欠けた左手
熱砂の中を只管に歩き続けている様なうだる暑さに根負けし、蒼く透った空を見上げれば、太陽が嘲笑しながら全てを焼き焦がしている様な錯覚を帯びた。
舗装された小道をガタガタと身体を左右に揺らすトランクと、金籠に押込められた梟が気鬱な表情の主を見上げた。
季節は夏を迎えた。一年とは想像以上に早いもので、もうじき6年生に為るのだと思えば、寂寞感と喜悦感の両方が胸奥を競り上がって来た。
手にした一枚の切符、渡された羊皮紙にはダンブルドアの直筆文字が書かれている。また、この季節が来てしまった。ホグワーツに在籍している学生は、夏期休
暇の間だけはホグワーツに滞在する事はどのような事情を抱えようと赦されない。ダンブルドアに直談判しようが泣き付こうが魔法で事実を捏造しようが病気に
掛かろうが、誰一人例外無く郷里への帰郷を余儀無くされる。
孤児院育ちのリドルもまた、例外ではない。この季節が来る度に思考を苛まれ、屈辱と汚辱に塗れて来いとでも言うのか。もう二度と、思い出したりもしたくないような地獄よ
りも最低な場所に。
「 早くしないと、出ちゃうわよ、ホグワーツ特急。 」
見れば、鮮やかな太陽を背に向け、問いかけに似た曖昧な言葉に柔らかく緩んだ瞳が視界に入り込む。
リドルよりも一回り大きいトランクを手に持つ少女は、梟を籠の中に入れる事に抵抗があるのか。宿木の様に華奢な肩の上に淡い灰銀色の梟が此方を見詰めてい
た。
「 良いんだ、別に。 帰省が遅れたところで、僕の帰りを待つ人なんて居やしないんだからね。 」
体温の低さを思わせる声。この声で、その響きで名を呼ばれ発狂寸前の女子生徒はホグワーツに多く存在するだろう。だが、目の前の少女は違った。リドルと同
じスリザリン寮5年生、OWL試験の際にはリドルに次ぐ優秀な成績を残した純血一族の嫡子。
深い夜色にも見える漆黒の髪が、太陽に透けて淡い水墨白淡に近しい色で揺らぐ。
「 誰も待ってないって寂しいね。 」
「 別に寂しく無いよ、今までもずっとそうだったからね。 」
呟きを落とせば、僅かに沈黙が落ちる。遠くに聞こえるホグワーツ特急の汽笛が耳に痛く突き刺さった。
少々時代を過ごした孤児院、思い出と呼べる思い出なんて何一つとして無かった。思い出せるのは唯、去年の今頃もこうして駑馬に似た感情を胸に澱ませながら
ホグワーツ特急を見送り、独りで孤児院へ向かった。
どうせ帰らねば為らぬのだ、其れならば潔く飛び込んでしまえば良い、そう叱咤しながらも毎年決まって此処で立ち往生し無駄に蒼い空を眺めていた。
「 でもどうせ帰らなきゃ為らないんでしょう? 」
「 そうだね、そう思うんだけど…如何しても此処から一歩先に踏み出せなくてね。 」
言い当てられ、ともすれば聞落としかねないような静かな声で言い返せば、また暫くの沈黙が走った。
母親と言う代償を支払ってから、リドルが手に入れたもの、手に入れたかったものは今でさえ望むもの何一つ手に入れられなかった。
残酷な現実は否応為しに罵る、崇高なサラザール・スリザリンの血を継ぐ者が、唯の独りのマグルに憤懣しているだけに過ぎないのか、と。
「 家においでって…言えれば良いんだけどね。 私の家、旧家だから、人を呼べなくて。 」
黙した侭の少女、が申し訳無さそうに告げた思いに、少なからずリドルは動揺した。よもやそのような事を考えていたとは微塵も思っては居なかった。
家は代々身内を優秀な魔法省高官として育て上げると言う。の名を聞いて、知らぬと口を出すものが居れば、間違い無く其の人間はマグルのレッテルを貼ら
