最近益々持って身に染み入る事がある。其れはまるで、指先からフェイドアウトしていく切ないような寂しさ。
寂しさを埋めてくれる誰かを求めて居た訳でも無ければ、誰かが居ない事への寂しさを悔んでいた訳でも無い。
唯ただ無性に押さえ切れなく胸の内零れ落ちそうな感情に名を付けるのだとしたら。誰にも知られず、誰にも見えていなくて、其れがお前への想いだと云うのな
ら。
どれだけの音の粒子を振り撒けば満たされるだろう。
喫水線
「 水面に浮かべた船が沈んで、空から零れる雨に濡れて… 」
聞きなれた小さな声に急ぐ足を止めたのは、つい先日までクィディッチの歓声と数匹の幽鬼に脅える生徒の悲鳴とがスクランブルの様に折り重なり、鼓膜を殴り
叩くように鳴り響くホグワーツの一角。
今では復活の狼煙を上げたあの人の噂が囁かれる其の中で、空は血に染まり、世界は慟哭している其の最中で。
気を漫ろにしてしまえば直ぐにでも感じるだろう、絶えず揺れる足元に轟音。耳を劈くような大地の叫び。主を歓迎するかの様な劈く幽鬼の遠吠え。
混沌と静寂が入り混じるホグワーツは既に安全な場所だとは到底言い難くなり、今日もまた外出禁止令が敢行されたと言うに、聞えた声は確かにホグワーツの外
側から。
「 この雨の中、…何をしている、。 」
轟音を立てて濁流が河から滝に流れ落ちる様な水飛沫を立てて空から零れて来る最中に、地面にしゃがみ込んでは何か細かい動作をしている少女に溜息を零し
た。
突然投げられた声に身体を震わせる事無く、婆の様に小さく丸めた背中を動かす事さえ億劫そうな様子で首だけを此方側に向ければ、漆黒の濡れ髪から幾筋もの
雨水が伝って地面に落ちる。
「 こんにちわ、スネイプ教授。 外出禁止令を怒らないなんて以外ですね。
真っ先に、其処で激怒されるものだと思ってました。 」
「 馬鹿者。 外出禁止令に対する咎めは其の後だ。 この雨の中…風邪でも引いたら如何するつもりだね。 」
「 風邪を引いたらマダム ポンフリーのところにお邪魔しますから問題ナシです。 」
「 …最初の質問には答えてない、。 此処で何をしていた? 」
「 …船を…船を浮かべていたんです。 教授。 ノアの箱舟を。 」
そう言って気持ち身体半分程度を左方向へずらせば、其処には昨日から降り続く豪雨の賜物、小さな池が小道の溝を埋める様に形成されていた。
子供用の椀の様な大きさしかない其の小さな池に、防水魔法を施しているのであろう、淡い桜色の折り紙で作られた小さな箱舟が浮べられていた。
滝の様に速度を伴って垂直落下する雨の所為で、折り紙の箱舟に水が溜まっていく。
絶えず降り注ぐ雨によって、少しずつ少しずつ小さな舟底に。
沈めさせまいとするの小さな両手が覆う様に傘を作って箱舟の上に掛けられようとも、細い指の隙間を縫って雨が浸食を果たす。
「 雨の中浮かべても、沈むだけであろうに。 スリザリン監督生が…その様な事も判らぬとはな。 」
「 …うん、知ってる。 箱舟いっぱい積み込むと沈むんだよね。 だから、ノアの箱舟は全ての生物を助けることは出来なかった。 」
「 当たり前なことを、莫迦莫迦しい。 差し詰め、ノアの箱舟遊びでもしていると言うのかね。 」
嘗て習ったマグル学の講義を思い出しながら示唆してやれば、ノアと言う人間が行った行為を述べるは振り返って柔らかく微笑んだ。
切れ長の睫に雨水が滴って、其の瞳は、雨の中棄てられた小動物を髣髴とさせる。
「 スネイプ教授も…全てを抱え込み過ぎると箱舟が沈みますよ? 」
雨に濡れても尚、突風に似た風に煽られても尚、女神が一艘の舟を護らんと加護する様な行為に失笑に似た苦い笑いが零れる。
