僅かに開け放った自室の窓から、鳥の羽でも舞い込んできたかのように、一通の手紙がひらりと闖入してきた。


「あー…こんばんは、スネイプ教授。賞味期限は一ヶ月、返品交換はお断り申し上げます。」


清流のさざめきのような玲瓏とした声が吼えメールから聞こえたかと思うと、意味不明の件文句が部屋中に響き渡り、【再提出】と明記したばかりの羽ペンの刃 先が音を立てて壊滅した。
ひらりひらりと雪の様に舞う吼えメールを引っ掴んで引き摺り下ろすと、問答無用で燃え滾る焔の中に突っ込み焼き切る。
音も立てずに燃え切り灰と化した吼えメールを見て安堵した瞬間、コンコンと二回軽いノック音が聞こえたと同時に返答を待たずして扉が開かれる。


「こんばんはースネイプ教授。私からの吼えメール、届きましたか?」
「貴様の吼えメールは例の如く見事な墨色に化学変化したぞ。大体だな、返答を待たずに入室する位なら初めからノックなどするな。」
「成れの果ては如何でも良いですが、内容は聞いて頂けましたか?」
「賞味期限が一ヶ月とか返品交換はお断りとか言うヤツかね?一体如何云う意味―――――、」
「伝わっていれば結構です、では失礼します、スネイプ教授」


夜の帳のような漆黒の髪を風に散ばらせながら、彼女…もとい、スネイプの眼の上のタンコブ状態であるは颯爽と魔法薬学研究室を出て行った。
一体何をしに来たのだろうか、と皺寄る眉間に指を添えたスネイプは重たい溜息を一つ吐き出し、胸に重い圧迫感を感じた。


「……まぁ良いか、我輩とてあの娘に毎回付き合っている程暇でも無い」


ホグワーツ・グリフィンドール寮所属5年生、
彼女の名を知らぬ者は、ホグワーツに於いて存在しないと明言しても良い程の超有名人。
別に品行方正・成績優秀・才色兼備…と云う訳ではない。勿論落魄れている訳でも無いが、ごくごく一般的な純血一家に生れ落ちた、成績も運動神経も魔法能力 も容姿も至って普通の少女。
唯…普通ではない点が一点あるとすれば、


「スネイプ教授、大好きです。」


其の事実は良くも悪くもホグワーツ中の人間が知っていた。
人目を憚るとか相手の状況を考えるとか、そう云う配慮を全て欠いたように、の行動は誰が如何見てもスネイプを想い恋焦がれているようにしか映らない。
たかが一介の女子生徒からの好意、スネイプも無視していれば良いものを、敢えて拒絶するような言葉を掛けた。
根底にあるのは、学生ならば学生らしくもっとマシな恋愛をしろ、と言う大人としての忠告だったのだが、如何してか彼女は意固地に一途だった。
どれだけスネイプが断りのくだりを返しても一向にめげる様子の無いに、半ば諦め同然で適当にあしらっていたスネイプだったのだが、今回の吼えメールの 内容が普段とは趣向が異なっている時点で、内容の意図を的確に聞き返すべきだった。

何時ものとは異なる態度に、スネイプは教師として、はたまた独りの大人として気付いてやるべきだったのだ。


それがあんな結果を招くとは思いもせずに―――――――――












君に囚われた、逃れる術など存在しない。









「いいかね、我輩は君を好く事は出来ん、寧ろ構う暇が在るなら温室の雑草を抜いていた方が未だ有効的に時間を遣える」
「用が済んだのならば消え給え、今直ぐに此処から!」
「我輩は、グリフィンドール寮監督生にグリフィンドール寮のレポートを持って来いと命じたのだ。勝手な真似は慎め」
「……良く聞きなさい、君が何を言おうと如何行動しようと、我輩は生徒に恋情など抱かないのだよ」




ひと気の無い禁じられた森の奥に在る水辺で、は静かに目を閉じていた。
脳裏には今までスネイプから言われてきた拒絶の言葉の一欠けらが浮かんでは、消えている。
左に置いた杖に指を伸ばし、気だるげに持ち上げると、詠唱を一つ。
眼の前に悠然と広がる湖の上に白い霧状の橋が掛かり、はぁぁ、と気の抜けた炭酸の様な溜息を無意識に吐き出しはその橋の上に立ち、大きく息を吸いこん だ。

(どうしたの、?)

