ガードレール






高潔なる純血以外の全てのモノを軽蔑拒絶軽視する様な禍々しいばかりの鋭利な視線を痛い 程浴びた。
自分の方が薄汚い野蛮染みた根性しか持ち合わせては居ない癖に、身体に流れる血にしか興味の無い何かにつけては【血だ、純血だ】と莫迦の一つ覚えの様に騒 ぐ単細胞だ、と嘲りの言葉を吐けば刹那に頬を張り飛ばされた。
腕に抱えた羊皮紙の束が、一瞬で空を舞う。ひらりひらりと枯れ木の葉の様に揺らぐ其れが、頬を張られてから自分が自覚するまでの時間を客観的に計ってくれ ていた。
大方、二十以上も歳の離れた幼い小娘に罵詈雑言を浴びせられた事が無性に腹に立ち、考えるより先に行動を移してしまったのだろう。
無言の侭凍る様な視線を投げられ、手加減してやる慈悲の心も持ち合わせて居ないのだろう、容赦は欠片も存在しなかった。
張り詰めた空気に異様なまでに木霊する乾き切った音が、静寂だけが支配する室内に、空しく浸透した。
何時かは来るだろうと思っていた、唐突な暴力。
三十路を軽く越えた大の大人が幼い子どもにする仕打ち。微塵の慈悲も無い其れを防ぎ切る事等できる訳も無く、掌で蹴られた様に床に転がる羽目になった。





「 貴様、マグルの分際で良くもそんな口が利けたな。
 上役の気に入りだからとは言え、穢れた血を傍に置くだけでも汚らわしいという… 」





蔑んだ瞳。侮蔑を含む言葉を殺した様に歪められる口元、卑しい含み笑い。
想像しただけでも背筋に悪寒が走る其れを間近で遣られると云うのは、想像以上に虫唾が走る。
純血と言うだけで絶対的な位置に立っていると勘違いしている哀れな男は、其れ以上に惨めなモノを見下ろす様な視線を投げて寄越している。
一度口を開けば毀れた水道管の様に延々厭味侮蔑の言葉が垂れ流しの様に溢れ出て止まらないらしい。

汚いモノを見る様な、差別的な視線を身体中に浴びながら、言い返してやる気にも為れなかった。
寧ろ、この場で言葉を発することの方がよっぱど時間を無駄に過す結果になるだろうと。
実際、先程怒りに任せて感情を露わにした事自体が時間の無駄だったと、は心の中で溜息を吐き、早くこの男の気持ちが静まらないかと其ればかりを考え起 き上がる事もなかった。
元々薄い女の皮膚、一際薄い唇の皮膚が内出血を引き起こして、皮が破れ惨めな鉄錆の味が、腔内に広がってきた。
思ったほどの痛みは感じられない。感覚神経が麻痺しているのか、其れとも脳内が既に別の事を思っているからなのか、期待したほどの痛覚が無い。





「 貴様、この私を誰だと思って…ッ… 」





時計に視線を合わせれば、午後の三時。
もう直だと思った瞬間に、地面に腰を付き起き上がることもしないの言動に腹を立てたのか、怒りで顔を真っ赤にした男が一歩前へ歩み出る。
滑らかな質感を思わせる細い首を柔らかく包み込んだカッターシャツの合わせを、肉付いた卑しい掌が掴みあげる。
力の差から必然的に首から持上げられる体勢に為ったは、合わせからギリギリと首を締め上げられる痛みに、表情を歪めた。
息が、詰まる。視界が白く揺らぎ、意識が朦朧と揺らぎ、指先から血の気が引く様な感覚が一気に全身を駆け抜けた。
息が、止まる。


自分でそう自覚した刹那、一気に流れ込んできた空気が肺と脳を圧迫して、酸素をより多く取り込もうとする本能が意思よりも先立って急激な加呼吸を引き起こ した。
噎せ返る様な空気の中、朧気に霞む視界の隅で、見慣れた杖を見た。





「 貴様、私のに何をしていた? 」

「 マ、マルフォイ様…ッ、そ、その彼女が… 」

「 …私は何をしていた、と聞いている。 」





漸く明瞭になった視界に、見慣れた人の姿が有った。
と男とを引き離す様に、男は肩口を杖に踏まれている。咄嗟の事に驚いたのか、男は其の侭後ろ手に付き、腰を地面に付けると見っとも無く後退りする様な 体勢でみじろく。
男が後ろに若干下がったことによって生じた隙間に、漆黒のローブが翻る。
寄添う様に上質の絹糸の様な銀糸が微空気に揺れ、ゆっくりと背に戻る。
今にも顔面蒼白で其の場から走り去りそうな男の顎に、ルシウスの手にした杖が引っ掛る。触れる事も汚らわしいとばかりの侮蔑を含んで、ゆっくりと顎を上に 持上げた。
薄蒼の瞳がゆっくりと酷薄の笑みを刻んで、ジワリジワリと追い込む様に其の瞳を鋭利なものに摩り替える。
其れこそ正に、先程男がを侮蔑下賎なモノとして見下していた視線其のモノを男にくれてやった。
そうして最後には、見る価値も無いとばかりに、冷たい一瞥と共に去れと告げる。


慌てふためき、腰を抜かした侭に逃げる様に走り去って行った男が、二度と魔法省の敷居を潜る事は先ず無い。





「 …何をされた。 」





普段と変わらぬ感情を読ませない声。
けれど、先の男に発する言葉や他の者に発する言葉とは明らかに音程の異なる、若干の優し味を籠めた声でもあった。
見上げる様に視線を上げれば、面倒臭いと表情を露わに出しながらも、傍らに跪く様な体勢で柔らかく抱き起こしてくれる。
男に張られた頬が若干の熱を持ち始め、内側から外側にせり出す様な感覚が頬から全身に走り抜け…
この時初めて、張られた頬を痛いと感じた。





