釣りをするひと
其れは、雪解け間近の冬空にしては珍しい程に酷く晴れ渡った日の出来事だった。
微かな寒気と乾燥を含んだ凍風が、肩まで伸びた漆黒の髪を余す所無く舞い上げる。払い除ける事も面倒で、其の侭髪を風に遊ばせた侭、静まり返ったホグワー
ツの庭を噛み締めるように音を立てずに忍び歩く。
目的地まではあと僅かだった。
雪暗雲のたゆたう真っ青な空を仰ぎ、スネイプは嘆息した。心の底から吐いたと言っても過言ではない。
真っ白に続く雪原に強い陽射しが乱反射し、眩しさに思わず瞳を細める。
陽の光を厭う雪白の肌は、黒のローブに包まれていた。
綿帽子を被った様に全身を白に纏った木々の木立を抜け、清廉とした空気が鼻を掠め始めた頃、漸く視界が抜けた。
晴れた空の下、緩く流れる細い小川の袂に掛かる橋の上に、独りの少女が座って居た。
漆黒に少しばかり灰を混ぜた様な独特の色彩を持つ髪を紅い紐で緩く束ねた後姿を此方に晒し、細い指に引っ掛ける様に小枝で作られたであろう細い棒を持って
いた。
先には朝露に光る銀糸が引かれ、其の切っ先は蒼に揺らぐ川の水面に静かに沈められている。
そうして其の状態の侭、静かに糸の先の川面を延々眺め続けていた。
要するに、スリザリン寮三年、・は公然と授業をサボった挙句に朝から釣りに勤しんでいると云うこと。
「 …ッ!! 其処が神聖な場所と知っての行いかね! 」
「 どぅわ…ッ 」
そろりと忍び足で近付いて、子供が悪戯をする様に突然の怒鳴り声を投げて遣る。
授業時間帯、誰も近辺に近寄らないと鷹を括っての事であろう。
いきなり飛ばした声に面白い程の反応を遣したは、潰された蛙の様な色気の無い声を飛ばし、指先に掛け置いた釣竿をすっ飛ばすと面白い様に其の侭水面下
へ倒れこんだ。
スネイプもよもや其処まで愕き、冷たい川面へダイブする事すら予想していなかった為に、慌てて伸ばした腕は見事に空を掻いた。
魔法を唱えようにも既に時遅し、一瞬で凍て付く川に其の小さな身体は吸い込まれ、ばしゃんという乾いた音共に水飛沫が上がる。
乾いた空に、乾いた空気。
稀に見る晴れ渡った空から覗く太陽が暖かな光りを遣して、水飛沫との零間から生じた温度差によって川面に薄っすらと七色の虹が上がった。
「 スネイプ教授、虹ですよ、虹…!! 」
「 虹等如何でも良い、早く川から上がり給え、馬鹿者!! 」
川面が膝程度までしか無いとは言え、未だ極寒を極める冬のホグワーツ。
其の川の水は真冬には綺麗な氷を張って凍て付く程に温度を下げる。今日は偶々温度が上がり、川面の氷が溶け落ちて居るというだけである。
其の中に頭から滑り落ちる様に叩き込んだ挙句、頭からすっぽりと氷水を引っ被って直ぐに立ち上がるのか思えば、脇から上がった虹を嬉しそうに眺めて腰を落
ち着ける。
何故此方が慌てねば為らんのかと苦渋の溜息を吐くも、エヘヘと笑っただけのは虹を眺めて一向に立ち上がる気配すら見受けられない。
無理矢理に腕を伸ばして掴み上げれば、動いた空気の波から生じた温度で眼前の虹は跡形も無く溶け消えた。
其れは一瞬。
現れたのも一瞬ならば、消え逝く其の時までも一瞬で、虹は空気に飲まれて、消えた。
「 此処には御歳1000歳を数える霊魚が棲んでおる。 防衛術の授業の時に習ったであろう!?
聖域に住まう魚を釣り上げ様等と…退学程度では済まされんぞ! 」
「 釣り上げるのは無理ですよ。 だってこの糸の先には餌は愚か針すらついていませんから。 」
ほら、と笑顔の侭は川面に沈んだ棒切れを掴み上げて見せた。
話の通り、其れは銀糸の先には餌所か針さえ付いては居らず、切っ先がプツリと切れた侭静かに垂れ下がっている。
少し思考を侍らせれば、餌を口にした魚が無理矢理に糸を引き千切ろうともがき、の非力が其れに耐え切れなくなってプツリと糸が切れたと言う事態も浮か
ぶ。
しかし、実際見せられた糸の切っ先は引き千切られた様な毛羽立った繊維の縺れも無く、寧ろ其の逆に何かで切ったのかさえ疑問視させる程自然の侭。
だとすれば、一体如何して餌の付いていない棒切れ等を川面に差し込んで楽しそうに笑っていたのか。
感情器官がついに崩壊したと思うのも強ち、間違いでは無い。
「 だったら如何して釣りをしていたのか、って今にも怒鳴りそうな表情で語らないで下さいよ。 」
「 怒鳴るつもりは無い。 怒りよりも先に憐れみが生じる。 誠、学年トップが何と云う… 」
「 学年トップは釣りをしたらいけません? 」
「 誰も其処を咎めては居らん!
