地下鉄






闇の世界の住人でさえ、背筋に走りぬける凍った空気に全身を包まれれば即座に卒倒しそう な地下篭城の中で、は正に紅一点だった。
寸秒たりとも太陽の光が射し込むことの無い夜色の世界、其処は死喰い人と彼等が崇拝するヴォルデモートが住まう場所。
地上の光りは愚か喧騒さえも完全に遮断し、通常世界から切り離した様に虚空空間の中に存在している地下城においては、笑い声どころか笑顔さえ見れる事は無 かった。
主であるヴォルデモートの眼前で微笑む等と云う肝の据わった人間が無いと言うのも一つの理由であるが、最大の理由は主が其れを臨んでいないであろうと言う 処に在る。
主が臨まぬ事即ち其れは主が嫌悪する行為に匹敵する故に、皆命を削がれる事を恐れ戦いて誰一人として命知らずな行為をする人間は居なかった。
皆感情を持たぬ人造の様に無表情無感情で主に仕える事が日常と化している生活の中、無邪気に笑いながら主に懸命に語りかける少女を見た時の死喰い人の表情 は皆凍っていた。
身体に触れられる事を嫌悪する主の腕を引きながら取り留めの無い話をする少女、即座に逆鱗に触れ命を落とすだろうと誰しもが思っていた未来は今日現在も訪 れては居ない。
況して、其の少女は冷酷無慈悲と謳われたヴォルデモート自らが連れ帰ったのだと知った瞬間、頭を押さえ込んで卒倒しそうになった死喰い人は何人居たであろ うか。
更に云えば、主の連れ帰った女が年端もいかぬ少女だったと云う点にも充分過ぎる程驚愕対象に在った。
実体が無い間身体を借りていたとはいえ、暗黙のうちに少女に対して本気で情が移ったのだと知る者が後を絶たなかったが、誰一人として其れを口に吐いて出せ る者は居なかった。





「 誰か共を付ける…偶には外の空気でも吸って来い。 」

「 ヴォルデモートは行かないんでしょう? だったら私も行かない。 」

「 私はこの生活に慣れているから必要無い。 」

「 私もこの陰気臭い空気に慣れたから大丈夫。 」





微笑ましい筈の食事風景、果物を口に運びながら笑顔で返答するに対して、無表情の侭ワインを喉奥に落とすヴォルデモート。
酷く対照的な二人は同じテーブルの真向いではなく、真横に並ぶ形で同じテーブルを囲んでいた。
とヴォルデモートが座っても20近くの空席が生まれる。
空いた席には死喰い人の中でも上位に位置する者が軒を連ね個々食事を取ってはいるのだが、無邪気なと冷徹な紅蓮の瞳を違えない攻防戦のような会話に食 事どころではない。
がヴォルデモートの屋敷に住まうように為って早一年。
初めこそ煩い少女に嫌悪感を感じては居たものの、同じ時間を過ごしてみれば誰しもが心底無邪気に笑う少女に共感興味を抱いていた。
広大な空中が暗雲で覆われている様なこの世界、少女が消えてしまえばまた嘗てのような静寂と混濁した冷気が蔓延するのかと思うと苦渋の溜息が毀れる。
そして何より、の笑顔を永久に見れなくなってしまう事態だけは何としても避けなければ為らないと思いつつも、死喰い人である自分が主にモノを言える訳 も無い。
況して、主の妻に等しい存在のに対して、主の眼前で気安く語り掛ける事は命を投げ捨てたに等しい。
両方向から銃を米神に突きつけられながら食事をしているような感覚に全神経が凍り付きそうに為るも、何か有れば杖を取り主に向ける覚悟は皆に出来ていた。





「 良いか、私は何十年も陽の光り等浴びては居ない。
 しかしお前は一年前まで普通に陽の元で生活していただろうが。 」

「 だから慣れたんだってば! 其れに、地下は地下でも地下鉄に比べたら天国其の物なんだから。 」





の口から飛び出たマグル製品を如実に指し示す単語に、ヴォルデモートを初めとした死喰い人全員のフォークの音がピタリと止んだ。
よりにもよって、ヴォルデモートが住まう聖地に近しい場所を嫌悪侮蔑対象であるマグル製品と同等に扱うとは、流石のでも赦されまい。
其の場に居た死喰い人全員が、懐に存在る杖を瞬時に取り出せる様にフォークとナイフを置き、其の場に備えてゆっくりと生唾を飲み込んだ。
果てない螺旋の様に永劫に続くかに思えた重圧と冷気と沈黙、如何したら良いのだろうかと死喰い人は各々に考えを侍らせ始める。
だが勿論、白濁とした煙幕のような雰囲気から逃れようと今この場で席を立ちあがれる者は誰一人として居なかった。





