鍵穴






「 母上、マグル製の鍵が出てきましたが…母上のものですか? 」





久方振りに踏み締める整調された芝生、見上げた我家の風体は何一つとして変化をせぬ様を見て、ドラコは安堵の溜息を零した。
マルフォイ家に仕える執事を初めとした従業員一同が花嫁行列を出迎えるように、トランクを持ったドラコに一斉に頭を下げる。
何度同じ体験をしていても、一向に慣れない瞬間に呆れを感じつつも、その奥に柔らかな微笑を見つければ、ドラコの溜まり積もった疲労等藻屑と消え失せた。
何年経ってもポートレートの如き変わらぬ容姿を携えた母親は、薄紫色の瞳と夜色の絹髪が酷く印象的だった。
柔らかな五月の風に遊ばれる様に攫われる髪は、朝露に輝く草木の翳りの様な厭味を感じさせぬ艶を放ちながら、陶器の様に滑らかな頬に寄り添っている。
どちらかと云えば小柄の部類に属するであろう母親は、成長期を迎えたドラコよりも幾分背が低く、父親であるルシウスの隣に並べば其れこそ夫婦と言うよりも 父娘が適切であろう。
実の息子でもあるドラコがそう思うのだから、先ず間違いはない。





「 鍵…? あぁ、こんなところに在ったのね。 見つけてくれて有難う。ずっと探していたの。 」





何時もの柔らかい微笑みでそう返したは、ドラコの指先で摘み上げられていた鍵を受け取ると、更に嬉しそうに微笑んだ。
何十人もコックを抱えるマルフォイ家では、がキッチンに立つこと自体をルシウスが赦さない。
しかし、休日に限ってはの趣味である西洋菓子を作る事が赦されている為に、マルフォイ家専属のコックとともに洋菓子から和菓子まで多種多様の菓子を作 り上げては従業員と共にささやかなティータイムを過ごしていた。
其れはドラコが帰省している際も何等変わることは無く、寧ろもコックも無反応無返答のルシウスよりも何倍も反応が返ってくるドラコの為に作る事に一種 の喜びを覚え始めていた。
勿論、の洋菓子を作る腕前は其辺のパティシェよりも遥かに優れており、ドラコ自身もの作る菓子はコックの作り上げる菓子よりも数倍美味しいと世辞 無しで思っている。
今日もは小さな身体に淡い水色のエプロンを付け、頬に薄力粉を微かに落としながら語りかけたドラコに対して振り返った。
見れば、マグル式の暖炉オーブンで甘い香りを放ちながらパイが徐々に焼き上がっている頃合。
鼻先を擽る香りに一瞬瞳を和らげたドラコだったが、手のひらに乗った小さな鍵を見て懐かしむ様に微笑んだに表情が変化した。





「 …父上からのプレゼントですか? 」





がこんな表情を零す時は、決まって其の背後にルシウスが絡んでいる事をドラコは生まれ落ちた其の瞬間から熟知していた。
愛妻家で知られるマルフォイ家の当主は、純血とは云え東洋の血を其の身体に流す娘との婚姻に周囲の反対を押し切るどころか敷かれた路線を自ら叩き壊して、 がホグワーツを卒業すると同時に婚姻を交わした。
様様な噂や憶測が飛び交いはしたが、以前に比べて従業員や執事家来に対する明らかな待遇の違いに、純血のみが住まうことを赦されたマルフォイ家の人間から はルシウスよりもを慕う声の方が強い。
事実、息子のドラコから見ても、ルシウスはにだけは甘く周囲の人間も当主であるルシウスよりも妻であるの身を案じる程。
勿論実の父親の血を余す事無く受け継いでいるドラコもまた、母親であるが特別な存在である事は間違いなかった。
父親と張り合ってまでもを独り占めしたいという欲求を殺せるように為っただけでも、父親よりも融通が効く大人に為ったと云えよう。





