紅い糸
「ミス
…残りたまえ。
他のものは帰ってよし」
冷たく低い陰険贔屓教師、セブルス・スネイプがそう言った時、私は持っていた教科書一式を思わず落としてしまいそうになった。
一体、自分が何をしたというのだろうか。
グリフィンドール寮に在籍してはや三ヶ月。
成績もまずまずで、魔法薬学の授業は欠席どころか失敗した事すら一度も無い。
出来るだけ、スネイプ先生の怒り・逆鱗に触れないように慎ましく生きてきたつもりだ。
しかも、今日なんて失敗もしていなければ目立つ事も何一つしていない。
「あの…、なんでしょうか?」
どもってしまったのは仕方の無い事。
誰だって、この人の前じゃそうなってしまう。
いつも怒ったような口調で、目は獲物を見据えた狼のようで、黒に包まれていかにも邪険そうなオーラを放つ。
ぎゅっと紡いだ口元に表情の読み取れない顔。
それら全てが生徒を震え上がらせる原因となっていた。
「…Tieを直せ。だらし無い」
目配せだけでそう伝える。
確かに私は今日、ネクタイをしていない。
朝から付けていないネクタイは丸めてポケットの中でオヤスミ中。
”はい…”と小さく返事をしてからごそごそとポケットを探ってネクタイを取り出す。
けれど…
「どうした?着けたら帰っていい」
教科書を隣にある机に置いて、いざネクタイを縛ろうと首から掛けては見るが、私の指先は其処で止まってしまう。
それを怪訝そうに眺め、スネイプは問うた。
けれど、私には出来ない。
日本で生まれ育った私には、ネクタイを縛るという習慣がない。
誰も教えてくれなかったし、自分から学ぼうとも思ったとも無い。
ホグワーツに来るまで、ネクタイ自体に触れた事すらなかったのだ。
初めてネクタイを締めた日は、余りの勝手の判らなさにかなりの時間が掛かり、それでも上手くは締められずに居た。
そんな私を見かねて、ある朝ハーマイオニーが私の代わりにネクタイを締めてくれ…それ以来すっかり彼女のお世話になっている。
けれど、今日はハーマイオニーは風邪でノックアウト。
私は朝からネクタイを付けていない。
「は…はい…」
首から下げて長さを調節する。
此処まではいつもハーマイオニーの手先を見ているから判る。
けれど、その後…
何処をどうくぐすのか、どっちをひっぱるか等、わからない事だらけでやっぱり上手くは結べない。
時間だけが過ぎてゆき、それでも痛いほどに感じるスネイプの視線にだんだん冷や汗が出て泣きたくなる。
きちんとネクタイを締めないうちは…きっと返してもらえないだろう。
もしかしたら、ネクタイが締められずに減点されるかもしれない。
…この人ならやりそうだ。
「ミス
…
まさかお前はTieが締められないと?」
不機嫌そうな声。
顔を上げてみれば、ピクリと眉が動いたのがわかった。
絶対減点される…!
無意識に身を縮こまらせて、私は小さく「はい」と返事をした。
何点減点だろう?
10点程度ならばまだ挽回は出来る。
どうか…少ない点数で有りますように…!
「…え?」
何時までたってもスネイプの口から「減点」の声は聞こえない。
代わりにふわりと薬草の香りが自分を包みこむ。
それがスネイプ先生の薫りだと気付いたのは、綺麗な細い指が私のネクタイを掴み、耳元に先生の声の存在を聞いた時だった。
「いいか、ここをこうして…」
後ろから抱き締めるようにしてスネイプ先生は私を包んだ。
身長差がかなり有る為に、スネイプ先生は私の身長に合わせて屈みこむ。
すると、ネクタイを締める関係上…私の左肩にスネイプ先生の顔が有って…温もりさえ伝わってくる。
紡ぐ言葉の吐息が首筋に触れてくすぐったい。
それでも、私は気にしないようにして意識をネクタイに集中させる。
するすると日頃慣れている所為か、一瞬にしてハーマイオニーより遙に綺麗にネクタイを締めると、そのまますっと解いて、「やってみろ」と促す。
「…は、はい」
勢い良く返事だけはしたものの…やっぱり上手く締められずにぐしゃぐしゃになってしまう。
スネイプ先生が見ているというのに。
折角教えてくれているのに、結べるどころか逆に絡ませてしまう自分。
スネイプ先生の機嫌を損ねてしまうかも知れない。
それが怖くて必死にやろうとするけれど、気だけが焦ってどうしても出来ない。
半分泣きそうになった時、スネイプ先生が深く深い溜息をついた。
「いいか?…ここに指を掛けてだな…」
先ほどと同じ位置に指を添えて。
でも一つだけ違うのは、私の手を先生の手が包んでいる事。
大きなあったかい手が私の指先に触れて、ネクタイの締め方を教えてくれる。
急激に心臓が早鐘を打ち始め、顔は絶対紅いに違いない。
スネイプ先生が支えてくれて…なんとか初めてネクタイを結べたのは、もうじき夕暮れになろうとした頃だった。
部屋に帰るための廊下を歩きながら…見つめるのは自分の手とネクタイ。
指先に、何時までもスネイプ先生の温もりが残っている気がして…。
この日から、私の瞳は、スネイプ先生だけを見ていた。
* * * 7年後…。
「
、Tieを結んでくれ」
「はーい」
今では自分のネクタイだけじゃなく、私が先生のネクタイを結ぶ。
それは、あの日先生が私に教えてくれた結び方。
向かい合って結ぶ事は未だに出来なくて、あの頃より少しだけ伸びた私の身長にあわせてスネイプ先生が屈む。
後ろから、抱き締めるようにしてネクタイを締める事を教えてくれたのはスネイプ先生。
「ネクタイが…紅い糸だったのかもしれないね」
「そうだな」
にっこり笑って私がそう言うと、照れたように先生もそう言う。
私が自分でネクタイを締めるのは今日で最後。
私は明日からネクタイを締める事のない生活へと代わる。
スネイプ先生のネクタイは、明日も変わらず私が締めるのだけれど。
□ あとがき □
月曜日、就職の為の写真撮影で全員スーツでした。
いや〜ネクタイを締められない男子が実に多い!!!
そんな一幕から思い立ったドリームです(笑
教授に後ろからネクタイを…締められてみたいです!!!
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