桜の時






- 桜の樹の下には、死体が埋まっている -
- だからあんなにも美しく桜は咲き誇るのだ -






それは、 の故郷に昔から伝えられてきた逸話で。
昔話と同じような感覚で聞き続けた にとって、それは単なる寓話の中の一節に過ぎないような存在で。
毎年綺麗に咲き誇る淡い桃色の花びらが風に舞う姿を見ては、感嘆の溜息を漏らす。
どれだけ多くの人が桜に癒され、励まされ、咲き誇る季節を楽しみにしていることか数知れない。
何時の間にか、春になったら当たり前のように咲く桜への関心が薄れていったのは何故だろうか。






「 もうじきこの桜も散ってしまうね 」






部屋に活けられた桜の枝から零れ落ちる桜の花弁を見つめて、ルーピンは溜息とも取れる言葉を零した。
指の掛けられたカップの中の琥珀色の液体が、くらりと揺らめき、その透明な中に散った桜の花弁を抱き込む。
ゆらりゆらりと舞う桜の花弁は、散り逝く事に未練を残すのか、ゆっくりとその姿を地面へと落とす。
手で少しでも触れると落ちてしまいそうな桜は、入り込む風に身を任せて、花弁をざわつかせるばかりで。






「 ねぇ、ルーピン先生。
 桜には、様々な逸話があることを知っていますか? 」






膝に抱きかかえた が、見上げるように桜に心を奪われているルーピンに問うた。
あどけなさの残るその幼い顔は、ただ真っ直ぐにルーピンの瞳を見続ける。
桜と同じ色の、淡い桃色掛かった の唇が言葉を紡ぐのを見ていることは、それだけで楽しいことだった。
ひらりと舞い散る桜は、ふわりと風に乗って の柔らかい髪に辿り着いた。






「 - 桜が綺麗に咲くのは、その下に死体が埋まっているから -
 とか? 」






何時もは柔らかいその瞳が、一瞬、何かを隠すような、其れで居て何かを予感させるように煌く。
直視した瞳の鋭利さに、 は一瞬たじろく。
コクン…と唾が喉を通り過ぎる音が、静まり返った室内に木霊の様に鳴った。
春の日差しに運ばれて、暖かい空気が室内に心地よく漂い始めて、春の香りがやんわりと香り麗らかな午後が幕を開け始めた。
窓から不規則に運ばれてくる風が、 とルーピンの髪をそっと優しく撫ぜる。






「 どうして知っているんですか…? 」


「 イギリスにも桜はあるからね。
 代々言い伝わることはやはり何処でも同じらしい。 」


「 ルーピン先生も、小さい頃にそう言われたんですか? 」


「 いや、わたしの場合は、本で読んだだけだよ。
 でもね、其処に面白いことが書かれていたんだ。 」






を抱え直すように深く椅子に腰を戻すと、ルーピンは促すように活けられた桜を見る。
それは、白とも、桃色ともとれる様々な色姿を晒していて、一様に決め付けられるものではない。
花弁の形も大きさもそのままで、花とはいえ、それぞれ個性を表わしているかの様で。






「 桜は、魂を浄化する。
 真っ白いその姿に魂を映しこんで、淡い色へと姿を変化させる。
 決して一意には決まることの無い桜の花の色。
 浄化されたい者達が魅せられる様に集まるその樹は、余りの美しさに心が奪われる。
 叶うならば、この桜に抱かれて眠りたい、と。
 だから、桜の下には死体が埋まっている…
 ってね。 」






ひらりひらりと舞い遊ぶように机の上に飛ぶ桜の花弁はよくよく見てみると、それぞれ違った色彩で。
濃い色も、薄い色も、斑な色や、真っ白な花弁。
様々に変化する桜は、見ているだけでも充分美しいけれど、その美しい桜の元で眠れたら…と考えれば意外に答えは明白なもので。
美しく咲く桜の一部になれるのだったら、喜んで命なぞ投げ出そう…と言ったかの有名な歌人の様に。
その白くて美しいだけの花弁の寄せ集めに過ぎない様に捉えられていた桜には、こんなにも様々な解釈があるものだと、改めて は思考する。






