鬼ごっこ
黴臭く湿度の高い地下室独特の薫りが蔓延する中を、水を打った様な静寂が包み込んでいた。
普段、何者の侵入をも阻む様に滅せられた呪文に近しい秘密の言葉を知る人間以外を、寄付ける事の無い秘密の部屋はリドルが愛玩する一匹の蛇が其の巨体を横
たわらせて主の帰りを待ち侘びている。
蛇はサラザール・スリザリンの血
を継ぐ者以外を拒絶し、一目魅入られれば其の姿は朽ちた化石に似通った形で永遠の封印を科せられる。
蛇は両目を塞がれているかの様に盲目を護り切り、研ぎ澄まされた聴覚を以ってして他者の存在を感知し、対象物の身体を流れる血によって敵か否かを判断して
いた。
しかし最近になって、如何云う風の吹き回しからか、リドルがスリザリンのタイを締めた独りの少女を部屋に招き入れて以来、其の少女に対してだけは石化させ
る事も無く非常に懐いている。
蛇の名をバジリスク、蛇に好まれた奇特な少女をと言った。
「 じゃあ、今度は私が逃げる番ね? 10数えたら追い駆けて来て良いよ。 」
薄暗い地下室。燈る灯りは最奥の神殿部に奉られた灯火のみであり、神殿部を中心に真っ直ぐ一本の大理石の道が作られ、左右は満面の水が揺らいでいる。
其の道を脱兎の如く駆け抜けて行く少女は、短めのスカートが捲れる事も構わずローブを放る様に投捨てると、後を振り返る事無く小さな影だけ残して消えて
行った。
一方のバジリスクは、の言葉通り、脳内でゆっくりと数を数え数え始めた数字が10を超えた時点で冷えた地面に這う様に置いた頭を擡げる。周囲を軽く一
瞥し、其処にの気配が無い事を悟ると、巨体を左右にくねらせながら愕く程の速さを以ってしてが居るであろう場所へ向かう。
「 此処なら平気でしょ。 」
玲瓏な声ががらんどうの空間に静かに響き渡る。
大きな配水管に似た筒状が何十本と張り巡らされた地下室は、一種の巨大迷路の様に入り組んでいて、紛れ込んだ人を探し出すには聊か苦労の汗を掻かなくては
為らない。
下級生でもあるは今日は一日、全ての講義が臨時休講に為っている。上級生でもありスリザリン寮監督生でもあるリドルは、上級生は必須で受けなければ為らない試験の為、朝から机に向かいっ放しで未だ戻ってくる兆しが無い。だからこうして、余暇をバジリスクと戯れながら過ごしているのだが…
「 --------------------- 」
かさり、と葉の戦ぐ音すら聞こえぬ静寂の中、は息を殺した様に蹲って危機を遣り過ごそうとしていた。
バジリスクと鬼ごっこをしよう、と思い立ったのはほんの数十分前。其れまではバジリスクと様々な話をしながらリドルを待っていたのだが、ずっと冷たい大理
石の床に腰を下ろしていたら、冷え性にはなるわ節々は妙な関節痛で痛いわで、少し運動でもしよう、というのが事の発端。
今回はが逃げる番、息を殺せばバジリスクに見付からないだろう、と鷹を括っていたのが大きな不覚。
「 -------------- っっつ、見つけるには早すぎるよぉ、バジリスク! 」
ふい、と横を見れば見知ったバジリスクの潰された大きな瞳が合った。
滑らかな肌が水面を擦り上げる音さえ聞こえない静寂の中、大方反対方面を探しているんだろうと安穏していたが間違っていた。バジリスクは狭い空洞に頭
だけを突っ込む形でを仰ぎ見て、そうして徐に口を開き、紅く細い舌を伸ばして柔らかな薔薇色の頬に触れようとする。
「 絶対に捕まらないかんねっ! 」
慌てて起き上がり、反対方向に直走る。水漏れと朽ちた鉄錆が生む赤茶けた色の水の上を駆け抜ける為に汚れた水飛沫が制服に掛かるが、この際構ってられな
い。
とバジリスクが勝手に決めた鬼ごっこルール。はバジリスクの身体の一部に触れば其の時点で鬼交代となるが、バジリスクはの頬に舌先で触らなけ
れば為らない、という少々難儀なルールを決めた。
故に、バジリスクはの頬に触れようと舌先を伸ばすが、逃げるには到底届かない。仕方無しに頭を引き摺り出すと反対方向へ逃げたを追い駆ける。
生まれてきた種別を間違えたかの様な俊敏さで地面を這うバジリスクに、は背に冷えたものを感じながら必死に逃げる。
「 バジリスク、も、もうちょっと…手加減っ… 」
して欲しい、そう頼もうにも、当の本人は無表情だが初めての"鬼ごっこ"に気分はノリノリらしい。
秘密の部屋の物質物品を粉砕しない様に細心の注意を払って、尚、全速力に近しい形でを追う。はで、鬼ごっこという概念を失念したかのよう、バ
ジリスクに捕まらない様にと命を掛けた逃走劇を繰り広げている。
そんな真っ只中。
はで逃げることに夢中、バジリスクはバジリスクでを捕まえることに熱中。二人とも、本来の秘密の部屋の主人の帰還に気付く由も無かった。