心の中に響いてくる淡い音が連なったように聞こえる声は、この湖に住む人魚のものだ。
時折が独りで此処へ来ると決まって話しかけて来る人懐っこい人魚の、心配そうな声に適当な応えを返しながら、は空高く聳える様なホグワーツの真下 にある地下室を、魔法薬学研究室を、その更に下を見透かそう躍起になっていた。
見える筈等、無いのに。

彼は…、セブルス・スネイプは、生徒に恋情など沸かないと言った。
と云う人間を拒絶するわけではなく、教師と生徒と言う間柄だから駄目なのだ、とそう捉える事が出来る自分の脳味噌は都合良く解釈し過ぎているのだろう か。
世間体を考えればやはり、教師が生徒を好いてはいけないのだろうか。
かといって、未だあと軽く二年はホグワーツで過さなければ為らない生徒であるには、如何頑張ってもあと二年後にしかチャンスは巡って来ない。為らば、 彼の生徒で無くなれば良いのでは?と、退学届けまで書いてみた。
我ながらいい案だと思ってはみたのだが…、しかし。提出一歩手前で目論みは泡と化した。


「誰か他の人を好きだと思い込めば…二年位は耐えられるかなぁ…」


呟いた声は、風の音にかき消されていった。
昔はスネイプにあしらわれても尚、姿が見れて声が聞けるだけで良かった。関わりを持てただけでも大いなる進歩。
だが人間と言うのは酷く強欲な生き物で、最初のうちは其れだけで満足していたのだが、やがて日常化すると満足し切れなくり、距離を縮めようと躍起に為る。
だが相手はあの、スネイプだ。そう容易く事は運んでなどくれないらしい。
現に、最近はあしらわれ拒絶される事に微かな恐怖を感じ、傷付くようになった。可笑しな話だ、一方的な片恋だというのに。


「よし、最後のチャンスだと思って――――――、」


霧の橋の上。
水面に鳥の尾を垂らす様に棚引いた漆黒の髪を気にする事も無く座り込んだは、杖をもう一振りして吼えメールを飛ばす。
相手は勿論、今も魔法薬学研究室で黙々と論文を書いているであろう、スネイプ教授。
自分の想いにいつまでも「教師」と「生徒」という間柄を引き合いに出しては逃げる男に、此れが最後のチャンスだと、本当にネックに為っているのは「教師」 と「生徒」と云う薄っぺらい社会的地位だけだと、言わせたい、気付かせたい。
本当は自分の事を少なくとも、嫌いではないのだと、気付かせてやりたい。
そして、自分は本当にスネイプに嫌われているのではない、と怖じける自分自身への擁護も兼ねて。
その一念で、は潔くも吼えメールを魔法薬学研究室へ向かって飛ばした。
…仮にスネイプが本当に、を嫌いだった場合を考えれば、それはなかなか軽率な行動。

勿論、が其処まで考えているとはとても考え難いのだが。



「あー…こんばんは、スネイプ教授。賞味期限は一ヶ月、返品交換はお断り申し上げます。」




そんなの想いが籠められた吼えメールがスネイプの処に届いた、丁度、一ヶ月後。
普段の業務に更に追い討ちを掛ける様に行われた、魔法省主催の魔法薬学会へ提出する論文の仕上げに忙殺していたスネイプの脳からは、すっかりと一ヶ月前に から突然届いた吼えメールの内容など彼方へと飛び去っていた。
そしてまた、一ヵ月後に起きるであろう出来事の兆候さえも、多忙と云う変わる事の無い日常の中に埋もれ。
ふと、其れに気付いたのは、ほんの些細な違和感からだった。
如何も、胸が痞えた様な違和感が起きる。そう、一ヶ月前からだ、とスネイプが漸く気付いたのは、机の上に置かれた卓上カレンダーと其の隣に置かれた小さな ポプリ。
ふと手に取れば、柔らかで心地良い浅い香りが鼻腔を擽る。