「 それが本当かどうかはわたしにも判らないけれど。
 そして、桜についてのもう一つの解釈が存在する。
 それは、ある有名な歌人が言った言葉なんだけど…

 - 桜は散る姿が一番美しい、桜は散るために咲くのだ −  」






その言葉の途中にも、時期をとおに過ぎた桜は散り始める。
風が吹けば、吹いただけ。
寿命が尽きれば、尽きた分だけ。
力を無くせば、無くした分だけ桜は風に乗って自由になる。
張り詰めていた空気を開放して、ひらりとそっと落ちるだけ。
喜びと幸せを齎し続けた桜が散る姿は、酷く綺麗で酷く美しかった。
それは、正にルーピンが言った「散る為に咲く」かのようで。






「 そんなの、悲しすぎますね。
 散る為に咲くなんて… 」






瞳を伏せて、舞い降りてくる桜を掌に乗せては愛しむ様に見つめる。
一枚、また一枚と掌に舞い落ちては重なり合う花弁が、哀れのような慈しむべき存在のような気にさえなってくる。
ふっと息を吹きかければ一瞬で地に落ちるこの花弁は、どれだけの人を幸せにするために、咲きながら散って逝ったのかと。






「 桜は散る為に咲くんじゃない。
 もう一度、綺麗に咲くために散るんだ。
 人は、散り逝く桜を見つめては、「来年も綺麗に咲きますように」と無意識に願う。
 散る桜を見たいと思うのは必然的に、咲き誇る桜を見た後だからね。
 咲く前に、花弁が散る姿なんて、どうやっても見ることは叶わないのだから… 」






ルーピンが愛しげに見つめるその先には、桜が在った。
その姿の実に半分以上を散らしてしまっているけれど、一生懸命に咲き続ける桜が。
綺麗なその花弁を満開に湛えて、散らすその後には、来年も、綺麗な花が咲く。
同じ時期に同じように同じ場所で。
誰かに幸せを与える為に。
自分が咲くことで誰かを幸せに出来るように。
その幸せそうな表情を見るために、来年も変わらず咲き続けようと。
癒されうるべき存在ではなく、癒すべき存在へと。






は、私にとっての『 桜 』だよ。 」






「 ……。
 それはつまり、私が大量殺人犯だと…
 そう言いたいんですね…? 」






にっこりと微笑んだルーピンが、 をじっと見つめる。
普段冗談など余り口にしない彼が告げた皮肉な戯言。
本気にしている訳では無いにせよ、 に真実など判る由も無い。
桜を見つめながら、喚く様に色々とあれやこれやと言い走る を楽しそうにルーピンは見続けた。






「 殺人犯なんかにはなりたくない… 」
「 でも、綺麗に咲く桜にはなってもいいかも…v 」
「 あ、冬は誰にも相手にされなくて寂しいし… 」
「 酔っ払いのオッサンとか近寄られたら厭だし… 」
「 犬の粗相もちょっとご遠慮願いたい… 」
「 でも私…桜大好きだし…」
「 …うーん…どうしよう… 」






百面相のようにあれこれと表情をコロコロ変える
口走る言葉は、きっとルーピンに投げかけたものなどではなくて、 が一人で話しているだけに過ぎない。
実際、 は、花瓶に活けられている桜に語りかけているとしか思えないほど、真剣に桜を見つめているのだから。
は知らなかった。
桜には、もう一つ逸話があることを。






「 桜を見ていると…
 幸せになれるって言うのは本当だね。 」






その声が に届いたか否かは定かではない。








□ あとがき □

教授でも殿下でも「桜」について書いたので、ルーピン先生についても「桜」で書いてみようかと思った次第です。
これは稀城が昔聞いた桜についての逸話三つを上げてみたのですが…皆様は幾つの逸話をご存知でしょうか。
やはり、桜は綺麗ですね。
今日の帰り道に見た桜並木は言葉を失うほどの絶景でした。



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