飽和温度
それは、暑い夏も過ぎ去って漸く涼しさを含んだ風が頬を掠め始めた初秋の時分。
木々にも少しずつ枯葉が混じり始め、秋の夜長と言われる言葉も暫し聞かれるようになった9月下旬。
師走へ向けての移行準備が着々と進んで行くそんな季節の真っ只中で、マルフォイ家では珍しい出来事が幕を開けた。
普段であれば、己の体調管理同様に妻である の体調管理も厳重に厳重を重ねて自ら行っているルシウスが…床に伏した。
と言っても、大きな病に掛かった訳ではなく最近流行している風邪を引いてしまった程度の軽いものでは有るが。
それでも普段は風邪どころか疲れの色1つ見せないルシウスが、連日の徹夜とも言える仕事のお陰で体調を崩してしまっていた。
勿論、マルフォイ家では主の一大事に屋敷中の人間が相同で看病をしなくてはならない、と心に意を決する。
しかし実際は、そんな事態に成りえる筈が無かった。
「 良いか、私は熱が引くまでこの部屋から一歩も出ぬ。
身の回りの世話等は一切不要、食事だけ運ばせろ。
それから…私の熱が引くまで はこの部屋に居させる故、心しておけ。 」
「 で、ですが旦那様。 医者が応接間に… 」
「 口答えは要らぬ。私の命は絶対だ。医者等不要、追い返せ。 」
今朝方、熱に魘されるルシウスに気付いた が大慌てで執事であるグルを起こし、グルが医者を呼ぶ。
瞬く間の内に屋敷中に広がった”主が風邪を引かれた”というニュースは、ルシウスがその瞳を擡げた瞬間には既に医者が応接室に居る程凄まじいものがあっ た。
顔面を蒼白させながら必死に医師の往診を進めるグルに対して、ルシウスは熱が有る所為か普段よりも何倍も不機嫌味を増した表情で一瞥しながら吐き捨てる。
傍に杖が有ろうものなら無言で取り、グルを室外へ吹っ飛ばしていた事は誰の脳裏にも想像が出来る事。
しかし、此処で引き下がるグルではない。
何とか医師の往診を受けて頂こうとあれやこれやと命知らずな科白を述べるも、最早それは主の耳には届いてはいない。
仕方無しに医師に引取りを願い、ルシウスの妻である を呼びに戻る。
グルに呼ばれ事の事態を聞かされた は壮絶な溜息を吐くともに、ルシウスの食事を手に階上に上がる。
主の命令は絶対…と言うよりも最早、何を言っても彼の心に一度決めたことは曲げぬ主義を貫くその頑なまでの頑固さ。
「 ルシウス…子供じゃないんだから、グルの言うこと少しは聞いてあげないと 」
「 風邪等寝ていれば治る。
それより 、勿論食事は食べさせてくれるのだろう? 」
「 珍しい…。ルシウスのことだから自分で食べると思ったのに 」
「 寝込んだ時位は愛しい妻に甘えても罰は当たるまい 」
「 何時も充分甘えているじゃない 」
が微笑む。
それを見たルシウスも今日初めて表情を和らげると、ベットから上半身を起こし膝の上に を座らせる。
邪魔になるから、とルシウスの膝を降りてベットサイドに腰を落とそうとした をルシウスは許さない。
サイドからテーブルを手繰り寄せると其処に食事を置き、 に食事を食べさせて貰う。
一人で食したほうが明らかに効率も良いであろうその光景は、普段の とルシウスの食事風景が真逆になっただけ。
唯、場所がルシウスと の寝室であり、室内には二人しか居らずルシウスが風邪を引いていると言う事実があるのみ。
ルシウスにとって、一人で食事をする時は職務に服している昼食の時のみである。
「 お前はもう食事を済ませたのか? 」
「 私はルシウスにご飯を食べて貰って眠りに付いたら下で食べてくる 」
「 残念だな、 。
私が寝るときはお前も一緒だ。だから今一緒に食べろ 」
「 でも… 」
「 聞こえているな、グル。
急いで の食事を持って来い 」
扉に眼をやれば、慌てたようなグルの足音と共に返事が返って来る。