「 私が少し…ある事を言ったら頬を叩かれました。 」





嘘等通じる訳が無かった。
そして勿論、明確にしなかった言葉に関しても、敢えてが言わずとも全てを悟って居る事だろう。
無言を貫き通した侭酷薄な瞳に浮かべられる薄い笑みは、酷く恐ろしかった。
先の男と同じ生粋の純血であるルシウスと、如何足掻いてもマグルの血が其の身体に流れ落ちる
魔法省の中でも、誰よりマグルを毛嫌いし疎んでいるルシウスが何時心変わりを起して仕舞うのだろうか、目の前の愛しい人に頬を張られる日が何時かは来るの だろうかと、考えずには居られない。
柔らかく頭を撫ぜてくれる冷たい手。
其れが頬を張った瞬間、一体自分は何を思うのだろうかと、可能性が決して低くは無い未来を想像する。

ぼんやりと其の未来を思いながら、間を置いて、一瞬。
酷薄な瞳を其の侭に、視線を剥がす事無く真っ直ぐ水墨白淡の瞳を見詰られた侭、ゆっくり腫れた頬に指先を伸ばされた。
そうして、愛しむ様宥める様、痛みを伴わない様にと考慮してくれているのか掠める様に柔らかく撫ぜられる。
ひんやりと冷たい指先、其の冷たさとは間逆の温か味を感じた。





「 済まなかった。私がもう少し早く来ていれば。 」

「 ルシウスの所為じゃなっ…! 私が悪かったんです。純血の方にあの様な失礼を… 」

「 …純血云々以前の問題だろうな。
 お前は己を侮辱した人間を侮辱し返した、唯其れだけだ。 」





驚きで視野が一気に広がる。
呆れた様な溜息の直ぐ後で、普段聞き慣れない言葉を聞くと、人間一瞬呆気に取られてしまうというのは本当だったと頷く。
まさか夢では有るまいと思ったのも束の間、ルシウスに触れられた箇所が自分でも理解出来る程熱を持ち、腫れあがって併発した痛みが其れを現実だと教えてく れた。
冷やさなければいけないと思う反面、ルシウスの冷たい指先が此の侭触れ続けていてくれたら其の必要は無い。
況して、この状況下…折角触れて貰えた其の指先 ですら離れがたいとそう思ってしまえば身動き等取れる筈も無い。
けれど、此の侭頬って置けば確実に殴られたのだと推測出来る跡を残して、明日からのホグワーツに如何通えば良いのだろう。
大方、魔法で消せるから問題は無い…と即座に諦めてしまうのだが。





「 女のお前が受けるべき怪我では無いな。 」





落される低い声と共に、するりと唇の端を滑った冷たい指先が、細い顎に掛かる。
若干上を向かされる様に指に指図されれば、其の僅かな隙に腕が背に回され、抱き起こされた。
腕の中に囲われた侭、腫れた箇所にゆっくりと唇が降りて来る。
清め癒すような、口付け。
映画か何かを客観的に見ている様な錯覚に陥り、一瞬何が起こったのか判らない様に頭の中が真っ白に為った。


耳鳴りがする。
咄嗟に閉じた瞳の奥、黒一色に塗り込められた闇の中、白く浮かび上がる靄は静かに其の中で仄白く発光しているようにも見えた。
昔一度見に行った、断崖絶壁の水平線間際のガードレールに乗り掛かった時も、此れと同じ様な感覚を覚えた。
手を伸ばせば其の先に直ぐ届きそうな海。現実問題では実現不可能な事だというに、ガードレールを飛び越えて海を掴みたくなる。
瞬間、ギシリとガードレールが体重で軋む。これ以上行っては為らないと警告音の様に軋みを利かせての脳に直接語りかけて、ようやっと思い留まった。
其れと同じ感覚が、身体を突き抜けた。


届きたいと手を伸ばした海と地上の境界線。
踏み越えてはいけないと自覚していた、ルシウスとの境界線。
其処に掛かるガードレールに、身体を委ねて軋んだ音を聞いた。
ギシリと軋み、それ以上、ガードレールが壊れてしまう其の前に温かい物体に強く抱きしめられて思わず安堵の息を吐く。





「 明日からは私の自室に来るといい。 」





煽り、増幅された不安、何時かはこのガードレールを壊してしまうのではないかと言う焦り掻き乱されながら、傲慢な腕に捕らえられているというのにも関わら ず安堵してしまう。
抱すくめられ感じた少しばかり低い体温にも安堵の息を微かに漏らせば、漆黒のローブの隙間を縫った銀糸がの視線と思考を一気に奪い去った。





「 良いな、此れは聞いているのではない、命令だ。 」





境界線の無くなった其の場所には、海と地上とが綺麗に二分され交わった箇所となる。
とルシウスの境界線もまた、今日この時を境に壊れ行くのだろう。



遠くでガードレールが毀れる音を、聞いた。












□ あとがき □

ガードレールって云うお題を見た瞬間、海と地上との境界線を思い浮かべたんですが、夢にならないことが判明したので無理矢理前づけしてみました(笑)
ルシウスはマグルのヒロインを赦しているのではなく、ヒロインがマグルである事を気に留めていないというイメージが有ります。
本当はルシウスに男を張り飛ばせる予定だったのですが、其れは今度の機会にしようかと思います(こら)



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