紅い鼻緒がぷつりと、切れた。
誓った筈の忠義も、ぶつりと、切れた。
鼻緒
私が花街を歩くことに為ろうとは、誰が想像したことだろう。己でさえも好き好んでマグルの街に女を買いに、だ等と、汚らわしい。穢れた血を其の身に流す
女、彼等が犇き合い競い合う様に端麗な顔に化粧を施し、露出度の高いスリップドレス一枚で毎夜毎夜通り掛る男に片っ端から声を掛け、一晩の余暇を、と。
「 莫迦莫迦しい、自分を安売りして何の得がある。 」
心の中で侍らせた声が出たのは、ノーベリウムと呼ばれる西欧一の花柳街に差し掛かった時分。
何時から其の字が付いたのかは判らない、相当昔から呼ばれている名であるという事は人伝いに聞いている。
元来港を抱えるこの国の中で、その領域の八割は花街で出来ていると揶揄されていても可笑しくない位に所々に遊郭が存在し、残る二割は人家や王族財居となっ
ている。柳巷花街、という言葉が良く似合う場所である。
其処を通り掛る最中、沸いて出た蛆の様に這いずり出てくる女達を視界に留める事無く振り払いながら歩いていれば、とてもこの場所には似つかわしい年齢の子
どもを見付けた。
幼い子ども、其の関心が一気に働き掛けたのか、視界に入れ続ければ熱っぽい視線に気付いたのか、子どもが顔を上げる。
「 …ごめんなさい、私は売りものじゃないの。 」
淡い白と透る蒼で彩られた絢爛な襦袢の上に、綾錦を織り込んで丹念に縫い上げられた白銀の裲襠を召している。
周囲に群がる女とは異なる其の異国情緒漂う様に良く似合いの、す、と真横に伸びた切れ長の漆黒の瞳。
零れんばかりに大きな瞳は吸い込まれてしまいそうな程に神秘的で、長い睫が時々大人の艶を醸し出す。気が付けば、眼を剥がす事を忘れていた。
「 でも此処は花街、私みたいな子どもよりも艶を持った女性はいっぱいいらっしゃいますよ。 」
ほら、と促す様、ルシウスの小脇を男と連立って歩く華奢な女性を見遣る。緩い黄金の髪を一つに結わえ、背と胸元がが大きく開いたドレスを身に纏い、真紅の紅を引いている。
「 私は女を買いに此処へ来た訳ではない。 」
「 では、異国の方が如何して此処へ? 此処は女を買いにくるところですよ。 」
「 ……人を迎えに来ただけだ。 」
言えば、眼前の少女は綺麗に微笑んだ。
桜の花が綻ぶ様に笑うさまに、ルシウスは息を呑む。未だあどけない年齢であろう少女が零す微笑みは、薄化粧の賜物か内から漲る女の色香と天真爛漫とが混ざ
り合って、独特の雰囲気を醸し出している。
こんな面白い雰囲気の女に出逢ったのは初めてだった。ルシウスでさえ気を削がれるほどの美貌、これ程までに端麗だと言うに、他の男誰一人気に留める事無く見過ごしてしまいそうな、奇妙な希薄感を抱いている。
年齢の所為だろうか。否、花街と云う位だ、子どもが趣味な男も居るだろうに。
「 あぁ…若しかして、貴方が、ルシウス・マルフォイ? 」
「 …何故、私の名を知っている。 」
「 貴方が迎えに来たのは私でしょう? 」
「 では、貴殿が・… 」
「 そう、ヴォルデモート卿が愛したのがこんな子どもだなんて、思わなかったでしょう? 」
隠しもせずに子どもが言えば、ルシウスはやっと人間らしい表情を作り上げた。微苦笑、其れに相違無い。
新たなる感嘆と痛嘆を以ってして、ルシウスは小さな少女を見上げる。花街を流れる緩やかな渓流に似た小川に掛かる材木を繋ぎ合せた様な橋の上に腰を落とし
た少女、を。
唐紅の簪で結い上げた漆黒の絹髪は柔らかな弧を描く様に少女の背に流れ、彼方から運ばれてきた風に揺らいでいた。
---------------絶世に値する端麗なさまの少女を、主は一体何処で見つけて来たのだ。
ルシウスがマグルの世界に存在している事由、其れは絶対の忠義を誓った主であるヴォルデモート卿から、独りの女を探し出せ、と直なる命を受けたからに他な