れる。其れ位、魔法に少しでも携わる人間ならば一度は耳にしても可笑しくは無い家柄だ。
「 君が家に男を連れて帰る日は、其の男が父上に磔の呪文を唱えられても尚、婚姻を迫る時だろうね。 」
少なくない未来に、苦笑する。年頃の娘をホグワーツに入れる其れ即ち、よからぬ虫の一匹や二匹は纏わり付いていても可笑しくないと妙な容認をしているから
ではなかろうか。
箱入り娘、そんなものに仕立て上げたいのならば、間違い無く屋敷から一歩も出る事は無く優秀な教師陣を派遣させてでも尚、教育させるだろうに。
だが家現統帥は其れを望まず、ある程度娘の思う様に生きさせてきた。但し、完璧に轢き敷かれたレールの上から反れぬ様に。其れをが望んでいるか望ん
でいないか、本人の意思は存在しない、寧ろ疑問すら浮かぶことは無い。
「 帰る家さえ無い僕と、帰っても所詮偽りでしかない家に帰る君と…どっちが辛いかな。 」
「 両方、じゃないかな。 私にはリドルの辛さは判らないし、リドルも私の辛さは判らないもの。 」
「 そうだね、判ると言えば、其れは偽善にしか聞こえない。 」
わぁん、と聞こえて来た汽笛。如何やらホグワーツ特急が到着したらしい。いよいよ以ってして、早めに行かないと乗り遅れることになるだろう。
今年もこうやって、自分の力で踏み出せぬ侭、一本目のホグワーツ特急を見過ごす羽目になるだろうか。
「 リドル、行こうか? 」
言葉と共に、右手が差し出される。如何云う意味だろう、暫く思案して、思い出した。
あれは孤児院で急な夕立が降った夕暮れ、シスターを怒らせ反省してろと外に出されたときの事だ。冷雨にさらされた身体は心から冷え、服は湿潤し、前髪から
は雨滴が滴っていた。
何時まで反省していれば良いだろう、そう思いながら泣き出した空を見上げた矢先、声が降ってきた。
----------- いらっしゃい、トム。 外は寒いから、反省するなら中に入ってしましょう?
濡れたリドルの身体に柔らかなタオルを投げ、そうして手を差延べた。
差し出しかけ、けれどシスターの手を掴まなかった掌を、握る。自らの理由付けのできない行動には、半ば怖れに似た気持ちで、妙齢のリドルは目を閉じた。
あれからもう、誰も手なんて差し伸ばしてくれなかったのに。
「 一緒に、帰ろう? 」
音程は至極穏やか、柔らかく流れる春先の小川のせせらぎの様に澄んだ印象を与えてくれる。覗き込むよう、微笑んだ薄紫の瞳は真っ直ぐにリドルを映し出し、
瞬かれ
た睫毛の長さも、頬に落ちる影までも見える距離。
厭味無く当たり前の様に手を差し出すに、ゆっくりとリドルは己の左手を重ねた。手を繋いで帰るだなんて、領域内でも在るホグワーツで手を繋ぐだなん
て、あって良い筈が無かった。だが、無意識に重ねた掌、伝わる温もりと握り締められる感触に気付けば、走るように心がざわついた。
離さぬ様、握り返した瞬間と、共に歩き出したのは略同時刻。あれ程先に進んでくれなかった両の足が、魔法でも掛けられたみたいに止まらなくなっていた。
「 帰ろうか、望まない家に。 また、ホグワーツに戻ってくるためにね。 」
君が手を差延べてくれるなら、残酷な現実へも歩き出せる様な気がした。繋いだ左手は、ホグワーツ特急に向う道程だけ、温かかった。
□ あとがき □
…欠けた左手だっつってんのに…(笑)
左手って言ったらデス・イーターの印ですが、如何してもリドルで書きたかった…。
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