デルタ
「 …この三角の、何…。 」
湿気と薬草の放つ独特の匂いで満たされた陰気臭い部屋に、清廉な声が溜息と共に聞かれた。
僅かに燈された灯りは、何も時が深夜だからではない。
この部屋には太陽の光りや白熱灯、更には熱を帯びた光り全てを拒絶し死滅してしまう様な薬草が数多く眠っている。
勿論、厳重な魔法を施した管理下に置かれているのだか、スネイプの心配は留まる所を知らずに室内は何時も決まって薄暗い。
スネイプが所有する薬草の中には、現世では既に絶滅したに近い品種の苗木も有る為に、迂闊に光りを近づけることは懸念対象だった。
故に、スネイプがこの部屋でレポートの採点をする際も、滅多に来ない客人を招き入れる際も、室内の証明は必要最低限にしか設定されていない。
其の中で、古びた分厚い本を膝に乗せたが、レポートの採点をするスネイプに寄り掛かりながら指で一点を指し示す。
「 …デルタ、だ。 三角だと? お前は本当にそんな学力で魔法省に就職するつもりなのかね? 」
「 こんな変な三角、日本の学校の数学では一切出て来ませんでした。
…第一、如何して魔法界なのにマグルの世界の数学が必要なんですか。 」
「 …そんなものは魔法省にでも聞いたら良いではないか。 最も、面接まで駒を進められたら、の話だがな。 」
が指差した三角、に興味を持ったのか、スネイプが採点の手を休めて下を仰ぎ見た瞬間。
呆れに似た溜息が即座に振ってきて、多少なりともは傷つく。
最も、は魔法界に於いて決して学問に関して劣っている訳ではない。寧ろその逆で、一点に固執すれば其れは其れは教師をも感服させる程の能力を秘めてい
る。
…が、しかし。
世の中はそんなに甘くは無いと言うのは何処の世界にも有る事で、は学問の中でも事の他、記号が出てくる分野には疎かった。
疎いというよりも既に嫌悪対象と言った方が有っているだろうか。
ホグワーツに来る前に受けていた数学、三角関数は出来ても円や角度を求めると言った分野の点数が酷かった事を記憶している。
如何して魔法省の就職試験でマグルの世界の数学…しかも、高等学校以上の高度なものが出題されるのかが判らなかった。
判らないけれども、遣らなければいけないという事だけは充分に理解している。
とは言え、ホグワーツで教えてくれる筈も無ければ、日本の高等学校に行っていた記憶も無い。
独学で学ぼうという根性と努力は認めても、やはり苦手な分野の壁は想像以上に厚い。
「 さっぱり意味が判りません…なんですか、デルタ関数って。 」
「 デルタ関数はその引数が0になる一点でのみ無限大の値を持ち、その点を含む範囲で積分すると1になるという性質を持っている。 」
その言葉に、今度はがスネイプを下から仰ぎ見た。
其れも、今までに見せたことも無い様な驚愕と尊敬尊望の眼差しを引き下げて。
如何してホグワーツで教鞭を取るスネイプがマグルの世界の数学の一分野を知っているのかと、自分が知って居るよりも遥かに知識が深く学問に長けたスネイプ
に言葉を失う。
大方、凡人のにも判り易く理解し易く言葉を噛み砕いて説明してくれているのだろうが、其れでもの脳みそはスネイプが考えていたよりも遥かに硬い。
スネイプの説明を理解しようともがいて足掻いて見ても、普段の魔法薬学の講義が何十倍も生易しいものに感じられるほど言葉が理解出来ない。
スネイプが此処まで説明してくれても欠片も理解出来ないのならば、この本を読んだところで理解など出来るわけが無いと、誰より先にが嘆きの溜息を吐い
た。
「 …この程度で根を上げるようでは魔法省に入るどころか書類で落ちるな。
デルタ関数は未だ生易しいものだ。 此れより更に難しいもの等幾らでもある。 」
「 其れは私に諦めろって言ってるんですか?
魔法省の就職試験を受ける為に今まで色んな会社を蹴ってきたのに…今から就職口なんて有る訳無いですよ。 」
魔法省の採用試験は、マグルの世界の教員採用試験や国家公務員試験と同様に、一般の企業の就職試験とは若干時期をずらして行われる。
故に、本気で魔法省職員を目指す人間は一般企業を受ける時間も惜しい程に勉強に勉強を重ねるという。
勿論も例外ではなく、今までオファーの有った様々な企業を蹴って再来月に開催される魔法省の就職試験一本に臨んでいるのだ。
周囲からの反対の声も上がったが記号を介さない学問だけで有れば完璧に通れる自信が有った。
就職試験希望届を出し、勉学に励んで早半年。
この場になって数学が必要に為ろうとは夢にも思っていなかった厳しい現実に、は半ば自暴自棄気味に、参考書や辞典に齧りついたのだが。
「 …郷里に帰れって事ですかねぇ…。 」
余りのの落胆の声に釣られた様に、スネイプが腹の底から汲み上げて来たような重い溜息を返す。
溜息を吐きたいのは寧ろ此方だと、が八つ当たり気味に声を上げれば、
「 ホグワーツ教授助手ならば…数学は要らんし、申請一つで受理される。 」
「 教授助手って、其の教授の申請が無きゃダメじゃないですか。
このホグワーツの何処を如何探して、グリフィンドール三莫迦トリオの私を助手にして下さる奇特な教授が
いらっしゃるんですかねぇ。 」
「 丁度人手を探していたところだからな、我輩が拾って遣る。 」
「 へぇ、そうですか、スネイプ教授が私を……………って、私終に耳まで可笑しくなりました? 」
「 …可笑しいのは其の思考回路だけで充分だな。 」
三度目の呆れたスネイプの溜息と共に、の膝の上から分厚い本が転げ落ちる。
其れが乱雑に転がって頁に皺が出来るのも構う事無く、は其の侭立ち上がってスネイプを直視した。
間違っても嘘等言える表情ではない。
それどころか、今、少しだけ笑ったような気がした自分の瞳が信じられずに居る。
最終的には視力までもが腐ったのかと思った矢先、黒いローブが音も無く伸びてきて、ゆっくりと其の身体を抱き締めてくれた。
普段感じる温もりが、今まで以上に暖かく感じる。
日常を生活する上で、遭遇する事が本当に少ない一瞬に出遭い呆然と力を抜く。
顔を逸らし、肝心の回答を逸らしたことを忘却した侭視線を外せば、耳に届いたのは喉の奥で殺した声。
--------------- 我輩の助手は、魔法省職員とは比べ物になら無い程キツイがな。 覚悟し給え。
慌ててスネイプの方へ視線を戻そうとした顔は伸ばされた手に止められて、口を吐く筈だった言葉は頬に落とされた口付けに掻き消える。
が分厚い本に再び視線を落とすことは其の日限りで無くなった。
代わりに、更に分厚い魔法薬学辞典と格闘する日々が始まった。
□ あとがき □
デルタ…で思い浮かんだのがデルタ関数でした(笑)。
デルタ関数って何処で習ったっけか…高校だったような大学だったような…とちょっと記憶が曖昧ですが、スネイプ教授が喋った説明文は暗記しただけあって、
未だ私が覚えてましたよ(苦笑)
それにしても、拾って遣るって、教授(笑)。
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