彼の視線の先を辿ればいつも、其処には彼女が居る。
そして彼が振り返ればいつも、其処には彼女が居る。
其れは、誰も知らないけれど、本当は誰もが知っている事実。










何十年経っても、振り返ったその先で笑っているのが君であればいい









昨日今日と、良く晴れた空だった。ホグワーツで云うところの、絶好のクィディッチ日和。
遥か彼方を縁取る雲は鮮やかに白く、風に流れては遠く、遥かを穏やかに過ぎ去る。
見上げた太陽は仄かに存在を雲に紛らわせ、間接的に射し込む陽の光りは柔らかな午睡を齎すほどに優しい。
寄り合うように阿る、頬を掠る髪に僅か瞳を細め、けれど蜂蜜琥珀色の視線は少しも変わらずに静かに空へ向けられていた。


「今日も良い天気だ、学生の時みたいにホグワーツを抜け出したくなるね」


闇の魔術に対する防衛術を教授するリーマス・J・ルーピンは左手にホットチョコレートの入ったカップを持ち、右手で太陽の直射日光を遮るように日陰を作って、窓際に立つ。
眩しいばかりの青空の中、雲に混じって小さな鳥の様に自由に空を翔ける存在を見付けて、思わず表情を崩した。


「相変わらず鳥みたいに綺麗に空を飛ぶね、君は。」


その僅か、数秒後。
クィディッチの練習試合をしていたのだろう。試合終了を告げるホイッスルが高く鳴り、蒼穹に木霊する。
はてさて、グリフィンドールが勝ったのか、其れとも相手側が勝ったのか、残念ながら此処から知る事は不可能だ。
だがきっと、グリフィンドールが勝ったのだろう。彼女が空を翔けているのだ、負ける筈が無い。
思いながら空を見詰めていれば、鳥の様に自由に空を翔けていた存在が、徐々に大きくなって。
時の経過と共に、ルーピンと彼女との距離が縮まっている。如何したのだろうか、此方側に用事でも?と眉を顰めた時既に、彼女は箒に跨った状態でルーピンの眼前に居た。


「こんにちは、ルーピン先生。」
「やぁ、、こんにちは。今日もグリフィンドールが勝ったのかい?」
「いいえ、今日はグリフィンドール対グリフィンドールの練習試合ですから、引き分けです」
「そうかい。でも、のチームが勝ったんだよね?」
「はい、今日は朝から調子も良かったので、開始10分で終わってしまいました。」
「お疲れさま。どうかな?時間があるなら、一緒に三時のお茶でも?」


問うような響きを含んでいる癖に、それとは如何してか裏腹。
君が拒否するわけは無いだろうと、ルーピンは肯定の返事を確信したような、笑顔を浮かべてきた。
勿論も、拒否する訳は無いでしょう、そんな肯定の微笑みを浮かべる。


「クィディッチの練習ボイコットしたこと、内緒にしてて下さいね?」


悪戯染みた微笑み浮かべ、人差し指だけを立てた状態でふっくらとした桜色の唇に押し当て、片目を瞑って見せたに、「勿論だよ」とルーピンは返す。
おいで、と手を伸ばせば華奢な腕が素直にルーピンの肩に掛けられ、抱き寄せる形で窓からを引き入れたルーピンは、箒を所定の場所へ返すべく魔法を施して周囲1Kmに渡って忘却魔法を施した。
抜かりなどある筈は無い。とルーピンの関係が露見するような事に為ればルーピンの職位剥奪だけに足らず、の今後の評価にも響いてくる。
為らば人目を憚り密会でもすれば良いだろう、と聡い人は明言するのかもしれない。
勿論其れは事前の対応策だ。もルーピンも周囲に人が居ない事を前提に、こうして逢っている。
周囲への忘却魔法は云わば、事後の対応策。もしも二人の眼が行き届かない処で誰かに目撃された時の為に。