らない。
でなければ、何を好き好んでマグルの世界に等来ようか。この場所に行けば、お前ならば直ぐに見つけられよう。そう言われ、探索する相手の特徴どころか年齢
さえも教えられず、唯一名だけを教えられた。
魔法を使えぬかの地でどのようにして、そう問い返す事も出来ぬ侭にローブを羽織って来てみれば、此れか。
「 Disapparate…。 この世界で使えたものとは…無知とはこの事か。 」
「 だって見つかる訳には行かないもの。 私が捕まれば、あの人も捕まってしまう。 隠れるには、一番良い場所よ 」
子どもの姿が見えて居なかった訳ではない、姿を隠していたのだ、この少女は。
自分を迎接する者を只管に此処で待ち、自分を視界に入れる事の無いマグルを見続けては、たった独り此処で。
中には魔法使いも紛れてくることだろう、一時の一興とばかり、マグルの女を買う為に。大方、彼らとルシウスを勘違いしたのかもしれない。だからこそ、冒頭
の台詞を述べたのだ、自分は売れない、と。
「 さぁ、様。 主様がお待ちです。 」
ルシウスを覚醒させたのは、が紡いだヴォルデモート卿を指示すであろう三人称だった。このお方は、ヴォルデモート卿の寵愛を受ける唯独りの愛し人。ルシウス等が気安く言葉を投げ掛けるどころか、会話を成立させる事さえ常軌を逸脱した行為だろうに。
気付くと同時、恭しく、手を差延べて橋に座り込んだを地面へと招き落とす。ふわり、と花弁が風に舞う様に降り立ったは其の瞬間、姿くらましの魔法
が解けたのだろう。
を視界に入れた周囲の男性から挙がる感嘆賛美の声に、ルシウスは妙な心地良さを感じた。この子どもは主たるヴォルデモート卿のもの、だがしかし、今其れを知るのはこの場に居るとルシウスの二人だけ。
他者から映るルシウスの様は、流麗な女を手に入れた美麗な貴公子其のもの。羨望の的になっている事は間違いない。妙な優越感が浮上する。
「 ありがとう。 ……あっ、 」
差し出された手に小さな白い手が重なり、一歩歩き出した刹那、のおみ足を飾っていた紅い下駄の鼻緒がぷつりと切れた。
だが、前のめりに転び掛けたの小さな身体と華奢な肉体を覆っていた豪華な着物は地面に突っ伏す事無く、映画のワンシーンの様に俊敏に一歩前に出でたルシウスによって、抱き留められる。
「 お気をつけ下さい、様。 御身に何かあれば、主様が心痛しますゆえ。 」
「 ありがとう。 私みたいな子どもに敬語を使うこともないのに…でもそうしなければあの人の怒りを買ってしまうのね、ごめんなさい。 」
「 いえ、様に謝って頂くのは筋違いで御座います。 其れより…代わりの下駄はお持ちで? 」
「 …此れしか持っていないの。 困ったわ、此処では魔法は使えないのに。 」
見れば、細い絹糸を因り合わせた様な鼻緒は根元からぶっつりと裁断され、何か他の物を因り合せて補えるだけの量を残してはくれていない。の姿が見えて
しまっている今、此処で魔法を使うことは出来ない。
さて、如何しよう、いざとなれば裸足で歩こうか、其れもまた楽しいかもしれない、と腹を括った刹那。
「 失礼、 」
小さな言葉と共に、の身体が空へと浮き上がる。
ルシウスが自分を抱き上げたのだ、と知ったのは、左右に流れては消えて行く景色と直ぐ目の前にある秀麗な容姿。見上げれば、透る空の蒼に似た色彩の両眼が
在る。硝子球のような其処に、は映らない。何処までも果てしなく続く様な小道と地平線だけがゆっくりと映り込んでいる。
拒否権は無いとばかり、ルシウスに抱き上げられたは流れ過ぎて行く景色を映し込みながら、直ぐ傍にある秀麗な顔を仰ぎ見た。
「 差し支えなかったら一つ聞いても構わない? 」
「 いかがしました、様。 」
「 自由気儘自己中心的我儘帝王は今、何をしているのかしら、と 」