「中に紅茶が入っているんですよ?疲れた時はレモンバームが 効 きます、、って、スネイプ教授の方が詳しいですよね」


聞こえてきた声に、「あぁそうか」と素直に納得した。
この一ヶ月、コバンザメの様に傍に寄り付いてきては、屈託無く笑い話し掛けて来る眼の上のタンコブの存在を、見ていない。
否、魔法薬学の講義があるのだから見ていないという訳ではないが、講義以外の方が良く喋り良く笑い用事が無くとも魔法薬学研究室に顔を出していた、彼女を 見ていない。


暫し机の上のポプリを見詰め、淡い蒼色のリボンで結ばれた包みを解けば、ふんわりとレモンバームの香りが蔓延し、自然と大きく息を吸い込む。
同じ姿勢ばかりを繰返してきた骨を正しい位置へ戻すよう背筋を伸ばして瞼を閉じ、それから椅子背に投げ掛けた外套を手に取り、瞳を開いた。
ほんの僅か、不遜な態度に憤怒するような色を滲ませながら、
「…何故我輩が出向かねば為らんのだ。」
呟きは、蛻の殻と化した魔法薬学研究室に取り残され、静かに消される。


差し詰め、グリフィンドール寮談話室にでも出向けば簡単に捕まえられるのだろうが、スリザリン寮監督であるスネイプが易々とグリフィンドール寮へと入り込める訳は無い。
為らば夕食まで待つべきか?だが今日は休日ともあって、夕食時間には未だ充分に時間がある。では何処にいこう?
無駄に読書好きなのことだ、図書室にでも出向けば…と思いながら渡り廊下を曲れば、見知った声が空き教室から聞こえて来た。
如何やら、スプラウト教授とダンブルドア、ハグリッドと数名のグリフィンドール寮生、そして探していたが話し込んでいるらしい。
白熱している話は、誰が誰と付き合っていてどうのこうの、という学生時代に誰もが花咲かせるような有り触れた話題だ。
手間も掛からず見付けられた、と思った矢先。楽しげな雰囲気の中飛び込んできた科白に、一瞬胸がずしりと重くなる。


「僕は、と付き合いたい。実はね、ずっと君が好きだったんだ」


間の悪い事に、とあるグリフィンドール寮生が眼の上のタンコブに告白中ときたものだ。
やれやれ、面倒なところに出くわすとは、とスネイプが扉に手を掛けた瞬間。


「あー…私、スネイプ教授に恋愛対象として見られるなら…というか寧ろ、心だろうが身体だろうがあらゆるものを奪って貰って構わない、なんなら私が奪います、位の気合入ったレベルを突き抜けて本当に大好きで、でもスネイプ教授は私を唯の生徒…いやそれ以下しか見てないから、もう諦め掛けてるんだけどね。しかも、
”賞味期限は一ヶ月”って言ったのにもう一ヶ月過ぎてるし。でも心の賞味期限は明言して無いから、身体だけなら幾らでも…そんなんで良い?あ、セフレって 言うんだっけ?」


学生時代の淡い恋愛でも思い出していたのだろうか、表情を和らげながら紅茶を飲みつつ話を聞いていたダンブルドアは、鼻から茶を噴出した。
明日も雪が積もるなぁ…と窓硝子越しに外を眺めていたハグリッドは、勢い良く窓硝子に自慢のデコで皹を入れた。
仲間の恋愛が実るように心の中で祈りを捧げていたグリフィンドールの生徒は一斉に、手に持ったカップを床に落して叩き割った。


普段のの素行から見ても、冗談で言うような科白だとは到底思えない。
現に、遊び慣れした悪女の様に堂々と問題発言をぶちかましたかのように見えたの、柔らかい桜色の唇が小刻みに震えている。

