く、カップに紅茶を注ぐと辞書程度もある文献を片手にベットサイトに腰を落とし、漆黒の髪を結える簪を器 用に抜き去った。普段そうしているであろう行為、だが、簪一つ取り去るだけでも酷く優美な情景に、ルシウスは拳を握り締めたくなる。
近づく事さえ躊躇われる。眼前に在るは、絶対たる位置に居るヴォルデモート卿の愛し子。既に心惹かれ始めているだ等と、筋違いも甚だしい。

「 其れでも今は幸せなんでしょう? ずっと傍に居てあげてね…離れ離れは、寂しいから。 」

ヴォルデモートと離れていた日々のことを唐突に思い出したのか、の表情に憂いが走った。だが直ぐに、普段通りの表情や雰囲気、口調。いくつもの場所で 珍しい嘘を吐いて、は殊更綺麗に笑ってみせた。
拙い事を思い出させて仕舞った、と後悔しつつも、この状況で掛けられる様な言葉は何一つとしてルシウスは持っていなかった。
だからこそ、遠くを見つめては心の中で溜息を吐いて、また手元に視線を落とす。其処には唐紅の黄楊櫛が鎮座する。世間話をしに来たのではない、髪を梳か す、其の為だけにきていることを忘れては為らない。

様、失礼させて頂きます。 」

慇懃に述べて一礼した後、の返事を聞かぬ侭ルシウスは背に垂れる漆黒のターバンの様な絹髪を一房掬い上げる。絹糸の様に滑らかで艶の有る髪は、ルシウ スの指の間をするりと抜け落ち、主の元へと帰る様にさらりと空に舞った。絡み合う事の無い髪は、手櫛さえも要らぬかと思われる程。

「 最近になって急にね、ヴォルデモートが言い出したの。 髪の毛を梳いた方が良い、って。 」
「 髪は女性の命とも言われて居ります故、主様も気に為っておられたのでしょう。 」

天窓の向こうは夜の帳が完全に降り切り、漆黒に染まりつつあり、それが次第に濃くなっていく。月光だけに照らし出されたは酷く扇情的に映ってくれた。 幼い子ども、年齢で言えば、ルシウスの息子と同じ位の年齢だろうか。
自分よりも一回り以上歳が違う子どもに心を奪われるなど、在っては為らぬこと。
だがしかし、掌に滑り落ちてくる髪に櫛を通し、次の髪を指先で掬うと同時に口付けを落としたくなる衝動が競り上がる。堪えなければ為らない、この子どもは 唯の子どもではないのだから。

「 髪くらい、自分で梳けるのに…。 そういえば、貴方も綺麗な髪よね、ナルシッサ様も綺麗だけれど。 」
「 私の髪など、様の髪に比べたら比べるに値しませぬ。 」
「 そんな事無い、凄い綺麗な髪。 毎日手入れをすれば貴方みたいに綺麗な髪になるかしら。 」
様の髪は手入れなどせずとも綺麗に御座います。 男の私は手入れなどしていません…勿論、遣ろう等と思わなかったというのもありますが。  」

自然と弾んでいく話に、ルシウスは自制を欠いていた。此の侭言葉を交わし続ければ、己は今世紀最大の過ちを犯してしまうに他ならない。と云う名の少女 に出逢ったあの日から、満たされずに居た心の隙間を埋めるようにの存在が滑り込んできた。

「 ……………じゃあこう云うのは如何? 私が貴方に髪を梳いて貰っているから、私が貴方の髪を梳くって云うのは?  」

何やら押し黙っていたかと思えば、破天荒過ぎる提案に絶句した。自分の立場が何で有るかを判っている様で、判っていないのだろう、この幼い子どもは。
ルシウスの髪をが梳くなどと云う行為がヴォルデモートに露見しようものなら、ルシウスは即刻事実上の首が飛ぶことだろう。

「 有り難い申し出ですが…、 」
「 ヴォルデモートに殺されるってことか…。 頭固いのよね、あの偏屈爺は。 貴方も本当はそう思うでしょう?
 ルシウス ---------

名を紡がれた瞬間、しまった、と痛恨の極みの様な表情を零した。如何やらルシウスの名を呼ぶな、とヴォルデモートにキツク言い付けられていたらしい事 が伺える。


初めて会ったあの日以来、名を呼ばれることなどついぞ無かったルシウスが息を呑んで、髪を弄んでいた手を止めた。 たった一瞬、何かに驚いたかのように全てを凍らせてしまった。優しい柔らかな声色、自分の名が此れ程までに美麗に響いた記憶は持ち合わせていなかった。
だからせめて、もう一度。懇願にも似た想いで、を見上げようとした時。


