| 未だ自分が誰かを殺めるなんて未来を思い描く事すらもしなかった遠い日、独 りの男と出遭った。 教師と生徒とか、幼馴染とか同胞とか、偶々座った席の隣に居たとか、道で擦違ったとか、そんなレベルの出遭いじゃない。 紅と黒だけが支配する闇の世界で償えないほどの罪に塗れながら、まるで泣きながら人を殺している様な哀しい眼をした男に杖先を突き付けられ、一歩でも動け ば即座に死の呪文が飛んでくる事は眼に見えていた。 私が手にしていた筈の杖は彼の手によって彼方へ蹴り上げられ、激しく叩き付ける豪雨の中、壁に背を預けながら生まれて初めて死ぬと云う覚悟をした。 「お前は、マグルか。」 空気に良く透る冷えた声。 答え次第では地獄へ突き落とされるだろう、間違える事の出来ぬ最後の選択に為る様な気がした。 見上げ見詰めた黒い双眸、開く事無く紡がれた言葉を吐き出した口元を見れば、不意に声が聞こえた。 …ス、テ、 何、、? 降掛る雨に濡れた前髪が顔に張り付き、上方から絶えず流れ落ちてくる水に翳む視界に瞳を凝らしながら、膨張する耳鳴りの狭間で何かの音を聞く。 何、何と言っている?聞こえる筈の無い、心うちの声、いや、あれは悲鳴。 彼の魂が彼の熟知しない処で全力で叫んだ、号絶の瞬間。本人は認めたくもないだろう、彼の本当の言葉、心中の最後の『声』。 其れを聞いた私は、叩き付ける雨の轟音の音さえ聞こえていない様に、まるで母親が子どもを宥める様に小さく微笑んだ。 ………だって可哀相に見えたんだ、必死に自 分の居場所を求めて心を欺いているように、思えたんだよ。 終末のアタラクシア ![]() 運命逆らうなんてこと、出来なかったんだから、仕方ないじゃない。 「マグルでは無いけれど、残念ながら貴方の味方でも無いわ。」 「あれ、を見ただろう。あれを見て尚、此処に居る者はマグルか我らに牙を向けるものか、のどちらかだ。」 ほんの数分前まで晴れ渡っていた空は、東の彼方から黒いインクをぶちまけた様に染み広がりで漆黒に覆われた。 厚みを増した雲が棚引く様に太陽を被せ日光を遮り、入道雲に似た重たい雲からポツポツと降り始めた雨は、数秒後に叩き付ける豪雨に代わった。 劈く様な雷鳴轟く最中、バシュンと花火が打ち上げられる様な音と共に、モースモードルによって漆黒の空に灰色の煙で描かれた模様が浮かび上がる。其れを眼 にした人々は奇声と悲鳴をあげながら、我先にと色味を欠いていない空へと向かって直走っていった。私は其の中、誰かを待たなければ為らない様に雨に打たれ ながら、立ち尽くしていた。 「私、純血だけどマグルに何の感情も持ってない。だから貴方の敵でも無いけど味方でもない。」 「では何故此処に居る。」 「何故って…別に逃げる必要が無いから?」 首元に杖を突き付けられて尚微笑む様に瞳を和らげた私を見て侮蔑していると思っただろうか、彼は忌々しげに瞳を眇める。不可解な生き物にでも出遭った様 に、警戒オーラを全開にし、私の行く末を決め兼ねているのだろう。 残念なことに、デスイーターの姿を見た者に真っ当な未来が与えられるとは到底思えなかった。 彼は、空から零れてくる雨を何度も振り払う様に乱雑にローブを翻す。 脳天から頬へ、頬から顎を伝り地面へと落ちて行く雫を拭い去り、黒い双眸が真っ直ぐに此方を見た。純度の高い紫両眼が、彼の瞳の中から自分を見返してい た。 「一つ、質問に答えてもらおう。」 「答えられる内容であれば」 「お前は…我輩を見て哀しげに笑っただろう。 何故笑った。我輩は見ず知らずの他人に同情される程落魄れては居ない。」 「あぁ…声が聞こえたの。」 タスケテ、って。 「----------------------------っ!」 彼が、心の僅かな傷を無理矢理拡げられた様な苦悶の表情を浮かべた。 其れを見て、デスイーターと云えど、彼もひとなのだと感じた。自分と同じ、感情を持つ人なのだ、と。 人は何かを信じ、若しくは何かに縋りながら、自分自身を模索し続けるように生きてゆく。今自分が遣っている事は善なのか悪なのか、何を善とし何を悪とし、 何を目指していき続けるのか。 人は自分の行動に疑問を持つからこそ、生き物なのだと思う。自分の行動に何等疑問を持たず、唯敷かれたレールの上を歩く様な行為とメカニズムは、生き物が 持つべきものではない。 とすれば、彼が今垣間見せた苦悶は人であることの表れではないだろうか。マグルと、かのヴォルデモート卿に楯突く者への制裁、無感情で其れを遂行する、そ れ はヴォルデモートに仕えるデスイーターとしては当然の行為だ。 主たる者が下した命に背く事等赦されない、自身の命に関わるとかそう云った概念以前に、絶対の忠誠を誓ったのだ。 迷いは赦されない、揺るぎは認めてはいけない、制裁について疑問を持つことは正しいことではない。 納得するより先に心が理解している筈だろうに、彼は戸惑っている様に思えた。 絶対の命に従うと刻み込まれている筈。