「 …ならばもう良い。 」

「 今日はドチラヘお出かけですか? 」

「 …ホグワーツだ。 」





ヴォルデモートが嫌悪するマグルの単語を使用したの非を咎めない事にも心底愕きはしたが、周囲に居る死喰い人はそれ以上に愕かされる結果となった。
ヴォルデモートが仕事に行く時、に行き先を告げたりはしない。
其れは敢えて明示する必要性に欠けるとか、四六時中監視下に置かれる囚人のような生活に憤慨を覚えるとか、そんな陳腐な問題ではなかった。
ヴォルデモートの本意は判らぬ侭で有れど、強いて云うならば、死喰い人全員はに対する微小の気遣いだと認識していた。
ヴォルデモートの行動を全面的には認めて居ないは、嘗て自らの友人が其の標的にされ命を落とし掛けた忘れ違えぬ記憶を持っている。
運命とは皮肉なもので、今と為っては、自らの感情を抑制する事に困難を極める程ヴォルデモートに恋慕を抱いてしまって居るが、其れこそ嘗ては憎むべき対象 であった。
は現在ホグワーツには在籍していない身の上と為っているが、グリフィンドール寮に所属していた時の友人が未だホグワーツに居る。
万が一にも彼等に被害が及んだら、と最悪のシナリオを数秒でも脳裏に描いたのか、が表情から笑顔を消し去った。
がホグワーツだけは止めて欲しいと懇願する事も可能であろうが、懇願したところで、ヴォルデモートが其れを聞き入れる訳が無かった。
に懇願され止められるものならば、初めから対象にホグワーツを選ぶ事も無かっただろうに。
そして其れ以前に、ヴォルデモートが行き場所を敢えてに教える必要も無かった。





「 気をつけて…行って来てね。 」





薄暗い室内にの無理して作り上げた笑顔が儚く映る。
如何にも居た堪れない面持ちの死喰い人は独り、また独りとの瞳を直視することが出来ずに、美味しいと感じなくなった食事に手を付け始めた。
気をつけて、というの言葉に虚偽が無い事は誰より死喰い人達が知っていた。
其れと同じ位に、切苦に心を切り裂かれそうに為っていることも痛いほどに伝わってきている。
明かりを落とした地下鉄のホームの様な情感思わせる、静まり返った空気に少ない明かり、薄暗闇に翳るの笑顔は見ただけで素手で傷ついた心を摘み上げた 気持ちに為り。
の友人に直接的な手を下すのが己に任されたらば如何し様かと、死喰いは全員心の中で祈った。
これ以上の悲しむ様を視界に入れたくは無い、主に逆らってでもこの場から離れようと全員略同時に表を上げる。





「 案ずるな。 用が有るのはお前の顔見知りではない。 」





其処で見たのは、伏せ目がちに俯いたの頬に手を添えて、愛しむように髪を撫ぜて遣る主の姿だった。
愕いたのは死喰い人達よりも本人のほうで、透明な雫で濡れた薄紫の瞳で真直ぐに紅蓮の瞳を見据える。





「 ヴォルデモート…? 」

「 地下鉄は…灯りが無くなれば何も見えなくなる。 此処も同じだ。
 お前が笑っていなければ、灯りが消えたも同じ。 」





遮られる事無くするりと滑り落ちる絹触の心地にヴォルデモートがほんの一瞬表情を和らげて低く告げた。
陶器の様な滑らかな肌に添えられた掌に、の小さな掌が重なる。
上から抱き込むようにして甘やかな体温が伝われば、ヴォルデモートがの腰に腕を回して強く引き寄せる。
此の侭二人の世界に入り込んでしまいそうな其の間際、気を利かせた死喰い人が食事も其の侭に席を立とうとした頃合、が幸せそうに微笑った。
一瞬で灯りが走った様に綻んだ空気に、ヴォルデモートが苦渋の溜息を零した。
今まで明かりの無かった地下生活に慣れきった筈だと思っていたと言うに、己でさえの微笑みに安堵する等とは。
地下篭城の本当の主の髪を撫ぜながら、ヴォルデモートは死喰い人に目配せを送る。





----------- 翌日の魔法界誌に載ったのは、ヴォルデモートがホグワーツに姿を見せたと云う事だけだった。









□ あとがき □

地下鉄…と云ったら最近半蔵門線に乗らなければ為らないプロジェクトに飛ばされそう…
位しか思いつかずに(苦笑)
私の中の地下鉄のイメージが、真っ暗い中に電車が走る…だったんですが、都会の地下鉄って普通のホームですよね。
ちゃんと携帯の電波が入るので、毎日感嘆しながら地下ホームを見つめています(苦笑)


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