自分で自分を安売りするような言い方をしておきながら、可笑しなことを、形だけの覚悟ならばしない方が何倍も利口だ。
扉に手を掛けたスネイプは溜息を肺から抱きだすように、その手を止めるどころか盛大に押し開き、一斉に向き直った一同のどれにも視線を合わせず。
真直ぐににのみ視線をあわせてカツカツカツと硬質な靴音を鳴らすと、無言での眼前に立塞がる。
壁に耳在り障子に目在り。正に間髪居れずした当人の登場に、最早、を除いた人間は、茫然自失で見守るしかない。
ビクリと身体を竦ませたは、その場に踏み止まるべく固く結んだ拳に力を込めた。


「…前から思っていたのだが、ミス 。君は重要な物事にほど、主語をつけない癖があるようだな」
「え、あ…申し訳有りません。」
「我輩が居なければちゃんと主語を付けて自分の意見を述べられるようだが?」

から返答は無かった。
恐ろしいほどの静寂が立ちこめ、しんとした室内にごく小さな呼気を一つ溶かして、スネイプは続ける。


「それともう一つ、我輩は生徒との恋愛云々よりも、自らセフレを作ると公言する様な女とは、恋愛できん。」
「……………」
「最後に、我輩は生徒とは恋愛をしない、此れは何年経っても変わらぬ。だが、暇潰し程度の話し相手にならなろう。だから其の賞味期限とやらを、あと665日まで引き延ばしたまえ」


では失礼する、とスネイプは踵を返した。

此れは若しかしなくとも、「教師と生徒という間柄」が駄目で「の事を別に嫌い」な訳ではなく寧ろ、「その気があるなら卒業まで自分の事を好いていろ」と云う意味なのだろうか。
結論から言えば、「スネイプもの事が嫌い」な訳ではなく「卒業したら貰ってやる」という事であって…

脳内思考回路が弾き出した結論。
幾らかのタイムラグをおいて、一同と同様呆然とした視線の下、仰のくようにして、瞬いた紫の色がゆるやかに綻んでゆく。


「延ばします、二年後でも三年後でも十年後でも、スネイプ教授が延ばせというなら幾らでも延ばします!」


微笑みながら、歩き出したスネイプの背に言葉を掛ける。
ただ傍に居られるだけで幸せだった。どれだけ拒絶に近い言葉を投げられても耐えられたのは、傍に居られるだけでは満足できなくなったからだ。
だから忘れる意味も籠めて取った距離が功を奏し、結果的にはスネイプがを受け入れるようなかたちになった。


「……レモンバームの紅茶を飲もうと思っているが、飲んでみるかね?君が我輩にくれた紅茶だ」


返答も聞かず尚も闊歩し続けるスネイプの背を追うように、は彼らの前を早足で擦り抜けて行く。
勿論、に告白しつつも「セフレで良い?」と問題発言かまされた生徒には、「ごめんね、セフレも無理」と捨て台詞の様に残酷な返事を返すことも忘れなかった。
の眼すら見ずに歩き出したスネイプとの距離は徐々に縮まりつつある。
半歩先を行くスネイプの、わずかに気遣う気配に嬉しさをかみ殺しながらも、は気づかないふりをする。


数日後。

「……我輩はそんなに毎回毎回暇ではない」
「知っています、だからこうしてスネイプ教授が暇になるまで待ってるんです」


暇潰し程度など、期間も日数も時間さえも明確にはかれない様な提案をした時点で、スネイプの負けが見えている。
週に一回の暇潰し程度や、二日に一回の暇潰し程度、などせめても条件をつけておくべきだった。
だがスネイプの後悔は日増しに薄れ、スネイプとの距離は少しずつではあるが、縮まってゆく。


気付いた時にはもう、スネイプの心は既にに囚われていた。
がスネイプに囚われ逃れる術なく堕ちたように、そう思い知るのは、共に生きようと告げた、数年後に。







































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(C) 2002-6 The fanfictions are written by Saika Kijyo. update 2006/12/7
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