だが、思い当たる節が在るのだろう、人には誰しも埋め切れない傷跡がある。 痛む傷、その感情すら放棄するというのは、即ち自分を人ではなくすること。 絶え間無く滑り落ちる雨雫。 乾き瘡付いた唇がゆっくりと薄く開き、吸い込まれる様に咥内に入り込む滴を気にも留める事無く、息を吐き出した刹那。 「セブルス、如何した」 遥か後方で声が聞こえた。如何やら仲間が彼を見付け、立ち尽くしているのを不信に思ったらしい。 壁に背を向け彼と対峙する様に立つ私は、風に運ばれ翻る彼のローブのお陰で向こうに顔が見えていない。逃げ切れるとは思っていないが、機会が好転するとも 思えなかった。デスイーターを二人も相手に出来るほど、私は強くない。 そろそろ覚悟を決めた方が良いかもしれない、思いながら眼を閉じれば、彼は咄嗟に足払いを掛け、私の身体を雨で冷えた大地に叩き落した。 「------------------っ!」 一瞬の出来事、舗装されていない剥き出しの岩肌に強かに頭を打ちつけた私は、脳天に劈く痛みに視界が点滅し薄れ逝く意識の片隅で彼が発した科白を聞いた。 ステューピファイ。 あぁ、彼は私を生かしたんだ。何処の誰とも知らぬ、私を。 擦れて行く意識の果て思いながら、僅かに身体が浮かび上がった感覚を最後に、私は混濁した意識の中に身を委ねた。 其れから。 あの時彼、セブルス・スネイプに声を掛けて来た人物こそ、かのヴォルデモート卿だと云う事を私は知った。 酷い二日酔いみたいに、割れんばかりに痛み軋む脳髄を庇う様に頭を抑えながら瞳を開けば、意外な事に光り射し込む柔らかな一室。 がばり、と起き上がり掛けた私を制止する様に黒い腕が伸びて、左に視線をずらせば其処にあの時の彼が居た。 「名は」 そう問いかけてきた彼の感情の見せない無表情に、私は漸く彼に眼を向けた。其れ位は聞き出さないと気が済まぬ、彼の表情はそう物語っていた。 「…。」 「、か。良い名だ。」 「貴方は、」 「セブルスだ、セブルス・スネイプ。腹が減っただろう、今軽く食べられる物を持って来る」 言って背を向けた彼の翻るローブの裾を咄嗟に握り絞めれば、後方へ強制的に引っ張られる感覚に随分と厭そうな顔を作り上げて、セブルスが顧みる。 出逢った時と同じ無感情の黒い双眸が真っ直ぐに見返してきて、私は一瞬言葉に詰った。 「…如何した、食事以外に欲しいものがあるのか。」 「あ…の、如何して私を助けたのか…聞きたくて…」 無感情な眼差しと無表情が砕けた様な顔に変わり、セブルスはまるで不可思議な生物にでも出遭ったかの様に訝しんだ。そうして、黒い双眸が一瞬、暗い暗い闇 を宿した様に暗闇に包まれ、苦く嗤う。 「助けた?判るか、お前はデスイーターに此処に連れて来られた、其れが何を意味するか判らぬのか。 助けたのではない、お前を引き入れたのだ。」 「……私が貴方を助ける、と思ったの?」 「……馬鹿馬鹿しい。」 其れから、私はデスイーターに為り、絶対の忠誠を誓った筈のヴォルデモートを裏切る其の日まで、血を浴び続けた。 「…杖を向ける者は全て敵だと思え、例え其れが嘗ての同胞であったとしても、だ。」 今でも忘れずに思い出せる、ヴォルデモート卿に別れと云う最大の裏切りを置き土産に残した日の事を。 セブルスの言葉に私は無言で頷いて、窓辺からゆっくりと離れた。揺らぎ始めた橙の太陽に向かう様に歩き出した私たちに恐れるものは何も無かった。 先陣切って冷たい道を歩くセブルスの、カツ、と聞こえる足音、一歩踏み出す度に増す威圧感。 セブルスに出逢った頃には感じた事がない其れに背筋に悪寒が走った。デスイーターとしてのセブルスは、私が最初に感じた様に孤独で、怒気と哀切を凝縮させ 作り上げた様な心を晒す事は無かった。 「失敗し、殺される覚悟がには有るのか。」 「無かったら一緒に居たりしない。 それにね、運命逆らうなんてこと、出来なかったんだから、仕方ないじゃない?」 言葉と共に、破滅に続いているかもしれない最後の一歩を踏み出して、暗闇から逃れ太陽を乞うように走り出した。 二対の影が他の影と混じる様にゆっくりと人ごみに溶けて、消える。 誰もが振り返るような美貌を持ちながら、誰もが逃げ出したくなるような闇を持ち合わせたセブルスは、今でも私を惹きつけて離さない。最初に惹かれたのは光 りを知らぬ闇の中に立つ、強い意思を持った瞳と壊れかけた心を持つ姿だった。 出逢ったのは、デスイーターによる虐殺が繰広げられていた一面地獄のような大地の片隅。 神の慈悲や加護は降り立つ兆しすら無く、唯最後を迎える者達の祈りの声が響き、乾いた土壌を動かぬひとが埋め尽くしてゆくだけ。 舞い上がる砂埃、立ち昇る黒い煙、叩き付ける様な豪雨。 其処が、私たちの終末のアタラクシアだった。 [ back ] (C) 2002-6 The fanfictions are written by Saika Kijyo. update 2006/5/28 |