が箱舟に似せて示唆した其れが、昨日の魔法薬学講義のからの告白への答えだと気付くのに、要する時間は数秒にも満たなかった。
は昨日、今まで告げる事無く秘め続けていた淡い恋心から芽生えた確かなる想いを打ち明けたのだ。好きだ、何が在ってもずっと共に在って欲しい、と。
惹かれ合っていた心と心、其れは互いに交じり合っては為らぬと常日頃禁忌の様に心に縛り付けていた我輩にとって、其の告白は酷以外の何物でもなかった。
本当に出来ることならば、共に在る事が出来るのならば、アルバスに加担し償いをせんと逃れたいと思うのは人間ならば誰しもが同じ思いだろう。
心許した者が傍に居てくれるのならば尚の事、其れが譬えその場凌ぎの仮想だったとしても、其れに縋ってもいいとさえ。
「 …デスイーター(あのこと)の罪滅ぼしをせず、お前と逃げろとでも? 」
「 まさか、そんな意図じゃありません。
スネイプ教授の箱舟は、ダンブルドア校長やハリー…ホグワーツの生徒やルーピン先生。
救うべき人でいっぱいなんだから、私なんか乗せないでってこと。
大切なものが多ければ多いほど、乗せるものが多ければ多いほど、箱舟の速度は遅くなるから… 」
滝の様に落ち続ける豪雨の最中、頭の天辺から足の切っ先までもを真水に浸し続けた様に濡れ続けるがもう一度ゆっくりと笑った。
そうして、雨が上がれば直ぐに干上がってしまうだろう小さな池の水を、小さな手で少し揺らした。
椀の水の中を、激しい雨に打たれながら、ノアの箱舟が少し進む。大いなる希望と未来への確かな渇望と、絶対的な平穏を夢見ている様に。
言葉を交わすことなく唯黙々と、ゆっくりと、箱舟の歩みを助長するかのような歩を促すその行為。
其れは、何処か、ずっと重ね上げてきた過去という名の薄いフィルムの一枚一枚を拾い上げては、脳裏に焼き付けていく切ない作業の様に思われた。
「 私は、こうやって破天荒な波の中で教授の箱舟を押す存在でありたいと思うんです。
波の彼方に消えてしまっても、貴方の箱舟が何処かへ辿り着けるなら其れが本望だから。
だから、乗せないでね? 」
「 、 」
「 魔力も学力も貴方よりも幾分も劣る私だけど、助けが欲しいときはいつでも応えるから… 」
未だ降り続ける雨に濡れたローブ姿で微笑む姿は、何処ぞで噂されている神の其れに似て、悲しい位儚く、強い。
敷き詰まった雲の破片、空の全てが灰色に染まっている。
神等存在しないと、祷るべき対象は居ないのだとあの日そう思った自分が此処に居る筈なのに、知らぬ内に願っていた。
名も無き神に、愛する者が悲しみに暮れぬように、と。
「 …濡れますよ、教授? 」
気が付けば、雨に只管濡れる小さな身体を其の腕に抱締めていた。
が懸命に護ろうとした小さな箱舟を守り続ける様に、我輩もこの小さな存在だけは護ると名も無き神に誓いを立てて。
「 、お前も周りの者ばかり見ていると沈む。 」
「 大丈夫、私の舟はスネイプ教授独りでもう店員オーバーですから。 」
そう言って、は我輩の腕の中で小さく笑った。
まだ、すべき事がある以上は、想いを打ち明けられない。
護るべき存在が在る以上は、簡単に滅ぼされるわけには行かない。
どれだけの豪雨に見舞われ、箱舟の喫水線を越えようが、沈む訳には行かない、到達地点を目指さなければならない。
箱舟に残されたのは、希望なんかじゃない、と。
枯れた筈の心に誓いを立てる、灰色の雲に覆われた空。
嘲笑したホグワーツの大地から見渡した景色は、雨に濡れて愕くほどに美しかった。
□ あとがき □
…喫水線からノアの箱舟…想像にも程がありますでしょうか(笑)
スネイプ教授のノアの箱舟、整理券求めて私も並びます!
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