どうやらルシウスが心配で数名の家臣が扉の前に待機していたのであろう。
それらの者達が一斉に駆け出した様を脳裏に浮かべた は、スプーンを持ったまま笑う。
何だかんだ言っても、傲慢な主を心配しまた慕っているのだと思わずには居られない。
数分後にはグルの手に持たれたトレーを受け取ったルシウスが、”呼ぶまで近づくな”と言い追い払う。
の食事と引き換えに空になったルシウス用の食事を下げたグルは、食欲は有る主に一安心したのか素直にその場から離れていった。
結局、 の食事は普段どおりルシウスが食べさせてやることになり、それを拒絶するもルシウスが許す筈も無い。
何時も以上に甘い食事時間を堪能したルシウスは、その腕の中に愛しい妻を抱き締めて眠りに付く。
「 熱が引かないね…私やっぱり起きてルシウスの看病… 」
トレーとサイドテーブルを階下に降ろした が、ルシウスの汗ばむ額に小さな手を置く。
既に熱が有ることは判っているのであるが、今朝よりも少し温度が高いようなそんな気がして はそう言葉を紡ぐ。
その言葉を制するように の小さな手に己の手を重ねたルシウスは、有無を言わさぬようにその桜色の唇を塞いだ。
只、触れるだけの稚拙な口付け。
それは愛しい妻に風邪を移してはならないというルシウスの配慮からで。
腕の中に抱き込むように を手繰り寄せたルシウス。
小さくオヤスミと呟いた に同調するように言葉を吐いたルシウスは、熱で重い瞼を漸く閉じた。
陽が高く高く上る平日の昼下がり。
普段ならば決して起こりえることの無い光景に苦笑したルシウスは、少しだけ風邪を引いた己に感謝した。
暫くして、ルシウスは浅い目覚めと熱からくる不快な浮遊感、眩暈を繰り返してその瞼を再び開いた。
それでも時は既に夕刻を回っているのか、窓から差し込む太陽の光りは夕暮れの橙色に変わっていた。
今朝方よりも幾分か気分が楽になったルシウスは、右側に抱えた を抱いた腕と同じ様に反対の左手も温かいと錯覚する。
何故かと風邪の所為で普段よりも回転の遅い頭で考え、既に寝入っている を起こさぬように視線だけを其方へ向ける。
温かだと感じた手は彼女のそれと絡めるように繋がれていた。
彼女から繋がれたのか、それとも己からなのかは判らないがそれは決して不快なものでは無い。
自然と頬が和らぐ。
細い指で包むように己の手に優しく絡まる の手。
絡めた手に緩く力を込める。
握り返してくる小さな手のひらにどうしようもない程の恋情が込み上げる。
「 …私は…哂える程幸せに包まれているのだな 」
心に思った独り言が、意に反して言葉となって口から出た。
腕に抱いた の温かな体温と、絡めた指先から伝わる優しさが氷徹した己が心を溶かし温める様。
柔らかく包み込む様な の愛情に甘えながら、もう一度ルシウスはその重い瞳を閉じた。
指先から伝わる温度が、抱き締めた腕から伝わる温もりが心地良い。
1つのベットに二つの異なる温度が混ざり合う。
けれどそれは不快なものになる訳ではなく、互いに溶け込み合って1つの新しい温度を作り上げた。
願わくば、この先もこの飽和温度の中に包まれていられる様に。
後書き
愛妻家ルシウスシリーズ、第7弾、ルシウス風邪を引く。
別にルシウス風邪を引かなくても話が進む筈…という何時もの疑問はご勘弁を(笑)!!
ルシウスに風邪を引かせるか、ヒロインに風邪を引かせるかかなり悩んだんですが、やっぱりルシウスということで(笑)
お約束では、次の日にヒロインも風邪を引くのですが、どうなったかは皆さんのご想像にお任せします。
因みに、科学や化学が大の苦手だった稀城の勝手なる解釈ですので、飽和温度については個々で調べて下さると助かります(苦笑)
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