---------------- 私以外の男の名を呼ぶな、とそう教えなかったか? 」

闇夜に漆黒のローブが翻る。手にした黄楊櫛を零し落としてしまいそうな緊張感が一気に背を駆け抜け、反射的に、低い重低音が落ちてきた方へと向き直って恭しい礼をす る。
如何して毎度毎度機会を見計らった様に素晴しいまでの絶妙な間で登場するのだろうか、疑問が競り上がるも、ルシウスがそんな野暮な事を聞ける訳等無い。
今は其れよりも、主の冷たい一瞥と冷やかな言葉をくらったの身を案ずる方が先決。違えても無いだろう事だが、主が手をあげる様な事があれば、身を呈してでも護る、と意思を硬くする。


「 教えて貰ったよ、確か初めてルシウスに会った日に。 」

ルシウスの心配を他所に、ヴォルデモート卿の眼前でルシウスの名を紡ぐに、胸中穏やかで無いのはルシウス本人。当のはルシウスの心配を鼻で笑うかの様、柔らかい微笑みを浮べた侭にヴォルデモート卿を見上げ、ヴォルデモート卿は冷厳なる一瞥をルシウスに投げ遣した。
其れは己が所有物を横から掻っ攫われた事への苛立ちと気鬱、自尊心を傷つけられた事による嫉視に似ていた。

「 学習能力が足りていない、と云う事か。 」
「 …名前を呼ぶ程度も許せないヴォルデモートの狭過ぎる心の許容能力が足りてないんだと思う。 」


薄紫の硝子球の様な瞳を細め、花が綻ぶ様な優美な微笑を以ってしてその様な事を云われれば、間違い無く自分なら堕ちる、そうルシウスは確証した。
視線が直接交わり、ヴォルデモートがの微笑みを見詰めた侭沈黙が保たれる事、約10秒。ルシウスは主に仕えて以来初めて眼にする、苦い笑いを見る事と為った。

「 お前は相変わらず変わらぬ。 」
----------------私は変わらないよ。だから、名前を呼ぶ位は許してくれてもいいんじゃない? 」

差込む白銀の光り。夜の帳に似た絹髪の艶を余す所無く映し出し、下方からヴォルデモートを見上げるの優麗な顔に僅かな陰を作り上げた。夜風にさらりと靡く絹髪は、ルシウスが髪を梳く以前も以後も変わる事無く滑らかに緩やかに背に垂れる。
抱き寄せれば折れて仕舞いそうな華奢な身体、片腕で簡単に回り切って仕舞う細い腰、無意識に庇護欲を駆り立てる小さな背丈。
己が今まで出逢って来た女の中で、此れほどまでに未熟な存在が居ただろうか、否居まい。だからこそ己はこれほどまでにもに固執しているのだ、そう、言い聞かせる暗示の様に心の中で繰り返す。


「 …そうだな、名を呼ぶ位は許そうか。 だが、あくまでも、お前だけだ。 」

向き直るヴォルデモート卿はルシウスの薄蒼の瞳を見据え、には見えぬ角度で口角を歪めて見せた。ばさりと翻るローブの裾、振り返り際にの額に緩く口付けを落として、彼は部屋を出て行った。ルシウスに、は自分のものだと誇示する様な其の仕草、ルシウスの心意の想い等容易く見抜かれているのだろうと自覚する。

「 じゃあルシウス、続きをお願いしても大丈夫? 」
「 畏まりました、様 」

其れでも良いか、と思ってしまうのは、この甘やかとは到底言えない主従関係の中にさえも幸を見出し始めた己が居るからだろう、とルシウスは自覚した。
例え我がものにならざるべくした相手で在ったとしても、僅かでも関わりを持て、天津さえ己が名を桜色の唇が紡いでくれるだなどと思うことすれ願う事すら場違いだと思っていたのだから。

背に垂れる柔らかな髪を一房掌に乗せ、愛しむ様櫛を通せばが微笑みながら語り掛けてくれる。己が妻を心の内で裏切っていようとも、今のこの関係を崩す勇気と根性は無かった。


---------------- ヴォルデモート卿の奥方の髪結いの亭主。

ヴォルデモート卿の根城に於いて、ルシウスに字が付くのは、其れから数日後の事だった。



















□ あとがき □

ルシウスに髪を梳かされたい、というのもありますが、其れよりルシウスの髪を梳かしたい。
さらりと流れるあの髪を一度でいいから触りたい!!!


+++ ブラウザバックで戻って下さい ++++