れもんの誘惑
「 …ファーストキスって、やっぱりレモンの味? 酸っぱいのはヤだなぁ、私。 」
昼下がりの地下室。灯りさえ疎らにしか入り込んでは来ない薄暗く湿気臭い部屋は土曜日だと云うのに一人の生徒と独りの教授が向かい合うようにして実験を 行っていた。
否、正しく言えば、実験を進めているのは緑色のタイを絞めた女子生徒。教授と言えば、危なっかしい少女の手元から眼を離さない様にしながら、別の実験機材 を取り出しては魔法鍋に刻んだ薬草を入れている。
薄暗闇の中、聞えてくるのは乾燥付いた羊皮紙を捲る音だけで、二人が会話する話し声は愚か、外の声すら此処に届いてくる事は無い。
息が詰まりそうな静寂の中で気だるさを全面に押し切って試験管を左右に振る少女は、淡いレモン色に化学変化した液体を見て、突然そんな言葉を吐き出した。
成績が特別悪いという訳でも無い少女…寧ろ、魔法薬学を除けば学年主席をもはるかに出し抜いてしまう程の明晰な頭脳を持つの口から洩れ出た一言に、魔 法薬学教授は明らかに不審な者を見る目つきで視線を向ける。
「 脳細胞が死滅する程極端に難解な問題を出した覚えは無いがね。 終に頭に異常を来したか。 」
「 失礼ね、私の脳細胞は未だ未だ現役で働けます! 知りませんか? ファーストキスはレモンの味って。 」
「 そんなものに興味は無い。 下らん夢等見ずに手元を動かし給え。 」
「 キスがレモンの味なんて誰が言ったんだろう…きっと相当頭が弱いんだわ、その人間。
人間の唇がレモン味だったら怖いっての。」
その言葉に、思わず手にしたゴブレットを無意識の内に手から滑り落して仕舞いそうになる。
頭脳が明晰なだけではない。家は由緒正しい魔女の血を育み、其の美しさはかの美の女神からの淑愛を受けたのだと噂される程美麗を極めている。
…とは言え、キスはレモンの味だと抜かしているこの少女は流石に未だ一年生と在ってか、携える美は綺麗という程にまでは発展していない。
しかし、将来確実に美麗に為るであろう其の元と為る歳相応の可愛らしい顔をして、スリザリンらしい事を言ってのける毒舌吐き少女は、恋愛に留まらずあまり 夢見たりはしないらしい。酷く現実的な事を言う。
勿論、スネイプにとってそんな事は如何でも良い。
一時も早く眼の前の少女が調合を終らせ、この室内から立ち去ってくれなければ、己の抱えている仕事が出来ない。
これ以上莫迦莫迦しい独り言に付き合っても遣れん、とスネイプは視線を再びゴブレットに戻した。
手元で琥珀色に揺れていた液体は既に茶褐色に変色している。如何やら少し、煮詰めすぎたらしい。
「 スネイプ教〜授〜 」
女が媚びるのとは桁の違う、例えて言うなら言葉自体には何の意味を持たない感が漂う程に間延びした声が聞えてきたが、スネイプは当然の様に聞えていない振 りをする。
如何云う訳か執拗に自分に絡んでくるこの少女の扱い、実のところスネイプは苦手としていた。
優秀な筈の其の頭脳、人当たりが良く周囲に敵も壁も作らない温厚な性格、自分が組み分け帽子なら多分スリザリンには入れなかっただろう。
確かにスリザリン気質を兼ね備えてはいるものの、全て、ではない。
寧ろ、スリザリン気質を探し出す事の方が困難で、どちらかと云えば他の寮の素質を探し出す事の方がはるかに容易い。
いつもニコニコと喩え様の無い柔らかな微笑を浮かべているかと思えば、時折見せる人を射抜き心を見透かすような鋭利な瞳。
グリフィンドールを初めとしたホグワーツの生徒から恐れ戦かれているスネイプとて、一度其の冷たい視線を見た時は背に冷たいモノが流れ落ちた。
何の感情も無しにただモノを見ていると云う表現がピタリと合う其の視線に晒され、平常で居られる人間が居ただろうか。
勿論、は滅多に其の視線を人にぶつける事は無いが、時折見る一面だからこそ、出遭ってしまったら最後。
運が悪かったと諦める他無い。