「 …………如何云う、こと? 」
長いだけの実に内容性の薄い試験を軽々クリアしたリドルは、他の女子生徒に捕まる前に居の一番に教室を退出し、こうして秘密の部屋へと遣って来た。
何も無いと言えば何も無いこの地下室で、湿った床と淀んだ空気の中でとバジリスクが暇そうにしている絵姿を脳裏に侍らせながら、神殿部へと続く長い道
を歩き切った其の先で見たもの。
厳しく躾けてある筈のバジリスクが、の華奢な身体を捻じ込む様に巻き上げ、何人もの人を一気に丸呑みに出来る大口を開けての頭に噛付こうとしてい
る瞬間だった。
「 --------------------- 言った筈だよね、僕の大切なものを傷つける事は赦さない、って。 」
冴えた響きが木霊する。其れにはっ、とが振り返った瞬間、リドルが何時もの柔らかな笑みを浮べた侭バジリスクに杖の切っ先を向けていた。
完璧に誤解している、確かに知らぬ人間から見れば今の自分達は【捕らえられた獲物()に喰らいつこうとする獰猛生物(バジリスク)】にしか写っていな
いだろう。リドルが勘違いするのも無理は無い、だが、
「 アバダゲ… 」
「 待って、リドル、違うの、誤解なんだって! 」
禁じられた呪文を昨日まで共に在ったものに対して哀れみ無く掛けようとするリドルに、が慌てて弁明の声を投げる。其の時既にバジリスクはの身体を
離し、僅かに離れた場所に移動しては居たものの、主たるものが下す罰を甘んじて受け入れるつもりだったのだろう。
身動ぎ一つせぬままのバジリスクとを見遣って、リドルは怪訝な表情を零す。
「 誤解? 」
「 そう、私とバジリスクはリドルを待っている間鬼ごっこしてただけなんだから。
今は私が逃げる番で、バジリスクは私を捕まえただけなんだって。 」
「 鬼ごっこ…で、何で鬼なバジリスクがの頭を喰らいつこうとしてるの? 」
「 バジリスクの舌で私のほっぺを撫でたら"捕まった"ってルールにしたから。 」
誤解を招かざる様な規則に、リドルは嘆息した。
「 何とも誤解しやすいルールだね。 もう二度とそんな可笑しなルールで鬼ごっこなんてしないで?
逆上した僕がバジリスクを殺しちゃうかもしれないから。 」
だからあんなにも、はバジリスクから顔を背け、其れを赦さないとばかりバジリスクが大口開けてを飲み込もうとしていたのか。
合点がいく。だがしかし、腑に落ちない部分も無きにしも有らず、だ。何でまたバジリスクなんかとが鬼ごっこを。は兎も角、バジリスクは鬼ごっこな
んてするたまじゃ無いだろうに。そう思って隣を見れば、
「 ごめんね、バジリスク。 」
痛みを伴った様な声色と申し訳無さそうに謝るを尻目に、バジリスクは一瞬身を捩ると、柔らかな紅い舌先での頬をゆっくりと舐め上げた。隙を見せた方が負けだ、未だゲームは続いている、棄権破棄しない限り有効な侭。
そう言いたげな雰囲気を漂わせ、そうして、頭をふいっとリドルの方向へと向ける。如何やら、
「 はい、次の鬼はリドルね! 」
言うが遅く、リドルの頬に微かに唇を寄せたはバジリスクから貰った鬼権をリドルに委ねる。そうして、リドルがこの不可思議な鬼ごっこに加わるのかの是非を聞くことも無い侭、緻密な計画性を思わせる様にバジリスクと共に猛烈な速さで遠退いていった。
「 ちゃんと10数えてね−っ! 」
棄て台詞の様な言葉と共に、遠く聞こえる木霊。如何やらリドルの参加意思は関係無いらしい。
投付けられたに近しい挑戦状、リドルは何か善からぬ企みを企てている様な笑みを浮べた侭にゆっくりと10数える。狙う目標は唯一つ、大方バジリスクが全力
を以ってして護りきるだろうが…
「 君に口付けをすれば良いんだろう? 何て役得な鬼なんだ。 」
邪険な微笑を浮べたリドルは、二人が消え去った方へとゆっくりと歩き出す。さて、如何遣って誘き出してあげようか。勿論、簡単に捕まえてしまったのでは面
白くない、じわりじわりと追い詰める様に仕留めなくては。
を護り切れなかったバジリスクを尻目に、捕まえたの細腰を抱き、逃さぬとばかり桜色の唇を---------
偶には鬼ごっこも悪くない。未だ現れぬ結果を夢見ながら、リドルは至極愉しげに二人を捕まえる為に奔走する。
さて、バジリスクはを護りきれたのか、が逃げ切ったのか、リドルが高らかに勝利宣言を行うのか。
其れは彼等のみぞ、知る。
□ あとがき □
鬼ごっこ。バジリスクと鬼ごっこってかなり恐そうですね。秘密の部屋を見ると、特に(笑)
逆の意味でのリドルとの鬼ごっこも恐そうですね…(苦笑)。
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