自分の主君、況して世の人々を恐怖に陥れる人物に向かって吐かれた罵倒に近しい物言いに、ルシウスは苦笑する。あのお方も、この幼い恋人に掛かれば一溜まりも無いのだろうか。若干の人間らしさを垣間見た気がして、意外性に笑いを堪えたくなる。だが、急激に冷えた周囲の空気に、起こった事態を理解した。
普段其の身を陽の光りに晒す事の無い、主であるロード・ヴォルデモート卿が揺らぐ蜃気楼の残像の様に気配無く姿を顕現させた。
「 お久しぶりね、ヴォルデモート卿。 」
「 …暫く見ぬ間に随分と色香が付いたものだ。 何処ぞの輩に身体を赦したのではあるまいな。 」
「 まさか、そんなことが出来ない様に私に魔法を掛けたのは貴方でしょうに。 」
くつくつと笑うを抱えた侭、突然現れたヴォルデモートにルシウスは背が凍る様な錯覚を帯びた。
靡く夜の帳に似た髪に、黒曜石の瞳。冬の夜の如き冷ややかさと、他を圧倒する優雅な美貌。純然な衣装を一部の隙も無く着こなしたは、誰よりも愛しく
思っている主君の姿に双眸をふっと緩める。
一瞬でも、一時でも、を腕に抱きながら闊歩出来る事を歓喜していたルシウスの心理を読み取って出現したかのようなタイミングの良さ、主に全てを悟られていたのではないかと。
「 ところで…何時まで我のものを抱いているつもりか、ルシウスよ。 」
「 失礼致しました、様の鼻緒が切れてしまいましたゆえ ----------- 」
言い訳染みた言葉の後、かいなに抱いたは上から攫われる様にヴォルデモートの腕へと引き渡された。
「 ありがとう、ルシウス。 私を見付けてくれて、運んでくれてありがとう。 」
大輪の薔薇でさえ一瞬霞んでしまう位の鮮やかな笑みを見せられて、ルシウスは眩しそうに目を眇めた。己にも妻と呼ばれる人間は居る、だが、無粋にも欲し
い、と思ってしまった。仕える主であるヴォルデモート卿が唯独り愛した女を。
「 主様の命と在らば、容易き事で御座います。 」
跪く様にして慇懃にの手の甲に唇を寄せたルシウスに、ヴォルデモートは何処か安心した様、満足気に唇の端を吊り上げる。
そして暫くの間、かいなに抱いたを愛しげな眼差しで見ていたが、やがて徐に口を開いた。
「 ナルシッサ嬢も待って居るぞ、ルシウス。 」
現実を突き付けられる。確証した、ヴォルデモート卿はルシウスの心情を読み取って敢えてこの世界に姿を現したのだ。かのヴォルデモート卿ともあろうお人
が、己が欲したものを横から奪還されるのではないか、という一抹の不安を其の胸に抱くだ等と、甚だ愉快ではないか。
極め付けがこの厭味とも取れる当て付け言葉。此処までせずとも、道理は違えないと云うに。
「 ナルシッサ嬢? …誰? 」
「 私の妻に御座います。 直に、逢えます様------------- 」
「 女のひとが居るの? 良かった、私今までずっと独りだったから。
此れから貴方とも一緒に居られるんだね、良かった。 」
驚きを伴った表情と、嬉しさに笑んだ表情の両方を出しながら、が言う。
本人は無自覚なのだろうが、表情や言動が強烈に男を煽る。ルシウスは恭しく頭を下げながら、心の中で思う、主に誓った忠誠を、もう一度誓う。半ば、愛の告
白に似た台詞と共に。
「 様の御身は、このルシウス・マルフォイが身命をとしてお守り致します。 」
凛然と告げて、ルシウスは重たげな印象の外套を翻し、ヴォルデモート卿の後に続いた。
此れが、主であるヴォルデモート卿に叛旗を翻す切欠になるであろう出来事だと知るのは、未だ先の話。
□ あとがき □
鼻緒かんけぇねぇ…(苦笑)。
鼻緒と云う文字で一番最初に思い浮かべたのは花街。買われる姫でも書こうかと思いましたが、こんなお話に…(笑)。
ルシウスに命を掛けて護るとかいわれてぇ。
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