バレンタイン
心を奪われていたのは、もう大分以前からかもしれない。
「 あれ? スネイプ教授…こんな処で何をしていらっしゃるのですか? 」
呼び掛けられた無邪気な声に、常日頃当たり前の様に怪訝な表情で反射的に振り返ってはたと気付く。
魔法界では無いこの場所で、漆黒のローブに重たい切れ長の髪と云う外見は明らかに目立つだろうと意図的にマグルの服装を着こんで、伸び切った髪を緩く一つ
に纏めて。
最近は髪の長い男が後れ毛だけを残して無造作に纏め上げると云うスタイルが流行を生んでいるとあってか、我輩のこの髪型に視線を削がれる事は滅多に無い。
無論、ホグワーツにおいてこの髪型をした験しは一度として無く、己を鏡で投影して観た瞬間でさえ別人かと思う程の変化を齎してくれた為にマグル界に赴く際
は決まってこの外見を作り上げている。
…と、言うのにだ。
敢えて齎した変化など微塵も役に立たないと言わんばかりに即座に我輩に気付いたこの娘を如何してくれようか。
周囲の変化に過敏に反応する様な子どもではないだけに、広しマグルの世界で出合い存在を明らかに明示された経験が初めてなだけに、驚きを隠しきれていな
い。
「 君の方こそ何をしているのかね。 ミス 。 」
否、本当は心の何処かでは期待していたのかもしれない。
人見知りをしない幼い子どもの興味を引きさえすれば、暫くの間は時間退屈凌ぎ程度には為ってくれるのではないだろうかと。
魔法薬学に興味を持つ人間でさえ立ち入る事を頑なに拒む陰気漂う研究室に毎日訪れては、他愛ない話を一方的に喋り続けては、我輩の返答も求めずに部屋を
去って行く。
何を行いに来ているのか其の意図は知れず、四方八方から流れ込んでくる鉄砲玉の様に突然現れては、曇った灰色を棚引かせて消え逝く。
毎日当たり前の様に現れていたがぱたりと存在を現さなくなったのは、確か以前も同じ様な格好でマグルの世界に用事に出掛けた日からだっただろうか。
偶然にも、白雪の粉が舞い上がる古宮のロンドンでお互い擦れ違い。
「 私はダンブルドア校長に頼まれて買い物に。
スネイプ教授は奥様をお待ちでいらっしゃるのですか? 」
これ…意外と重いんです、と苦笑地味た微笑みと共に両の手で抱えていた紙袋を小さく持ち上げた。
アルバスの使いと云う時点で、中身に大方の察しがついてしまう程に定着化させられた己の想像力が哀しくなる。
使いならば、我輩がマグルの世界への移動許可書を提出した際に【ついで】で頼めば良い物を。何故に敢えて生徒であるに頼んだか、其の意図が掴み取れて
いない。
そしてそんな最中に飛び込んで来た様なの問い掛けに、思わず拍子抜けした声が喉奥から零れ落ちそうに為る。
この世界に生まれ落ちて早三十年余り。未だ独り楽な生活を送る我輩を捕まえて、妻等と云う相応しくない名が紡がれるとは思っても見なかった。
ホグワーツに於いて、我輩に妻と呼べる存在が居る噂どころか人間嫌いの代名詞さえ付く程の存在であると自覚しているだけに、が何処からそのような情報
を入手したのかさえ検討が付かない。
「 …誰と勘違いしているのかね? 我輩は妻子を持った覚えは無い。 」
「 じゃあ…この間の女性は奥様ではなく彼女ですか? 」
返して遣った言葉に、大きな瞳を細めて、真っ直ぐに視線を向けられる。
己の非を改め真実を問い訪ねると云うよりは、単純に不機嫌そうな表情を浮き彫りにして感情の侭、螺子の外れた人形の様に其の場に立ち尽くしていた。
人の往来の激しい通りで出合ったが為に、先を急ぐ通行人の邪魔に為っているのだろう、の細い身体が人の波に飲まれてよろめく。
放って於けば小さく幼い身体は忙しない雑踏に突き飛ばされてしまうだろう。
そんな事に為っては面倒だ。仮にも己の管轄下スリザリン寮に所属する生徒なだけに、ホグワーツの人間にこの様な場面を見られては非常に不味い。
マグルの世界と云えど、何処に於いても教師は生徒を護るという鉄則が有るからに他ならず。
「 ちょっ…スネイプ教授っ!? 」
力を入れればか細い枝の様に折れそうな手首を捕まえて、引寄せる様に両腕を伸ばした。
囲う様に招き寄せての立っていた場所の反対側へ強制的に誘導する様に連れ込んだ場所は、周囲の情景に酷く溶け込んだカフェ。
驚いた様な表情を崩さないに等構う事無く其の侭無理矢理店内に入り込む。
案内されたのは店内から公園が一望できるテラス。の腕を無理矢理に掴んでいた事が客観的に恋人同士を思わせたのだろうか?店員が案内した其の場所に
は、甘やかな時間を愉しむ恋人達の姿が目立っていた。
「 この間とは一体何時の事かね? 」
「 今更シラを切るつもりですか? バレンタインの夜、ロンドンの街で女の人と食事していたじゃないですか。 」