「 ねぇせんせ… 本当にレモンの味がするか、試してみよっか? 」
グツグツと煮え滾る魔法鍋にヒキガエルとマンドラゴラの根を刻みながら放り投げたは、其の行動とは程遠い言葉を教科書の中の一文のようにさらりと言っ てのけ、また何事も無かった様に木杓子でゆっくりとヒキガエルとマンドラゴラを練ってゆく。
空耳かと疑う程に感情無く自然に漏れた言葉、何時ものように一人で古書を読み耽る時の様に熱中していれば聞き逃していただろう、其の問い。
いやむしろ、聞き逃せれば幸いだったのだ。例えばそう、もう少し魔法鍋の煮え滾る音が大きいとか、もうじきホイッスルが鳴るであろうクィディッチ競技場の 歓声が若干でも聞こえていたなら、確かに聞き落とした筈の言葉。
愚かにも耳にしてしまったスネイプは、不覚にも微かに反応を示してしまっていた。
薄氷が割れるような音が小さく聞こえ、手元を見れば、持ち上げたゴブレットの上方に小さく皹が入っている。如何やら少し、力を加え過ぎたらしい。
スネイプが微かに示した其の動揺を、が見逃す筈は無かった。
講義なら未だしも、互いに向かい合って調合を進めているうえ、スネイプの身長に合わせて作られている机はに大きすぎる為に、は椅子の上に上る形で 調合を行い、目線は常にスネイプと同じ高さ。
僅かに反応を示したスネイプを見逃しては居ないは、悪戯が成功した子供が見せるような意地悪げな微笑みを作り上げて嬉しそうに笑った。
「 先生のファーストキス、レモン味でした…? 」
「 貴様には関係ない。 」
「 いいじゃないですか、教えてくれても。
頼まなくてもスネイプ教授の恋愛話なんて誰も聞きたがりませんから。
あ、若しかしてキスすらした事無いとかサムイ事言ったりします? それ、痛いなぁ… 」
「 ……… 」
皹の入ったゴブレットを持った侭怒りを耐えたのが悪かっただろうか。
微かに入っていただけの皹の上に更に大きな亀裂が一気にゴブレットを駆け抜けた。其れでも茶褐色の液体が漏れていないのだから、皹は壊れる程にまでは至っ ていないのだろう。
早々に直す必要がある。数時間も掛けたこの実験をこんな些細な事で白紙に戻す訳には行かない。
大体からして、他愛も無い独り言に近い暇潰しの戯言に返事なんて返す事自体が間違っているのだ。暇潰しにスネイプの反応を見ているだけで、その返答等如何 でも良い、実験の片手間の暇潰しを探しているに違いない。
暇潰しになど構っていられる程暇ではないスネイプは、そう自己処理するとしつこく聞いてくるに対して無視を決め込む事にした。
「 よく見ると…スネイプ教授って顔立ちが整っているから恋人の一人や二人は居ても可笑しく無いのに。
あ、そっか…幾ら顔が良くてもこの性格じゃあ三日も経たずに逃げられるか… 」
成る程、成る程、と一人頷きながら横目で教科書を読み、着々と調合をこなして行くはやはり一人で喋っているらしい。
其れこそ、スネイプの反論口論を期待している訳でもなく、自分の想像の世界…つまりは想像のスネイプの過去をスネイプが否定しない故に事実だと思い込んで は好き勝手を抜かしている。
初めの内は良かった。たかが小娘一人、如何思われ様とも知った事ではない。だが実際、嫌がおうにも耳に付く透明な声が自分の名を紡ぎ、あれやこれら言うの は酷く鬱陶しい。
最初の内こそ自分の調合に夢中になった振りをして無視を貫き通し、視線すらも合わせずに居たのだけれど、如何やらも相当根気強く意地でも何かしらの反 応を欲しがっているらしい。
「 スネイプ教授、教えて下さいよ〜。 ファーストキスの味はレモンだったんですかー? 」
「 ……… 」
「 いーじゃないですか、ちょっと位。 減るもんじゃないし。 」
「 ……… 」
「 レモンだったんですか〜? それともイチゴですか〜? それともラッキョウですかぁ〜? 」
「 ………… 」