「 プレゼントじゃなくて…、
 此れはね、私とルシウスが婚姻前に交わした約束の鍵なの。 」

「 約束…? 」

「 婚約する前日、私如何しても不安で仕方なくて、其の事をルシウスに言ったらこの鍵をくれたの。 」





の手のひらの上で銀色に光る小さな鍵は、一瞬見ただけでは区別がつかないけれども、純銀製の高価な装飾が施されている。
鍵一つにさえ装飾に凝る位なのだから、鍵が本来の役目を果たすべく鍵の掛かる物体にどれほどの価値が有るのだろうかと、ドラコは脳内では処理しきれない偶 像を掻き消す。
其処ら辺に投げ置いてあるものでさえ、宝石や貴金属が嫌味な程光を反射させて居る。
鍵一つの細部にまで丁寧に装飾されたこの鍵が封印しているものは一体何なのだろうか。
銀色の鍵がピタリと嵌りそうな鍵穴を探してみれど、鋭利な刃物で無理やりに傷を創り上げた様な形状の鍵が入るような代物など見当たらない。
とルシウスが共に過ごす寝室で見付かったのだから、この部屋の中の何処かにある筈に違い無い。
そう思っての話に相槌を打ちながら、視線だけでゆっくりと部屋を見渡せば、途中で藤色の瞳にぶつかった。





「 チェストの上に木箱が有るでしょう? 其の鍵よ。 」

「 中には何が… 」

「 お互いね、一番大切にしている物を仕舞ってあるの。
 どちらかが嘘を吐いた時とか、裏切りが有った時、この鍵で開けて中のものを壊せる様に。
 私の持っている鍵ではルシウスの箱しか開かないし、私の箱はルシウスの鍵じゃないと開かないの。 」





の指差した先には、鍵からは到底想像も付かないような古ぼけた木箱が場違いな雰囲気を醸し出して鎮座していた。
部屋の中に入った時には気づかなかった其の違和感も、に指差されてみれば、初めて視界が鮮明に変ったように木箱が浮きだって見える。
鍵は其れこそマグル式の美辞麗句な細工が施されているものの、肝心の中身を仕舞う箱は間違い無く魔法で作成されたものだと分かる。
中には一体何が入っているのだろうか。
存在を認めれば認める程、中身が気になって仕方が無い。
箱の中身がお互いの最も大切にしているものだと知れば、其の欲求は抑えられない程に膨れ上がり、興味は完全に箱の中に注がれていた。





「 私ね、一回だけルシウスと大喧嘩したことがあるの。
 其れで其の時、余りに頭にきたから、ルシウスの大切なモノを壊して遣ろうと思って箱を開けたの。
 そしたら…中身が空で更に激怒。 多分あの瞬間、人生の中で一番怒ったんじゃないかな。 」





甘い砂糖菓子の香りを微かに放ちながら、が可笑しそうに微笑んだ。
追立てる様に仄かに漂う香ばしい香りが、直に菓子が焼ける旨を間接的に伝え、頃合を見計らって飾り付けをしなければ為らないは椅子から立ち上がる。
如何して中身が空だったのかと尋ね様としたドラコの声を喉で殺させるように、ゆっくりとの手のひらから銀の鍵が投げられる。
其れは綺麗な半弧を描いてドラコの手中に収まると、は折り畳んでいたエプロンを再度羽織る。
鍵など貰って如何すれば良いのか。
第一、此れがどの箱に一致する鍵かも判らず、況して自分が持っていて良いものか思案したドラコがを追って立ち上がろうとした刹那。
甘い菓子ではない、慣れ親しんだ柔らかい華の香りが鼻腔を擽った。





「 中身が気になったら、暇つぶしにでも空けて見て? 私の鍵だからルシウスに怒られる事も無いし。
 多分ルシウスは、私の箱の中身なんて気にも留めてないから平気よ。 」





左側の箱が自分の其れだから、と付け加えたは普段ルシウスにそうする様にドラコの頬に一つ口付けを落とす。
母親が子供にする其の行為、唐突に近づいてきたの端麗な顔にドラコに羞恥が走るも、口付けを受けてしまえば其れは単なる喜びに変わった。
ひらひらと小さな手を可愛らしく振って部屋を出て行こうとするに、ドラコは銀の鍵を握り締めたまま立ち尽くしていた。
重い扉に手を掛け、閉め切る其の瞬間、扉から僅かに身体を乗り出し振り返ったは頬に微かな朱を走らせて補足事項を告げた。