「 …食事、かね。 確かに夕食を共にはしたが、あれは恋人ではなく我輩の従妹なのだがね。 」
「 い、従妹…!? 」
喉奥に落としたミントティーの爽やかな香りが鼻を付いた。
感情表現豊かな少女では有るが、此処までがアカラサマに感情を見せる事は酷く珍しい。
室内に聞える何気無い恋人同士の会話が自棄に耳に響いた。
が最後の言葉を発してからスネイプももお互い何も言葉を発しない為に、重い沈黙が流れ行くお互いの空間内、他に物音がしないから耳障りで仕方な
い。
は顔を上げて、スネイプを見上げた。
の言葉などさして興味も無さそうにカップに唇を添える様は、普段講義をしているセブルス・スネイプ其の人の様だった。
何時もそう、何時なんどきも己と云う殻を壊す事無く周囲に知れ渡った壁みたいなものを作って、心を開こうとか自ら歩み寄ろうとかそんな事を面倒くさいと考
えて。
此方から歩み寄ろうとすれば、煩いだの何だのと文句を付けてくる癖に。
「 …疑惑は解けたかね。 勝手に勘違いするのは結構な事だが、何時までも辛気臭い顔をするな。 」
沈黙は長く続かずに、我輩は根負けした様に、自分から声を発してしまう。
耳を澄ませば、声を殺す様な小さな嗚咽が耳を掠める。何事かと思えば、は大きな瞳いっぱいに水膜を張って笑っていた。
迷子に為った子どもが漸く親を探し当てて安心した時に零すような、そんな微笑と涙。
世間でバレンタインだと云われている日、従妹に恋人にプレゼントを贈るからと買い物に半ば無理矢理付き合わされた事を思い出し、最後に時間つぶしに食事に
付き合わされたときに確かにを視界に認めたような気がした。
一瞬で姿が見えなくなった為に幻覚だとばかり思って居ただけに、から告げられるまでは一切気が付かないままで居た。
バレンタインから丁度4ヶ月余り。其の間只管に考えていた解答が此れだとは余りにも嘆かわしい。
「 スネイプ教授に、逢えない時間が辛かったんです。
逢いに行こうと思えば何時でも行けた…
ですが、其れ以上に奥様がいらっしゃると思っている時の方が辛くて、逢いに行きたくても行けなかった…」
---------- 好きな人に逢えない事が、こんなにも辛いことだなんて知りませんでした。
凛とした透明な声が耳元に届いた時、何を言われているのか一瞬判別が付かなくなった。
聞いては為らぬ呪文を脳天から浴びせられた様な驚愕の感情が一気に脳を駆け抜け、可憐な桜色の唇から紡がれた言葉がまるで、信じられぬ言葉の様に感じて息
を呑む。
好きだ、そう、は言った。
バレンタインの光景が脳内から切断出来ずに、我輩を想っては胸を痛め、普段の様に笑いながら地下室に下りていくことすら出来なくなった、と。
歳相応、無邪気な一面しか知らぬが見せた瞳に光る涙は皮肉にも、彼女を少しばかり大人に見せた。
溢れ落ちる涙を拭う事すら知らない様に、其の侭の瞳で見上げる。
苦く笑った様な表情を作り上げ我輩を真っ直ぐに見詰て来る視線を、珍しく正面から受け止めた。
馬鹿馬鹿しい事を云うな、と不器用な性格が作り上げる否定の声が毀れ出す其の前に。
「 明日から…地下室に来給え。 質素な茶位なら出して遣らん事も無い。 」
この感情を何と言葉で表して伝えれば良いのか、正直判らなかった。
愛を告げる言葉をこの唇から吐き出せば、其の瞬間から全てが偽りに聞えてしまいそうで言葉を殺す。
所詮は不器用にしか生きて来られていない人間が、突然器用になど為れる筈も無かった。
けれど、意外な事に目の前の少女は瞳に溜めた涙を更に零しながら嬉しそうに何度も頷いて。
安心させる様、指先で涙を拭ってやれば綺麗な瞳が微笑みに変わって、真っ直ぐな感情を引き下げてくれた。
心を奪われていたのはもう大分前からだったのかもしれない。
気付けないのではなく、気付かない振りをして。
自身に嘘を突き通す事に困難を感じ、気が付けば其の存在を瞳で追って。
今までは自身を欺いて何一つとして言葉など告げてやることも無かった。他愛無い会話の返答でさえも。
明日から…何を告げてやろうか。
鬱陶しいと感じていた周囲の会話の内容も耳にすら届かない程、の言葉だけが身体に染み込んで来る。
明日の放課後に回そうと思っていたレポートの採点、今夜中に片を付け様と誰に言う訳でもなく心の内で苦い笑いと共に吐き出した。
□ あとがき □
…バレンタインは何処云ったー(笑)!!
無理矢理バレンタインな感じがヒシヒシと漂ってますが、勘弁してやって下さい(汗)。
恋人同士未満、でもお互い好きなのねん。っていう関係が最近好きな稀城です。
100のお題は短く!と思っているので、其の辺が曖昧に為りがちで連載に手を出しそうな勢いです…終われてないのに(笑)
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