「 スネイプ教授のファーストキスはラッキョだったって言い触らしますよ〜? 」
「 ……………(怒) 」
「 ラッキョは不満ですか? じゃあクサヤにしておいてあげますね。 先ずは誰に言おう… 」
「 味の有るキスなどした験しは無い。 此れで満足かね、ミス……、 」
答えれば少しは口を噤むかと、半ば投げ遣りにも似た言葉を吐いてやれば、驚いた様に大きく開いた薄紫の瞳と出合った。
折角答えて遣ったのだ、此れで少しは大人しく為るだろう、さっさと調合を済ませろ、とそう紡ぐ筈だった言葉は小さなやわらかい桜色の唇に封じられていた。
向かい合う形で対面しているスネイプと。身長の足らないは机の上に両の手をついて、スネイプのローブに縋るように指で手繰り寄せて均衡を保ってい る。
スネイプがを突き放せば、不安定な位置に居るは其の侭後へと倒れ、煮え滾る魔法鍋に頭から突っ込む事に為る。
仮にも教師。生徒に襲われて居ようとも、生徒の身を危険に晒す訳には行かぬ。
仕方無しに其の侭動かずに居てやれば、は先までヒキガエルを刻んでいた掌でスネイプの両頬をそっと包み込んだ。
( …檸檬? )
初めてに戸惑う子どものような頼りない口付け、軽く触れただけの口付けとも呼べないようなキスは微かにレモンの味がした。
如何して、レモンの味が?
錯覚かもしれない。そう思いながら、口付けられた方だと言う事も忘れてスネイプは更に深く確めるように唇を重ねる。
甘く仄かに酸味が残る唇は、確かにレモンの味がした。
「 スネイプ教授のファーストキス、何の味でした? 」
「 …この期に及んでまだ其れを聞くか、貴様… 」
一方的に口付けられ、触れるだけのキスは大人のスネイプを煽るだけにしか為らないという事すら知らぬ無垢な子どもは、深くなった口付けに一瞬身体を強張ら せ咄嗟に身を引いた。
反動で、机が揺らぎの身体を支えていた椅子がガタン、と倒れる音がする。
此の侭では魔法鍋に突っ込むと、スネイプが腕を伸ばし身体を支えた瞬間、手元から滑り落ちたゴブレットが高い音を立てて割れた。
ガラスが粉々に割れ、飛散する其の様と音が、二人を現実に戻した。
甘い余韻など感じられない台詞を吐いてのけるに溜息を吐きたく為りながらも、落してしまったゴブレットを片付けなくては為らないスネイプは、懐から杖 を取り出す。
二人の身体が離れ、確かに一瞬は繋がっていた二つの体温が分離すれば、其処に微かにレモンの残り香がする。
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私のファーストキスは…レモン味でした。
其の言葉に顔を上げれば、其処に既にの姿は無く、残されていたのは調合しろと命じた魔法薬の入ったゴブレットだけ。
作り上げた事は認めてやる、だが片付けもせずに消えるとは何事だと、出来上がったばかりのゴブレットを持ち上げれば、其処には小さく畳まれた紙が一枚。
淡い黄色の包み紙の其れを開いてみれば、途端に香るのはやわらかく甘いレモンの香り。
独り言の様に呟いたスネイプは、レモン色の包み紙を拾い上げると、其の侭ポケットに無造作に突っ込む。
「 ファーストキスがレモンの味か…馬鹿馬鹿しい。 」
独り言は誰に聞かせる訳でも無く、薄暗い地下室に静かに響いて、やがて消えた。
後書き
ファーストキスの味ってなんだろうねぇ〜ということで、其れをギャグテイストで書いてみたんですが…甘々にすらならない微妙なノリの夢になってしまいまし た。
しかも、スネイプ教授襲われてるよ…(笑)
たまにこういうヒロイン書くのも楽しいですねぇ。因みに、ヒロインはファーストキスという設定で(笑)
此処から…恋に発展するんですかねぇ、そうなったら良いんですが(おい)(笑)
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