------------ 箱の中にお前を容れられる訳が無いだろう。





照れた様に微笑うは、昔見た婚姻の写真の中と同じ笑顔だった。
結婚して息子が居る其の生活の中で、此れだけ月日が流れようとも幸せに笑える事が出来る母を持って幸せだとドラコは心の中で苦く笑った。
普段は見てて此方が羞恥に苛まれる位に仲の良い二人、母であるを心から幸せに出来るのはやはり実の父でしかないのだと思えば悲しくも為るが、所詮敵わ ぬ相手と知っている。
ルシウスが敢えての木箱の中身を確認しない理由が否応無しに伺えた。
其れでも好奇心のほうが勝るのか、事実を確認したいのか、が寝室を離れてから数秒の後、ドラコは意を決した様に立ち上がるとチェストへと真直ぐに歩い ていく。





「 …相当な暇人だな、僕も。 」





小さく溜息を吐いて、けれど掌には小さな銀の鍵を握り締めて、ドラコは木箱を軽く持ち上げた。
綿の様にふんわりと軽い其れは、やはり魔法で創り上げられているのか、触れば若干の魔力を指先に感じた。
禁断の聖域への鍵を手にした冒険者の様、高鳴る鼓動を押さえ込むのに必死で、たかが小さな鍵一つだと云うのに持つ指先が震える。
一瞬目を離せば見落としてしまいそうな小さな鍵穴に鍵を差し入れれば、拒絶されること無くピタリと最奥へと届いた。
躊躇する事無く一気に鍵を回せば、小さく螺子が外れる音が聞こえ、蓋が自然に開く。





「 …やっぱりな。 」





其処に在ったのは、の嘗ての学舎ホグワーツを背景に、ルシウスとが映っている魔法界の写真。
ルシウスとが婚姻の契りを交わしたのはホグワーツ卒業後直ぐと云う事実、そして、この瞬間の写真を残していると云うことは決定的瞬間がこの後のフィル ムに刻まれているに違い無い。
生まれてきた時から既にルシウスに負けていると自覚しているドラコにとって見れば、其の情景を映像であったとしても見る事自体耐え難い苦痛に摩り替る。
もうじきの焼きたての菓子が出来上がる頃、ルシウスが帰宅する前に味見をしようと、手にした小箱に鍵を落とそうと蓋を持ち上げた。





「 写真がもう一枚だと? 」





折り重なるようにして置かれていたもう一枚の写真に気づいたのは、ドラコが蓋を閉めようと木箱を持ち上げ、微かに其れが横に揺れた瞬間だった。
危うく見落としてしまいそうな小さな其の写真。
ルシウスとが写りこんだ写真を退けて摘み上げてみれば、其処に映っていたのは生まれたばかりのドラコ。
初めて見る自分の赤子の姿に羞恥を覚えながらも、泣き喚く自分を終始抱き続けるに見入ってしまっていた。


何かを訴えては泣くドラコに対し、鬱陶しい煩いと小言を漏らすルシウスに構う事無く、は乳母にドラコを預ける事も無い。
優しくあやしては語り掛け、ドラコに笑顔が戻ればそれ以上の笑顔でドラコに対して笑いかけている。
今では想像も出来ない程、殆ど24時間体制でを独占していたのだ。ルシウスがドラコに嫉視するのも無理は無いと妙に納得してしまう。





「 …母上の箱にこの写真がある事を…父上は昔から知っていたんだろうな。 」





小さく舌打ちをして、其の音を合図とするかのように小さな木箱に厳重な錠が落とされた。
確実に螺子が回った事を確認すると、ドラコは銀の鍵を箱の上に乗せ、静かに箱をチェストに置いた。
夕闇の橙が淡く室内を照らし出した頃合、階下から自分を呼ぶの声が聞こえて来た。
何時も通り短く返答を返したドラコは、寝室を去る前に一度だけ振り返り、ルシウスの面影残した表情で苦く笑った。





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鍵穴の向こうには、澱み無い空の様に果てしない幸せが広がっていた。









□ あとがき □

鍵穴ってお題もまた難しいですよね。
如何しても合鍵だとかそっち方面に話が進んでしまいます(苦笑)
そして今回のドラコはかなりマザコンちっくで偽者度高いですが…気にしないでください(汗)
これでも一応、ルシウス夢です…(無理だろう)


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