柔らかい殻
陰気臭く黴た様な空気が漂う地下室、静かに頁を捲る音だけが、其の部屋の中を満たしてい
た。
羊皮紙特有の、夏草がカサリと肌を削ぐ様な音。
沈黙を守り切った室内に立ち込める其の音は、秒針が時を刻む音を立てない代わりとばかり、一定のリズムを放ちながら音を出す。
珍しく大きく開け放たれたソファーには、春の薫りが柔らかく立ち込める穏やかな午後の陽が降り注ぐ。
もう少しすれば、太陽に顔を向けて寝るなど莫迦も良い処だと言われる様な強い陽射しが降り注ぐのだが、幸い今日は転寝したくなる程の優しい陽射し。
柔らかく温かい光りを背に受けながら、スネイプは音の籠らない静かな部屋で、ゆっくりと読書に励んでいた。
「 …全く、ソファーで寝れば良いものを。 」
真剣に古文書に並べられた一文字一文字を目で追っていたスネイプが、久方振りに声を発した。
眉間に皺を寄せて、のめり込む様に活字を追うスネイプが意識を逸らせたのはほんの一瞬、右腕に微かな重みを感じたからだった。
呆れた様な溜息と共に横目で見れば、其処には、風にスリザリンのタイを揺らせた独りの生徒の姿。
始めは凭れる様にスネイプの脇で同じ様に読書をしていたのだが、麗らかな春の陽射しに負けたのか、留め具を置かぬ本の頁が風に揺れ。
本人も揺られる頁と同じ様に、ゆっくりと頭を上下に動かしながら、安らかな眠りの世界に堕ちていた。
「 此れでは、我輩に寄り掛かる意味が判らぬ。 」
けぶるような木漏れ日。
其の中に降り注ぐ柔らかい光りを側面に浴びるは、太腿の上に拡げた本を乗せ、華奢な腕が細い膝を抱え蹲るようにして眠っていた。
体重を乗せて来ているのだから、素直に両の手を離して凭れ掛かって来れば良いものを、は其れを断固拒絶する様に独り膝を抱えて眠っていた。
身体を縮めて心を折り畳み、掌を握り締めて、薄い瞼を祈る様に堅く閉じる。
子どもがするには酷く不自然な転寝だった。
まるで、外敵から己が身を護る為に堅い殻に閉じ篭っている様な印象を与える。
瞑った瞳の奥、見えるのは僅かな薄闇、其の最中何を想って、膝を抱えるのか。
普段は優等生として名高いスリザリン生が、スネイプの元に通い始めて既に3年。
長い睫が僅かに震え、眼を覚ますのかと思いきや、陽射しで温かく温度を上げた漆黒のローブに顔を埋めると幸せそうに笑った。
此れでは、トイレにも行けまい。
後どの位で眼を覚ますだろうかと、考えれば自然と溜息が出た。
「 気高い鷹の様な鋭利な瞳を持ったお前が…こんな表情を見せるとはな。誰も知るまい。 」
初めてを見た組み分け帽子の儀式の刹那、気高く誇り高い鷹の様な鋭利で残忍な瞳を持つ少女だと興味を抱いた。
外見もさることながら、瞬間組み分け帽子が高らかに告げた【スリザリン】の言葉どおり、抜け目無い頭の良く切れる少女だった。
必要の無い人間を排除する様に独特の雰囲気を身に纏い、硝子の様に冷たい水墨白淡の瞳は、何時も真っ直ぐに人を見る様で誰も視界に映そうとはしない。
次第に周りから人間が消え、其れでも彼女を傍に置こうとする人間は後を絶たなかった。
ニコリとも笑わない少女に、他人が何を其処まで求めるものかと妙な雑念を抱いたのが、全ての始まりだった。
何時の頃からか、硬い殻はゆっくりと侵食される様に柔らかくふやけていった。
そうして、知った。
この少女が本当に心を開いた人間にのみ晒す、心の陰りを、歳相応の無邪気無防備な姿を。
「 …、起きなさい。 今日は出かける予定が有ったのであろう? 」
「 ん…後…10分だけ… 」
「 其処に居られると身動きが取れないのだがね。 」
「 もう…ちょっと… 」
投げかけた言葉に反応したという事は、其れほど深い眠りでは無いのだろう。