いいかね、今は授業中、聖域に踏み込んだ挙句、霊魚釣りをしていたのだぞ?
しかも我輩の講義中に、だ。 其の態度、愚弄していると受け取ってレポート羊皮紙2巻… 」
----------- 唯…、釣り上げたかったんです、スネイプ教授を。
更に理解不能に為った。
釣り上げる?釣り上げるとは一体如何云う意味だ。若しくは、如何云う意図だ。
釣り餌も針も無い棒切れで人を釣り上げる…は川面に其れを垂らしていたと云うに、如何遣って。
我輩が此処に来る事を予め予知していたとでも?
馬鹿馬鹿しい。
我輩は魔法薬学の講義の際出欠を取り、其処に彼女が居ない事を知り、自室に薬瓶を取りに行った際に偶々視線を投げた窓に映った影に…
映った影に。
映った影に、が居た。
微笑みながら桟橋に腰を据えて棒切れの様なモノから釣り糸を垂らして、聖域と謳われたあの場所で優雅に魚釣りを愉しんでいた。
湧き上がる怒りと共に増える眉間の皺。すぐさま怒鳴りたい衝動を如何にか堪えて -----
そして、気付いた時には引き寄せられる様、あの場所に居た。
「 …嵌められたと云う訳か。 」
「 嵌めたなんて人聞きの悪い。 私は純粋に釣りを愉しんでいただけですよ、純粋に。 」
ニコリと小悪魔が可愛らしい顔をして微笑んだ。
無理矢理に川面から引き上げ立たせた其の様は酷くみすぼらしい。
全身から滴り落ちる程の水、其れはの細く小さな身体から体温を一心に奪い去って行くだけに過ぎない。
寒いだろうに…細い髪を伝って頬に雫が絶え間無く流れ落ちても構う事無くは嬉しそうに笑っていた。
釣れる釣れない等はこの際問題無く、其れどころか自室の陰にようやっと映り込むだけの空間に居る自分を見つけてくれた事を喜んでいる様に。
一体如何云う思考回路をしているのか。
見つけたのがダンブルドアやフィルチだったら如何していたのか。
今と為っては愚問にしか為らない問い掛けを脳裏に侍らせていれば、流石に冷や水を被って身体が冷えたのか、傍で立ち尽くした侭笑っていたが小さく一つ
のくしゃみをした。
言わん事は無い、そんな眼差しで見返して遣れば、は先と変わらぬ侭また表情を和らげた。
勿論、此方は其れを溜息で返す。
「 ……………わっぷっ 」
全身びしょ濡れで、其れで居てくしゃみをする位だから相当身体は冷え切っていて、寒気に表情が歪むだろうに其れでも嬉しそうに笑う。
何がそんなに嬉しいのか。きっと問うても明確な答え等帰ってくる訳が無い。其れより先に、あの微笑いが来るに決まっている。
未来を予測し苦渋の溜息を吐いて、スネイプはローブのボタンに指を掛けると瞬く間に其れを全て外してに投げ遣った。
勿論、魔法で一切の水分を蒸発さえ服毎身体を乾かしてやったが、其れでも冷水を頭から被っている。
風邪でも引かれたら監督不行きに為る事は眼に見えていた。
だから、己のローブを与えて遣った、其れだけの事。
其れだけの事で、心から嬉しそうには笑った。
「 ………釣られて遣ったのだ、有り難く思え。 」
其れだけ言うと、スネイプはの表情が変わるのを見る間も無く踵を返した。
呆気に取られ呆然とするが、覚醒したようにスネイプの言葉を飲み込んで表情を変えたのはスネイプの姿がもうじきホグワーツの中庭に足を踏み入れようと
している頃合だった。
上から投げられたスネイプのローブに袖を通し、慌てて其の後を追う。
事の状況を理解するのに、少しばかり時間が掛かってしまった。そして、事態を飲み込めば今までは経験した事の無かった喜びと内から湧き上がる恥かしさに、
少しばかり頬が紅に染まる。
纏ったローブからはツンと鼻を付く独特の薬草の薫りがした。
数時間後、飛び込んだ腕の中、抱すくめられた瞬間も同じ薫りがした。
□ あとがき □
ありがちなネタで申し訳ない(笑)
スネイプを釣り上げたヒロイン…羨ましいですねぇ。餌も針も要らないなら是非とも釣り上げてみたいです、本当。
まぁ、知らない間にスネイプもヒロインに惹かれていたというのはお約束のオチということで…。
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