「そう言えば、今朝フィルチが言ってたんだけど…君、暴れ柳の下に居たんだって?」
「………はい」


熱いホットチョコレートと焼きたてのベリーパイをテーブルに並べながら、ルーピンが問う。
カップを受け取った侭俯き視線を下げたの態度の所為で、二人の間にはしばしの沈黙が落ちてくる。
それを破ったのは。「別に怒っている訳じゃないんだよ」と再度話し掛けてくる、ルーピンの低くて甘く優しげな声。
「行ってはいけないよ」ときつく言われていた場所なのだ、怒ればいいのに、と自分の犯した罪を知りながらも優しいルーピンを否定しようとした。


「あの場所は…学生時代にルーピン先生が、、」
―――――、教えた筈だよ?二人きりの時は、ちゃんと名前で呼ぶように、って」
「……あの場所は、学生時代にリーマスがハリーのお父様達と一緒に過したあの家があるって聞いてから…如何しても、見ておきたくて。私もアニメーガスなら良かったのに、そしたら…」


言い掛けて口を噤み、項垂れたを腕の中へ囲う。



何も言わず、突然に呼ばれた名前に、は更に動揺し項垂れる。
如何して此処まで彼は優しいのだろう。怒る、という行為を苦手としている訳ではないのだろうに、何時も柔らかく包み込んでくれる様に言葉を掛けて来る。
喧嘩した時も、一方的にがルーピンに文句を言った時も、講義の最中に名を呼ばれる時も、が知る全てがそう。
ルーピンのこの、声が苦手だ。低い、よく通るこの声は心を捕らえる為に、あるんだろう。


、わたしはね、本当は君の傍に居てはいけない人間なんだ」
「そ、そんなこと無いです、リーマスが人狼だったとしても、私は―――――


人狼ではないに、ルーピンが受けてきた心の傷や此れからも背負っておくだろう苦しみを理解する事は難しい。
だから、言いかけて、は言葉を止める。何と説明すればいいのか、判らずに。
そんな感慨抱くを余所に、ルーピンは嘗てホグワーツで共に過した仲間が言った言葉を、唐突に思い出した。



リーマス・J・ルーピンは人狼だ。其れは紛れの無い事実。
学生時代からトラウマに似た症状を抱える彼の唯一の居場所は、彼らのかたわらだった。
満月を見れば醜いものへと豹変してしまう彼の隣には何時も、彼らが居た。それはホグワーツを卒業するまでずっと変わらずに。
だから煌々とした満月が姿現す其の日でも、彼は耐え忍ぶことが出来た。
為らば月を見ることが怖くは無かったのか、と聞かれれば、いつでも彼は首を横に振っただろう。
満月で無くとも、月を見るのは恐かった。深遠の闇を深く柔らかく照らし出し包み込む筈の月が、憎悪の対象で在る事に変わりは無い。



(リーマス、お前が人狼だったとしてもさ、俺らはお前から離れていかねーよ。)
(そうよ、そんな事でネガティブになるなんて、リーマスらしくないわよ?)
(何時でも傍に居るよ、リーマス。)
(……ぼ、ぼぼぼ、僕だって一緒だよ、リーマス、、)




彼は、まだ今よりも遥かに幼く未熟だったあの頃、仲間と云う存在がどれだけ近く感じられても、本当に欲しいものには決して手が届かないことを心の何処かで悟り諦めていた。
けれど諦めて居たにも関わらず、満月に憤りを感じながらも、其れでも彼らの傍でその空に向かい、一心に手を伸ばした。

いつか、醜い姿に為る事無く、もしも、月に手が届いたら。
その先にあの頃のわたしは一体、どんな夢と想いを描いていただろう。
穏やかな月の光が齎す破滅的な恐怖の中、唯一の居場所は「叫びの屋敷」だけだった。
あの小さな世界の中で、優しい仲間に囲まれ彼は確かに幸福だったけれど、それが永遠でないことを知っていた。
いつかは終わるものだと知っていた。だからといって、何を望むことができただろう。
この忌まわしい呪いに似た症状から、逃れることは出来ないのだ。
あの頃の彼らはまだ子どもで、其処にある全てが世界の全てだと思い込んでいた。
何時も変わらず在れば良い、何時も傍に居るよ、と誓ってくれた友の半分は既に死に、独りは裏切り、独りは行方知れず。
世界は時に、残酷だ。否応無しに流れていく、遠ざかっていくものを、誰も止めることはできない。