ゆっくりと重い瞼を持上げ、細く長い指で眠そうに瞳を擦るけれども、未だ脳内は覚醒していないのか言葉も言動も覚束無い様子。
直ぐ傍に温もり湛えるスネイプのローブが有ると知ったは、更に其の温か味を貰おうと、身体を傾ける。
仕方無しに腕を伸ばして引寄せてやれば、子どもが安心しきって親に其の身を委ねる様に素直に甘える。
触れると壊れてしまいそうな、幼い子ども特有の脆さを漂わせるに、惹き付けられたのはもう大分昔の事だった。
後10分したら起して。
…生欠伸を小さく殺しながら、膝を抱えた腕をゆっくりと解いて、は静かに瞼を伏せスネイプの腕を胸に抱きこんだ。
先と同じ様深い眠りに堕ちる様に、薄く開いた桜色の唇からは規則正しい微かな呼吸が聞こえる。
掠れた息に交じった言葉、スネイプがこれ以上の小言を挟む余裕も与え無い。
上目遣いの様に真っ直ぐに下から上にスネイプを見上げた水墨白淡の瞳を閉じ、束の間の眠りに、総てを任せた。
「 お前の硬い殻が全て取去れるのは、一体何時の日になるのであろうな。 」
スリザリン気質を十二分に備えたは、自尊心が高く誇り高い癖に妙な処で歳相応の幼さを残す。
俊敏な空気を纏い、自分自身で其の空気に耐え切れぬ様に破綻を起こす…其れは細い糸が解れる様。
切れぬ様に繋ぎとめて置きたいと思うも束の間、思案してみたところで、其の方法をスネイプは知らなかった。
全てを、が中に秘める陰りの部分を全て曝けるには、未だ時は熟してはいない。
は未だ、硬い殻に包まれた侭、其れ等が全て柔らかく為るにはもう少し時間が掛かるだろう。
「 お前が卒業するまでには未だ4年も在る。 何処まで其の殻が柔らかく為るか、見ものだな。 」
窓から流れ込む風が、柔らかく漆黒の髪が攫われて、の身体を支える腕に微かな痒みを齎す。
サラサラと生砂が零れ落ちる様な滑らかな感触を齎す髪を傷つけて仕舞わぬ様に、瘡付いた指先がふっくらとした柔らかい頬を撫ぜた。
子ども特有の張りの在る吸い付くような感触。其れが想像以上に心地良くて、手離せなくなった様に無意識に何度も撫ぜる。
其の指に甘える様に、の身体がみじろいて、更にスネイプとの距離を縮めた。
------- 全く、普段もその様な無邪気な様を見せれば、少しは受け入れられるものを。
浅く腰を落としていた椅子に、ゆっくりと深く腰を掛け直す。
ギシリと古びた木材が立てた軋みの音にも気付かず、浅い寝息を繰り返すの、翳りの落ちた頬に溜息が零れる。
其れでも、傍ら…無邪気な表情を見られる様に為っただけでも己は幸運だと思えるまでに堕ちた。
そうして、願わくは他の誰にもこの柔らかな午睡の微笑みを見せたくは無いと思ってしまうのもまた事実。
急に耳慣れた時計の秒針が時を知らせる音が煩く脳内に溶け込んで来た。
視線を落とせば、午後を告げる鐘の音が鳴るまで、後、数分。
が指定した友人との約束の時刻まで、後、数分。
其れ迄の間、稀に見る柔らかな微笑み映したの寝顔を焼き付ける様、後どれ位の時間が経てば硬い殻が柔らかく為り剥がれ落ちるかと…
考え込む様に、ゆっくりと同じ様に眼を伏せた。
□ あとがき □
柔らかい殻…という題名で、一番最初に思いついたのが引きこもりだったという今の現状を如実に表しててすみません(笑)
思えば、ゆで卵を作る時の内側の薄い膜も…あれも柔らかい殻ですかね。
そう考えれば、意外とネタがあったな〜と後書の時点で思ってしまった私は末期ですね(苦笑)
因みに、二人は恋人同士でも何でも有りませんので、この後…ヒロインの殻が柔らかくなったら結ばれるのです(笑)
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