彼は、共に笑い合った仲間の居た過去の風景だけを思い出す。
叶わない願い、それでも手を伸ばし続けられた、幼い彼と彼らのいる風景を。


だが、


リーマス、もう行きなよ、と、もう既にこの世界には居ない彼に名前を呼ばれ、ルーピンは振り返る。
其処に居た、昔ルーピンを呼んでくれたジェームズ、リリー、シリウス、ピーターを見る。
護られていた君には今、護るべき人が居るだろう?そう微笑んで、少し泣きそうな顔で、だが強い意志を宿した瞳で僕の手を放した。


そして、ルーピンは現実に引き戻される。
嘗て自分を護ってくれた彼らの居た世界から、君を護るべく世界に。


「リーマス、私は其れでも…」

言い掛けたの言葉を聞く前に、ルーピンは手を伸ばす。


はクィディッチが得意で、空を翔ている事が本当に多いから、いつか本当に空だって飛んでいきそうだね」

そう、ルーピンは言った。
普段どおりの物腰静かな口調で、柔らかく双眸を細めて、を大切そうに見ながら。


「たとえ君が本当に空を翔けて行ったとしても、わたしは君を追い駆けていくよ。だから…、仮にわたしに翼が在って空を飛ぶような事があったら、其の時は君がわたしを探しに来てくれるかい?」

小さく息を吸って、それからルーピンは少しだけ、微笑んだ。
そうしてルーピンは背をかがめ、その顔を覗き込む、自分の肩にも届かない子どもの為に。
こわれものでも扱うように大切そうに抱き寄せれば、わずかに俯いてそのまま、は顔を上げない。


「探しになんて行きません。私もリーマスの後を追い駆けます、リーマスが振り返ったら何時も其処に、私が居れるように」

覚悟を決めたような、硬い声。
それはルーピンの想像とは違った言葉を弾き出してくる。

「だから…もしも本当に空を飛びたくなったら言ってください、私も一緒に、リーマスと一緒に行きますから」


彼女が知るはずなど無いのに、まるでジェームズ達が居てくれたあの頃と変わらないようにルーピンに接する。
優しい笑顔を向けて、ルーピンの胸をあたたかくする。
俯き、床ばかりを見詰めて居た瞳を、柔らかく細めるようにしてルーピンを見上げる。
そうして垣間見れた菫色の光はあまりに優しい。
嬉しさと忘れていた情壊の想いに呼吸が苦しいように思え、咄嗟口にした名前はまるで縋るように響いた。


……、そうだね、そうしたら、一緒に行こうか」
「……うん、一緒に」


ゆっくりと引寄せるようにして伸ばされた手に、指先に込み上げる感情を他に知らない。
誘われるようにして引き寄せるようにして、抱きこんだ体は温かく柔らかい。
床に垂れたクィディッチ用のローブの、僅かに擦れる音をヒドク遠く思った。
あの時自分だけ被害を蒙らずに居たのは、嘗ての友の免罪を証明する為であり、嘗ての友を断罪するためであり、嘗ての友を弔い意思を継ぎたった独りの息子を護るため。
そして、君に、であうため。何故、こんなにも愛しく手放す事の出来ぬ存在があるのか、ルーピンには判らない。




ルーピンの吐く息がの頭に降注ぐようにあたる。ともすれば聞き落としそうな声に、は瞬きすらもできない。


「君に出逢えて本当に良かった、きっと何十年経っても、この想いは変わらないよ」


抱きしめるように、背に優しく腕をまわされては息が詰まった。
痛みを感じるわけでは無いが、肋骨の後ろが軋んで喚く。「リーマス」と堪らずに名を呼んで、それでも掠れた吐息は声にもならない。
如何しようもないほどに胸は苦しく、けれども目の眩むような幸福を思う。




何十年経っても、振り返ったその先で笑っているのが君であればいい。
だから何十年経っても、わたしは君の傍に居るよ。
あえかな祈りが、この先にずっと続いていくようにと、ルーピンは心の中で願った。








































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(C) 2002-6 The fanfictions are written by Saika Kijyo. update 2006/12/4
Present for 桜崎 愛麗 sama title by rewrite